字源ホラー・ファンタジー

 『小説 』 

あらすじ +  本文中に出てくる字源解釈

2000年6月30日

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本の表紙
  嘉藤徹(かとうとおる)『小説 封神演義』(ほうしんえんぎ)
  PHP文庫書き下ろし。ISBN4-569-57425-4, 本体686円(税抜価格) 。
  2000年7月刊行。文庫書き下ろし、435ページ。

 拙著『小説 封神演義』(PHP文庫、7月刊)は、いまから三千年以上まえの中国を舞台にしたホラー・ファンタジー小説です。
 当時、殷(いん)王朝は、ぼうだいな数の人間の生首(なまくび)を切断して、神霊に捧げていました。この血ぬられた王朝は、五百年ものあいだ中国に君臨したのち、周の武王や姜子牙(きょうしが)の活躍によって滅亡します。
 殷の滅亡後、それらの残虐な神霊は、いったいどこに行ってしまったのでしょう?
 われわれの身近でつかわれている「漢字」の源流は、殷の甲骨文字です。もしかすると、古代の残虐な神霊はいまも漢字のなかにかくれていて、復活のときをうかがっているのかもしれません。ちょうど、ホラー小説『リング』の貞子が、自分の怨念をビデオテープにこめて、増殖をはかったように。
 そういえば最近、残虐な事件が多いような気がしませんか・・・?

 実際、漢字の字源には、残酷なものが多いようです。
 拙作『小説 封神演義』(以下、嘉藤版「封神演義」と言う)は、四百年前の中国の小説「封神演義」(以下、原作「封神演義」と言う)を21世紀風にアレンジしたものです。「字源解釈」 をストーリーに組み込む、という、原作にはない趣向(しゅこう)が新味になっています。
 以下、嘉藤版「封神演義」に出てくる多くの字源解釈のうち、主要なものだけを拾い、あらすじとともにご紹介します。


(県)  
  (眠・泯・氓) 
  (数) 
(貝・羊)    (締)  (肘・紂)
(枯・固) (海・晦・悔・溟)
(棄・流・育)


嘉藤版「封神演義」 あらすじと「字源解釈」

 いまから三千年あまりの昔。
 黄河流域の殷(いん)王朝は、膨大な数の人間を殺して神霊にささげ、神権政治を行い、地上に君臨していた。
 正統派の出身である殷王・帝乙(ていおつ)が死ぬと、殷王朝十支族のなかでも傍系(ぼうけい)の辛家(しんけ)の王子・受(じゅ)が第三十代の殷王となり、「帝辛(ていしん)」と名乗った。
 大臣たちは、心のなかで彼を「つなぎの王」だと思っていた。彼が凡庸(ぼんよう)な君主であることを望んだ。
 だが、帝辛は凡庸ではなかった。彼は若く、頭もきれ、野心に燃えていた。

 
けん。殷(いん)の時代、空中の雑霊が建物のなかに侵入することを防ぐため、奴隷や捕虜の首を切断して吊るす、という風俗があった(林巳奈夫『中国文明の誕生』)。「首」を逆さにした「県(きょう)」を糸で吊したしかけを「縣」という。
 星空のもと、静寂にしずむ大邑商(だいゆうしょう)の神殿のまわりの軒したには、黒いまりのようなものがいくつも縄でぶらさがり、夜風に揺れながら、すえた臭いをはなっていた。
 神殿のなかでは、今夜も、神官たちが神霊をまねき、甲骨による占卜(せんぼく)をおこなっているのだった。
 縣は、現代日本の「県」の旧字。「懸」と同系。

しょう。まえかがみの裸婦の下半身を後ろから写した「冏(とつ)」と、「娠(しん)」に通じる「辛(しん)」を組み合わせた文字(角川『新字源』に載せる「一説」) 。
 殷人は自分の王朝を「商」と自称した。
 仮面をかぶった謎の神官・巫彭(ふほう)は、占卜の結果を殷王・帝辛(ていしん)に報告した。
「甲骨のひび割れの形を見るに、陛下のお名前である辛のしたに、女陰の形があらわれております。もしこれを冏(トツ)と解するならば、占卜の結果は殷王朝の正式な名称である商となり、吉兆です。ただし、もしこれを咼(あな)と解するならば、過(あやまち)ないし禍(わざわい)となり、凶兆です」
 帝辛は「咼」と解し、厄(やく)おとしのため、咼にちなむ名を持つ太古の女神の神殿に参詣する。
・「高い台」と音符「章」の略体(藤堂明保)
・入れ墨の刑具 「辛」と、机、受け皿(白川静)
という字源解釈もあります。

よく。女陰である「谷」の前に身をかがめる男の姿「欠」(遠藤哲夫『漢字漫言』)
 太古の女神の神殿に参詣した帝辛は、偶然、御神体(ごしんたい)である補天石(ほてんせき)を目にしてしまい「欲心」に身をつらぬかれる。
 帝辛は大胆にも、御神体の妖艶(ようえん)さを門柱に書いた。臣下は、女神がたたるのではと恐れる。
 藤堂明保は、心のなかに空虚な穴があり腹が減って体がかがむことを表わす、と解します。「谷」を穴と解する点では遠藤説と同じですね。
 『老子』の「谷神」を例にとるまでもなく、古代において「谷」は女陰のイメージを持っていました。

 帝辛は、殷王朝が五百年にわたり営々と祭ってきた神霊の加護と、死後も王朝への忠誠を誓う百万の英霊によって、霊的にまもられていた。さすがの太古の女神も、たたることはできないかのように思われた。---
 帝辛は、入貢をおこたってきた有蘇氏(ゆうそし)の国を、攻撃しようとする。
 開戦直前、有蘇氏は妲己という美少女を、貢納品として帝辛のもとに送ってくる。

み。いまだ形をなさぬ「未」であるがゆえに最強の魔力をもつ魔物。
 妲己(だっき)は帝辛を暗殺しようとして、失敗する。そのとき彼女のひとみの奥に一瞬、青白い稲妻がはしったのを、帝辛は見逃さなかった。即位して五年目、彼はついに「魅」をもつ女を見つけたのだった。
 嘉藤版「封神演義」では、妖怪や神霊は目に見えぬ存在として描きました。

 帝辛は、妲己を殺さず、有蘇氏の反逆の生きた証拠品として後宮に軟禁(なんきん)する。
 後宮は、女たちの嫉妬と陰謀が渦巻くドロドロした世界だった。
 妲己の「魅」はついに覚醒する。

こ。多くの虫を皿に入れてふたをかぶせ、共食いさせ、生き残った最後の一匹の怨念の力によって敵を殺す、という呪術。
 妲己はひそかに「蠱」を飼いながら、自分が後宮の宮女のなかで「最後の一匹」になることを誓う。そのためにはまず、帝辛の正妻である婦九(ふきゅう)を、陰謀によって亡き者にする必要があった。
 「蠱」の箱のなかの虫を「ヤスデ」と書いておきました。実際にはどんな虫を使ったのでしょうね。

みん。ひとみの無い目を針で刺すさまを描いた象形文字。「眠」(目をつむってねむる)・「泯」(水に没して見えなくなる、ほろびる)と同系。「氓」(ボウ。目をつぶされた奴隷)の類義語。
 婦九の一族は、妲己の謀略によって破滅する。彼女はみずからの目を閉ざして「民」になり、絶食して死ぬことを決意する。
 民の原義は盲目の奴隷の意。のち「たみ」の意味になり、現在にいたっています。

ふ。神聖なホウキを持つ「きさき」。
 凄惨な血の謀略のすえ、妲己は「婦」すなわち後世の皇后にあたる地位を手に入れる。彼女の心のなかにひそむ魔物は、彼女に、
「あなたもようやく、しっぽを一本、手に入れたわね」
と笑いかけた。
 「婦」は、現代では一般の婦人を指しますが、古代においては王の后(きさき)を指します。
 殷代の「婦」は、王から絶大な権力を与えられていました。例えば、殷の中期の王・武丁(ぶてい)の時代に実在した「婦好」という女性は、一万三千の大軍をひきいて外国遠征を行ったことが、甲骨文字の記録にのこっています。

 妲己が殷王朝の中枢(ちゅうすう)に食いこんだのと相前後して、殷王朝の辺境では、ナタという怪童が生まれ落ちた。
 黄河の民は、洪水の害をおそれ、毎年、黄河の神・河伯(かはく)に生きた人間を捧げる祭をおこなった。たまたま黄河に水遊びにきたナタは、犠牲の少女を逃がしてやる。
 やがて長雨がふり、黄河は氾濫(はんらん)して付近の村々をのみこんだ。これを河伯のたたりだと考えた黄河の民は、雷雨のなか、ナタの親・李靖(りせい)のもとに押しかける。
 ナタは怨みをのんで、雷の轟音とともに、みずからの命を絶つ。

そう。「死」の上下を「草」ではさんだ形。あえて墓をつくらず、遺体を草のなかに放置するという遺棄葬(いきそう)が、本来の意味。
 李靖は、幼くして死んだ息子・ナタのことを忘れるため、あえて墓をつくらず、遺骨を「葬」にする。
 彼の妻・殷氏(いんし)は、亡きわが子の霊魂をとむらうため、夫に秘密のうちに「ほこら」を建て、ナタを小さな神様としてまつることにした。
 古代人は輪廻転生(りんねてんしょう)を信じていたので、子供が死ぬと、またすぐ生まれ変わってこの世に戻ってこれるよう、薄葬にしました。
 後世、儒教(じゅきょう)が普及すると、子供の死者は「先立つ不孝」の罪を犯した罰としてやはり薄葬にされました。

 無知な民衆の祈りのために死んだナタは、貧しい人々のけなげな祈りの力によって復活する。
 祈りに明暗両面のおおいなる力があることを知ったナタは、人間を犠牲にするという悪習から人々をすくうため、二人の兄とともに武者修行の旅に出る。

れん。敵兵を殺したしるしに、耳を切ってヒモに通したもの。
 ナタ三兄弟は、殷の攻撃を受けて廃虚と化した有蘇氏の国に行った。夜中、ナタは、廃虚の土の山のうえに不思議な男がいるのを見つける。
 おぼろ月に照らされた男は、左の耳が無かった。
 この場面については、こちらで読めます。

ろう。「母+中+女」で、女性をじゅずつなぎにして引っぱるさま(藤堂明保)
 ナタが出会った不思議な男は、妻や娘を「婁」にされてしまっていた。
 この男との出会いによって、ナタはまたすこし大人になった。---
 いっぽう、妲己は帝辛をそそのかし、「婁」すなわち戦争で獲得した婦女をつかい、世界征服のための壮大な模倣呪術「酒池肉林」を行わせた。
 「婁」を動詞化した「數」(スウ。新字体では「数」)はのちに「かぞえる」の意味に転用され、今日にいたっています。
 殷の時代に「婁」や「聯」などという会意文字がどれほどあったか不明ですが、嘉藤版「封神演義」では 「歴史ファンタジー」という特長を生かし、そのあたりはわりと融通をきかせました。

とう。日と木を組み合わせた文字。この木は、東の大海のなかに生えているという伝説の太陽樹「扶桑(ふそう)」である(俗説。藤堂明保は両端をしばった袋を描いた象形文字とする)。
 酒池肉林の会場で、帝辛と妲己は、扶桑に見たてた巨木のうえから、地上の強姦競走をながめて楽しんでいた。
 殷人は、太陽は十兄弟で、毎日、交代で「扶桑」からのぼってくると信じていたようです。そして、殷王朝の王家は「模倣呪術」の発想にもとづき十支族に分けられていたらしいことが、最近の歴史学者の研究によってあきらかになりました。
 帝辛が帝乙の息子ではない、という嘉藤版「封神演義」の設定も、殷の王位継承に関する最近の学説にもとづいています。
 このように、現代のわれわれは、二千年以上まえの司馬遷(しばせん)や、四百年まえの原作「封神演義」の作者も知らなかった殷王朝の実態を、かなり知っています。
 嘉藤版「封神演義」は「歴史ファンタジー」であって「歴史小説」ではありませんが、それなりに時代考証をとりいれて書きました。

 帝辛の強大な権力。妲己の「魅」の力。ナタの仙術の力。
 嘉藤版「封神演義」は、地上における最強の力とは何か、という視点で、ものがたりを展開してきた。
 ここに至って、いよいよ第四の力「知性」の持ち主が登場する。

きょう。羊をトーテムとする遊牧民族の名前。
 四十年前の戦争のあと姿を消していた姜子牙(きょうしが)は、ある風の強い日、ぶらりと殷の都に姿をあらわした。
 姜は出身の部族名、子は「王子」を意味し、牙は「牙城」の牙と同じく「大将」を意味する。
 「善」「義」「祥」「美」などの道徳的なにおいをもつ佳字が「羊」を含むのは、内陸の遊牧民族の血をひく周、すなわち姫姜(ききょう)連合の価値観のなごりでしょう。
 いっぽう、東海と深い関係をもつ殷人は「貢」「財」「貴」「貨」「買」など貝の字の価値観を有していました。
 辺境の発展途上国の周が、なぜ強大な殷に勝つことができたのかは、歴史上の大きな謎です。この価値観のちがいも、周の勝因のひとつかもしれませんね。

しゅう。照りつける太陽のもと、腰をまげ過酷な労働に従事する人々の姿を写した文字。
 姜子牙は、帝辛を動かして野蛮な犠牲の風習を廃止しようとするが、失敗する。彼は挫折感をいだきながら殷を去り、自分の理想を実現するために、西の周にむかう。
 街道のわきでは、農奴たちが黄土をたがやし、王を太陽にみたてて呪う「衆の歌」を心のなかでうたっていた。
 「衆」という字の上部の「血」は、血液ではなく「日」を写したものと言われます。しかし「日」ではなく「目」と書いた甲骨文字も、まま見られます。
 最初にこの文字を発明した殷の書記は、どっちのつもりだったのでしょうね。

き。「頤(おとがい=あご)」がはった女性の意(藤堂明保)
 周は「姫」すなわち「おとがいが発達した西方人種の女性」を祖先にもち、おなじく西方系の姜族とも通婚関係にあった。
 周侯・姫昌(きしょう。のちの文王)は、人徳の持ち主だった。彼はついに不世出の逸材である姜子牙を見いだす。
 あえて嘉藤版「封神演義」の特長の一つをあげるとするなら、作者も読者も日本人である、ということでしょう。
 中国は多民族国家で、いまも複雑な民族問題をかかえています。そのため、中国の「封神演義」ものは、民族問題をあまりリアルに描きたがらない傾向があるようです。
 その点、嘉藤版「封神演義」では、西戎(せいじゅう)系の周と、東夷(とうい)系の殷、という民族の闘争を、誇張をまじえながら容赦なく描いています。

 周は、黄河文明の辺境にある発展途上国だった。周の魅力は、国の若さと、質実剛健な国民性、「羊の価値観」というイデオロギーにあった。
 いっぽうの殷は、ちょうど今日のアメリカのように、強大な軍事力と情報(甲骨による占卜)の独占によって世界を支配していた。これに疑問をいだく豪傑の士が、各地から続々と周に集まってきた。

さい。犠牲の肉を右手に持つ神前の台から血がしたたるさま(遠藤哲夫『漢字漫言』)。
 武者修行の旅で長江下流の国に行ったナタ三兄弟は、その地の人々が「宜弟(ぎてい)」という「祭」を行うのを見て、衝撃を受けた。それは、生まれた最初の赤子を殺して神霊にささげるという血なまぐさい迷信だった。
 ナタ三兄弟は、人間を殺して神霊に捧げる蛮習をなくすため、礼楽(れいがく)を国是(こくぜ)とする周のために働くことを決意する。
 「宜弟」は、古代中国の書物に記載されている南方の奇習です。
 実際、六千年前の遺跡から赤子を煮た「かめ」も発見されています。林巳奈夫『中国文明の誕生』参照。 初子(ういご)を殺して神にささげる風習は、古代の世界各地に見られました。べつだん中国だけが残酷だったわけではありませんが、それにしても、血なまぐさい風習ですね。

てい。世界をとりまとめる最高の神。「締」(テイ。中心にむけて一つにまとめる)にその原義をのこす(藤堂明保)
 帝辛は有力諸侯を粛清(しゅくせい)し、鹿台(ろくだい)という高層建築をつくり、大規模な軍事遠征をおこなった。殷の人民は、帝辛はまことに神の化身であると、鹿台に君臨する帝辛をふりあおいだ。
 帝辛は死後、周王朝によって帝号を剥奪(はくだつ)され「紂王(ちゅうおう)」という名前に格下げされました。
 ちなみに、「帝」と「皇」をミックスして「皇帝」という新しい称号を発明したのは、秦(しん)の始皇帝です。

 殷は、一見、永遠につづくかとも思われるほどの覇権と繁栄を謳歌(おうか)していた。
 だが、歴史の歯車は、すでに動きはじめていた。

しょく。「大きな目をもつ蛇」が原義。
 「虫」はほんらい爬虫類とくに蛇を指す。「むし」は「蟲」と書く。
 周と同盟関係にあった蜀(現在の四川省)の王は、楊二郎(ようじろう)と楊任(ようにん。正しくは「ようじん」と読むが、いまは慣用音にしたがう)という仙術の士を、周に派遣してきた。
 ふたりは、姜子牙とナタと力をあわせ、佳夢関(かむかん)の怪物と戦う。
 古代の蜀人は「目」に対して独特の信仰をもっていました。
 三星堆(さんせいたい)遺跡から近年、発見された青銅の「縦目仮面」は、両目がカタツムリのように突き出しています。その特異なさまは、まさに原作「封神演義」にでてくる楊任の掌中眼(しょうちゅうがん)を彷彿(ほうふつ)とさせます。
 原作「封神演義」が書かれた四百年まえには、三星堆遺跡はまだ発掘されておらず、縦目仮面も土のなかに忘れさられたままでした。
 四川省は、いまも二郎神(じろうしん)信仰の中心地です。
 というわけで、嘉藤版「封神演義」では、このふたりを蜀の出身と設定しました。

ちゅう。ふつうの酒で酒をつくり、それをさらに水がわりにして作った、きつい酒。紂(チュウ。ひもできつくしばる)・肘(チュウ。ひきしめるようにヒジを曲げる)と同系。
 殷軍は人方(じんぽう)に遠征したが、戦況は泥沼化していた。帝辛は酎をあおるようになった。
 軍隊が使えぬ帝辛は、巫医(ふい)の呂岳(りょがく)に命令し、妖術をもって周を攻撃させる。
 呂岳は、太古の獣神・蚩尤(しゆう)の病毒を復活させたうえ、「酎毒」の法をつかいみずからを人間兵器と化し、特攻をかける。
 今日の「焼酎」(しょうちゅう)は蒸留酒ですが、古代にはまだ蒸留の技術は知られていませんでした。
 嘉藤版「封神演義」に出てくる「蚩尤の血」という沼は、実在の「蚩尤の血」という名の塩沢(えんたく)がモデルです。この塩沢は十一世紀に書かれた『夢渓筆談(むけいひつだん)』という本に出てきます。

 周はついに国をあげて軍事行動をおこし、殷の与国である崇(すう)国の首都・崇城を攻める。
 崇国は、殷式の作法にのっとり、堅固な大城壁のなかに人間の犠牲を埋め込んでいた。
 周は人間を犠牲にせず、礼楽(れいがく)によって天をまつる。そんな周軍が、神霊の力によって守られた崇城の大城壁を破れるのか? 天下の国々は戦争の行方をかたずをのんで見守った。
 この戦いの決着をつけたのは、ある女奴隷の決断だった。

こ。象形文字。「口」の部分はコチコチにひからびた人間の頭蓋骨(ずがいこつ)、そのうえは飾り。固・枯・故と同系。(藤堂明保)
 崇城は落ちた。国主である崇侯虎(すうこうこ)は処刑され、彼の首は見せしめのために城門に吊るされ、「古」にされることになった。
 だが、崇黒虎は処刑されるまえ、呂岳からもらった「形天(けいてん)の秘薬」を服用しており、それが思いもよらぬ結果をひきおこす。
 「形天」は太古の戦神の名で、「刑天」とも書きます。天帝に首を切られたあとも死なず、胴だけで戦い続けたという不屈の神です。
 近代中国の作家・魯迅(ろじん)は、こどものとき『山海経(せんがいきょう)』を読み、この形天に強烈な印象を受けました。

 崇城の戦いのあと、姫昌は病床につき、息をひきとる。彼は死後、「文王」という名をおくれらた。
 周は、文王の意志をひきつぎ、いよいよ殷との決戦をめざす。
 一路、東にすすむ周の連合軍のまえに、ついに最強の敵がたちはだかる。

島(=嶋)とう。わたり鳥が羽をやすめる海中の山、すなわち「しま」。
 周の連合軍は「金光陣の術」という強力な遠距離仙術攻撃を受ける。
 姜子牙は、東の海の島にすむ妖術使いが殷王朝に味方していることを知る。
 古代中国人は内陸に住んでいたため、海や島を、人智をこえた暗黒の異界とみなしていました。
 たとえば海は「暗黒の水の世界」を意味し「晦(くらい)」「悔(くらい心)」と同系の語。「溟」(メイ。くらい海)も海の類義語です。

 殷をかげであやつっていたのは、占卜をおこなう神官たちであった。
 姜子牙は決死隊を編制し、殷王朝の霊力のみなもとである「宗廟」(そうびょう)への斬りこみを決意する。

いん。「身」の逆形+「殳」。妊娠して腹がふくれた女性を「殳(しゅ)」で殴打するという秘儀(白川静)
 殷の宗廟をまもる女武者・蘭英(らんえい)は妊娠していた。彼女は夫とともに戦うため、神官たちから「殷」の秘儀を受け、わが子を流す決意を固める。
「あの世でわが子を抱くのが楽しみでございます」
 「子」の字形を上下ひっくりかえした「トツ」は、赤子が頭から生まれ落ちるさまを描いた文字です。このしたに「ちりとり」を描くと 「棄」という字になります。
 「トツ」のしたに羊水(ようすい)を描いてサンズイをくわえると「流」になります。
 間引きもされず、流産にもならなかった運のよい子だけが「にくづき」を加えられ、「育」になります。
 蘭英が「殷」の秘儀を受けるというはなしは、嘉藤版「封神演義」のオリジナルです。現代社会に対する風刺と警告をこめて、この箇所を書きました。
 現代の女子スポーツ選手のなかには、金メダルをねらうため、わざと妊娠して生理機能を高めたあと初期の段階で中絶し競技にのぞむ人がいるそうです。この方法は薬物による「ドーピング」と違って"合法"であるため、ひそかに行う人がたえないのです。
 現代の高みから、古代は残虐な時代だった、と切り捨てるまえに、わたしたちは現代社会にあるさまざまな残虐さを、もう一度かんがえてみるべきかもしれません。
 四百年前の原作「封神演義」の特長の一つは、当時の明(みん)代の社会に対する批判精神がつらぬかれていることでした。嘉藤版「封神演義」には、原作にないオリジナルのプロットがたくさん書き加えられています。これは原作の批判精神の本質を継承した結果です。


 残念ながら「あらすじ」の紹介はここまでです。
 嘉藤版「封神演義」のドンデン返しの結末を、ここでお明しすることはできません。
 もしよろしければ、嘉藤徹著『小説 封神演義』PHP文庫をご覧くださいますよう。


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