赤桑鎮(せきそうちん)Chi-sang-zhen

 これからご覧いただくのは、赤桑鎮、赤いクワの木の村、という名前の芝居です。
 主な登場人物はたったふたり。この二人の登場人物が、歌による対話を通して、互いの心の溝をうめていく、という芝居です。
 京劇の芝居は大きく二つにわけて、うた中心の文戯(ぶんぎ)と、立ち回り中心の「武戯」の二つに分かれます。この赤桑鎮は、うた中心の文戯に属します。
 舞台は今から一千年ほど前の中国。主人公は、年をとった老婦人です。彼女の夫は早くなくなり、いま彼女に残された身よりは、たったひとりの息子だけでした。
 ところが、彼女のもとに、信じられないような悲しい知らせが届きます。彼女のひとり息子は役人でしたが、賄賂をとった罪で死刑になった、というのです。しかも、その死刑判決をくだした裁判官は、彼女の義理の弟であり、死刑になった息子のおじさんでもある包拯(ほう・じょう)でした。
 包拯は、歴史に実在した人物で、日本でいえば江戸時代の大岡越前にあたります。京劇でも、いろいろな芝居に登場する人気キャラクターです。
 包拯は、老婦人のもとにやって来て、みずからの手で死刑判決をくださざるをえなかった苦渋の事情を説明します。
 ひとり息子が死刑になって、悲しみにくれる老婦人。その死刑判決をくださざるをえなかった正義の裁判官。ふたりの心のゆれうごきを、京劇の歌で表わした名作です。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください。

 舞台に役人が登場します。
「わたしの名前は王朝(ワン・チャオ)。わが上司・包拯さまは、ご自分の甥ごさまを、首切りの刑に処せられた。わたしはこれから包拯さまの手紙をもって、甥ごさまの母上のもとに、ご報告に参る」
 この役人は、手に鞭をもっています。これは、彼が歩いているのではなく、馬にのっているのだ、ということを示します。みなさんの想像力で、馬のイメージをおぎなってみてください。


 主人公の老婦人が登場します。
「もう人生も残り少ないが、いまはとても幸せです。夫には早く死なれたものの、ひとり息子は親孝行をしてくれる。わたしのひとり息子は、もと、地方の役人でした。しかし、どういう理由かは聞いてませんが、役人の職をやめさせられ、ふるさとのこの家に帰ってきておりました。亡き夫には弟がいて、いまは都の高い官職についております。義弟が公務で地方に出てきたという知らせを聞き、わたしは息子を、義弟のところに挨拶に行かせました。いまごろは、おじとおい、二人でなつかしい親戚の対面をしていることでしょう」

 そのとき、手紙をもった役人が、老婦人の屋敷に到着します。

 役人は、自分の上司の義理の姉に対して、まず型通りの挨拶をします。

 老婦人はまだ、自分の息子が死刑になったことを知りません。
 役人は、なんとか相手の老婦人にショックをあたえないよう、苦慮しています。

 老婦人は、渡された手紙を読んで絶句します。
 手紙は、息子のおじ、つまり、老婦人の義理の弟からのものでした。その内容は、老婦人の息子が、地方の役人となっていたのに、賄賂(わいろ)をとって悪い政治を行い、人民を苦しめたので、首切りの刑にした、と書いてありました。

 老婦人は車を用意させ、すぐさま義弟に会いに行くことにします。


 場面は変わって、包拯が登場します。
 包拯が頭にかぶっているのは、官僚のかんむりです。また、彼の顔はまっくろで、おでこに三日月が描いてあります。こういうお化粧を「くまどり」と言います。顔が黒いのは、性格が地味でまっすぐであることを表わす京劇の約束ごとです。おでこに三日月が描いてあるのは、普通の人間を超えたすぐれた能力を持っていることを表わします。歴史に実在した包拯が、そのような顔をしていた訳ではありません。

 包拯は歌います。
「無念のきわみ。わが愚かなるおいは、役人となり、賄賂をとって不正をおこなった。
わたしは国家の法律に照らして、おいを死刑にした。
姉上は、それを知ったら、どんなに悲しむことであろうか」

 老婦人が包拯のところにやってきました。

 彼女は歌います。
「このひとでなしめ!
わたしは息子をおまえのところに挨拶に行かせたのに
それを死刑にしてしまうとは。
あの子の命を還しておくれ」

 包拯は歌います。
「姉上。あの子は、地方の役人になったとき、賄賂をとって法をねじまげ、悪い政治を行い民を苦しめました。
親戚といえども、法律どおり死刑にせざるをえなかったのです」
 彼女は歌います。
「おまえは、権力のある高級官僚なのだから、手加減くらい簡単にできたろうに。
おまえは兄の子を殺したのだ。
これで兄の家はあとつぎが絶えてしまった。
わたしたちが、おまえに何をした。
子供のころ、おまえの母親がわりにおまえの面倒をみたのは、この私ではないか。
おまえが受験勉強して、国家公務員の上級試験に合格して、今やりっぱな裁判官になれたのも、いったい誰のおかげなのか。
それなのに、血のつながったあの子を死刑にしてしまうとは」

 包拯は歌います。
「たしかに血は水よりも濃いですが、
公私混同はいけません。
法律の前では万人が平等、
罰を受けるのに例外があってはならないのです」

 包拯は京劇の歌で、言葉を尽くして兄よめの理解をもとめます。
「ねえさん。子供だった私を親がわりに育ててくれたのは、ねえさんです。
そのご恩は、今も決して忘れてはおりません。
しかし、私は国家の法律を守る裁判官です。
わたしが子供のとき、ねえさんが教えてくれました。
歴史に名を残した偉大な政治家たちのこと。
滅私奉公、自分のことを犠牲にしても、みんなのために頑張った人々のこと。
ねえさんが、子供のわたしに教えてくれたのです。
そして私は、ねえさんに教えられた理想を目標にがんばり、裁判官になりました。
被告が自分のおいだからといって、特別あつかいはできません。
そんなことをしたら、子供のとき、ねえさんから教わった政治の理想をねじまげることになります」

 包拯の歌を聞いて、老婦人の心も次第に開いてきます。
「たしかに、弟の言いぶんにも一理ある。
大義、親(しん)を滅(めっ)す。公平さこそ、政治の正義。
悪いのは、わたしの息子なのだから、
死刑になっても当然だった。
ならば、私は自殺しよう。
たったひとりの息子を失って、生きていても仕方がない」

 老婦人は自殺をはかり、自分の頭を固い壁に打ちつけようとします。近くの役人が、あわててとめます。

 老婦人は、死刑になった息子を思って泣きつづけます。

 包拯は、自分が、死刑にしたおいの代わりに老婦人の面倒を見ることを誓います。

 老婦人は包拯を許します。包拯は、これからまた、あらたな任務のため遠い地方に出張に行きます。その任務とは、飢えで苦しむ地方の人々に公平に食料を分配する、という重要なものでした。
 老婦人は、もう私のことなど気にかけず任務に専念してほしい、と、包拯を激励します。

 包拯は老婦人に深く礼をいい、新しい任務にむかいます。

(完)


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