殺廟(さつびょう)Sha-miao
これから見ていただくのは殺廟(さつびょう)、お宮(みや)の中での殺人、という芝居です。
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秦香蓮が歌います。
「むすこと娘が泣く声を聞き、わたしの心は乱れます。
いなかから出てきたわたしたちは、旅の道の西も東もわかりません。
耳をすませば、だれか、わたしたちを追いかけてくる人がいるようです」
韓[王其]が歌います。
「ここまで来れば、人の住む家もない。
あの女が翼をはやして飛びでもしないかぎり、逃(の)がしはしない。
きっとあの、神社のお宮(みや)の中にかくれているに違いない。
刀でお宮のとびらを開(あ)けて、中をのぞいてみよう。
もうすぐあの世に送ってやる」
秦香蓮が歌います。
「なぜいきなり、わたしたちを刀で殺そうとなさるのですか。
せめて殺させる理由をおきかせください」
韓[王其]は、彼女の気迫(きはく)にたじたじとしながらたずねます。
「ならばたずねよう。そなたの名前は何か、出身地はどこか」
秦香蓮が歌います。
「わたくしは、湖広(ここう)荊州(けいしゅう)のいなかから出てきた者で、
名前を秦香蓮と申します。
子供のときから決められていた縁談で、陳世美(ちんせいび)の妻となりました。
夫・陳世美は、三年に一度の科挙(かきょ)の試験を受けましたが、
試験に合格して、皇族(こうぞく)と結婚した夫は、いなかの家族を見捨てました。
夫の両親は、貧乏のため栄養失調で死んでしまい、
わたくしは、息子と娘を連れて、夫をさがしにまいったのでございます。
しかしながら、夫はすっかり心変わりして、
わたくしたち親子を門前払(もんぜんばら)いしてしまったのです。
夫は、親を切り捨て、子供を見捨て、妻を裏切り、人間の心を忘れてしまったのです。」
韓[王其]は、悩んで、歌います。
「この婦人の言葉をきき、心はふるえおののく。
わが主(あるじ)が殺せと命じた相手は、なんと、御自身の妻と子供だったとは。
わたしはもともと武士だ。
主の命令とはいえ、天道(てんどう)にもとる犯罪を手助けすることはできない。
わたしも、彼女に真実をうちあけることにしよう。
これから本当のことをうちあけるから、聞いてくれ。
わたしの主は、そなたの夫・陳世美さまである。陳世美さまは・・・」
韓[王其]は、自分が秦香蓮たちを始末するよう言いつかったことを、うちあけます。
秦香蓮はせりふで言います。
「かわいそうな子供たち!
陳世美は富貴(ふうき)をむさぼり、本当の悪人になってしまったのですね。
自分の世間体(せけんてい)を守るために、 家族まで殺そうとするとは。
わたくしたちは、苦境(くきょう)のなかから、さらに奈落(ならく)につき落とされました
かわいそうな子供!
わたくしどもに手をさしのべてくださる方は、どこにもいないのでしょうか」
韓[王其]が歌います。
「身も世もなく泣き崩(くず)れている親子を見れば、
岩(いわお)の心臓をもつ鋼鉄の男さえ、心がいたむだろう。
わが主・陳世美こそが極悪非道(ごくあくひどう)、
わたしは、吹けば飛ぶような身分のしたっぱだが、正義の心を持っている」
韓[王其]は「はやく逃げなさい」と、見のがしてやることにします。
秦香蓮は、お礼を言って、逃げようとします。
韓[王其]は、逃げかけた親子を呼びもどします。
秦香蓮は「もしや、お気持ちが変わって、やっぱりわたくしどもを?」とたずねます。
韓[王其]は言います。
「わが主は、『この刀に母と子の血糊(ちのり)をつけて、殺した証拠に持って帰れ』とお命じになったのだ」
秦香蓮は絶望して、言います。
「なんと、あの男は、刀にわたくしどもの血糊をつけて、殺した証拠に持って帰れとあなたに命令したのですか。おねがいいたします、刀の血糊ならば、どうかわたくしひとりをお斬(き)りください。二人の子供の命だけは、助けてやってください」
秦香蓮は歌います。
「殺すなら、どうかわが身を
ふたりの子供の命ばかりは、お助けを」
韓[王其]が歌います。
「目の前で、罪のない母と子供が苦境におちいっている。
わたしの心は、煮えたぎる油の鍋のようだ。
どうして罪のない者を殺すことができよう。
しかし、刀に血糊をつけなければ、わたしは帰ることができぬ。
もはや、わたしに残された道はただ一つ、
わが命をすてて、 正義をまっとうするのみ」
韓[王其]は自分の首を刀で斬り、倒れて死にます。
秦香蓮はこのあと、この血のついた刀を証拠品として、正義の大臣・包拯(ほうじょう)のもとに訴えにゆきます。
(完)