1999.2
挑滑車(ちょうかっしゃ)Tiao-hua-che

 これからご覧いただくのは、挑滑車、敵の戦車を槍(やり)ではねとばす、というお芝居です。
 いまから一千年前の宋(そう)の時代こと。名将軍・岳飛(がくひ)ひきいる中国の軍隊は、北方の大国・金(きん)と戦い、苦戦していました。宋軍は全滅の危機に瀕しますが、高寵(こうちょう)という名の若武者(わかむしゃ)が命を捨てて戦ったおかげで、危機を脱することができました。
 若い中国の英雄の戦死をえがいた壮烈な悲劇「挑滑車」、どうぞお楽しみください。

(梅蘭芳団・一団・青年団:20-25分=簡略版)

   ここは戦場です。
 宋の将軍・高寵は、高い山のうえに立ち、敵味方両軍の戦いの様子を見下ろしています。舞台上の俳優は机のうえに立っていますが、京劇の約束ごとで、山のうえに立っている、という設定です。
 地上でくりひろげられている戦闘の様子を、高寵は歌とおどりで表現しています。
「敵の軍隊はウンカのように押し寄せる。
 馬のいななき声、兵隊たちがあげる突撃のときの声、
 作戦を知らせる太鼓の音が戦場に満ちている。
 兵隊たちのかぶとはまぶしく輝き、
 敵味方を識別するのぼりや旗がはげしく揺れている」

 高寵は馬に乗ったまま山をかけおりて、戦闘に加わります。京劇では、馬のきぐるみは使わず、俳優の演技や手に持っている小道具によって馬に乗っていることを表わします。

 京劇の戦闘場面では、俳優たちは激しい打楽器の音色にあわせて、立ち回りをします。
 立ち回りの途中、ときどき打楽器の音がやみ、俳優が動きをとめ、「みえ」を切るときがあります。
 日本の歌舞伎で俳優が「みえ」を切るときは、観客はその役者の屋号などを呼びます。京劇の俳優が「みえ」を切るときは、中国の観客は「好(ハオ)!」と声をかけます。「ハオ」とは中国語で「良い」という意味です。
 舞台のうえで俳優が「みえ」を切ったとき、日本の観客のみなさんも、拍手と同時に大きな声で「ハオ」と言ってあげてください。舞台の俳優も、心のなかで嬉しく思うことでしょう。

 高寵は敵兵と戦ったあと、せりふで言います。
「よし、敵の兵隊と武将をたくさん殺したぞ。しかし、変だ。敵の姿が見えない。どこに逃げたのだろうか。きっと、前の方に逃げたのだろう。虎穴(こけつ)にいらずんば、虎児(こじ)を得ず。俺はこれから、逃げた敵を追いつめよう」

 高寵は強い武将ですが、若すぎたようです。
 なれない戦場で、逃げる敵を深追いすることは、とても危険なことです。
 高寵は夢中で戦っているうちに、気付いてみると、敵のふところ奥ふかくまで攻め込んでしまいました。

 高寵の視線に御注目ください。
 舞台装置をあまり使わない京劇では、俳優の目の視線が、とても重要な意味をもっています。俳優の視線が高いところをなぞるように動くと、そこには、高い山があることを表わします。

 高い山のうえから、敵の戦車が次々と落ちてきます。
 高寵は、馬のうえから、やりをつかって、自分にむかってくる戦車を次々とはじきとばしてゆきますが、次第に疲れてゆきます。
 ちなみに、日本の小説家・夏目漱石は、この場面をみて、有名な短編小説『夢十夜(ゆめじゅうや)』の最後の部分を書いたのではないか、と言われています。

 高寵は「敵の戦車を残らずこの槍ではじき倒して、敵を全滅させてやる」という内容の歌をうたいます。
 しかし、おそいかかってくる戦車の数は、きりがありません。高寵も、馬も、次第に疲労がたまってきます。
 高寵は最後に、戦車にひかれて死にます。
 このときの死にかたは、俳優によってさまざま工夫をこらしています。芸のみせどころです。

 高寵は戦死しましたが、彼の戦いによって、仲間たちは全滅をまぬかれたのでした。

(完)


(詳細版=ほとんど上演しない)
牛皐下書(ぎゅうこうかしょ)Niu-gao-xia-shu
挑滑車(ちょうかっしゃ)Tiao-hua-che

 京劇の芝居は大きく二つにわけて、うた中心の文戯(ぶんぎ)と、立ち回り中心の「武戯」の二つに分かれます。これから見ていただくのは、京劇の数ある「武戯」の中でも、ベスト・テンに入る有名な演目です。
 いまから一千年前の宋(そう)の時代こと。名将軍・岳飛(がくひ)ひきいる中国の軍隊は、北方の大国・金(きん)と戦い、苦戦していました。
 岳飛は、牛頭山で金軍と決戦することを決意し、その挑戦状を部下の牛皐(ぎゅう・こう)に持たせます。牛皐は単身、敵陣に乗り込み、堂々と敵の司令官・兀朮(こつじゅつ)と渡り合います。
 決戦の当日。宋軍は苦戦しますが、高寵(こうちょう)という名の若武者(わかむしゃ)が命を捨てて戦ったおかげで、危機を脱することができました。
 この芝居に出てくる岳飛将軍は、歴史に実在した人物です。中国人のあいだでは、中国を救った民族の英雄として、三国志の英雄・関羽とならぶ尊敬と人気を得ています。
 それでは、若い中国の英雄の戦死をえがいた壮烈な悲劇を、御堪能ください。

 舞台のうえに、なにやら、怪しげな集団が出てきました。
 顔に変なお化粧をしています。このお化粧のことを「くまどり」といいます。この「くまどり」も、今日劇の約束ごとのひとつです。この集団は中国人ではなく、敵である外国の軍隊なので、こういう「くまどり」をしている訳です。
 この外国の軍隊は、これから中国の軍隊と戦います。中国の軍隊をひきいるのは、千年に一度の名将といわれた、あの岳飛(がくひ)将軍です。外国の軍隊にとっても、てごわい相手です。
 敵の司令官・兀朮(こつじゅつ)は、そこで、新しい秘密兵器「鉄の戦車」を本国から運ばれてくることを、部下たちに告げています。

 怪しげな集団がひっこんで、また別の軍隊が出てきました。
 これは中国の軍隊です。よろいがみな、きらびやかです。
 背中に小さな旗をつけているのは、軍隊の指揮官であることを示す約束ごとです。

 岳飛将軍が舞台に登場し、日本の歌舞伎と同じように、まず観客にむかって、自分のことをせりふで紹介します。
「それがしは、岳飛と申す。中国の皇帝陛下の家来である。にくむべき敵国の軍隊は、しばしばわが国境をおかし、中国を侵略している。残念ながら、現在の戦況は、わが軍に不利。きびしい戦局を打開するため、われわれは、牛頭山(ぎゅうとうざん)で敵軍と雌雄(しゆう)を決する最後の決戦をいどむことにした」
 岳飛将軍は、自分の部下を呼びだし、作戦について相談します。

 この、岳飛将軍腹心の部下の名前を牛皐(ぎゅうこう)といいます。
 牛皐は、自分が国のため、岳飛将軍のため、いつでも命を捨てる覚悟であることを語ります。

 岳飛将軍は歌います。
「敵の司令官・兀朮(こつじゅつ)に、挑戦状をたたきつけてやる。
いまから三日後、両軍の雌雄を決しよう、と。
決戦場の名は、牛頭山。
この挑戦状を、敵の司令官に送る役目も命がけだ」

 牛皐が、この挑戦状を敵の陣地まで運ぶ命令を受けました。

 その次に、二人の武将が呼ばれ、警戒をおこたるな、と命令されます。


 一方、舞台は変わって、こちらは外国の敵軍の陣地です。
 おなじ京劇の扮装をしているのに、外国の敵軍の司令官・兀朮(こつじゅつ)は、なんとなく悪そうな顔に描かれています。

   総司令官・兀朮(こつじゅつ)のもとに、兵隊があわてて報告にきました。
 敵のの武将・牛皐が、ひとり、敵陣地に乗り込んできたからです。

 牛皐は本来、武将なので、いつもは鎧(よろい)を着ています。しかし今日は戦争ではなく、手紙を運ぶ使者として敵陣を訪問しているので、役人の服を着ています。
 敵の兵隊は、牛皐に、陣地に入るまえに屈辱的な礼をするよう要求します。
 牛皐は、自分の国の名誉のためにも、そんな卑屈な礼はできない、と、つっぱねます。

 とうとう牛皐は、敵の司令官・兀朮(こつじゅつ)に向かい合いました。
 兀朮がいくら脅しても、牛皐は、まったく取り合いません。それどころか、牛皐は兀朮に言います。
「いま、自分はわざわざ、使いとして来ているのだ。だから、自分を客人としてもてなしてくれるのが、筋というものではないか。それなのに、おまえは自分の軍隊の強さをバックに、ふんぞりかえっている。うつわの小さい男だな。ここは男と男、ふたりだけの話あいといこうではないか」

 兀朮は、牛皐の言葉をもっともだと認めました。そして、対等に話しあうことにしました。
 牛皐は、自分が武将の鎧ではなく役人の服を着ている理由を相手に説明します。
「役人の服を着ているのは、今日は戦闘のために来たのではないからだ」と。
 牛皐は、岳飛将軍から託された挑戦状を、相手に手渡します。

 兀朮は、挑戦に応じました。そして三日後、決戦場である牛頭山で正々堂々と戦うことを約束しました。
 牛皐はこうして任務を果たしました。このあと彼は、とんでもないことを言い出します。

 牛皐は、自分が帰るまえに、酒を出してもてなしてくれるのが筋というものだ、と、ぬけぬけと兀朮に要求します。

   兀朮はなかばあきれながらも、酒盛りをすることにしました。
 酒の場では、敵も味方もありません。互いに上座へどうぞ、と、ゆずりあいます。

 ようやく酒盛りが終わると、牛皐は、また司令官にむかって要求しました。
 自分がここにやってくるとき、あなたは陣地の入り口まで出迎えてくれなかった。だからせめて、自分が帰るときは、陣地の出口まで送ってくれるのが筋というものだ、と。

 司令官はなかばあきれながらも、牛皐を見送りに行くことにしました。

 牛皐は、さらにぬけぬけとと言います。
「今日、お酒をごちそうになったお礼をしたい。三日後の決戦のとき、あなたをうんとやっつけるつもりでしたが、少し手加減してあげましょう」と。

 兀朮はなかばあきれながらも、では手加減してください、と、牛皐の申し出を聞き入れました。

 牛皐が帰るのを見送った司令官は、あんな胆のすわったやつがいるとは、中国の軍隊はなかなかあなどれないわい、と、ひとりごとをいうのでした。


 金(きん)の本国から、新しい秘密兵器が到着しました。
 その名は「鉄滑車(てつかっしゃ)」。鉄の戦車です。

   外国の司令官が立てた作戦は、こうです。中国の軍隊を、山の下にさそいこむ。そして、山のうえから、この鉄の戦車を次々と山の下にころがして落とす。中国の軍隊は、鉄の戦車の下敷きになって、ぺしゃんこになる、という作戦です。


 場面はかわって、中国の軍隊の陣地です。
 岳飛将軍の勇猛果敢な武将たち、中国人が一千年後の現在まで英雄としてたたえている武将たちが、舞台のうえにせいぞろいです。
 武将たちの服装に御注目ください。身に長いよろいをまとって、足にぶあつい靴をはいてますね。これは、馬に乗った騎馬武者であることを表わしています。
 日本の歌舞伎では、騎馬武者は馬のぬいぐるみに乗っていますが、京劇では、ぬいぐるみの馬は使いません。そのかわり、京劇の約束ごととして、このような服装の武将は馬に乗っているのだと、観客が想像することになっています。

 これら並み居る武将の中に、このあと壮烈な戦死を遂げる悲劇の若武者がひとり、まじっています。
 どの武将がそれか、おわかりになりますか?

 岳飛将軍は、部下たちを前に、決戦の決意を語ります。

 そして、それぞれの部下に、戦いの役目を命令します。
 最初に名前を呼ばれた部下は、攻撃部隊の一番槍、いわゆる「先鋒」(せんぽう)です。

 そのあと、部下の名前が次々と呼ばれます。
 部下たちは、それぞれ、部隊の左翼を守る役目、部隊の右翼を固める役目、などを命じられてゆきます。

 最後に、あの牛皐が名前を呼ばれます。
 牛皐は、全軍の攻撃部隊のセンポウという、とても重要な役目を命令されます。

 そのとき、名前を呼ばれなかった若い武将が、不満の声をあげます。
 これが、のちに壮烈な戦死を遂げる若武者です。名前を「高寵(こうちょう)」といいます。
 高寵は、なぜ自分だけ、何の役目も与えてもらえないのか、と、岳飛将軍にくってかかります。

 岳飛将軍は、高寵がこの戦場に来たばかりで、まだ地理に不案内であるからはずしたのだ、と弁明します。

 岳飛将軍は、実は、長年の経験から、このような血気(けっき)にはやる勇敢な若武者が、このような戦いでは戦死しやすいことを察知していました。
 しかし高寵の熱意におされ、岳飛将軍は、結局、高寵にも役目を与えることにします。
 (ちなみに、このあたりは第二次世界大戦後のあたらしい演出です。昔の京劇では、岳飛が「高寵、おまえの顔には死相があらわれている。だから、今度の戦いには参加するな」と言って止める、というものでした。戦後は「死相とか手相といった迷信を鼓吹(こすい)するような言動は、芝居といえども好ましくない」という中国共産党の指導があって、変えられたのです)

 結局、高寵が与えられた役目は、軍隊の象徴・軍旗を守る役目でした。
 岳飛将軍は、
「大切な任務だ。軍旗をはなれて実際の戦闘には参加してはならぬぞ」
と高寵に釘(くぎ)をさしました。


 場面は変わって、外国の敵軍の陣地です。

 兀朮も、部下をひきいて、今日こそ中国の軍隊の息の根をとめてやる、と気炎をあげています。

 高寵は高い山のうえに立ち、敵味方両軍の戦いの様子を、歯がゆい思いで見下ろしています。(舞台上の俳優は机のうえに立っていますが、京劇の約束ごとで、山のうえに立っている、という設定です)
 地上でくりひろげられている戦闘の様子を、高寵は歌とおどりで表現しています。
「敵の軍隊はウンカのように押し寄せる。
馬のいななき声、兵隊たちがあげる突撃のときの声、
作戦を知らせる太鼓の音が戦場に満ちている。
兵隊たちのかぶとはまぶしく輝き、
敵味方を識別するのぼりや旗がはげしく揺れている」
 若く血気さかんな高寵は、自分だけが安全な場所で戦いを見守っていることに、いつまでがまんできるでしょうか。

 地上では、岳飛将軍が、兀朮と直接にむかいあっています。
 兀朮は、岳飛に対して、対等のライバルとしての敬意を表します。そして、岳飛に降伏するよううながします。
「あなたの軍隊がいくら前線で命を賭けて戦っても、後方の中国本土の官僚たちの腐敗(ふはい)は、目を覆うばかりだ。中国は結局、われら満州民族によって征服されるであろう。もし今、わが国に無条件降伏するならば、あなたに中国の半分を与えよう」

 岳飛は、愛国心のかたまりのような男ですから、もちろん、そんな申し出はつっぱねます。
 ふたりは火の出るような戦いをくりひろげます。

 高寵は、それを、はるか遠くの山のうえからながめています。
 彼の気持ちは、ますます高まるばかりでした。

 戦闘のなりゆきは、味方の方が、圧倒的に不利です。

   高寵は、とうとう、旗を守る役目を二人の家来にまかせ、自分は山をおりて戦場に加わることにしました。

 戦場にいきなり火の玉のような若武者が飛び込んできて、形成が逆転しました。
 それまで優勢だった外国の軍隊は、高寵の活躍によって、次第におされていきます。

 身軽な服装でズボンをはき、幅の広い刀を持っているのは、歩兵です。
 長いよろいを着て、足には高いくつをはき、背中に小さな旗を四つつけているのは、馬に乗った将校であることをあらわしています。
 想像力で、馬にまたがっているのだ、と、イメージしておぎなってください。

 高寵に圧倒された敵は、いよいよ、新しい秘密兵器を使うことにしました。

 高寵は強い武将ですが、若すぎたようです。
 なれない戦場で、逃げる敵を深追いすることは、とても危険なことです。
 高寵は夢中で戦っているうちに、気付いてみると、敵のふところ奥ふかくまで攻め込んでしまいました。

 高寵の視線に御注目ください。
 舞台装置をあまり使わない京劇では、俳優の目の視線が、とても重要な意味をもっています。俳優の視線が高いところをなぞるように動くと、そこには、高い山があることを表わします。

 高い山のうえから、敵の戦車が次々と落ちてきます。
 高寵は、馬のうえから、やりをつかって、自分にむかってくる戦車を次々とはじきとばしてゆきますが、次第に疲れてゆきます。
 ちなみに、日本の小説家・夏目漱石は、この場面をみて、有名な短編小説『夢十夜(ゆめじゅうや)』の最後の部分を書いたのではないか、と言われています。

 高寵は最後に、戦車にひかれて死にます。
 このときの死にかたは、俳優によってさまざま工夫をこらしています。芸のみせどころです。

 兀朮は、高寵の首を切り落として、高いところにさらしておくよう、部下に命令します。

 中国の軍隊は、高寵の奮戦のおかげで、敗北をまぬがれました。
 しかし、その高寵が戦死した、という知らせが中国の軍隊にもたらされ、みなが悲しみました。

 中国の軍隊は、高寵の戦死をいたみながら、陣地に帰ってゆきます。

(完)


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