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銀紐糸(明清楽資料庫)

最新の更新 2008-7-11
[銀紐糸] [喇叭節と銀紐糸]

銀紐糸
 銀紐糸(ぎんちゅうし)は、清楽の多数の歌曲の中でも、歴史が古く流伝した地域も広い。

 この曲名は『万暦野獲編』巻二十五「時尚小令」にも見え、16世紀には中国の南方で流行していたことがわかる。
 日本の清楽のほか、京劇をはじめとする中国各地の地方劇でも銀紐糸の様々なバリエーションが挿入曲として使われている。
 それらの旋律のバリエーションを分析・整理してゆくと、北方系は文人の雅趣志向と、南方系は庶民の諧謔志向、と社会階層ごとに分化してゆく過程を追跡することができる。
 また日本を含め、東アジア各地に銀紐糸が伝播してゆく過程も、興味深い。
 ちなみに現存最古の銀紐糸の楽譜は、中国ではなく、日本に残っている清楽譜『亀齢琴譜』である。
清楽の「銀紐糸」をMIDIで試聴する [簡素演奏版] [和音演奏版]
 ちなみに現在の中国において、京劇などの伝統劇の伴奏音楽や民間の器楽曲で使われる「銀紐糸」は、「南銀紐糸」(別名「探親調」「銀絞糸」)の系統が多い。
中国の「南銀紐糸」を試聴する(MIDI)
この「南銀紐」の旋律は、清楽の「親母閙」(MIDIで試聴する)と共通する部分が多い。
 銀紐糸の楽譜・歌詞を含め、詳細は、1994年に筆者が書いた以下の論文をご覧ください。
[拙論]明清俗曲「銀紐糸」旋律古型探求
[PDFはここをクリック(約4.9MB)]
  広島大学総合科学部紀要III「人間文化研究」第3巻,pp.23-54,1994年12月

[提要] 中国劇音楽で使われている伝統歌曲「銀紐糸」は、15世紀以来、東アジアの広汎な範囲で演奏されてきた。筆者は現存の中国各地の楽譜と、江戸時代の日本人が書き残した楽譜など、約60種の楽譜資料をもとに、「銀紐糸」のメロディーのヴァリエーションを分類整理し、同曲が豊富な変型を持つに至った理由を探究した。従来の戯曲研究に、音楽研究の方法を導入しようとする試みである。



喇叭節と銀紐糸の類似性の謎
 演歌師の添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう。1872-1944)が作詞した喇叭節(らっぱぶし。「ラッパ節」とも)は、明治37年(1904)に歌われはじめると、全国で爆発的に流行した。
 喇叭節の歌詞は「今鳴る時計は八時半、あれに遅れりゃ重営倉(じゅうえいそう)。今度の日曜が無いじゃなし、放せ、軍刀に錆(さび)がつく、トコトットット」という感じで、同じ旋律を繰り返し、さまざまな歌詞を歌う。
 「喇叭節」は、日本各地でさまざまな替え歌が作られ、また、各地の「新民謡」の元曲となった。例えば、沖縄の有名な民謡「十九の春」も、この「喇叭節」が元となって生まれたものである。詳しくは小川学夫(おがわ・ひさお)氏の論文「九州、奄美、沖縄における「ラッパ節」の流れ ──沖縄の「十九の春」が生まれるまで──」(『鹿児島純心女子短期大学研究紀要』第36号, pp.121-134, 2006年)他の文献を参照のこと(この論文はネット上でPDF版を読めます。
こちらをクリック)。

 今まで誰も指摘した人はいない(と思う)が、実は、この「喇叭節」の旋律の前半部は、(南)銀紐糸(別名「探親調」「銀絞糸」)と酷似している。
 以下、それぞれの旋律を比較対照してみよう。

曲 名
試 聴
南銀紐糸[MIDIで聴く] ミソミレ ドレドー ラソミソ ラー レーレミ ソーミレ ドレミレ ドーラ ソラどー …下略
喇叭節[単旋律][伴奏付] ○ミソソ ソソソソ ラソミソ ラー レーレミ ソソラソ ミソミレ ドーどどれ …下略

 第1小節どうしは余り似ていないが、南銀紐糸の第1小節は、喇叭節の第四小節と酷似している、とも言える(赤字で強調しておく)。
 第2小節〜第4小節は、偶然の一致と考えにくいほど、互いによく似ている。

 それでは、「喇叭節」の原曲は「南銀紐糸」である、と推定して良いのだろうか?
 実は、通説によると、「喇叭節」の原曲は、
明治18年(1885)「抜刀隊」(外山正一作詞、ルルー作曲)

明治20年(1887)「ノルマントン号沈没の歌」(作詞・作曲者不明)[MIDIで聴く]

明治37年「喇叭節」

とされている。実際、旋律を比較しても、互いの類縁関係は明かである。
抜刀隊らミ ミーミー ミーファファ レファミーレ しー レミミ ミミしー ドしら (下略)
ノ…歌 しミ ミミ
(bミソ ソソ)
ミミ ミミ
(ソソ ソソ)
ファミ ドミ
(bラソ bミソ)
ミー
(ソー)
しし しド
(レレ レbミ)
ミミ ファミ
(ソソ bラソ)
ドミ ドし
(bミソ bミレ)
らー (下略)
(ドー)
喇叭節○ミ ソソソソ ソソラソ ミソラーレー レミソソ ラソミソ ミレドー (下略)

 暗い短調の「ノルマントン号沈没の歌」の「し(低いシ)」と「ファ」を半音高く上げると、明るい長調の「喇叭節」となる。
 ルルーが作曲した「抜刀隊」は、南銀紐糸とは全く似ていない。
 「抜刀隊」を原曲として改変したと思われる「ノルマントン号沈没の歌」は、第3〜7小節の部分が「抜刀隊」とやや変わっており、南銀紐糸の旋律線と類似し始める。 この部分の改変にあたって、南銀紐糸の旋律の影響があったどうかは、不明である。ただし、南銀紐糸が明るい長調の曲であるのに対して、「ノルマントン号沈没の歌」は暗い短調の曲で、聴いた印象が違うため、類似性はあまり目立たない。
 「喇叭節」は、これを長調の明るい調子に転じたため、南銀紐糸のメロディーとの類似性が目立つようになった。
 このように見てくると、「喇叭節」と南銀紐糸の旋律の類似性は、偶然の一致である可能性が高い。
 ただ、「ノルマントン号沈没の歌」の作曲者が不明であるため、「抜刀隊」からの改変過程で、南銀紐糸の旋律が何らかの影響を与えた可能性も、完全には否定できない。
抜刀隊ノルマントン号沈没の歌街頭演歌「喇叭節」「十九の春」ほか日本各地の新民謡
(↑)
南銀紐糸?

 いずれにせよ、現時点では、これ以上のことは何とも言えない。今後の調査研究にまつ。

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