1999.2
[手当](とうば)Dang-ma

 これからご覧いただくのは、[手当]馬(とうば。[手当]は「手ヘン」の右に「当」という字)、馬を阻止する、という女性の立ち回りのお芝居です。
 今から一千年前の宋(そう)の時代、中国の北に遼(りょう)という強大な異民族の大国があり、中国と戦っていました。
 『楊家の物語』の一節。中国の若い女武者・楊八姐(よう・はっそ)は、敵の国をスパイするという密命を帯びて、遼の国に潜入しました。楊八姐は、自分の正体がばれないよう、男性の服を着ていました。首尾よくスパイの任務を果たし終えた楊八姐は、中国に帰るため、街道を馬に乗って進み、ある宿屋にさしかかります。
 宿屋の主人は、実は焦光普(しょう・こうふ)という名前の中国人でした。彼は昔の戦争で、遼の国の捕虜となり、そのまま遼国人として暮らしていたのです。宿屋の主人は、楊八姐が国境の通行手形を持っているのを見て、その手形を奪えば自分が中国に帰れると考えました。一方、楊八姐の方も、宿屋の主人の挙動が不審なので警戒心を抱きます。
 やがて二人は、宿屋の中で壮絶な死闘を繰り広げることになります。
 男に変装した女と、外国人のふりをしている中国人の男。ふたりの手に汗にぎる死闘を、どうぞごゆっくりご覧ください。

(青年団:30-35分)

 楊八姐が馬にのって登場します。京劇では、馬のきぐるみは使わず、俳優の演技や手に持っている小道具によって馬に乗っていることを表わします。
 楊八姐は歌います。
「女だてらに男の格好をして
 夜明け前の暗い砂漠地帯を駆け抜ける
 敵国の警備の網の目をかいくぐり
 決死の情報収集に成功した」

 楊八姐は、せりふで自己紹介します。
「夕日に赤く染まった砂漠を
正体をかくしつつ一人馬に乗って旅をする
 私は、外国の男の格好をしておりますが、実は楊八姐と申す中国の女武者です。わが楊一族の長老、シャ太君の命令を受け、ひとり敵国ふかく潜入し、敵状をさぐりました。いま、任務を無事に終え、正体を隠したまま国境を越えて、南の中国に帰る途中です。私が乗っているこの白い馬も、ずいぶん疲れている様子です」


 宿屋の主人、焦光普が登場して、せりふで自己紹介します。
「私は、柳葉鎮(りゅうようちん)という田舎町の宿屋の主人です。外国語を喋る旅人を相手にする商売ですが、実は、私は中国人です。
 私の本当の名前は焦光普と言います。その昔、私は、中国一の武家の名門・楊一族の軍隊と一緒に、この外国と戦いました。しかし武運つたなく、私はこの国の捕虜となってしまいました。
 捕虜となった私は、なんとか捕虜収容所からは脱走したものの、警備のきびしい国境を越えることはできません。そこで仕方なく、この国の人間のふりをして、こうしてしがない宿屋をしております。ああ、国境を通る通行手形さえあれば、なつかしい故郷に飛んで帰るのですが」

 焦光普は「手形さえあれば帰れるのに」という内容の歌をせつせつと歌います。

 楊八姐が街道のむこうからやって来ます。彼女は、この国の若い男の軍人の格好をしています。
 焦光普は、軍人ならば国境を通過する通行手形を持っているだろう、なんとかして、通行手形をだまし取ってしまおう、と考えます。

 焦光普は楊八姐の馬を止めます。
 焦光普は楊八姐に「どうぞ、この宿屋でお休みください」と言います。

 帰り道を急ぐ楊八姐は、はじめ断わりますが、乗っている馬が疲れていることを焦光普に指摘され、休んでゆくことにします。


 楊八姐は、宿屋の主人が外国人のくせになぜか中国の絵や書物をたくさん持っていることに気付きます。

 楊八姐は「宿屋の主人は限りなく怪しい」と歌います。本当は二人とも中国人で、しかも身内どうしなのですが、互いに外国人に変装しているので、正体に気がつかないのです。

 焦光普は、中国の絵を見るよう楊八姐にすすめます。絵には、三国志の英雄・関羽をはじめ、中国の歴史上有名な人物が描いてあります。

 焦光普は楊八姐に、酒を飲むよう進めます。楊八姐は用心して断わります。

 焦光普は「外は寒いので、お酒を飲んで体を暖めた方があとで楽ですよ」と言います。
 楊八姐は酒を飲むことにします。
 焦光普は、酒の準備のため下がります。

 楊八姐は、相手の態度が妙なので、もしや自分の正体がばれたのでは、と不安になります。

 焦光普は酒を持ってきます。
 楊八姐は、万一酒に毒が仕込まれている場合の用心のため、焦光普に先に酒を飲むよううながします。

 焦光普は「あれ! 天井のはりの上で、ネコがネズミをつかまえた」とウソを言って、酒を飲んだふりをしてごまかします。

 焦光普は楊八姐に、酒をもう一杯飲むようすすめます。

 楊八姐は、この怪しい宿屋を出ることにします。

 焦光普は「まだ馬の用意ができておりません」と時間をかせぎます。

 焦光普は、楊八姐の正体が、どうやら中国の女武者であるらしい、と薄々感づきはじめます。ただし、彼女の正体が誰であるか正確な名前までは思い出せません。

 楊八姐の方は、焦光普の挙動不審な態度に、ますます疑念をつのらせます。

 焦光普は「どうか、お名前をお教えください」と楊八姐にたずねます。
 楊八姐は「まず、そちらから名前を名乗るのが筋というものだ」と言います。
 焦光普は「私の名字はショウ、あなたは、たしか、ヨウ・・・」と言いかけます。楊八姐は慌てます。

 焦光普は「あなたは、たしかにヨウくみると、暖かそうな服を着てますね」と言ってごまかします。

 焦光普は、相手が慌てた様子を見て、彼女の正体が「楊八姐」であることを確信します。

 焦光普は楊八姐にむかって「思い出したぞ、あなたは中国の楊八姐だ」と言います。

 楊八姐は、剣をふるって、焦光普に襲いかかります。

 京劇の戦闘場面では、俳優たちは激しい打楽器の音色にあわせて、立ち回りをします。
 立ち回りの途中、ときどき打楽器の音がやみ、俳優が動きをとめ、「みえ」を切るときがあります。
 京劇の俳優が「みえ」を切るときは、中国の観客は「好(ハオ)!」と声をかけます。「ハオ」とは中国語で「良い」という意味です。
 舞台のうえで俳優が「みえ」を切ったとき、日本の観客のみなさんも、拍手と同時に大きな声で「ハオ」と言ってあげてください。舞台の俳優も、心のなかで嬉しく思うことでしょう。


 焦光普は「自分たちは味方どうしだ」と言います。
 彼は自分がもともと楊一族の仲間であることを打ち明けます。そして、自分がこの国の捕虜になってから今までのいきさつを説明します。

 楊八姐も、自分の正体を打ち明けます。自分は敵国をスパイするため、この国の男に変装していたのだ、と。

 焦光普は楊八姐に「中国に帰れるあなたが羨ましい」と言います。

 楊八姐は「私は国境の通行手形を持っています。二人で一緒に中国に帰りましょう」と言います。

 しかし、この通行手形で国境を通れるのは、一人だけです。

 二人は考えた末、結局、焦光普が楊八姐の馬をひく馬ひきに変装し、一緒に国境を抜ける作戦を立てました。
 焦光普は、こうして、なつかしい中国に帰ることができました。

(完)


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