李陵碑(りりょうひ)Li-ling-bei
これから見ていただくのは、李陵碑、悲劇の武将・李陵の記念碑、という芝居です。 参考サイト内リンク:京劇「李陵碑」の原詞 |
ここは、北中国の国境地帯の戦場です。
主人公・楊継業の六番目の息子である楊延昭(ようえんしょう)が馬に乗って登場します。
京劇では、馬のきぐるみは使わず、俳優の演技や手に持っている小道具によって馬に乗っていることを表わします。
「(歌)ひとり馬に乗り、敵軍のなかを突破する
敵の軍隊は、まるで雲のように数が多い
絶体絶命の危機から脱出して、さきに進もう
あとに残られた父上のことを思うと、胸のなかが火事のように熱くなる
馬にムチをあて、国境を越える
かならず本国から救援部隊を連れてもどってこよう」
場面かわって、こちらは宋の軍隊です。圧倒的な敵に包囲され、食料も尽きて、全滅寸前です。
宋の楊将軍は、戦闘では敵に勝っていたのに、本国の政府の大臣が抜群の功績をたてる楊将軍に嫉妬して、前線に送る食料をストップしてしまったのです。
若く健康な兵隊はほとんど戦死し、残っているのは年よりの兵隊ばかりです。
楊継業が登場し、歌います。
「(歌)悲しきかな、わが楊一族は国のため、命をかけてきたのに
今は敗残(はいざん)のすがたを国境地帯にさらしている
にくむべき北の敵国は、わが国の豊かな領土を奪おうと
侵略の魔の手をのばしてきた
腹黒い潘洪(はんこう)めが戦争の総司令官となり
わたしたち親子が前線で戦うことになった
金沙灘(きんさたん)の会戦では、わが軍が大敗し
兵隊の血が川のように流れ、鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう)たる戦場になった
そのとき、わたしの長男は、皇帝陛下の身代わりになって戦死し
次男は短剣で命を断って自決した
三男は敵の馬の大群に踏み殺されて、死体は挽肉(ひきにく)になり
四男と八男は、戦闘中に行方不明になった
五男は五台山で出家して僧侶となり
七男は味方の腹黒い大臣の陰謀にあい、矢でハリネズミのようにされて死んだ
八人の息子のなかでただひとり、六男だけがわたしとここまで戦ってきたが
その六男はいま、救援部隊を要請するため敵中を突破して本国に向かっている
わたしの八人の息子のうち、四人が死んでしまった
四人も息子が死んでしまった、ああ、わたしの息子よ!
われら一族の末路を見るにしのびない
腹黒い潘洪は、悪魔のような陰謀をたてて
皇帝陛下を五台山への旅に連れ出した
あの腹黒い潘洪めの陰謀にまんまとはまって
四方八方を敵国の大軍に囲まれてしまった
わたしの六男がひとりで馬を飛ばしてかけつけたおかげで
皇帝陛下はからくも敵国の捕虜となることをまぬかれ、脱出できた
わたしはその援護のため、部隊をひきいて、この危険な戦場にやってきて
敵国の軍隊を相手に、東に西に、右に左に縦横無尽(じゅうおうむじん)に戦い、獅子奮迅(ししふんじん)の活躍をしたが、武運つたなく、両狼山(りょうろうざん)で敵に包囲され孤立し、内に兵糧(ひょうろう)なく、外に馬に食べさせる牧草(ぼくそう)もなく、本国からの援軍の姿も見えず、もはやあきらかにわが命運は尽き果てようとしている、もう祖国に生きては帰れまい、おお、わが息子よ!」
生き残りの、年老いた兵隊が「みな飢えております」と言います。
楊継業は「軍馬(ぐんば)を殺して、その肉を食べよ」と歌います。
年老いた兵隊が「みな凍(こご)えております」と言います。
楊継業は「服を燃やして、その火で暖まれ」と歌います。
空で、渡り鳥が鳴く声がします。
楊継業は渡り鳥を弓で射おとそうとします。しかし、弓は折れてしまいます。
弓が折れるのは、不吉な兆候(ちょうこう)です。
偵察に出ていた兵隊がもどってきて、敵の軍隊が総攻撃をかけてきたことを伝えます。もはや戦況は絶望的でした。
楊継業は、部隊を移動することを決意します。
(完)