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令和の典拠
『万葉集』の漢文序

最新の更新2019-7-4  最初の公開 2019-5-19

原文
『万葉集』巻五に載せる漢文の序文の原文。テキストによって文字の異動がある。以下は一例。
 梅花謌卅二首 幷序   
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封縠而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是蓋天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。請紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

国立国会図書館デジタルコレクション
  1. 安田十兵衛『万葉和歌集』寛永20年(1643) 請求番号857-47 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2579473?tocOpened=1の21枚目と22枚目
     古活字版。古活字版『万葉集』には無訓本と付訓本とがある。本書は付訓本である。付訓本は無訓本を底本とし、本文行間に片仮名の訓の活字を入れたものである。江戸時代の流布本となった寛永20年(1643)版の『万葉集』はこの付訓本の覆刻整版である。榊原芳野旧蔵本。
  2. 慶長年間の万葉集 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2569911?tocOpened=1の15枚目
     『万葉集』最古の刊本で、伏見版(円光寺版)の木活字を使用し、不足の文字を新雕し印行したものとされる。万葉仮名の本文のみで、無訓本と通称されるもの。第8冊巻第17の第41〜49丁、巻第18の第31、32丁が欠。実業家・古書収集家高木利太(1871-1933)旧蔵。

参考書籍
 以下、
〇書籍 中西進『萬葉集 全訳中原文付』講談社、昭和59年9月20日、pp.376-377・・・【講談】
〇書籍 小学館・日本古典文学全集3『萬葉集 二』昭和47年初版、昭和60年第16版・・・【小学】
〇書籍 岩波書店・新日本古典文学大系1『萬葉集』1999年5月20日刊・・・【岩波】
〇論文 呉英海・金原理「梅花歌三十二首考」、『九州産業大学国際文化学部紀要 第28号』2004年8月31日・・・【呉金】
〇書籍 村田右富実『令和と万葉集』西日本出版社、2019年6月15日・・・【西日】
等から引用。

読解
全体の意味
【講談】(以下は中西進氏による訳。原文は改行無し)
 天平二年正月十三日に、長官の旅人宅に集まって宴会を開いた。
 時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉の如きかおりをただよわせている。
 のみならず明け方の山頂には雲が動き、松は薄絹のような雲をかずいてきぬがさを傾ける風情を示し、山のくぼみには霧がわだかまって、鳥は薄霧にこめら れては林にまよい鳴いている。
 庭には新たに蝶の姿を見かけ、空には年をこした雁が飛び去ろうとしている。
 ここに天をきぬがさとし地を座として、人々は膝を近づけて酒杯をくみかわしている。
 すでに一座はことばをかけ合う必要もなく睦(むつ)み、大自然に向かって胸襟を開きあっている。
 淡々とそれぞれが心のおもむくままに振舞い、快くおのおのがみち足りている。
 この心中を、筆にするのでなければ、どうしていい現しえよう。
 中国でも多く落梅の詩篇がある。
 古今異るはずとてなく、よろしく庭の梅をよんで、いささかの歌を作ろうではないか。

ウメのハナのウタ サンジュウニシュ アワせてジョ
【講談】梅花歌三十二首 并序 梅花の歌(注1)三十二首 并せて序
(注1)当時梅は外来の植物として珍重された。大宰府の旅人宅に開花した梅を囲む雅宴の歌。序の筆者は旅人。以下冒頭部分、王羲(ぎ)之の「蘭亭序(らんていのじょ)」の形式に同じ。
 この序文の作者を大伴旅人とするのは推定である。【小学】は「この序の作者について、大伴旅人・山上憶良・大宰府の某官人など諸説があるが、まず旅人自身とみることには無理があろう」とある。
テンピョウニネンショウガツジュウサンニチに、ソチのオキナのイエにアツまりてエンカイをヒラく
【講談】天平二年正月十三日に、帥の老(注2)の宅に萃まりて、宴会を申く。
 天平二年正月十三日に、長官の旅人宅に集まって宴会を開いた。
 (注2)旅人。尊称にも卑称にも用いる。
 天平二年正月十三日をユリウス暦に換算すると730年2月5日となるが、時差の関係で英国のグリニジではまだユリウス暦730年2月4日である。グレゴリオ暦に換算すると、それぞれ2月9日と2月8日となる。【小学】は「太陽暦に直して二月八日」と、【西日】も二月八日とする。いずれにせよ、二十四節気の「立春」は過ぎている。
トキに、ショシュンのレイゲツにして、キ、ヨく、カゼ、ヤワラぎ、ウメはキョウゼンのコをヒラき、ランはハイゴのコウをカオらす。
【講談】時に、初春の令月(注3)にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉(注4)を披き、蘭(注5)は珮後(注6)の香を薫らす。
 時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。
(注3)令は嘉。よい。
(注4)女人が鏡の前でよそおう白粉。梅花の白さをいう。
(注5)蘭はフジバカマだが、広くキク科の香草をいう。ここでは梅と対にして香草をあげた文飾で実在のものではない。
(注6)珮は本来帯の飾り玉。ここでは身におびる程度の意。
 平成31年4月1日の昼、菅義偉官房長官がテレビで「新元号の典拠について申し上げます。令和は『万葉集』の『梅の花の歌三十二首』の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす』から引用したものであります」と言ったのは、この部分である。
 「粉」を「白粉」(おしろい)と訳す本が多いが、梅の花は、紅梅はもとより、白梅であってもうっすらピンクの部分もあるので、ここは白粉に限定せず紅粉(べにこ)なども含めて解釈すべきであろう。江戸時代の本には、この句を、宋武帝の寿陽公主の「梅花化粧」の故事と結びつけるものもある。上記の写真も参照。
 「珮後の香」云々の解釈は問題があるようである。【講談】は「珮」を「佩(お)びる」と解釈して「身におびる程度の意」とする。【小学】は注で「『珮』は麝香(じゃこう)や香木の類を袋に入れて腰に下げたもの。「後」は対句として用いた字で、意味は軽い」と説明し、「蘭は匂い袋のように香っている」と訳す。【岩波】の現代語訳は「蘭草は腰につける匂袋のあとに従う香に薫っている」とする。【西日】が「帯の飾り玉からフジバカマの良い香りがする」(p.057)と「おびだま」の意に解するのは画期的だが、「「珮後」の「後」は「鏡前」と対にしただけで特に意味はない」(p.064)とするのは旧来の類書どおりである。
 加藤徹の私見では、ここの「珮」は素直に「(歩くとシャラシャラと鳴る)おびだま」と解釈して良いであろう。
「新元号「令和」にまつわる〈5つの誤解〉を漢文のプロが斬る」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64375)2019.05.01で以下のように書いた。
 この一句の意味は誤解されやすい。市販の『万葉集』の訳解書を見ると、例えば「蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」(中西進『萬葉集 全訳注原文付』講談社、昭和59年、p.376)とある。
 誤訳ではないが、「珮」の字を精確に訳していないきらいがある。原文は、

  梅披鏡前之粉  梅は鏡前の粉(こ)をひらき
  蘭薫珮後之香  蘭は珮後の香を薫らす
という対句になっている。「鏡」の対語として解釈するのが適当である。
 前半の「梅披鏡前之粉」は、寒い季節に先駆けて咲く梅の花を、鏡の前にすわり白粉(おしろい)や紅粉(べにこ)で化粧する女性にたとえる。
 後半の「蘭薫珮後之香」は、目に見えない気品、あとからじわりとわかる美徳の比喩である。
 「珮」は貴人や女性が腰からさげて帯びる「おびだま」のこと。「環佩璆然」(かんぱいきゅうぜん)という四字熟語もある。歩くと、衣ずれのようなシャラシャラとした静かで優雅な音が鳴る。
 梅の花のような人は、パッと見て美しいとわかる。しかし人の美徳は、音やにおいと同様、目には見えない。
シャラシャラとおびだまを鳴らしながら歩いてくる人と、すれちがったあと、ふと「いい香りがする」と気づき、ふりかえりたくなる。それが「珮後の香」の含意であろう。美徳も香りも、遠くからはわからない。その人が去ったあとに、実感できるものだ。
今は鏡の前で世に出る準備している梅のような新人もいる。すでに世に出て蘭が匂うような美徳をふりまいているベテランもいる。多彩な花や人が活躍できる季節が「初春令月」であり、「気淑風和」なのだ。
 なお「珮」(おびだま)がどんな形をしているのか、気になる人は、ネットの画像検索で「玉珮」とか「玉佩」を調べれば、すぐに出てくる。
前述のとおり、「珮」を「身に佩(お)びる」ていどの意にとる訳解書もある。しかし、この「珮」は、「鏡」という具体的な金属製の化粧道具と対になっている点を考えれば、やはり、玉製の装身具である「おびだま」と解釈するほうが自然だろう。
 とはいえ、古典作品の解釈は数学とは違う。答えは一つと限らなくてもよい。(以下、省略)

シカノミニアラズ、アケボノのミネにクモ、ウツり、マツはウスモノをカけてキヌガサをカタムけ、ユウベのクキにキリ、ムスび、トリはウスモノにコめらえてハヤシにマトう。
【講談】加之、曙の嶺に雲移り、松は羅(注7)を掛けて蓋(注8)を傾け、夕の岫(注9)に霧結び、鳥は縠(注10)に封めらえて林に迷ふ。
のみならずあけ方の山頂には雲が動き、松は薄絹のような雲をかずいてきぬがさを傾ける風情を示し、山のくぼみには霧がわだかまって、鳥は薄霧にこめられては林にまよい鳴いている。
(注7)薄く透明な絹。雲の比喩。
(注8)→二四〇。
(注9)山の穴。嶺の対。
(注10)ちりめんの一種。霧の比喩。
 「岫」の意味について、【講談】は「山の穴」とし【岩波】も「山洞」とするが、【小学】は「峰、山頂の意」とする。
ニワにはシンチョウ、マい、ソラにはコガン、カエる。
【講談】庭には新蝶舞ひ、空には古雁帰る。
 庭には新たに蝶の姿を見かけ、空には年をこした雁が飛び去ろうとしている。
 いくら九州が温暖でも、太陽暦の二月上旬に蝶が本当に飛んでいたのかどうか、実景だっのか否かは、待考。【西日】も「二月八日に蝶が飛ぶのかというツッコミは許してほしい。それをいい始めると、大宰府近辺の山に岫があるのかなんてお話になる。」(p.066)
ここにテンをキヌガサとし、チをシキイとし、ヒザをチカヅけサカヅキをトばす。
【講談】ここに天を蓋とし、地を座とし、膝を促け(注11)觴を飛ばす。
ここに天をきぬがさとし地を座として、人々は膝を近づけて酒杯をくみかわしている。
(注11)親しく交わること。

コトをイチシツ(イッシツ)のウチにワスれ、エリをエンカのソトにヒラく。
【講談】言を一室の裏に忘れ(注12)、衿を煙霞(注13)の外に開く。
すでに一座はことばをかけ合う必要もなく睦(むつ)み、大自然に向かって胸襟を開きあっている。
(注12)「蘭亭序」と同句。ことばを忘れる程、物の真意を得る状態。
(注13)煙は雲。
タンゼンとミズカらホシキママにし、カイゼンとミズカらタる。
【講談】淡然と(注14)自ら放にし、快然と自ら足る。
淡々とそれぞれが心のおもむくままに振舞い、快くおのおのがみち足りている。
(注14)心にわだかまりがない状態。

モしカンエンにあらずは、ナニをモちてかココロをノべん。
【講談】若し翰苑(注15)にあらずは、何を以ちてか情を攄べむ。
 モしカンエンにあらずは、ナニをモちてかココロをノべん。
 この心中を、筆にするのでなければ、どうしていい現しえよう。
 (注15)文筆のこと。
 「翰」は文章、「苑」は世界の意なので、「翰苑」は「文学の世界」と訳したほうがよいかもしれない。
シにラクバイのヘンをシルす。
【講談】詩に落梅の篇を紀す(注16)。
 中国でも多く落梅の詩篇がある。
 (注16)中国の「詩経」に梅の実の落ちる詩があり、楽府(がふ)体の詩に「梅花落」の題が多い。
 この原文は「請紀落梅之篇」(請ふ、落梅の篇を紀せ)だが、現代の学者の多くは「請」は「詩」の誤写だと推定して、このように解釈する。しかし【呉金】は小島憲之の説を援用し「請」のままで解釈している。
イニシエとイマとそれナニそコトならん。ヨロしくニワのウメをフしてイササかにタンエイをナすべし。
【講談】古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦して聊かに短詠(注17)を成すべし(注18)。
 古今異るはずとてなく、よろしく庭の梅をよんで、いささかの歌を作ろうではないか。
 (注17)短歌。
 (注18)以下三十二首は四群に分かれ、各〻円座で歌い廻らした模様。
 「短詠」は中国の漢文では短い漢詩の意。南朝の梁の簡文帝の「答湘東王和受試詩書」に「性既好文、時復短詠。雖是庸音、不能閣筆」とある。「短詠」には、単に字数が短いという意味だけでなく、下手の横好き、という謙遜の気持ちもこめた表現と思われる。
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