1999.2
文昭関(ぶんしょうかん)Wen-zhao-guan

 これから見ていただくのは、文昭関、昭関(しょうかん)という関所を舞台にした歌の芝居です。
 日本でもよく使われる故事成語に、「呉越同舟(ごえつどうしゅう)」「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」「死屍(しし)に鞭(むち)うつ」という言葉があります。この文昭関という芝居は、これらの言葉が生まれた時代の復讐の物語です。
 主人公の伍子胥(ごししょ)は、家族を乱暴な国王に殺されてしまいました。伍子胥は復讐を誓い、隣の国に政治亡命するため、国境まで逃げてきました。しかし国境の関所にはすでに伍子胥の似顔絵がくばられていて、伍子胥は関所を越えることはできません。復讐もできず、亡命もできぬ無念さとストレスで、伍子胥の髪の毛と髭は、わずか一週間のうちに真っ白になってしまいます。
 伍子胥の悲しみと憤りの歌が聞きどころの芝居です。
 それでは京劇「文昭関」、どうぞお楽しみください。

(青年団:50分)

 ここは、国境の近く、東皐公(とうこうこう)の屋敷。夜中、伍子胥が登場して歌います。
「一日また一日と過ぎて行く
 心の中は油の鍋のように煮えたぎる
 腰にさしている復讐の刀はまだ使うあてもなく
 父と母のうらみをはらす機会はまだこない」
 伍子胥はせりふで言います。
「さいわい、東皐公どのが私に同情し、私を花園(はなぞの)の奥にかくまってくれている。もう何日も、何もできぬまま無駄に過ごしてしまった。心のなかは憂鬱(ゆううつ)でたまらない。」

 伍子胥は歌います。
「明るく丸い月が、窓べを照らしている
 悲しい胸のうちは、まるで矢で射ぬかれたように痛む
 わたしは、呉の国に亡命し、呉の軍隊を借りて自分の祖国に復讐するつもりだったのに
 国境を越える寸前、この昭関で足止めをくらってしまった
 不幸中のさいわい、東皐公どのがわたしに同情して
 指名手配されているわたしを、屋敷の奥の花園の中にかくまってくれた
 ここ数日のあいだ、わたしはずっと憂いに沈んでいる
 毎晩、眠れない夜をすごしている
 わたしはまるで、誰からもかまってもらえない犬ころのようだ
 たまりたまった恨みつらみを、一体だれに訴えればよいのだろうか
 わたしはまるで、あてどなく空を飛んでゆくはぐれ鳥のようだ
 わたしはまるで、浅瀬にのりあげて苦しんでいる龍のようだ
 わたしはまるで、釣糸にかかってもがいている魚のようだ
 わたしはまるで、荒波にもまれて難破寸前の船のようだ
 あれこれ思うと、悲しみで腹わたがズタズタに切れてしまいそうだ
 今夜もまた、どうやって明日まで我慢できようか」

 東皐公が登場し、遠くから伍子胥の姿を見て、歌います。
「もう午前三時をすぎて、夜明けも近いというのに
 月は夜空を移動して、花の影も階段にのぼってしまったというのに
 灯火(ともしび)も燃え尽きてしまった暗い窓べで
 悲しみに身もだえする人が、ひとりごとをつぶやいている」

 伍子胥は歌います。
「心の中のもやもやで、眠れない
 寝返りを何度うてども、眠れない
 わたしはこっそり、心のなかで東皐公どのを恨む
 わたしをここで足止めさせている東皐公どのを恨む
 もし東皐公どのが本当にわたしを助けてくれるつもりなら
 いつまでここにいればよいのか、明言してくれるはず
 東皐公どのはわたしを売るつもりなのか
 ならば、はやくわたしを関所の役人に突き出してくれればよい
 乱暴な国王に殺されてしまった父と母にはもう会えない
 兄と父と母にはもう会えない
 死んだ家族と会えるのは、夢のなかでだけ」

 東皐公は歌います。
「彼の言葉を聞くと、わしまで悲しくなる
 誰もがみんな、彼に同情して涙を流すだろう
 彼は、わしのことまで恨みはじめているようだ
 なんとか、良い考えを思いついて、彼に国境を越えさせてやりたい」

 伍子胥は歌います。
「ニワトリが鳴き、犬が吠えて、夜明けも間近
 考えれば考えるほど、悲しくなってくる
 その昔、わたしが政府の官僚だったころは
 早朝出勤のため、もう今の時刻には起きていた
 そのわたしはいま、片田舎に身をかくしている
 この寒々とした気持ちは、言葉では言えない
 いっそわたしは、刀を抜いて自殺して、あの世にいる家族に会いに行こうか
 自殺したら、親のかたきは、そのままになってしまう
 天にむかって復讐を誓おう
 わたしは必ず、あの乱暴な国王を殺し、かたきをとってやる」

 東皐公は歌います。
「ニワトリが鳴き、犬が吠え、星も消えて行く
 伍子胥どのを起こして、話をしよう」

 伍子胥は歌います。
「いましがた、やっとまどろんだと思ったら
 ドアの外から、誰かわたしを呼ぶ声がする
 ドアをあけてみよう」

 東皐公は、伍子胥の髪の毛とヒゲが、一晩で白くなっているのを見て驚きます。
 伍子胥は、親のかたきが取れない無念さとくやしさで、髪の毛が白くなったのだろうと説明します。

 東皐公は、伍子胥に「関所を破る妙案を考えました」と言います。
 東皐公は、伍子胥に顔が似ている皇甫(こうほ)という名前の男性を連れてきて、伍子胥に紹介します。

 東皐公が立てた作戦とは、伍子胥によく似た皇甫がおとりになって関所の役人の気をひいているすきに、伍子胥が隣の国に亡命する、というものです。
 伍子胥は、東皐公と皇甫の援助に、深く感謝します。

 伍子胥は歌います。
「わたしは頭の頭巾を取り替えて
 たくみに変装して、国境を越えよう
 隣の呉の国に亡命できたら
 わたしは呉の大臣となり、呉の軍隊を指揮しよう
 国境を越えるための偽造の手形が
 もしニセモノとばれたら、また逃げて田舎にかくれよう
 考えれば考えるほど、うらみはます
 出発の前にわたしの運命を占ってみよう、わたしは辰の生まれ
 うしろをふりかえり、東皐公どのと話しをする
 あなたはわたしの、命の恩人です
 もしうまく、関所を越えることができたなら
 今までのご恩を、さらに何倍にもしてお返しいたします
 わたしの身代わりになってくださる皇甫どのにも、頭をさげます
 わたしは感謝にたえません
 あなたのために、香を焚いてお祈りしても、まだ感謝したりません
 わたしは次の世で、犬や馬に生まれ変わって、あなたのご恩にむくいましょう
 わたしは復讐の心をみなぎらせながら
 勇気をもって国境を越え、亡命します」

 このあと伍子胥は無事、国境を越えて呉の国に亡命し、のち見事に復讐をとげたのでした。

(完)


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