1999.2
撃鼓罵曹(げきこばそう)Ji-gu-ma-cao

 これから見ていただくのは、撃鼓罵曹、太鼓を叩きながら曹操をののしる、という三国志の芝居です。
 曹操(そうそう)が漢王朝の政治を思いのままにあやつっていたころ。曹操は自分が寛大な人物であることを世間にアピールするため、毒舌家(どくぜつか)として有名だった禰衡(ねいこう)を用いようとします。しかし禰衡は正義を愛する心を持っていたので、曹操の思い通りになりませんでした。曹操は禰衡に恥をかかせてやろうと思い、みんなの前で太鼓を叩いて演奏するよう命令します。しかし禰衡は、その曹操の命令を逆手(さかて)に取って、見事に太鼓を叩き、曹操をやりこめてしまいます。
 まだ言論の自由という概念が無かった時代に、 圧倒的な権力を持つ曹操を公然と批判した禰衡の痛快な態度と、ダイナミックな太鼓が見どころの京劇です。それでは、三国志の名場面を、どうぞこの京劇の舞台で御堪能ください。

(青年団:1時間)

 ここは漢王朝の都です。いまや漢の皇帝をもあやつる権力者・曹操の命令によって、大臣や役人たちがたくさん集められています。
 曹操が登場します。
 曹操の顔は、真っ白に塗られています。京劇の約束ごとでは、顔を白く塗るくまどりは、その人物が冷たく残酷な性格を持っていることを表わします。
 曹操は集まった家来たちに向かって「今日はめでたい正月の祝いをする。余興として、新いりの役人に、太鼓を叩かせる予定である」と言います。

 この芝居の主人公・禰衡が登場します。
 禰衡は、変わった行動と毒舌で有名な知識人でした。詩人としても優れていて、彼が書き残した詩は今も残っています。
 曹操は、自分が太っぱらの人物であることを天下にアピールするため、わざと毒舌家の禰衡を部下にしたのです。しかし禰衡は、正義の心を持ち、曹操の思いどおりになりませんでした。そこで曹操は、禰衡に太鼓を叩かせて、みんなの前で恥をかかせてやろう、と考えたのでした。
 禰衡は歌います。
「(歌)曹操のような悪いやつが国の権力をにぎってしまった
  その昔、項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)が戦って
  劉邦が勝って、わが漢王朝の初代皇帝の位についた
  わが漢王朝の平和な時代が続いたあと
  いま、曹操のような悪いやつが現われた
  曹操は、うえは皇帝陛下をあざむき、したは臣民(しんみん)を苦しめる
  わたしは皇帝陛下にかわって、曹操のやつと戦うのだ
  ただし、わたしの武器は槍や刀ではない
  見れば、曹操は上座(かみざ)にすわり、文武百官(もんぶひゃっかん)をしたがえて得意満面
  曹操のような悪人が権力を握るとは、世も末である
  わたしは、奇人変人のふりをして曹操を痛烈に批判しよう
  わたしは、身にまとっている質素な服をぬぎすてて
  ぼろな服、破れたシャツも脱ぎ捨てて
  威風堂々(いふうどうどう)、戦いの場にのぞもう」

 警備の役人が、禰衡の服装がみすぼらしいのを見とがめます。
 禰衡は「人は見かけによらない。ボロを着ていても心は錦。歴史をふりかえってみても、貧しい身なりをしていた大人物はいくらでもいる」と歌います。

 警備の役人は、禰衡が服をぬいで、半分はだかになろうとするので、びっくりします。
 昔の中国では、たとえ男性といえども、人前ではだかになるのは大変な失礼だと考えられていました。ましてや、今日の宴会は、総理大臣である曹操はじめ、錚々(そうそう)たる大臣・官僚たちの前なのです。
 禰衡は全く気にせず、そのまま太鼓を叩く会場に進みます。

 曹操は、宴会の席で上機嫌でした。
 太鼓を見事に叩く音が聞こえてきます。一同は聞きほれます。

 曹操は歌います。
「太鼓が雷のように素晴しく鳴りひびいて
 なみいる将軍・大臣・官僚たちはみな、三杯の酒を飲む
 しかし張遼(ちょうりょう)はくちびるを噛んで、くやしそうな顔をし
 禰衡をわしに推薦した孔融(こうゆう)は顔を赤くして帰ってゆく
 わしは、座席をおりて、太鼓を叩く禰衡の姿を見る
 なんと、禰衡は裸で太鼓を叩いているではないか
 わしはひとまず、怒りをこらえて
 禰衡のやつと話しをしよう」

 曹操が「おい禰衡」と呼びかけると、禰衡は「なんだ曹操」と答えます。
 相手は総理大臣の曹操なのに、禰衡はあくまで対等の立場を主張します。
 曹操は「このような席で服を脱いで裸になるとは、礼儀を知らぬな」と言います。
 禰衡は「親からもらった大事な体を、誰に対して恥じる必要があろう」と反論します。

 禰衡は曹操にむかって、おまえの心は濁(にご)っている、今日わたしに恥をかかせようと思い太鼓を叩かせるのだろうが、そんな姑息(こそく)な魂胆(こんたん)は、いかにもおまえらしい、と痛烈に批判します。
 武器をふりまわす相手ならば簡単に殺すことができますが、丸腰のまま言論で戦いを挑む者をむやみに殺すことは、さすがの曹操にも出来ません。もし丸腰の禰衡を殺したら、曹操に敵対する呉の孫権や、劉備たちに「それ見たことか。曹操は言論の自由も認めぬ小さな男だ」と、かっこうの材料を提供することになってしまうからです。
 曹操は苦々しく思いながらも、手出しができません。

 禰衡は太鼓を叩きながら歌います。
「その昔、周の文王(ぶんのう)は、有能な人材をさがしもとめ
 川のほとりで太公望(たいこうぼう)という名軍師(めいぐんし)を見つけた
 文王は王様だったのに、家来の太公望を自分よりも豪華な車に乗せて大事にした
 国のためになる優秀な人材は、このように優遇すべきなのだ
 わたしもまた、隠れもない有能な人材であるのに
 こうして太鼓を叩く役目しか与えられない
 曹操よ、おまえは総理大臣になったのに
 いまだ人物の良しあしも見分けられぬ、つまらぬ悪党だな」

 曹操は歌で反論します。
「わしが軍隊を動かせば、天下無敵
 かくかくたる勝利は、天下に鳴り響いている
 わしの天才的な戦略と頭脳は、いにしえの名軍師・太公望をもしのぐ
 おまえのような小さな人物などに、何がわかる」

 禰衡は太鼓を叩きながら歌います。
「曹操は、ものの道理がわかっていない
 わたしが言うことを、耳をすまして聞くがいい
 この太鼓の一叩きは、天地を鳴り響かせるため
 二つ叩いて、国の平和と発展のため
 三つ叩いて、悪い政治家をのぞくため
 四つ叩いて、政治を正しい姿にもどすため
 太鼓は、どんどん鳴り響く
 曹操、おまえのようなやつには良い最後はおとずれないぞ」

 曹操は憮然(ぶぜん)とします。
 官僚たちは、曹操に不機嫌の理由をたずねたあと、禰衡に向かって氏素性をたずねます。

 禰衡は歌で答えます。
「わたしは今はじめて、胸のうちを語りましょう
 政府のみなさん、よく聞いてください
 わたしは平原孝義村(へいげんこうぎそん)の出身で
 名前を禰衡と申します
 わたしは、国をよくするための政治についての考えをいろいろ持っています
 まえに、孔融といっしょに幕僚(ばくりょう)の仕事をしたことがあったので
 今回、孔融はわたしのことを曹操のやつに推薦してくれたのです
 しかし、曹操のやつは全く人を見る目がありません
 わたしは、正義の心を持った善良な人物でいたいので
 曹操みたいな男の家来には、なりたくありません」

 曹操は禰衡のことを非難しますが、そのたびに禰衡は歌によって反論します。

 曹操は「わしのどこが悪党だと言うんだ?」とたずねます。
 禰衡は、曹操の生い立ちから現在にいたるまでの悪行の数々を歌で説明します。

 曹操の部下・張遼が、たまりかねて、刀を抜こうとします。
 曹操は「禰衡みたいなやつは、殺すにも値しない」と止めます。
 禰衡は、今度は張遼のことを痛烈に批判します。
「みなさん、この張遼という男は要注意です。まえは呂布(りょふ)を主人として仕えていたのに、その後、曹操にくらがえした卑怯な男です」
 張遼はかんかんになって怒りますが、曹操の手前、手出しが出来ません。

 曹操は、自分の手で禰衡を始末すると、世間の評判を落とすことになるので、一計を案じます。
 曹操は「荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)に大事な手紙を渡す任務を、禰衡に与える」と言います。
 禰衡は、もはや言うべきことはみな言ったので、その任務を引き受け、曹操のもとを去ることにします。

 禰衡はこうして、面とむかって曹操を痛烈に批判した硬骨漢(こうこつかん)として、歴史に名前を残したのでした。

(完)


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