HOME > 仏典の庵 > このページ

 不死家火
FUSHI KE KA / Searching the Ember of the Immortal Family

[English Translation]
最新の更新2024年2月3日  最初の公開2020-12-25
[不死家火(雑譬喩経)]
[概説] [画像・かな付き] [読みかた・ローマ字] [読み方・かな]
[漢字だけの原文] [和音] [漢文訓読・読み下し]
[中国語の発音 ピンイン] [英訳] [参考 いろは歌] [平行経 Therīgāthā]
[附録 ディグリー・ネーム][いちばん下]

不死家火(雑譬喩経)

不死家火(ふしけか。不死の家の火。先祖代々いままで誰も死んだ人がいない家の火だね)の寓話
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-kApCWvqih3u1gHpVNNE2ah


概説
 子どもを失って絶望した母親が、お釈迦様の「嘘も方便」によって「正しく悲しむ」ことができるようになる、という有名な仏教説話である。浜田広介(1893-1973)の仏教童話「明るいろうそく」(『日本児童文学大系第13巻 浜田広介集』ほるぷ出版、1980年)など、後世の文芸作品のモチーフにもなっている。
 北伝仏教と南伝仏教の両方ともこの説話を伝えるが、細かいところでは異同が多い。世界的には南伝の『法句経』(ほっくぎょう。「ダンマパダ」)の「キサーゴータミー(Kisa Gotami 迦沙喬達弥)説話」のほうが有名だが、北伝の漢訳仏典『雑譬喩経』『衆経撰雑譬喩』にもこの説話を載せる。
参考 赤松孝章「
キサーゴータミー説話の系譜」(『高松大学紀要34』2000年、pp.1-15)、NII論文ID(NAID)110000987035
 以下「赤松2000」p.13より引用。
4.漢訳経典の説話
 すでに指摘しておいたように,漢訳経典の中に「キサーゴータミー説話」と同系統の内容を有する文献が2本存在している。『雑譬喩経』の第23話と『衆経撰雑譬喩』の第36話がそれである。前者は後漢代(西紀20−220)の失訳[=翻訳者が不明]とされる。また後者については,姚秦の鳩摩羅什(350−409)が翻訳したものを道略という僧が集めたと伝えられる。ところが,両本を比較してみると,別人による翻訳とは考えられないほど内容的にも訳語においても酷似している。道略という人物の詳細は不明であり,現存する漢訳の経典目録を調査して両経典の成立年代及び翻訳者の真偽を推定するべきであろうが,どちらも3−4世紀の翻訳本であるといってよかろう。
 内容は「病気で一子を亡くし,四日も五日も飲食できない老母に対し,仏は,生きかえらせようと思うのなら,誰も死人の出ていない家から火をもらって来るように言った。数十軒捜し歩いたが,火を得ることができなかった。そこで仏は老母に,天地開闢以来,生の終らざる者のないことを告げ,老母は須陀洹道[=預流に同じ。聖道に入ること]を得て,周りで見ていた人たちも無上のさとりに対する心を起こした」(趣意要約)と説かれる。DPAのようにキサーゴータミーという固有名詞は語られず一老母の物語として説かれていたり,白カラシの種ではなく火をもらってくるように言われるなど若干の相違はあるが,基本的物語の展開はDPAとまったく同じである。しかし,成立年代等と考え合わせると,漢訳経典はDPAよりも古い形を遺しているものと想像され,この点から漢訳両経典は,ADに近い層に属していると考えられる。
引用終了。引用文中のDPAとADは、それぞれ『ダンマパダ・アッタカター』と『アパダーナ』の略称。


画像

【自分の備忘用です】 鳩摩羅什訳『衆経撰雑譬喩』巻下「不死家火」(昔有一老母、惟有一子。・・・) T208-540a=大正大蔵経208巻540頁上段
「キサーゴータミー(Kisa Gotami 迦沙喬達弥)と芥子の種」と同様の説話です。
https://t.co/z1uj1SlrXJ pic.twitter.com/OOehXAfOOb

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) September 5, 2022

読みかた・ローマ字

読み方・かな
 この読みがなは、加藤徹がふったものなので、間違ったところがあるかもしれません(^0^;)
 原則として「呉音」読み。ただし呉音ではなく「慣用音」で読んだ字もあります。例えば「停」の呉音は「じょう」で漢音は「てい」ですが、ここでは慣用音「ちょう」で読みました。特に理由はありません。なんとなく、です(^0^;)
  1. しゃく/う/いち/ろう/も、ゆい/う/いっ/し、とく/びょう/みょう/じゅう。さい/じゃく/ちょう/けん/ちょう/し、あい/かん/ふ/のう/じ/しょう。「しょう/う/いっ/し/とう/い/び/ろう、に/しゃ/が/し。ご/よう/がち/い、ふ/のう/ぶ/き。とう/ひょう/みょう/いっ/しょ」。ふ/おん/ふ/じき/い/し/ご/にち。
    昔有一老母、惟有一子、得病命終。載著塚間停屍、哀感不能自勝、「正有一子当以備老。而捨我死。吾用活為不能復帰。当併命一処」。不食不飮已四五日。
  2. ぶっ/ち/しょう/ご/ひゃく/び/く/けい/ひ/ちょう/けん。ろう/も/よう/けん/ぶつ/らい/い/しん/こう/やく、めい/ご/すい/しょう、ぜん/しゅ/ぶつ/さく/らい/じゅう。ぶつ/ごう/ろう/も「か/い/ちょう/けん/や」。びゃく/ごん/せ/そん「ゆい/う/いっ/し、しゃ/が/しゅ/ぼう。あい/し/じょう/じゅう、よく/ぐ/し/いっ/しょ」。
    仏知将五百比丘詣彼塚間。老母遙見仏来威神光奕、迷悟酔醒、前趣仏作礼住。仏告老母「何以塚間也?」 白言世尊「唯有一子、捨我終亡。愛之情重、欲共死一処。」
  3. ぶつ/ごう/ろう/も「よく/りょう/し/きょう/がち/ほっ/ちゃ」。も/ごん「ぜん」、わつ「よく/とく/い」。ぶつ/ごん「さく/こう/か、ご/とう/しゅ/がん/きょう/しょう」。こう/ろう/も「ぐ/か、ぎ/とく/ふ/し/け/か」
    仏告老母「欲令子更活不也?」 母言「善」、曰「欲得矣。」 仏言「索香火、吾当呪願更生。」 告老母「求火、宜得不死家火。」
  4. お/ぜ、ろう/も/べん/ぎょう/しゅ/か、けん/にん/ちょう/もん「にょ/け/ぜん/ご/は/う/し/しゃ/ふ」。とう/ごん「せん/ぞ/い/らい/かい/し」。か/こ/しょ/もん/し/しょ、じ/かい/にょ/ぜ。きょう/すう/じゅっ/け、ふ/かん/しゅ/か、べん/げん/ぶっ/しょ、びゃく/ごん/せ/そん「へん/ぎょう/ぐ/か、む/ふ/し/しゃ、ぜ/い/くう/げん」。
    於是、老母便行取火、見人輒問「汝家前後頗有死者不?」 答言「先祖以来皆死。」 過去所問之処、辞皆如是。経数十家、不敢取火、便還仏所、白言世尊「遍行求火、無不死者、是以空還」。
  5. ぶつ/ごう/ろう/も「てん/ち/かい/びゃく/い/らい、む/しょう/ふ/しゅ、にん/し/し/もう/ご、にん/しょう/がち、やく/ぶ/か/き。も/どく/か/めい/さく/ずい/し/し/や」。も/い/べん/げ/しき/む/じょう/り。
    仏告老母「天地開闢以来、無生不終、人之死亡後、人生活、亦復何喜。母独何迷索随子死也?」 母意便解識無常理。
  6. ぶつ/いん/に/こう/い/せつ/きょう/ほう、そく/とく/しゅ/だ/おん/どう。ちょう/けん/かん/じゃ/すう/せん/にん、ほつ/む/じょう/しょう/しん/どう/い/や。
    仏因爾広為説経法、即得須陀洹道。塚間観者数千人、発無上正真道意也。

漢字だけの原文
工事中 訳者不明(後漢)『雑譬喩経』巻下
大正大蔵経 #205 p.508b
参考 
https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/master30.php
(二十三)昔有老母、唯有一子得病命終。載著塚間、停尸、哀慼不能自勝。念曰「止有一子当以備老、而捨我死、吾用活為?」 遂不復帰、便欲併命一処、不飯不食已四五日。
仏以知見、将五百比丘詣塚間。老母遙見仏来、威神之光奕奕、寤酔醒、前趣仏作礼却住。
仏告母「何為塚間耶?」。白言世尊「唯有一子捨我終亡。愛之情切、欲共死在一処」。仏告老母「欲令子活不耶?」。母喜「実爾、世尊」。仏言「索好香火来。吾当呪願、令子更生」。重告老母「宜得不死家火」。
於是、老母便行索火、見人先問「汝家前後頗有死者未?」。答曰「言先祖以来皆死」。過去所問之家、辞皆如是。已経数十家、不敢取火、便還仏所、白言世尊「遍行求火、無有不死家、是以空還」。
仏告老母「天地開闢以来、無生不終之者。生者求活、亦復可憙。母何迷索随子死?」。意便解寤、識無常理。
仏因為広説法要、老母即得須陀洹道。塚間観者無数千人、皆発無上正真道意。

○注
参考 『衆経撰雑譬喩』巻下 比丘道略集 姚秦三藏法師鳩摩羅什訳
大正大蔵経のこちらの頁
(三十六)昔有一老母、惟有一子、得病命終。載著塚間停屍、哀感不能自勝、「正有一子当以備老。而捨我死。吾用活為不能復帰。当併命一処」。不食不飮已四五日。
仏知将五百比丘詣彼塚間。老母遙見仏来威神光奕、迷悟酔醒、前趣仏作礼住。仏告老母「何以塚間也?」 白言世尊「唯有一子、捨我終亡。愛之情重、欲共死一処。」仏告老母「欲令子更活不也?」 母言「善」、曰「欲得矣。」 仏言「索香火、吾当呪願更生。」 告老母「求火、宜得不死家火。」
於是、老母便行取火、見人輒問「汝家前後頗有死者不?」 答言「先祖以来皆死。」 過去所問之処、辞皆如是。経数十家、不敢取火、便還仏所。白言世尊「遍行求火、無不死者、是以空還」。
仏告老母「天地開闢以来、無生不終、人之死亡後、人生活、亦復何喜。母独何迷索随子死也?」 母意便解識無常理。
仏因爾広為説経法、即得須陀洹道。塚間観者数千人、発無上正真道意也。

Wiki文庫 https://zh.wikisource.org/wiki/眾經撰雜譬喻經
(三六)   昔有一老母。惟有一子。得病命终。载着冢间停尸。哀感不能自胜。正有一子当以备老。而舍我死。吾用活为不能复归。当并命一处。不食不饮已四五日。佛知将五百比丘诣彼冢间。老母遥见佛来威神光奕。迷悟醉醒。前趣佛作礼住。佛告老母。何以冢间也。白言世尊。唯有一子舍我终亡。爱之情重欲共死一处。佛告老母。欲令子更活不也。母言善。曰欲得矣。佛言。索香火吾当咒愿更生。告老母。求火宜得不死家火。于是老母便行取火。见人辄问。汝家前后颇有死者不。答言。先祖以来皆死。过去所问之处辞皆如是。经数十家不敢取火。便还佛所。白言世尊。遍行求火无不死者。是以空还。佛告老母。天地开辟以来无生不终人之死亡后人生活亦复何喜。母独何迷索随子死也。母意便解识无常理。佛因尔广为说经法。即得须陀洹道。冢间观者数千人。发无上正真道意也。


和音
[
一太郎]

【自分の備忘用です】いわゆる「キサーゴータミー(Kisa Gotami 迦沙喬達弥)説話」 https://t.co/JNb3VGPicu pic.twitter.com/T2HCTBlkXc

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) March 12, 2023
 基本コード進行
[ディグリー・ネーム]による表記
【バターン1】/ VIm - / V - / I  V / I - / II - / IIm - / IV   V / VIm - /
【バターン2】/ IV - / V - / III7 - / VIm - / II  IIm / I - / V - / I - / III7 - / VIm - / III7 - / VI - /
 バターン1・Am [Am /G /C G/C /D /Dm /F G/Am /]
 バターン1・Dm [Dm /C /F C/F /G /Gm /B♭ C/Dm /]
 バターン1・Em [Em /D /G D/G /A /Am /C Dm/Em /]

五線譜

【自分の備忘用です】不死家火 Searching the Coal of the Immortal Family 1/5 2/5 https://t.co/JNb3VGPicu pic.twitter.com/Ydwt81X8WO

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) August 25, 2023

 Dm昔CひとりのFおんCなあFり。Gわが子とGmふたりでB♭つつCましDmく、 Dm母と子CふたりでFしあCわせFに、GけなげにGm生きてB♭おりCましDmた。
 Dmある日C病気にFなりCましFた。G子どもがGm病気にB♭なりCましDmた。 Dm子どもはCやがてF死にCましFた。G体もGm冷たくB♭なりCましDmた。
 Am女はGわが子をC胸GにだCき、D息せぬDmわが子をF抱いGたまAmま、 AmはだしでG道をC歩GきつCつ、D道ゆくDm人にF頼GみまAmす。
「F助けてください、Gお願いです。E7わたしはお金はAmありません。 DわたしのDm命をAmさしCあげます。G助けてください、Cうちの子は、E7なぜか息をしAmないのです。 E7この子はひどいA病気です」
 Am子どもはGもはやC死んGでいCる。DもはやDm医者にもF治GせAmない。 高AmけれどもG女はC認GめなCい。D釋迦牟尼Dm仏のFもとGへ行Amき、 低Am泣いてG助けをC乞いGましCた。D釋迦牟尼Dm仏はF言わGれAます。
「Emあなたの子供が病気なら、B祈りの力で治しましょう。Dそれには火だねが必要です。A先祖代々、誰ひとり、Am死人がいない不死の家、 Em不死の家から清らかな、B火だねをもらってきてください」
 Em女はD顔をGかがDやかGせ、A町へAm走ってCゆきDましEmた。 Em大きなDやしきでG聞きDましGた。A不死のAm家か、とC聞きDましEmた。
 低Am家のG人はC答えGまCす。「語り謡い Dたしかに、DmうちはF豊かGでAmす。 AmけれどもG不死ではCありGませCん。D去年、Dm夫をF亡くしGましAmた」
 Em女はD隣のG家DにG行き、A「不死のAm家か?」とCたずDねまEmす。 Em一軒、D一軒、GまたD一G軒。A不死のAm家はCありDませEmん。
 Am先祖G代々、C人GはみCな、D死んで、Dm生まれて、FまたG死んAmで、Am今いるG人もCいつGかみCな、D別れのDm時がFくるGのでAmす。
 F女は歩みをGとめました。E7さとって、歩みをAmとめました。
 D女はDmわが子をAm抱きしめCて、G息せぬ子どもをC抱きしめて、 E7墓所へとAm行きました。Gそしてわが子のCなきがらを、E7墓所にA置きました。
 Am思い出GだけをC抱きGしめCて、D微笑むDmわが子のF面G影Amを、 AmまぶたのG裏にCやきGつけCて、D釈迦牟尼Dm仏のFもとGへ行Amき、 Am子どもをGなくしたCおんGなCは、D仏のDmお弟子にFなりGましAた。

 (Dm)昔(C)ひとりの(F)おん(C)なあ(F)り。(G)わが子と(Gm)ふたりで(B♭)つつ(C)まし(Dm)く、 (Dm)母と子(C)ふたりで(F)しあ(C)わせ(F)に、(G)けなげに(Gm)生きて(B♭)おり(C)まし(Dm)た。
 (Dm)ある日(C)病気に(F)なり(C)まし(F)た。(G)子どもが(Gm)病気に(B♭)なり(C)まし(Dm)た。 (Dm)子どもは(C)やがて(F)死に(C)まし(F)た。(G)体も(Gm)冷たく(B♭)なり(C)まし(Dm)た。
 (Am)女は(G)わが子を(C)胸(G)にだ(C)き、(D)息せぬ(Dm)わが子を(F)抱い(G)たま(Am)ま、 (Am)はだしで(G)道を(C)歩(G)きつ(C)つ、(D)道ゆく(Dm)人に(F)頼(G)みま(Am)す。
「(F)助けてください、(G)お願いです。(E7)わたしはお金は(Am)ありません。 (D)わたしの(Dm)命を(Am)さし(C)あげます。(G)助けてください、(C)うちの子は、(E7)なぜか息をし(Am)ないのです。 (E7)この子はひどい(A)病気です」
 (低Am)子どもは(G)もはや(C)死ん(G)でい(C)る。(D)もはや(Dm)医者にも(F)治(G)せ(Am)ない。 (高Am)けれども(G)女は(C)認(G)めな(C)い。(D)釋迦牟尼(Dm)仏の(F)もと(G)へ行(Am)き、 (低Am)泣いて(G)助けを(C)乞い(G)まし(C)た。(D)釋迦牟尼(Dm)仏は(F)言わ(G)れ(A)ます。
「(語り謡い Em)あなたの子供が病気なら、(B)祈りの力で治しましょう。(D)それには火だねが必要です。(A)先祖代々、誰ひとり、(Am)死人がいない不死の家、 (Em)不死の家から清らかな、(B)火だねをもらってきてください」
 (Em)女は(D)顔を(G)かが(D)やか(G)せ、(A)町へ(Am)走って(C)ゆき(D)まし(Em)た。 (Em)大きな(D)やしきで(G)聞き(D)まし(G)た。(A)不死の(Am)家か、と(C)聞き(D)まし(Em)た。
 (低Am)家の(G)人は(C)答え(G)ま(C)す。「(語り謡い D)たしかに、(Dm)うちは(F)豊か(G)で(Am)す。 (Am)けれども(G)不死では(C)あり(G)ませ(C)ん。(D)去年、(Dm)夫を(F)亡くし(G)まし(Am)た」
 (Em)女は(D)隣の(G)家(D)に(G)行き、(A)「不死の(Am)家か?」と(C)たず(D)ねま(Em)す。 (Em)一軒、(D)一軒、(G)また(D)一(G)軒。(A)不死の(Am)家は(C)あり(D)ませ(Em)ん。
 (Am)先祖(G)代々、(C)人(G)はみ(C)な、(D)死んで、(Dm)生まれて、(F)また(G)死ん(Am)で、 (Am)今いる(G)人も(C)いつ(G)かみ(C)な、(D)別れの(Dm)時が(F)くる(G)ので(Am)す。
 (F)女は歩みを(G)とめました。(E7)さとって、歩みを(Am)とめました。
 (D)女は(Dm)わが子を(Am)抱きしめ(C)て、(G)息せぬ子どもを(C)抱きしめて、 (E7)墓所へと(Am)行きました。(G)そしてわが子の(C)なきがらを、(E7)墓所に(A)置きました。
 (Am)思い出(G)だけを(C)抱き(G)しめ(C)て、(D)微笑む(Dm)わが子の(F)面(G)影(Am)を、 (Am)まぶたの(G)裏に(C)やき(G)つけ(C)て、(D)釈迦牟尼(Dm)仏の(F)もと(G)へ行(Am)き、 (Am)子どもを(G)なくした(C)おん(G)な(C)は、(D)仏の(Dm)お弟子に(F)なり(G)まし(A)た。
(このあと続けて、いろは歌、般若心経、自洲法洲、などに続く)

【上掲の字数圧縮、コード記号部分略、旧仮名遣い版】
Dm昔一人の女有り我が子と二人で慎く母と子二人で倖に健氣に生きてをりました或日病氣に成ました子供が病氣に成ました子供は軈て死にました躰も冷く成ましたAm女は我が子を胸に抱き息せぬ我が子を抱いた儘裸足で道を歩きつつ道往く人に頼みます「F助けて下さい御願ひです私は御金は有ません私の命を差上ます助けて下さいうちの兒は何故か息をしないのです此子は酷い病氣です」Am子供は最早死んでゐる最早醫者にも治せないけれども女は認めない
釋迦牟尼佛のもとへ行き泣いて助けを乞ひました
釋迦牟尼佛は言はれます「Em貴女の子供が病氣ならB禱りの力で治しませうD其には火種が必要ですA先祖代々誰一人Am死人がゐない不死の家Em不死の家から清らかなB火種を貰つて來てください」Em女は顔を輝せ街へ走つて行きました大きな邸で訊ました「不死の家乎」と訊ましたAm家の人は答へます「慥にうちは豊かですけれども不死ではありません去年夫を亡くしました」Em女は隣の家に行き「不死の家乎」と尋ねます一軒一軒又一軒不死の家は有ませんAm先祖代々人は皆死んで生れて又死んで今ゐる人も何時か皆別れの時が來るのですF女は歩みを停めました悟つて歩みを停めました女は我が子を抱締て息せぬ子供を抱締て墓所へと往きましたそして我子の亡骸を墓所に置ましたAm思ひ出だけを抱締て微笑む我子の面影を瞼の裏に燒付て
釋迦牟尼佛のもとへ行き子供を亡くした女は
佛の御弟子に成ました
Dm色は匂へど散ぬるを吾が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず

【減字譜】
昔独女 吾二慎 母二倖 健生居
或病成 子病成 子軈死 体冷成
女吾胸 息吾抱 裸道歩 道人頼
助下願 私金有 私命差 助下内
何息為 此酷病 子最死 最医治
ケ女認 釈仏元 泣助乞 釈仏言
貴子病 祈力治 ソ火必 先代誰
死居不 不家清 火貰来 女顔輝
町走行 大邸訊 不家訊 家人答
慥内豊 ケ不ア 去夫亡 女隣家
不家尋 一一又 不家ア 先代人
死生又 今人何 別時来 女歩止
悟歩止 女我抱 息児抱 墓ヘ行
ソ吾骸 墓ニ置 思ダ抱 微吾面
瞼裏焼 釈仏元 子亡女 仏御成


漢文訓読・読み下し
加藤徹が読み下したので、間違っているところがあるかもしれません(^0^;)
原漢文のテキストは「T208-540a」(大正大蔵経 208-540頁上段)の「衆経撰雑比喩巻下」によりました。
原漢文の画像 
https://twitter.com/katotoru1963/status/1566739703121858560
○訓読・甲
 昔、一老母有り。惟(た)だ一子のみ有るも、病を得て命終(みょうじゅう)す。塚間(ちょうけん)に載著(さいじゃく)して屍を停め、哀感して自ら勝ふること能はず。「正に一子のみ有りて当に以て老に備ふべけれども、而も我を捨てて死せり。吾、用(もっ)て活きんか。復た帰る能はず。当に命を一処に併(す)つべし」と。食はず飲まざること已に四五日なり。
 仏、知り、五百の比丘(びく)を将(ともな)ひて彼(か)の塚間に詣(いた)る。老母、遙かに仏の来たるを見るに、威神光奕(いしんこうえき)たれば、迷悟の酔ひも醒め、前(すす)みて仏に趣(おもむ)き、作礼(さくれい)して住す。仏、老母に告ぐ「何を以て塚間するや?」と。世尊に白(もう)して言ふ「唯だ一子のみ有るも、我を捨てて終亡せり。之を愛すること情重く、共に一処に死せんと欲するなり」と。
 仏、老母に告ぐ「子をして更に活(い)かしめんと欲するや不(いな)や?」と。母「善し」と言ひ、曰く「得んと欲せり」と。仏、言ふ「香火を索(もと)めよ。吾、当に呪願して更生せしむべし」と。老母に告ぐ「火を求むるには、宜しく不死家の火を得べし」と。
 是(ここ)に於て、老母、便ち行きて火を取らんとし、人を見るごとに輒(すなわ)ち問ふ「汝が家に前後、頗(すこぶ)る死者有りや不(いな)や?」と。答へて言ふ「先祖以来皆死す」と。過(よぎ)り去りて問ふ所の処、辞は皆、是(かく)の如し。数十家を経るも、敢て火を取らず。便ち仏の所に還りて、世尊に白言(びゃくごん)す「遍く行きて火を求むるも、死せざる者、無し。是(ここ)を以て空しく還るなり」と。
 仏、老母に告ぐ「天地開闢以来、生として終らざるは無し。人の死亡せる後、人、生活す。亦た復た何ぞ喜ばしき。母、独り何ぞ迷ひて子に随ひて死せんことを索むるや?」と。母の意、便ち無常の理を解識(げしき)す。
 仏、爾(それ)に因りて広く為に経法を説き、即ち須陀洹道を得(う)。塚間に観る者数千人も、無上正真道(むじょうしょうしんどう)の意を発(おこ)せり。
○訓読・乙 これは変則的なやわらかい読み下し
 昔、ひとりの老母あり。ただひとりの子のみあるも、病(やまい)を得て命、終わりぬ。【老母はわが子を】塚の間(あい)まで載せ著(つ)きて、【子の】屍(しかばね)を停(とど)むれば、哀しび感ずること自(みずか)ら勝(た)ふる能(あた)はず。「【我は】正にひとり子(ご)のみ有りて、当に以て老(おい)に備ふべけれども、而(しか)して我を捨てて死すとは。吾、用(もっ)て活きんか。復(ま)た帰る能はず。当に命を【わが子と】一つ処(ところ)に併(す)つべし」と。【老母、】食(くら)はず飲まざること已(すで)に四、五日なり。
 仏、【これを】知りたまひ、五百の比丘(びく)を将(ともな)ひて、彼(か)の塚の間に詣(いた)りたまふ。老母、遙かに仏の来たまふを見るに、威神(みいつ)光り奕(かがや)ければ、迷悟(めいご)の酔ひも醒めて、前(すす)みて仏に趣(おもむ)きて、礼(れい)を作(な)して住(とど)まれり。
 仏、老母に告げたまはく「何を以てか塚の間にをるや?」と。
 【老母、】世尊に白(もう)して言ひけるは「【我には】唯だひとり子のみ有るも、我を捨てて終(つい)に亡し。愛の情(なさけ)の重ければ、共に一つ処(ところ)に死せんと欲するなり」と。
 仏、老母に告げたまはく「【汝の】子をして更に活(い)かしめんと欲するや不(いな)や?」と。母は「善きかな」と言ひて曰(いわ)く「得んと欲す」と。仏、言ひたまひけるは「香ぐはしき火を索(もと)めよ。吾、当に呪(じゅ)して願ひ、【汝の子を】更に生かしむべし」と。【仏、また】老母に告げたまひけるは「火を求むるには、宜(よろ)しく不死の家の火を得(う)べし」と。
 是(ここ)に於て、老母は便(すなわ)ち行きて火を取らんとす。人を見るごとに輒(すなわ)ち問へり「汝が家に前後、頗(すこぶ)る死せる者、有りや不(いな)や?」と。【人はみな】答へて言ふ「先祖以来、皆死あり」と。【老母の】過(よぎ)り去りて問ふ所の処、【人の】辞(ことば)は皆、是(かく)の如し。
 【老母は】数十の家を経(へ)たるも、敢(あえ)て火を取らざりき。便ち仏の所に還りて、世尊に白(もう)して言ひけるは「遍(あまね)く行きて火を求めしに、死せざる者は無きなり。是(ここ)を以て空しく還れり」と。
 仏、老母に告げたまふ「天地の開闢(かいびゃく)せるより以来(このかた)、生けるもの【の命】の終らざるは無し。人の死して亡(う)せる後も、【残されし】人は生きて活(い)くるなり。亦(ま)た復た何ぞ喜ばしき。母よ、独り何ぞ迷ひて子に随ひて死せんと索むるや?」と。
 母の意(こころ)、便ち無常の理(ことわり)を解(げ)して識(し)れり。
 仏、爾(それ)に因(よ)りて広く為(ため)に経法(きょうほう)を説きたまへば、【老母は】即ち須陀洹(しゅだおん)の道を得たり。塚の間に観る者数千人も、無上正真道(むじょうしょうしんどう)の意(こころ)を発(おこ)せり。


中国語の発音 ピンイン

英訳 Translated by KATO Toru
この英訳は私(加藤徹)が訳したので、いろいろ間違いがあると思います。

【参考 いろは歌】
(Dm)いろは(C)にほへと(F)ちり(C)ぬる(F)を
(G)わかよ(Gm)たれそ(Bb)つね(C)なら(Dm)む
(Dm)うゐの(C)おくやま(F)けふ(C)こえ(F)て
(G)あさき(Gm)ゆめみし(Bb)ゑひ(C)もせ(D)す
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

【平行経】 『テーリーガーター』 Therīgāthā (尼僧の告白/長老尼偈) 十一の詩句の集成
日本語訳は、
中村元訳『尼僧の告白』(岩波文庫、1982)
植木雅俊『テーリー・ガーター 尼僧たちのいのちの讃歌』 (角川選書、 2017)
など。

以下のパーリ語文は
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/Thi_utf8.html#v.213より引用。閲覧日2023年6月15日。引用開始。
11. Ekādaisanipāto.
11. 1.
Itthaṃ sudaṃ kisajagotamī therī gāthāyo abhāsīti.

Kisāgotamītherīgāthā.

Ekādasanipāto niṭṭhito
引用終了

以下の英訳は https://suttacentral.net/thig10.1/en/sujato?layout=plain&reference=none¬es=asterisk&highlight=false&script=latin より引用。閲覧日2023年6月15日。引用開始。
Kisāgotamītherīgāthā—Bhikkhu Sujato

Verses of the Senior Nuns 10.1
The Book of the Elevens
Kisāgotamī
“Pointing out how the world works,
the sages have praised good friendship.
Associating with good friends,
even a fool becomes astute.

Associate with good people,
for that is how wisdom grows.
Should you associate with good people,
you would be freed from all suffering.

And you would understand suffering,
its origin and cessation,
the eightfold path,
and so the four noble truths.”

“‘A woman’s life is painful,’
explained the Buddha,
guide for those who wish to train,
Here, it seems, Kisāgotamī is quoting or paraphrasing the Buddha.
‘and for a co-wife it’s especially so.
After giving birth just once,

some women even cut their own throat,
while refined ladies take poison.
Being guilty of killing a person, Read janamāraka’m’ajjhagatā.
they both undergo ruin.’” Ubho here refers to “both” kinds of women who kill themselves. It seems the verse is about post-partum depression.

“I was on the road and about to give birth.,
when I saw my husband dead.
I gave birth there on the road
before I’d reached my own house.

My two children have died,
and on the road my husband lies dead—
oh woe is me!
Mother, father, and brother
all burning up on the same pyre.”

“Oh woe is you whose family is lost,
your suffering has no measure;
you have been shedding tears
for many thousands of lives.”

“While staying in the charnel ground,
I saw my son’s flesh being eaten.
With my family destroyed, condemned by all,
and my husband dead, I realized the deathless.

I’ve developed the noble eightfold path
leading to the deathless.
I’ve realized quenching,
as seen in the mirror of the Dhamma.

I’ve plucked out the dart,
laid down the burden,
and done what needed to be done.”
The senior nun Kisāgotamī,
her mind released, said this.
引用終了。

HOME > 授業教材集 > 仏典の庵 > このページ