1999.2
秋江(しゅうこう)Qiu-jiang

 これからご覧いただくのは、秋江(しゅうこう)という、ユーモラスなお芝居です。
 登場人物はたった二人。道教の尼僧(にそう)・陳妙常(ちん・みょうじょう)と、川船の船頭さんです。
 陳妙常は数えどしで十九歳の若い尼僧でしたが、ある若い男性と恋に落ちてしまいました。
 彼女はこっそり道教の尼僧院から抜け出し、恋人のあとを追いかけて、川べりにやってきます。川べりには、年をとった船頭さんがいて、はじめはさんざん彼女をからかいますが、最後は見事に船をあやつり、恋人の船に追い付きます。
 この「秋江」は、もともと崑曲(こんきょく)の演目だったものを、京劇が、川劇(せんげき)という四川省の地方劇を経由して輸入したものです。そのため、よく聞くと、歌のメロディーや伴奏楽器の構成が、普通の京劇と違います。しかし今では、この「秋江」は京劇の有名な演目の一つとして、すっかり定着しています。

 京劇は日本の「能」と同じく、あまり舞台装置や大道具を使いません。この「秋江」でも、船や川の波などは全て俳優の演技によって表現されます。
 それでは、若い尼僧と、年老いた船頭の二人による芝居「秋江」、どうぞごゆっくりお楽しみください。

参考サイト内リンク:京劇「秋江」の原詞

(その1:長編版=これはほとんど上演しない)

 尼僧が登場して歌います。
「こっそりと、尼僧院を抜け出した。
いとしいあの人のもとに、早く追い付きたい」
 彼女は仏教ではなく、道教の尼僧です。手に払子(ほっす)を持っているのは、京劇の約束ごとで、その人物が宗教関係者であることを表わします。

 尼僧はせりふで自己紹介します。
「私は陳妙常と申す尼僧でございます。尼僧院で修行しておりましたが、そこへ尼僧院の院長の甥御(おいご)さまが泊まりに来ました。私たちは、互いに恋に落ちました。しかし甥御さまは、都にのぼって科挙の試験を受けることになりました。私は甥御さまのあとを追いかけるため、こっそりと尼僧院をぬけだして参ったのです」

 尼僧は歌います。
「私は生まれながら尼僧になるよう運命づけられ
煩悩(ぼんのう)とは無縁の修行の日々を送ってきましたが
突然、激しい恋に落ちました
さあ急ぎましょう、いとしいあの人をあとを追い
川の船に乗って都まで、あの人を追いかけよう」

 尼僧は川べりに来ます。いとしい恋人は、もう先に船に乗って都に向かってしまったようです。

 尼僧は、船頭さんが遠くにいるのを見かけて呼びかけます。
「船に乗りたいの、早くいらして」

 船頭さんは船を漕ぎ寄せながら、詩をよみます。
「川船で魚を釣って酒を飲む
こんな自由な楽しみは、他にはない、他にはない」

 船頭は、自分を呼んのが若い尼僧であるのを見て、ダジャレを言います。
「誰かと思ったら、なんだ『お腹をすかせて、豆をむさぼり食べるハト』か。そのココロは『余さん』ーーー尼さんじゃ」

 尼僧もダジャレで言い返します。
「あなたは『ニワトリの群れの前に立って歩くニワトリ』ですね。そのココロは『群れを先導する』ーーー船頭さんですね」

 尼僧は船頭に、今朝ほど若い男性がここに来たはずだが、見かけたかどうか、と尋ねます。
「その男のかたは、頭に高い帽子をかぶり、身には青い着物を着て、腰には白い絹の帯をしめ、後ろに子供の召使をつれていて、背中に大きなカバンを背負っているの。今朝、ここから船に乗って、都へのぼって行ったはずよ」

 船頭は言います。
「その若者なら見覚えがある、さっき、次郎のやつの船に乗って、都へ向かって行ったよ」

 尼僧は船頭に、その船を追いかけて欲しい、と頼みます。船頭は、必ず追い付けるから安心しなさい、と言います。

 船頭は尼僧に「ところで、あなたとその男の人はどういう関係なのか」とたずねます。

 尼僧は恥ずかしいので、ウソをついてごまかそうとします。
「私は彼に、手紙を頼みたいのです。大事な手紙なので、彼以外の他の人には頼めないのです」

 船頭は、尼僧のウソを信じてくれません。
 船頭は、尼僧が追いかけている男性が、恋人であることを見破ります。

 尼僧は「私が誰を追いかけようと、関係ないでしょう。お金はちゃんとお支払いしますから」と言います。

 船頭は「それじゃあ、船賃(ふなちん)は、孫悟空のひとっとび、十万八千ということで」と冗談を言います。

 尼僧は、そんな高い船賃はお支払いできないから、いっそタダ同然の安い値段で、と冗談をきりかえします。

 船頭は、やっとまともな値段を言います。
「船賃は三銭でいいよ」

 尼僧は、早く船を出さないと彼に追い付けなくなる、と焦ります。
 尼僧が焦っている様子を見て、船頭は、尼僧をからかうことにします。

 船頭は「やっぱり三銭じゃあ船は出せない」と言います。

 船頭は「三銭の二倍、六銭はもらいたい」と言います。

 尼僧は焦っているので「六銭払いますから早く船を出して」と頼みます。
 船頭は「考えて見たら、やっぱり九銭じゃなきゃいやだ」と言います。

 尼僧は、船頭が船賃をどんどんつり上げるので、怒ります。

 船頭は、尼僧を船に乗せないで、川に船を漕ぎ出すふりをします。

 尼僧はあわてて、船頭を呼び戻します。
「九銭払いますから、乗せてください」

 尼僧は船頭に、尼僧の流儀にのっとった「礼」をして頼みます。
 船頭は、尼僧の「礼」を見て、からかいます。

 船頭は尼僧に「船賃は前払いで」と言います。

 尼僧は船頭に、九銭の銀貨を渡します。

 船頭は銀貨を見て、この銀貨は純度の低い悪い銀貨だ、と難癖(なんくせ)をつけます。

 尼僧が「そんなことはありません。本物の銀貨です」と言うと、船頭は「本物の銀貨なら、やっぱり最初の値段のとおり三銭でいいよ」と言います。
 船頭はもともと、値段をふっかけるつもりではなく、尼僧をじらしてからかうつもりだけだったのです。

 尼僧は、時間がどんどんたってしまう、と、ますます焦ります。

 船頭は、尼僧を船に乗せるため、渡し板を用意します。

 尼僧は、生まれてから一度も船に乗ったことがありません。
 渡し板から足を踏み外さないよう、おっかなびっくり、船に乗ります。

 尼僧が船に乗ると、船頭は
「わしはちょっと出かけてくるから、船の中で待っていてくれ」
と、とんでもないことを言い出します。

 尼僧はびっくりします。船頭はぬけぬけと
「これから家に帰って食事をしてくる。なあに、家までの距離は、たった四十里じゃよ」
と言います。

 尼僧はあせって「あの人の船に追い付いたら、ご馳走しますから、食事はあとになさってください」と言います。  船頭は「ご馳走してくれるのは嬉しいが、わしは、とんでもない大酒飲みで、信じられないくらいたくさん食べるぞ」
と言って、尼僧をからかいます。

 尼僧が「それでも船頭さんにご馳走します」と申し出ると、船頭は「今のは冗談だよ。船賃以外、何もいらないよ」と言います。

 船頭はいよいよ、船を岸から離し、川に漕ぎ出すことにします。

 ところがどうした訳か、船は根っこが生えたように、岸から離れません。

 船頭が力むたびに、船は大きく揺れます。
 尼僧は生まれてはじめて船に乗ったので、とても怖がります。

 船頭は、自分がまだ船の「ともづな」を解いていなかったことに、やっと気がつきます。
 船はやっと岸を離れます。ずいぶん時間を無駄にしてしまいました。

 船頭は「わしの船は小さいから、速度も早い。次郎の船は重くて船足も遅いから、十分追い付けるよ」と言います。

 船頭は言います。
「通り雨とか逆風に邪魔されないよう、縁起をかついで、詩の文句をとなえよう」

「雨粒が船の屋根をうち、大風がまた吹いてきても
それが追い風で、船が早く前へ進めますように。
青い空に白い雲がもくもくと湧いて、木の葉は黄色の色に染まる」

「尼さんは、あんたはまるで、川べに咲く美しいハスの花のようじゃ」

 尼僧は歌います。
「ようやく船に乗れました。
どうか、船が追い風に乗って、鏡のうえをすべるように進み
早くあの人と再会できますように」

 船はうまく、川の流れに乗りました。
 船頭は尼僧と雑談を始めます。

 船頭は、尼僧の名前をたずねます。
 尼僧は「私の名字は『陳』です」と答えます。
 船頭は「沈没のチンと、字は違うが発音が同じだから縁起が悪い」と顔をしかめて、「もしもう一度、そんな縁起の悪い発音をしたら、川につきおとすよ」と冗談を言います。

 船頭は尼僧に、わしらはひょっとしたら名字が同じなのではないかな、と冗談を言います。実は、船頭の名字は、尼僧とは全然違います。

 尼僧は歌います。
「冗談を言いかわしても
心の中の愁いはつのるばかり
一刻も早く、あの人と再会したいという
私の思いは、川の流れのように、尽きません」

 船頭は、尼僧の年齢をたずねます。
 尼僧は「十九です」と答えます。現在の満年齢でいうと17歳か18歳ということですね。

 船頭はまた冗談を言います。
「19歳というと、わしと同い年じゃな。わしは今年で79歳になるが、60歳の還暦(かんれき)のとき、赤いチャンチャンコを着て赤ん坊に戻ったから、79歳から60年を引いて、いまは19歳という勘定になる」

 尼僧は歌います。
「この船頭さんは冗談ばっかり言うけれど、
本当は心のやさしい人のようですね」

 船頭は、また尼僧をからかって、変な詩を口ずさみます。
「尼さんはまるで花のように美しい
めでたく、あの若者と再会できたら
きっと来年の今ごろは・・・」

 船頭は「きっと来年の今ごろは、まるまるとした可愛い赤ちゃんが生まれるだろう」と、変なことを言います。

 尼僧も、お返しの詩を即興で作ってお返しします。

「船頭さん。あなたがもしも、お年よりでなかったら
平手打ちして、川に着き落とすところです」

 空を鳥が飛んでいます。
 尼僧が「あの鳥は何の鳥?」とたずねると、船頭は
「オシドリさ。昼はオスとメスとで翼をならべて空を飛び、夜は首をかわして眠る、仲むつまじいツガイの鳥じゃよ」
と答えます。

 尼僧は「あの人に追い付いたら、オシドリのように離れませんように」と歌います。

 前の方に、次郎の船が見えてきました。いとしい若者が乗っている船です。

 いままで、さんざん冗談を言ってきた船頭さんですが、最後は見事な「かい」さばきで船をあやつり、見事に船に追い付きます。

(完)


(その2青年団・梅蘭芳団: 約20分)

 道教の尼僧・陳妙常(ちんみょうじょう)が登場して歌います。
「こっそりと、尼僧院を抜け出した」
 彼女は仏教ではなく、道教の尼僧です。手に払子(ほっす)を持っているのは、京劇の約束ごとで、その人物が宗教関係者であることを表わします。
 陳妙常は歌います。
「不幸にして生まれながら尼僧になる運命
 ともだちを見つけるのも、たった一はりのお琴(こと)だけがたよりでした。
 思いがけず、尼僧院(にそういん)の院長さまのせいで、
 わたしの恋心に煩悩(ぼんのう)の火がついてしまったのです。
 今朝、夜が明けたとき、いとしいあの方の姿は見えませんでした。
 急ぎましょう、川辺にゆき
 船をやとって都(みやこ)まで
 潘(はん)さまを追いかけてゆきましょう」

 この芝居の伴奏音楽では、普通の京劇とちがい、笛が使われているので、やわらかい感じがします。

 陳妙常は言います。
「ここは、秋江(しゅうこう)の川岸(かわぎし)。とおくに船頭(せんどう)さんの姿が見えます。船頭さん、こっちにいらして」
 船頭は幕の中で答えます。
「どこだね」
「こっちよ。船を寄せてちょうだい」
「いま行くよ」

 幕の中から船頭が登場して、詩をよみます。
「(詩)秋江の川に、船をうかべ、船の両わきで魚を釣る。
  釣った魚で酒を買う。こんな楽しみゃ、ほかにない。ほかにない。
 はっはっは。わしを呼んだのは、誰かと思えば『豆をむさぼり食うハト』か」
 陳妙常が、どういう意味かとたずねると、船頭は、
「そのココロは『余さん』ーーー尼さんじゃ」
と答えます。

 陳妙常は船頭に、今朝ほど若い男性がここに来たはずだが、見かけたかどうか、と尋ねます。
「その男のかたは、頭に高い帽子をかぶり、身には青い着物を着て、腰には白い絹の帯をしめ、後ろに子供の召使をつれていて、背中に大きなカバンを背負っています。今朝ここから船に乗って、都へのぼって行ったはずですけれども」

 船頭は言います。
「その若者なら見覚えがある、さっき、次郎のやつの船に乗って、都へ向かって行ったよ」

 陳妙常は船頭に、その船を追いかけて欲しい、と頼みます。
 船頭は「よその船はいざ知らず、わしの船は速いから、必ず追い付いてみせる」と請(う)けあいます。

 陳妙常は、船賃として銀三銭を船頭に渡します。

 船頭は、尼僧を船に乗せるため、渡し板を用意します。

 陳妙常は、生まれてから一度も船に乗ったことがありません。
 渡し板から足を踏み外さないよう、おっかなびっくり、船に乗ります。
 舞台のうえには俳優がふたり立っているだけですが、俳優の演技によって、あたかも船があり、水があるかのように観客に想像させます。

   陳妙常がやっと船に乗ると、船頭は
「わしはちょっと出かけてくるから、船の中で待っていてくれ」
と、とんでもないことを言い出します。
 陳妙常はびっくりします。船頭はぬけぬけと
「これから家に帰って食事をしてくる。なあに、家までの距離は、たった四十里じゃよ」
と言います。
 陳妙常はあせって「あの人の船に追い付いたら、ご馳走しますから、食事はあとになさってください」と言います。
 船頭は「今のは冗談だよ。船賃以外、何もいらないよ」と言います。
 要するに、この船頭は陳妙常をじらして、からっているのです。

 船頭はいよいよ、船を岸から離し、川に漕ぎ出すことにします。
 ところがどうした訳か、船は根っこが生えたように、岸から離れません。
 船頭が力むたびに、船は大きく揺れます。
 尼僧は生まれてはじめて船に乗ったので、とても怖がります。
 船頭は、自分がまだ船の「ともづな」を解いていなかったことに、やっと気がつきます。
 船はやっと岸を離れます。ずいぶん時間を無駄にしてしまいました。

 船はやっと岸を離れます。
 陳妙常は歌います。
「ようやく船に乗れました。
 どうか、船が追い風に乗って、鏡のうえをすべるように進み
 早く都に着いて、早く都に着いて
 いとしい潘(はん)さまと再会できますように」

 船はうまく、川の流れに乗りました。
 船頭は陳妙常と雑談を始めます。
 船頭は、尼僧の年齢をたずねます。
 陳妙常は「十九です」と答えます。現在の満年齢でいうと17歳か18歳ということです。
 船頭はまた冗談を言います。
「19歳というと、わしと同い年じゃな。わしは今年で79歳になるが、60歳の還暦(かんれき)のとき、赤いチャンチャンコを着て赤ん坊に戻ったから、79歳から60年を引いて、いまは19歳という勘定になる」

 陳妙常は歌います。
「冗談を言いかわしても
 恋の苦しみは増すばかり
 千々(ちぢ)に乱れる思いは断ち切れません
 湧きでてやまぬ愁(うれ)いの気持ちは
 まるで、流れて尽きぬ秋の川の水のよう」

 陳妙常は歌います。
「この船頭さんはおしゃべりで
 冗談ばかり言うので
 ちょっと、うるさいですけれど
 本当はやさしい人のようですね」

 前の方に、次郎の船が見えてきました。いとしい若者が乗っている船です。

 いままで、さんざん冗談を言ってきた船頭さんですが、最後は見事な「かい」さばきで船をあやつり、見事に船に追い付きます。

(完)


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