1999.2
盗仙草(とうせんそう)Dao-xian-cao

 これからご覧いただくのは、盗仙草、仙人の薬草を盗む、というお芝居です。
 『白蛇伝』(はくじゃでん)の一節。白い蛇の精は、白素貞(はくそてい)という名前を名乗り、自分の正体を隠したまま人間の男性・許仙(きょせん)と結婚生活を送っていましたが、ある日、夫に自分の正体を見られてしまいます。夫は驚きのあまり心臓麻痺を起こして倒れてしまいました。
 白素貞は、妊娠中というハンデキャップをかかえながらも、愛する夫の命をよみがえらせるため、神々の世界に生えている魔法の薬草を取りにやってきます。しかし、そこで、魔法の薬草を守る番兵(ばんぺい)たちと戦いになります。
 女性の立ち回りものの代表作の一つ、盗仙草、どうぞお楽しみください。

(梅蘭芳団ほか:20分)

 ここは、神々の世界の山の奥です。
 この神聖な山を守るシカやツルが登場して、速いテンポの歌舞(かぶ)を舞います。(約4分)
 この山には、「霊芝(れいし)」という漢方薬(かんぽうやく)の薬草(やくそう)が生えています。シカやツルは、その霊芝が盗まれないよう、守っているのです。
 それぞれ手に払子(ほっす)を持っているのは、京劇の約束ごとで、宗教関係者であることを表わしています。

 番兵がシカとツルだなんて、あんまり強そうじゃないですね。しかし、これには宗教的な意味があるのです。
 シカは、龍のような立派な角をもっているので、昔の中国では神さまの使いと考えられていました。また「鹿」(ろく)の音が「禄」(ろく)に通じることから、めでたい動物とされていました。日本でも、奈良の大仏さまとか、世界遺産になった厳島(いつくしま)神社とか、古いお寺や神社に行くとシカがいっぱいいますが、これは中国の影響です。また、よく「鶴は千年、亀は万年」と言いますが、昔の中国では、不老不死の仙人はツルにまたがって空を飛ぶのだと考えられていました。

 シカとツルの兵隊たちは、さらに別の場所に見回りに行きます。


 主人公の白蛇の精が登場して歌います。
「身に軽(かろ)やかな剣をおび
 神々の山にやってきました
 後悔の涙がとまりません
 夫は、わたしの正体をのぞき見て
 驚きのあまり、卒倒(そっとう)してしまいました
 私が薬草を持ち帰らねば
 夫の命は助かりません
 私の命は、どうなってもいい
 なんとかして夫の命だけは、助けたい」

 白素貞は白蛇の化身(けしん)なので、白装束(しろしょうぞく)を着ています。
 白蛇というのは、全身が雪のように真っ白で、赤い目をした蛇のことです。自然界では、遺伝子の突然変異によって、ときどき皮膚の色素が無い真っ白な動物(アルピノ)が生まれます。科学が発達していなかった昔は、遺伝子のいたずらで偶然うまれた真っ白な蛇は、神秘的な存在として人々から恐れられていました。

 彼女は魔法の薬草を見つけました。
 魔法の薬草はシカとツルが守っています。
 白蛇は、シカとツルにむかい、夫の命を助けるために薬草を分けてくれるよう、丁寧に頼みます。しかし相手はとりあってくれません。

 シカとツルは、剣を抜いて白蛇におそいかかります。
 白蛇は応戦しますが、たったひとり。しかも、おなかの中に赤ちゃんがいる、という、重いハンデキャップを負っています。

   京劇の戦闘場面では、俳優たちは激しい打楽器の音色にあわせて、立ち回りをします。
 立ち回りの途中、ときどき打楽器の音がやみ、俳優が動きをとめ、「みえ」を切るときがあります。
 日本の歌舞伎で俳優が「みえ」を切るときは、観客はその役者の屋号などを呼びます。京劇の俳優が「みえ」を切るときは、中国の観客は「好(ハオ)!」と声をかけます。「ハオ」とは中国語で「良い」という意味です。
 舞台のうえで俳優が「みえ」を切ったとき、日本の観客のみなさんも、拍手と同時に大きな声で「ハオ」と言ってあげてください。舞台の俳優も、心のなかで嬉しく思うことでしょう。

 白蛇は二刀流の剣を使って、シカやツルの番兵と戦います。番兵の数は次第に増えてきます。

 彼女は、戦いながら、ときどきお腹を押さえる仕草をします。妊娠しているからです。

 シカやツルたちは、刀剣を使った接近戦では白蛇に勝てないので、槍(やり)を投げて攻撃することにします。
 白蛇にむかって、槍が次々と投げられます。彼女は脚で、一本、また一本と、槍を蹴り返します。
 投げられる槍の数は、次第に増加します。白蛇は、二本同時に、四本同時に、という風に手足を使って槍をはじき返しますが、次第に苦しい戦いになります。

 ちなみに、槍の材料は、しなやかなヤナギで出来ています。槍を使った立ち回りは、槍を投げるシカやツルを演ずる俳優さんの技量が重要です。


 白蛇は苦戦の末、魔法の薬草を口にくわえて、人間界にもどります(結末1)

(上演時間やキャスティングに余裕のある場合は、次のような演出をします)。


 白蛇は、多勢に無勢、戦いに負けそうになりました。
 そのとき、むやみに頭の長い老人の神さまが、山の上に登場します。
 この老人は「南極老人星」という星の神さまです。南極、といっても、南極大陸という意味ではありません。中国からみて、南の地平線ぎりぎりにかろうじて見える星、という意味です。
 西洋の天文学では、この「南極老人星」は「カノープス」と呼ばれます。
 昔の中国では、この「南極老人星」を見ると長生きできると信じられていました。

 南極老人星は、さっきからずっと戦いを見守っていて、白蛇のけなげな戦いぶりに感動しました。そして、彼女に、魔法の薬草を持っていってよい、と、許可を与えます。

 白蛇は薬草を持って、いそいで下界に飛び帰り、倒れている夫の命を救ったのでした(結末2)

(完)


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