学生時代、中国を貧乏旅行していた時のこと。無錫(むしゃく)郊外の、田舎(ひな)びた大衆食堂に入って食事をしていると、薄暗い食堂の隅から日本語が聞こえてきた。見れば、黒い背広を着た初老の紳士と、白いYシャツ姿の若い男性が商談をしている。Yシャツの方は一見して中国人だが、不思議なことに、紳士の日本語にも少し訛(なま)りがある。二人の会話が一段落するのを待ち、脇からたずねてみると、紳士は笑い、自分は韓国の商社の社長なのだ、と流暢(りゅうちょう)な日本語で答えた。
日本にいる留学生どうしが日本語で会話する場面は珍しくない。が、無錫で聞いた日本語会話は、第三国で日本語が国際語として通用していた希有(けう)の場面だったので、今も鮮明におぼえている。
しかし、考えて見ると、英語圏の国民は、ずっとこんな経験をしてきた訳だ。
目下「インターネット」なるものが爆発的に普及しつつあるが、そこでは英語が事実上の国際標準語になっている。「ニューズグループ」はもちろん、日本人あての「電子メール」さえ、もし相手が海外にいるなら、先方のパソコンに日本語環境が装備されているとは限らないので、「文字化け」防止のため英語で書くことになる(ローマ字書きの日本語は、読みづらいうえ、同音異義語がしばしば誤読の原因になるので嫌われる)。この点はファックスより面倒だ。
ホームページも、海外からの閲覧者を考慮すれば、日本語表記だけでは不親切である。私も自分のホームページを作ったとき、日本語と並行して「ここには何が書いてあるか」を示す最低限の英語を使う方針をとった。ただし、つたない英語で負け惜しみも書き添えた。「英語は私にとって、中国語に次ぐ三番目の言語にすぎません。だからこのホームページの英語版の内容は、日本語版にくらべ、ずっとお粗末です。また、文字化けを防いでページの正しいレイアウトを表示するためにも、パソコンに日本語環境を装備するようおすすめします」
多少の英語を使ったからだろう、自分のホームページを立ちあげて以来、外国の見知らぬ人からも、ときどき感想の電子メールが舞い込むようになった。半分近くは非英語圏からのメールだが、それらも全て英語である。例えば、ある中国人からのメールには「日本人であるあなたがペキン・オペラ(京劇)のサイトを立ちあげていることを発見し、とても興奮してます。でも、ご存じのように、海外のパソコンには通常、日本語環境がありません。私たち中国人にも読めるよう、全部英語表記にしてください」と書いてあった(!)。もちろん丁重にお断りした。
今のところ、未知の外国人からもらった唯一の日本語メールは、シカゴ在住のアメリカ人からのものである。彼はローマ字で「あなたのアコーディオン・サイトを見ました。あした日本語ソフトを買いに行きます」と書いてきた。
ささやかながら、英語の洪水に一矢(いっし)むくいたゾ、と、思わずほくそえんだことであった。
Net, the flood of EnglishEnglish Summary
In 1991, when I was studying at Peking (Beijing) University, I once traveled to a small town near Wu-xi (in Middle China) where I saw a young Chinese and a Korean gentleman talking about their business in Japanese. I was very impressed and moved because this was the first time for me that I heard my mother tongue spoken as an international and common language among foreigners.
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(The article above was written for " Hi-Shou" or "Flight", a formal magazine of Hiroshima University ) |