1999.2
鉄弓縁(てっきゅうえん)Tie-gong-yuan

 これから見ていただくのは、鉄弓縁、鉄の弓がきっかけで男女が恋仲(こいなか)になる、というコメディー・タッチのラブストーリーです。
 むかし、陳秀英(ちんしゅうえい)という名前の美しい少女がいて、母親とふたりで、茶館(ちゃかん)を営んで生活していました。あるとき、石文(せきぶん)という乱暴者がこの茶館にやってきます。石文は、陳秀英の美貌(びぼう)に目がくらみ、陳秀英を力づくで無理やり自分の妻にしようとします。陳秀英の母親は、女性ながらも石文を反対にやっつけてしまいます。
 ちょうどそこへ、匡忠(きょうちゅう)という名前の若い書生(しょせい)が通りかかります。陳秀英の母親は、匡忠を茶館のなかに招きいれ、彼をもてなします。茶館のなかで陳秀英は、匡忠に一目惚(ひとめぼ)れしてしまい、二人は結婚を約束します。
 京劇は歌(うた)中心の芝居が多いのですが、この演目は、登場人物たちの軽妙(けいみょう)なセリフのやりとりが中心となっています。
 庶民の生活の場である茶館を舞台にくりひろげられる人間模様を描いた京劇「鉄弓縁」、どうぞごゆっくりお楽しみください。

(青年団・約45分) (1999.2.21)

 乱暴者の石文が登場し、せりふで自己紹介します。
「俺の名前は石文という。俺の親父は、地方政府の権力者だ。勉強、勉強のつまらない毎日で、せっかくの青春なのに、悶々(もんもん)とつまらない日々を送っている。なんかこう、パーッと面白いことはないかなあ」
 この石文という若者は、父親が、山西省(さんせいしょう)太原府(たいげんふ)にある地方政府の権力者であることをかさにきているドラ息子です。

 石文は家来を呼び出し、どこか面白い場所を知らないか、とたずねます。
 家来たちは「西門外(せいもんがい)どおりにある「豪傑居」(ごうけつきょ)という名前の茶館に、たいそう器量(きりょう)がよい看板娘がいますよ」と答えます。
 茶館というのは、現代の喫茶店・レストラン・ライブハウスを兼ねた、庶民のいこいの場所です。茶館では、お茶を飲み、食事を楽しみ、芸人の漫才や歌を楽しむことができました。
 石文は家来たちを連れて、その茶館をのぞきに行くことにします。


 場面かわって、こちらは茶館です。
 主人公である陳秀英が登場し、自己紹介します。
「(詩)不幸にもお父様は早くに亡くなり
  母とふたり、苦労を重ねております
 私は、陳秀英と申します。父が早くに亡くなったため、あとに残された母とふたりで、ここ、山西省太原府の町で、小さな茶館を経営しております。母ひとり娘ひとりの細腕(ほそうで)ゆえ、茶館の経営は苦労が絶えませんが、おかげさまで、茶館は繁盛(はんじょう)、景気はようございます。
 しかしながら、母は最近、気持ちがふさぎがちで、食事もろくにノドを通らない様子でございます。母は、何を悩んでいるのでしょうか。たったひとりの娘として心配でなりません」

 陳秀英は、母親を店の奥から呼び出します。
 陳秀英は母親に、気分がふさいでいる理由をたずねます。
 母親は、せりふと歌で自分の胸のうちを打ち明けます。
「思いかえせば、お父様が世を去ってからというもの、わたしたち親子は苦労のしどおし。生活のため茶館をはじめたけれども、お茶を飲みにくる客たちは、かげであれこれウワサ話に花を咲かせてる。『あそこの未亡人は、年ごろの看板娘を客よせに使うために、どこにも嫁(とつ)がせずにいるらしい』とか。笑って聞き流してしまえばいい事なのかもしれないけれども、お父様さえ健在だったら、こうして慣れない茶館商売なぞもせず、人様のウワサの種にもならずに済んだろうにと---そう思うと、どうにも悔(くや)しくてねえ」

 母親は、未亡人ながら接客業(せっきゃくぎょう)を営まねばならぬ自分のつらい胸のうちを、歌います。

 陳秀英は母親を歌でなぐさめます。

 陳秀英と母親は気を取り直し、商売繁盛の縁起の良い文句をあれこれと考えることにします。


 ドラ息子の石文が、家来を連れて茶館にやってきます。
 石文は、店の前に座っている老婦人を見て「ずいぶんトウのたった看板娘だな」と言います。
 家来は「あれは母親で、別嬪(べっぴん)の娘は店の奥にいるはずですよ」と言います。
 石文たちは茶館の中に入ります。
 母親が注文をとりにきます。石文たちは家来もいれて五人いるのに、石文はケチって、お茶を一杯しか注文しません。

 母親は、陳秀英にお茶の急須(きゅうす)を持ってこさせます。
 石文は、陳秀英の顔が美しいのを見て、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべます。
 陳秀英は石文のいやらしい視線を感じて、急須を取り替えて、さっさと奥に引っ込んでしまいます。

 石文の方は、まず陳秀英の母親の気を引こうと、あれこれ冗談を話しかけます。
 陳秀英は店の奥から母親を呼びよせ、ひそかに言います。
「あの人たち、なんなのよ。一見してまともな人たちじゃないわ」
 母親は、お茶代を払ってくれてる以上は客だから仕方ないわよ、と言います。
 陳秀英は奥に引き込みます。

 石文は、陳秀英が奥に入ったまま出てこないので、母親にからみます。
「お茶のお湯がぬるいよ、取り替えてくれ」
「娘さんの年齢はいくつだい?」
「娘さんは十六歳か。俺は三十六歳だから、まあ同いどしみたいなもんだな」
「花代(はなだい)をやるから、あの娘(こ)にお茶のお酌(しゃく)をさせてくれ」
 石文の無理難題はだんだんとエスカレートしてきます。

 石文は最後に、自分の正体をあかします。
「実はな、俺の親父(おやじ)は、ここ山西省太原府の地方政府の権力者なんだ。俺はこう見えても、御曹司(おんぞうし)なんだぜ。単刀直入に言うけど、あんたの娘に惚(ほ)れた。俺にくれ。こんなボロ茶館なんかさっさと廃業(はいぎょう)して、俺のやしきで母娘ふたりヌクヌクと贅沢三味(ぜいたくざんまい)の生活を楽しんだ方が、あんたらにとっても幸せだろ」
 母親は「うちの娘は売れないよ」と怒り、石文たちを店から追い出します。
 石文たちは母親の剣幕(けんまく)に押され、いったん、店の外に出ます。この石文というドラ息子は、親の権威をかさにきているだけで、実は腕力( わんりょく)はからきし無いのです。

 石文は性懲(しょうこ)りもなく、家来にむかって「もう一度、未来の義理の母うえにご挨拶(あいさつ)をしよう」と言って、茶館の中に入ります。
 石文は今度は神妙(しんみょう)な態度で、
「未来のムコが、義理の母上にご挨拶申し上げます」
と、陳秀英の母親にむかって礼をします。
 母親は足で石文を蹴(け)りとばします。
 石文は「これぞ愛のムチ、いや、愛の足げり、というやつですね」と相変わらず減らず口をたたきます。そして
「義理の母上に御承諾いただけなくとも、こっちには若い衆(しゅう)がごまんといます。義理の母上が首をタテに振ってくれなければ、あとは実力行使の略奪愛。娘さんを力づくで連れてゆくまでのこと」
と脅(おど)します。

 母親は棒で石文をなぐりつけます。
 石文たちは倒れ、逃げ出します。

 陳秀英が、騒ぎをきいて表に出てきます。
 母親は今までの経緯を娘に説明します。そして、石文たちを追いかけます。

 石文たちは道を逃げますが、陳秀英の母親に追い付かれます。
 母親は、石文をこらしめるため、石文の帽子と服を脱がせます。
 石文はふたたび逃げだし、母親は追いかけます。


 書生(しょせい)の匡忠(きょうちゅう)が登場します。
「(詩)町なかに来てみれば
  にわかに、あたりがさわがしい」
 石文の家来たちが走って逃げてゆき、そのあと石文がやってきます。
 匡忠は石文にたずねます。
「石(せき)さん、帽子もかぶらず、服も半脱(はんぬ)ぎで、何のさわぎだい」
 石文は「銭湯(せんとう)に入ってたら、風呂場が火事になっちゃったんだ」と、とっさのウソをついてごまかそうとします。
 そこへ、陳秀英の母親が追いかけてきます。石文はあわてて逃げます。
 匡忠は、陳秀英の母親をとめます。母親は
「これから、あのドラ息子の家に乗り込んで、むこうの親と直(じか)に話してケリをつけてやるのさ」
とまだ怒っています。
 匡忠は
「ドラ息子の親と会っても、むこうは自分の息子の肩を持つでしょう。もう、あのくらいで勘弁(かんべん)してあげなさい」
ととりなします。
 母親は、匡忠の話し方を聞いて、彼が立派な青年であることを知ります。母親は匡忠を自分の茶館に招き、石文たちとの一件について話しを聞いてもらうことにします。


 場面は変わって、こちらは茶館です。
 匡忠は、陳秀英の母親に連れられて、茶館にやってきます。
 店の奥から陳秀英がお茶のはいった急須をもって出てきます。さっきの石文たちとはちがい、今度の客は、眉目秀麗(びもくしゅうれい)な好青年(こうせいねん)です。
 陳秀英は店の奥にはいると、こっそり母親を呼んで、言います。
「いま来たお客さんは、いい男の人みたいね」
 陳秀英は、母親ごしに匡忠の顔をのぞこうとします。母親は「これ、はしたないまねはおよし」と、娘をたしなめます。

 母親は店の表にもどります。そして匡忠に、さきほどからの石文たちの無礼(ぶれい)な振る舞いを訴えます。
 匡忠は石文の友だちでしたが、母親の話をきき、悪いのは石文であったと同情します。

 匡忠は店の壁に、立派な鉄の弓がかざってあるのを見つけ、母親にたずねます。
 母親は壁の弓を、匡忠に手渡します。見れば、鉄と銅をはりあわせて見事な彫刻をほどこした強い弓でした。
 茶館に弓、というのは不思議な組み合わせです。匡忠がこの弓の由来をたずねると、母親は
「これは夫の形見(かたみ)です。亡くなった夫は生前、武道(ぶどう)をたしなんでいて、この強い鉄の弓を引くことができました。いまは茶館の壁にかざっております。お茶を飲みにくる客がときどき力自慢で引いてみようとしても、誰も引くことはできません」
と答えます。
 匡忠が
「誰もひけない弓なぞ、もう役に立ちませんね」
と言うと、母親は
「ただ、うちの娘だけはこの鉄の弓を引くことができます」
と意外なことを言います。
 大(だい)の男が引けない鉄の弓を、十六歳の若い娘が引いてしまう、という話をきいて、匡忠は興味を持ちます。
 母親は、娘を店の奥から呼びだし、実際に鉄の弓を引かせて見せることにします。

 陳秀英は
「私は女だてらに鉄の弓を、中秋の満月のように丸々と引きしぼれます」
と歌い、鉄の弓を手にとり、引きます。
 しかしなぜか、鉄の弓はいつもよりずっと硬く、陳秀英は引くのに苦労しました。母親は陳秀英に
「若い殿がたが見つめられて、気もそぞろになり、あがってしまったんだろう」
と言います。
 匡忠は「私にも引かせてください」と言い、鉄の弓を手に取ります。そして鉄の弓を軽々と引いてみせます。
 母と娘はそれを見て感心します。

 陳秀英はこっそり母親に頼みます。
「お母さん、あの方に、弓のほかにも武術ができるかどうか、きいてみて」
 母親がたずねると、匡忠は「わたくしは中国武術十八種類すべてに精通(せいつう)しております」と答えます。

 娘は母親に「わたし、あの方とカンフーの拳法(けんぽう)の腕くらべをしてみたい」と言います。
 母親は匡忠に「うちの娘が、あなた様とカンフーの拳法のお手あわせをお願いしたいと申しておりますが、よろしいでしょうか」とたずねます。
 匡忠は承諾します。

 陳秀英と匡忠は、拳法の「組み手」をします。勝負をきそう試合ではなく、あくまでも組み手なのですが、二人のカンフーの腕前はすさまじく、思わず手が相手の顔や体に当たってしまいます。

 組み手が終わります。陳秀英は匡忠の腕前に惚れ込みます。

 陳秀英は、匡忠の扇(おうぎ)を見て
「体を動かしたので、暑くなりました。あら、きれいな扇をお持ちですこと」
と褒(ほ)めます。
 匡忠は「どうぞお使いください」と、その扇を陳秀英に渡します。
 昔の中国では、定情物(ディンチンウー)と言って、恋仲の男女が、身のまわりの持ち物をプレゼントする習慣がありました。
 陳秀英は匡忠に近づく一歩として、まんまと匡忠の扇をせしめたのですが、その一部始終を母親がのぞいていました。

 母親は「とうとう、うちの娘も、男の人からプレゼントをせしめる術(すべ)をマスターしたみたいだわ」と一人ごとを言い、娘を呼び寄せます。
 母親は
「手に何をかくし持っているの。あの方の扇ね。あなたは女の子なのに、男の人におねだりして物をもらうなんて、ふしだらですよ」
と怒ります。
 陳秀英はトボけて
「違うのよ、お母さん、あの方のほうから私にくださったの。おねだりなんて、してません」
と言い返します。

 母親は、匡忠に直接たずねます。
「あの扇は、うちの娘の方からねだったものでしょうか。それとも、あなた様がくださったものでしょうか」
 匡忠は、自分の意思で差し上げたもので、お嬢さんはねだったりしていませんよ、と答えます。
 母親はさらにあれこれ喋って、匡忠の態度をたしかめます。匡忠の答え方が立派なので、母親は感心します。

 陳秀英は、こっそり母親を呼びだして言います。
「お母様(かあさま)、わたし、思い出したことがあるの。お父様がお亡くなりになったとき、御臨終(ごりんじゅう)の枕元で、言い残された言葉---『秀英よ、わしが死んだあと、あの鉄の弓を引きしぼれるのは、おまえひとりだけだ。だがいつの日か、あの鉄の弓を引くことのできる逞(たくま)しい若者があらわれたら、その人を大事にしなさい』---とうとう、その大事な方があらわれたみたいだわ」
 母親は「大事にしなさいって、どういう意味だったのかしら」とトボけます。
 陳秀英は恥ずかしがって、奥にさがります。

 母親は、娘のために匡忠に結婚の話をつけようと考えます。
 しかし、いかに何でも、先ほど知り合ったばかりの若者に娘との結婚話を切り出すのはバツが悪く、母親の口調もしどろもどろになってしまいます。
「あのう・・・実は、わたくしの亡き夫がこの世を去るとき、娘に言い残したのですけれども・・・この鉄の弓を引ける人がいつか現われたら、その人を・・・さて、ここでクイズです。私の夫は、鉄の弓を引くことのできる人が現われたら、その人をどうしなさいと言い残したのか、おわかりになりますか?」

 匡忠は目を白黒させます。
 母親はやっとの思いで言います。
「鉄の弓を引ける人があらわれたら、その人を大事にしなさい---そう亡き夫は言い残したのでございます」
 頭のよい匡忠は、すぐさま母親の気持ちを理解しました。
「それでは、お母様。不肖(ふしょう)の息子でございますが、これからどうぞ、よろしくお願い申し上げます。明日、お母様たちをお迎えにあがります」
 匡忠は礼をしたあと、退出します。

 匡忠が帰ってゆくのを見送った母親は、ほっと一息つきます。しかし、まだ相手の名前も住所も聞いていなかったことに気付き、あわてます。
 陳秀英が奥から出てきて、母親にたずねます。
「あの方のお答えは、どうでした」
 母親はいたずら心を起こして、ウソを言います。
「わたしがちょっと、結婚の話題に水を向けたところ、あの若者は『茶館の小娘(こむすめ)風情(ふぜい)なんかを妻に迎えるなど、身分違いにもほどがある』と言い捨てて、プイと出て行ってしまったよ」
 陳秀英は、
「まあ、『茶館の小娘風情』ですって? そんな男だと知っていたら、さっきカンフーの組み手をしたとき、あの男の手足の骨をへし折ってやればよかった」
と怒ります。母親は、
「冗談よ、あの方は結婚を承知してくれたわ」
と打ち明けます。

 陳秀英は有頂天(うちょうてん)になって喜びます。
 母親は、
「あの方は明日、わたしたちを迎えに来ると言ってたわよ」
と言います。
 陳秀英は「いやだ、髪形(かみがた)を整えなきゃいけないし、嫁入りの衣装(いしょう)もどうしましょう。早く準備をしなければ」とあわてて出て行きます。

 母親も「明日の結婚式にそなえなければ」と、喜び勇んで出て行きます。

(完)


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