ここは「京劇演目紹介」第3倉庫です。「解説文」が順不同で収納されています。
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第3倉庫 収納目録 挑滑車 火焼裴元慶 高老荘 盗御馬 打瓜園 文昭関 西施 三娘教子 鴻門宴 打金磚 滑油山 大戦[水路]安州 女起解・玉堂春 鍾馗嫁妹 平貴別窰・武家坡・大登殿


挑滑車(ちょうかっしゃ。戦車を槍ではじきとばす)

 夏目漱石「夢十夜」第十夜の原作(?)になった演目。
 宋(そう)の時代の物語。中国史上、関羽(かんう)と並び称される勇将・岳飛(がくひ)将軍は、宋の軍を率いて牛頭山にいたり、敵国・金の武将・#術(こつじゅつ。#はJISに無い字。「机」から「木」を取り、一番上の横棒を左右に延長したような字)の大軍とむかいあった。
 出陣のとき、若い将軍の高寵(こうちょう)は、陣地に残って宋軍の軍旗を守るよう、岳飛から命令された。高寵はしぶしぶ命令にしたがい、山のうえの陣地から両軍の戦いを見ていたが、宋軍が敵に圧倒されているのを見てたまらなくなり、ついに岳飛の命令を破って金軍に突撃した。
 高寵は金軍を圧倒し、知らぬうちに敵陣の奥深くにまで攻め込んでしまう。金軍は、鉄滑車(てつかっしゃ)という一種の戦車を、次々と山のうえから落としかけてきた。馬上の高寵は、槍で、戦車を一台また一台とはじきとばしていたが、最後は力つきて戦死する。
 宋軍の牛皋(ぎゅうこう)は奮戦し、なんとか高寵の死体を奪回する。


火焼裴元慶(かしょうはいげんけい。裴元慶を火攻めにする)

 虹霓関(こうげいかん)を守る武将・辛文礼(しんぶんれい)は、敵の裴元慶(はいげんけい)に撃退されてしまう。正面から戦っては勝ち目がないとさとった辛文礼は、山の中に裴元慶を誘いこみ、火をつけ、焼き殺した。


高老荘(こうろうそう。高老人の村)

 『西遊記』の物語。孫悟空は、三蔵法師のおともをして、高(こう)老人の村を通りかかった。猪八戒(ちょはっかい)という化け物が、高老人の娘を自分のものにしようとしていた。八戒は悟空に打ち負かされ、三蔵法師の弟子となった。


盗御馬(とうぎょば。皇帝から下賜された馬を盗む)

 清代の物語。ある夜、山賊の竇爾敦(とうじとん。中国語読みでドルドン)は手下を集め、酒宴を開き、言った。自分は十数年前、黄三太(こうさんたい)と決闘して敗れ、今の地に流れてきた。今夜、やっとその復讐をする絶好のチャンスがめぐってきた。いま梁九公(りょうきゅうこう)が、皇帝から下賜された馬を連れて近くに来ている、と。
 竇爾敦は、夜闇に乗じて山をおり、その馬を盗み、犯行現場に「黄三太」の名を書き残した。


打瓜園(だかえん。瓜畑でけんかする)

 鄭子明(ていしめい)は力持ちの大男だった。彼は油を売りながら、陶洪(とうこう)が所有する荘園を通りかかって、植わっていた瓜を盗み食いし、女中に見付かった。陶三春が出てきて、鄭子明と戦ったが、鄭は強くて相手にならなかった。
 そのあと陶洪が出てきた。陶洪は背の曲がった老人で、片足も不自由だったが、見事な武技で鄭子明を打ち負かした。陶洪は勝ったものの、鄭子明の強さを認め、娘の陶三春と結婚させた。


文昭関(ぶんしょうかん。関所の名前)

 「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)の故事で有名な呉越(ごえつ)の死闘の物語。
 伍子胥(ごししょ)は、父と兄を国王に殺された。彼は心に復讐を誓い、まずは国外に亡命しようと国境まで逃げてきたが、すでに関所には人相書きが配られていて、通過できなかった。
 東皋公(とうこうこう)は伍子胥に同情し、自分の屋敷にかくまった。伍子胥は七日のあいだ悩みつづけ、白髪になった。東皋公は自分の友人を伍子胥に変装させておとりにし、そのすきに伍子胥を関所から逃げ出させた。


西施(せいし。美人の名前)

 春秋時代の物語。有名な「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)の故事。
 呉(ご)と越(えつ)は、敵対する隣国だった。呉に敗北した越王・勾践(こうせん)は、范蠡(はんれい)の計略を採用し、絶世の美女・西施を、呉王・夫差に献じた。夫差は、西施の美貌に溺れて骨抜きになり、功臣・伍子胥(ごししょ)を死刑にし、政治を乱した。そのすきに乗じて、勾践は呉に攻め込んで、滅ぼした。
 自国の勝利を見届けた范蠡は、いまが身のひきどころ、と、いさぎよく官職を捨て、西施と共に舟に乗り、去って行った。


三娘教子(さんじょうきょうし。三番目のお母さんが息子を教える)

 明(みん)の物語。薛広(せつこう)には妻の張氏(ちょうし)のほか、妾(めかけ)の劉氏(りゅうし)と王春娥(おうしゅんが)がいた。劉氏は倚哥(いか)という名の男子を生んでいた。
 薛広は、鎮江に行き、友人に銀百両をあずけた。が、その友人は悪い男で、あずかった銀を着服したうえ、いつわって棺(ひつぎ)を作り、薛は旅先で死んだと嘘を言った。薛の家族は嘆き悲しみ、年老いた執事である薛保に、棺を持ちかえらせて埋葬した。
 妻の張氏と妾の劉氏は、さっさと再婚してしまった。ひとり王春娥だけは、布を織って、忠実な薛保とともに貧乏生活で苦労しながらも、主人の忘れがたみである倚哥を育てた。
 ある日、倚哥は学校で同級生から、母の無い子め、とからかわれ、怒って家に帰り、泣きながら王春娥にくってかかった。王春娥は、刀を手にとり、織っていた布を断ち切った。薛保がとりなしたので、二人はもとどおり仲なおりした。
 のち、倚哥は科挙の試験で首席合格を果たした。死んだと思われていた薛広も、軍功をあげて家に帰ってきた。家族はめでたく再会した。


鴻門宴(こうもんえん。鴻門での宴会)

 秦(しん)の始皇帝が死んだあと、天下は乱れた。劉邦(りゅうほう)は、項羽(こうう)よりも先に秦の都を占領した。項羽は嫉妬し、鴻門の地まで軍をすすめてきた。劉邦は釈明のため、鴻門に駆け付けた。
 項羽は劉邦の釈明を聞いて許すが、項羽の参謀である范増(はんぞう)は、宴会の席上で劉邦を暗殺しようとする。しかし劉邦は、家来の機知と活躍で、からくも危機を脱した。


打金磚(だきんせん。黄金のれんがで殴る)

 後漢のはじめ。姚剛(ようごう)は、ふとしたはずみで、光武帝の皇后の父親を殺してしまう。姚剛の父親である姚期(ようき)は、息子を縛って自首した。光武帝は、姚期は功臣であるから、と罪を許す。皇后は気持がおさまらず、光武帝に酒を飲ませ、泥酔させる。泥酔した光武帝は、皇后のさしがねどおり、姚期以下功臣二十人余をみな死刑にするよう勅命を出した。
 大臣の馬武(まぶ)が抗議のため宮殿に押しかけ、金磚(きんせん)で自分の頭を打ち、抗議の自殺をした。光武帝は泥酔からさめ、後悔し、死んだ功臣たちの霊をまつるが、霊たちにたたられて狂死する。


滑油山(かつゆさん。油すべりの山)

 仏教説話に由来する物語。目連(もくれん)の母親・劉清提(りゅうせいてい)は死後、地獄に落ち、閻魔(えんま)大王から罰を命じられる。彼女は滑油山に行かされる。山は油ですべるので前に進めない。彼女は生前の罪を後悔した。


大戦#[水路]安州(たいせんろあんしゅう。#[水路]安州で激しく戦う。#はサンズイに「路」という字)

 宋代の物語。金の名将・%術(こつじゅつ。%は「几」の上の横棒を左右に延長した字)は宋の領土に侵入し、#[水路]安州を攻めた。守将の陸登(りくとう)は善戦した。%術は、陸登の仲間とその手紙を入手した。%術はそれらを利用し、にせの情報を陸登に与えて混乱させる作戦を立て、スパイを使者に仕立てて送りこんだ。しかし陸登に見破られ、スパイは鼻をそがれて送りかえされる。
 %術は総攻撃をかけ、陸登は自決した。%術は陸登の息子である陸文竜(りくぶんりゅう)をひきとった。


女起解(にょきかい。女囚の護送)

 明代の物語。蘇三は若く美しい芸者だった。彼女はあるとき、王金竜という名の客の青年と恋におちいり、彼から「玉堂春」という名前をもらった。それ以来、彼女は別の客を取ることを拒み続けた。そのため、芸者屋は彼女を豪商のもとに売り飛ばした。
 彼女の悲劇は続く。その豪商は、ほどなく腹黒い妻に毒殺されてしまった。しかも妻は、その殺人の罪を蘇三になすりつけ、役人に賄賂を送って彼女に死刑宣告をさせ、完全犯罪をたくらんだのだった。
 無実の蘇三は、洪洞県の牢獄に留置されていたが、大都市・太原で本格的な裁判を受けることになった。蘇三は、太原までの道すがら、護送役の老人・崇公道(すう・こうどう)に自分の今までの苦しみを訴え、世間の薄情を嘆き、老人から慰められる。
 若くして人の世の醜さを見過ぎた少女と、子も孫も無い老人の、人情の交流。「うた」が聞きどころの芝居。

玉堂春(女子の名。「蘇三」の別名)

 「女起解」の続き。蘇三は無実の罪で死刑を宣告されたまま田舎町の牢獄に留置されていたが、ある時突然、山西省の省都・太原で本格的な裁判を受けることになり、太原に護送された。巡回裁判の法廷で裁判長をつとめるのは、蘇三のかってのなじみ客で、今は政府高官に出世している王金竜だった。
 蘇三はずっと牢獄内にいたので、裁判長が過去の恋人だとは知らない。しかし彼女が法廷で証言を進めてゆくうち、話は自然の流れで彼女の芸者時代に及んだ。王金竜は、自分の青春時代の遊蕩歴を、他の二人の裁判官に知られることを恐れ、途中で法廷を抜け出してしまう。
 その夜、王金竜はこっそり拘置所をたずね、蘇三と感激の再会を果たす。その事情をそれとなく察した二人の裁判官は、同情して、蘇三の冤罪を晴らした。のち蘇三は王金竜の夫人となり、幸せに暮らした。
 法廷で過去の人生をかたる蘇三の「うた」と、それをハラハラしながら聴いている裁判長・王金竜の表情が見どころ。


鍾馗嫁妹(しょうきかめい。鍾馗が妹を親友と結婚させる)

 唐の物語。終南(しゅうなん。地名)の鍾馗は、同郷の友人・杜平(とへい)とともに、科挙の試験を受けるため都にのぼる途中、間違えて鬼の巣窟に入り込み、そのせいで顔が醜く変形してしまった。鍾馗は、成績優秀だったにもかかわらず、顔が醜く変形したために試験に不合格となり、悲憤のあまり自殺した。杜平は、鍾馗の遺骸を手厚く葬った。
 天帝は、鍾馗に同情し、彼を悪霊退治の神に任命した。神となった鍾馗は、杜平が自分の遺骸を葬ってくれた時に見せた友情に感激し、自分の妹を杜に嫁がせることを決意した。鍾馗は天上から、部下の小鬼らを率いて故郷に帰り、自分の妹を杜の家まで送って行った。
 グロテスクな中にユーモアをたたえた、鬼の行列が見どころ。


平貴別窰(へいきべつよう。平貴が家から離れる)

 唐の時代。薛平貴(せつ・へいき)は結婚したあと、戦功をたて「後備督護」という官職を与えられた。しかし妻の父・王允(おういん)は、義理の息子の戦功をねたみ、皇帝に上奏して薛平貴の官職を下げてもらった。そして平貴を魏虎(ぎこ)の部下にして、はるかな西凉(せいりょう)の国に遠征させることにした。
 平貴は沈痛な思いをいだきながら、新妻である王宝釧(おうほうくん)に別れを告げた。

武家坡(ぶかは。地名。「武一家の坂」の意。「五家坡」とも書く)

 薛平貴は、苦労の末、十八ぶりに故郷に帰ってきた。武家坡の地で、妻である王宝釧と再会した。しかし、十八年の歳月は夫の外観をすっかり変えており、妻は、目の前にあらわれたのが薛平貴であることに気づかなかった。薛は妻がいまだ自分に対して貞節を守っているか確かめるため、道をたずねるふりをして、彼女に言い寄った。妻は、質素な家に逃げ戻った。妻の心が変わっていないことを確かめた彼は、正体を打ち明け、二人は感激の再会を果たした。

大登殿(だいとうでん。王宮に盛大に登場する)

 薛平貴は、乞食から身を起こして皇帝になった一代の英雄である。この芝居は、彼に関する長い大河ドラマ的物語の、結末場面を描いたもの。
 薛平貴は苦節数十年ののち、北方騎馬民族の王女・代戦公主の助力を得て、ついに中国の首都・長安を攻略し、中国の皇帝となった。
 彼は王宮にのぞみ、貧乏時代に苦労をともにした妻・王宝釧を皇后にした。彼を迫害した義兄は処刑、彼を軽蔑した義父は隠居を命じられた。妻の母は、彼の理解者となったので優遇された。
 大いなる達成感をうたう薛平貴の「うた」が聞きどころ。



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 加藤 徹 
cato@hiroshima-u.ac.jp

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