打龍袍(だりゅうほう)Da-long-pao

 これからご覧いただくのは、打龍袍、皇帝が着ている服をぶつ、というお芝居です。
 いまから一千年前の宋(そう)の時代。ことし二十歳になる皇帝は、大臣の包拯(ほう・じょう)からショッキングな事実を知らされます。皇帝を生んだ本当の母親は、二十年前の宮廷の陰謀で妃の地位を追われ、ずっと町の道ばたで目の見えない乞食になって暮らしていたのでした。
 若い皇帝のまえに、長いあいだ行方不明になっていた母親・李后(りこう)が、二十年ぶりにあらわれます。
 皇帝と母親。ふたりは二十年の空白を、埋められるでしょうか。
 それでは、二十年ぶりの親子の再会を描いた京劇、打龍袍、どうぞごゆっくりお楽しみください。

(この物語は、京劇「遇皇后」のつづきです)

 宋の仁宗(じんそう)皇帝が登場します。
 皇帝の衣装の、色と模様にご注目ください。昔の中国では、黄色は皇帝だけが許された色でした。また、ドラゴンの模様も、皇帝の衣服や家具にのみゆるされていました。昔の中国では、一般庶民が、勝手に皇帝の色である黄色の服を着たり、皇帝の模様であるドラゴンの模様を使うと、死刑になったほどです。
 皇帝は言います。
「農作物の不作のせいで、陳州(ちんしゅう)地方は飢えに苦しんでいた。余は、包拯(ほう・じょう)を地方に派遣して、飢えに苦しむ人民に食料を配給させた。おかげで飢えは解決したが、包拯はまだ出張から戻って来ない」

 総理大臣の王延齢(おう・えんれい)が登場して、皇帝に報告します。
「いましがた包拯が都に帰ってまいりました。外にひかえております」
 皇帝は、包拯を中に入れるよう命令します。


 包拯が登場します。
 まるでお面のようなお化粧をしていますが、このお化粧のことを「くまどり」と言います。
 彼の顔は真っ黒です。京劇の約束ごとでは、黒い「くまどり」は、まっすぐで善良な性格であることを表わします。
 また、彼の眉毛は大きく湾曲して、眉間(みけん)に皺(しわ)が寄っています。これは、彼がいつも世のため人のために悩んでいるからです。
 額に白い三日月が描いてあるのは、彼の超人的な能力を表わします。

 包拯は、歴史に実在した人物で、日本でいえば江戸時代の名奉行・大岡越前にあたります。京劇でもいろいろな芝居に登場します。

 包拯は、飢えに苦しむ地方の人民を救済する任務を帯びて、出張していました。
 包拯は皇帝に、地方の飢饉は無事に解決したことを報告します。


 包拯は皇帝に言います。
「今夜は祭りの夜です。陛下(へいか)も、祭りをお楽しみになられてはいかがでしょう」

 皇帝は、包拯のたくらみがあるともつゆ知らず、夜の祭りを見にきます。

 夜の祭りでは、明りをつかったパフォーマンスが行われていました。

 係の者は、皇帝にむかって、今夜の出しものを「数えうた」で説明します。
「ひとつ、ひととの出会いの巻。ふたつ、ふたりは仲良しの巻。みっつ、未来の大物の巻。・・・」

 係の者は、続けて、今夜の出しものを紹介します。
「こちらは『三国志』、そしてこちらは『王昭君』でございます。そしてこちらは『親不幸の息子が雷にうたれて死ぬ』という話でございます」

 皇帝は、係の者が「親不幸もの」の芝居を準備したことを怒ります。
 昔の中国は、儒教(じゅきょう)を奉ずる国でした。儒教では、「親不幸」は最大の罪にあたります。今夜はめでたい祭りの日なのに、わざわざ皇帝の目に入るところで「親不幸」の出しものをするのは、皇帝に対して失礼にあたるからです。

 包拯は皇帝に言います。
「所詮は芝居ではありませんか。それより、実際に親不幸な人間が、この近くにおります。こちらの方が問題であると存じます」
 皇帝は怒ります。
「わが中国において、親不幸は、孔子さまの教えに反する最大級の犯罪である。親不幸者がいたら、即刻、死刑じゃ」
 包拯は皇帝に言います。
「陛下。実は陛下こそ、中国一の親不幸者であらせられまするぞ」

 皇帝は怒って、包拯を逮捕させます。
 総理大臣は、包拯がなぜわざと皇帝を怒らせるような無礼をしたのか、理解できず、呆然とします。
 包拯には、包拯の考えがありました。

 逮捕された包拯は、皇帝にむかって歌います。
「皇帝陛下。今夜のことは、実はみな、私が仕組んだ芝居でございます。
 私は地方に出張に行ったとき、偶然にも、陛下の本当のお母上と出会いました。
陛下はご存じないと思いますが、陛下のおんははぎみは、趙州橋(ちょうしゅうきょう)のたもとで乞食をなさっていたのでございます」

 皇帝は驚きあきれ、歌います。
「そちは仕事のしすぎで、頭がおかしくなったのか。医者にみてもらえ」

 包拯は皇帝に歌います。
「真相をお知りになりたければ、陳琳(ちん・りん)をお呼びだしください」
 陳琳は、皇帝の身の回りの世話をする係の宦官(かんがん)でしたが、この二十年の間、ずっと遠ざけられていました。

 包拯は連行され、かわりに、陳琳が呼び出されます。
 皇帝は陳琳に「余が生まれた前後の状況を語れ」と命令します。

 陳琳は皇帝にむかって、今から二十年前、皇帝が生まれた前後の宮廷内で起こったある陰謀事件について、真相を語りはじめます。
「皇帝陛下の本当の生みの母親は、李后(りこう)というお妃(きさき)でいらっしゃいました。今から二十年まえ、李后は陛下をお生みになりました。
 当時、李后さまのライバルだった劉(りゅう)妃は、面白くありません。そこで劉妃は、宦官の郭槐(かく・かい)とぐるになって、赤ん坊だった陛下を、自分が用意した動物と取り替えてしまいました。その動物というのは、当時、西の外国から中国に献上された狸猫(りもう。タヌキネコ)という珍しい動物でございました。
 悪い劉妃は、この狸猫の毛皮をカミソリで剥(は)いで、こっそり赤ん坊だった陛下とすり替えました。そして『大変だ、李后さまは人間ではなく化け物をお生みになった』と言いふらしました。
 先代の皇帝陛下は、それを聞いてお怒りになり、李后さまを宮中のすみにお閉じ込めになられました。
 その後、李后さまの宮殿は、不審な火事で丸焼けになりました。李后さまのご遺体は確認できませんでしたが、おそらくお亡くなりになったものとみなされ、捜査もされませんでした。
 全てはもう、かれこれ二十年も前の事件でございます」

 皇帝は言います。「包拯は、わたしの母がまだ生きている、と言っておる」

 陳琳は言います。「もし本当の母上なら、詩の文句を書いたハンカチをお持ちのはずです」

 陳琳は、ハンカチの詩の文句を暗唱します。

 陳琳は、包拯が宮廷にいないことに気付きます。
 皇帝は「包拯は無礼を働いたので、逮捕して死刑を宣告した」と言います。

 陳琳はあわてて、包拯を許すよう皇帝に進言します。
 皇帝は、包拯の死刑をとりやめます。


 包拯が呼び出されます。皇帝は包拯にたずねます。
「そちは、余の本当の母上が生きていると言うが、その証拠はあるのか」

 包拯は皇帝に、ハンカチを見せます。

 皇帝はハンカチのうえに書いてある詩の文句を読みます。一字一句、さきほど陳琳が暗唱したのと違いはありません。
 これで、このハンカチの持ち主が皇帝の本当の母親であることが証明されました。

 皇帝は、自分の出生の秘密を知りました。
 二十年まえの悪だくみのとき、劉妃とグルになっていた宦官の郭槐(かく・かい)が呼び出されます。

 郭槐(かく・かい)は二十年まえの悪事がばれたことを知って、開きなおります。

 皇帝は、郭槐を死刑にします。

 包拯は皇帝に「お母ぎみを宮中にお迎えなさいませ」と進言します。
 皇帝は同意し、迎えの馬車を派遣します。


 皇帝の生みの母親・李后が登場して歌います。
「二十年間の乞食生活の苦労のせいで、目も見えなくなってしまった。
しかし今日、二十年ぶりに、花のみやこに馬車で帰ってきた」

 京劇では、年をとった女性を演ずる役柄を「老旦」(ラオダン)と言います。若い女性を演ずる場合とくらべて、声が一オクターブ低いこと、服装や化粧もかなり違うこと、などの点にご注意ください。

 李后は、ついこの間まで、道ばたで乞食をしていたのですが、さすがはもとお妃さまです。二十年のブランクをまったく感じさせない威厳と気品があります。

 李后は、宮中にいる大臣たちの挨拶を受けます。
 李后は「みな包拯のおかげである」と感謝します。

 皇后も、義母である李后に挨拶をします。

 李后は、長い貧乏生活の苦労から、両方の目を失明していました。
 皇帝は、中国一の医者を呼んで、李后の目を治療させることにします。

 李后は、二十年ぶりに会った息子、すなわち仁宗皇帝を、親不幸ものであると言って怒ります。
 李后は歌います。
「おまえは、知らなかったとはいえ、
二十年も生みの親をほうっておいたのです。
親不幸の罪はまぬかれません。
二十年まえ、劉妃と悪い宦官がグルとなり、
赤ちゃんだったおまえを、動物とすりかえました。
私は『人間でなく怪物を生んだ』と中傷され、
あなたの父親である先代の皇帝陛下からうとんぜられ、
宮中のすみっこに押し込められました。
劉妃と悪い宦官は、私を閉じ込めるだけではあきたらず、
宮中に放火して、私を焼き殺そうとしました。
私はからくも逃げ出して、地方の町で乞食になりました。
名乗りたくても、見つかれば殺されるおそれがありました。
名乗れないまま、二十年の歳月が流れてしまいました。
たまたま、包拯が、出張の帰りに私の町をとおりかかりました。
私は乞食の身なりでしたが、包拯は私の言葉を信じてくれました。
もしも、偶然の幸運がかさならなかったならば、
私はあのまま、野たれ死にしていたところです」

 皇后は、包拯に命令します。
「この親不幸者に、私にかわって、お仕置きをしてください」
 昔の中国では、親不幸の子供は、親がムチや棒で罰を与えるのが習わしでした。

 包拯は困ります。大臣が皇帝に体罰を与えるなど、前代未聞です。

 包拯は、皇帝の体をぶつかわりに、皇帝の着物をぶつことを提案します。

 李后は、包拯の機転をほめます。

 李后は息子に、みなの者に褒美をあたえよ、と命令します。
 昔の中国は、「親孝行」を何より重視した国でした。中国では、皇帝の親は、皇帝より偉かったのです。

 こうして、二十年間乞食をしていた李后は、今夜、奇蹟のカムパックを遂げたのでした。

(完)


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