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  朝日カルチャーセンター・千葉教室
担当 加藤 徹
平成27年(2015)1月23日金曜日=旧暦十二月四日
  二十四節気の日付(新暦)。「大寒」は1月20日。

 
立春 2月4日 雨水 2月19日 啓蟄 3月6日
春分 3月21日 清明 4月5日 穀雨 4月20日
   ※旧暦の元日は、今年は2月19日(木)。今年はたまたま「雨水」と重なる。
 
 
  人日立春
唐・羅隠(833〜909)
一二三四五六七   一 二 三 四 五 六 七
万木生芽是今日   万木 芽を生ずるは 是れ 今日
遠天帰雁払雲飛   遠天の帰雁 雲を払ひて飛び
近水遊魚迸氷出   近水の遊魚 氷より迸りて出づ
 
【読み方】ジンジツ、リッシュン。トウ、ライン。イチニサンシゴロクシチ / バンボク メをショウずるは コれ コンニチ / エンテンのキガン クモをハラいてトび / キンスイのユウギョ コオリよりホトバシりてイず
【注】西暦868年の作。この年はたまたま、正月七日(一月七日)が「立春」にあたっていた。★人日=正月七日の異称。正月一日は鶏、二日は犬、三日は羊、四日は豚、五日は牛、六日は馬、七日は人、八日は穀物にあて、それぞれの日の気象を見てその年の運勢を占う習慣があった。★遠天帰雁=唐の宣明暦(せんみりょうれき)の七十二候「鴻雁来」(雨水の次候)と符合。★近水遊魚迸氷出=七十二候の「魚上氷」(立春の末候)と符合。
【参考・中国語による発音】Rénrì lìch?nTáng, Luó Y?n. y? èr s?n sì w? liù q? / wàn mù sh?ng yá shì j?n rì / yu?n ti?n gu? yàn fú yún f?i / jìn shu? yóu yú bèng b?ng ch?.
 
 
 
  寄濃州僧
武田信玄(1521〜1573)
気似岐陽九月寒   気は似たり 岐陽 九月の寒きに
三冬六出灑朱欄   三冬六出 朱欄に灑ぐ
多情尚遇風流客   多情 尚ほ風流の客に遇ひ
共対士峰吟雪看   共に士峰に対して雪に吟じて看ん
 
【読み方】ノウシュウのソウにヨす。タケダシンゲン。キはニたり キヨウ クガツのサムきに / サントウ リクシュツ シュランにソソぐ / タジョウ ナお フウリュウのキャクにアい / トモにシホウにタイして ユキにギンじてミん。
【注】★濃州=美濃国、今の岐阜県。★岐陽=岐阜の異称。ちなみに「岐阜」という地名は、織田信長が、尾張の政秀寺の禅僧・沢彦宗恩(たくげんそうおん)が進言した「岐山・岐陽・岐阜」の三つの候補から選んだもの。★三冬=初冬・仲冬・晩冬 ★六出=六弁の花に似た雪のこと。「六花」「六出花」とも。★朱欄=やしきの豪華な欄干 ★多情=ここでは「多情な詩人である私(信玄)」の意。★士峰=富士山
 
 
 
  朝鮮之役、載一梅帰、栽之後園、詩以記
伊達政宗(1567〜1636)
絶海行軍帰国日   絶海 行軍して 帰国する日
鉄衣袖裏裹芳芽   鉄衣の袖の裏 芳芽を裹む
風流千古余清操   風流 千古 清操を余す
幾歳閑看異域花   幾歳か 閑かに看る 異域の花
 
【読み方】チョウセンのエキ、イチバイをノせてカエり、コレをコウエンにウえ、シ、モッてシルす。ダテ マサムネ。ゼッカイ コウグンして キコクするヒ / テツイのソデのウチ ホウガをツツむ / フウリュウ センコ セイソウをアマす / イクサイか シズかにミる イイキのハナ。
【注】今も瑞巌寺(宮城県宮城郡松島町)に残る「臥龍梅」を詠んだ漢詩。この梅の木は、伊達政宗が、かぶとを植木鉢の代わりにして、朝鮮から苗木を持ち帰ったものとも伝えられている。★絶海=陸地から遠く離れた海 ★鉄衣=鎧を指す。★風流千古=四字熟語。風雅の趣が悠久の歳月にわたり受け継がれる。★清操=清らかで凜とした品格
 
 
 
  小田村士毅、家に帰れるを聞き之を寄す
吉田松陰(1830〜1859)
世事全追雲雨更   世事 全て 雲雨を追ひて更まる
身蹤何恠万枯栄   身蹤 何ぞ恠しまん 万 枯栄あるを
想君伸尽千程脚   想ふ 君 千程の脚を伸べ尽し
笑向妻児説旅情   笑ひて妻児に向ひて旅情を説くならん
 
【読み方】オダムラシキ、イエにカエれるをキき、コレをヨす。ヨシダショウイン。セジ スベてウンウをオいてアラタまる / シンショウ ナンぞアヤしまん ミナ コエイあるを / オモう キミ センテイのアシをノべツクし / ワラいて サイジにムカいて リョジョウをトくならん
【注】★小田村士毅=小田村伊之助=楫取素彦(かとり もとひこ 1829〜1912)。吉田松陰の妹の夫。小田村は最初、松陰の妹・寿と結婚して子をなし、寿の死後、未亡人だった松陰のもう一人の妹・文と結婚した。平成27年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」では、小田村を俳優の大沢たかお氏が演じる。この七言絶句は、安政二年(1855)四月、江戸から小田村伊之助が長州に帰還して明倫館舎長書記兼講師見習となった時に、吉田松陰が贈った七言絶句。「松陰詩稿」乙卯逸稿(安政二年) 、『吉田松陰全集』第六巻。★蹤=足あと ★枯栄=栄枯盛衰 ★妻児=妻と子供。ここでは、小田村の当時の妻で吉田松蔭の妹・寿(ひさ)と、寿が生んだ子(篤太郎)。寿は、大河ドラマでは優香さんが演じる。★恠=怪
 
 
 
  失題
久坂玄瑞(1840〜1864)
皇国威名海外鳴   皇国の威名 海外に鳴る   
誰甘烏帽犬羊盟   誰か甘んぜん 烏帽 犬羊の盟
廟堂願賜尚方剣   廟堂 願はくは賜へ 尚方の剣
直斬将軍答聖明   直ちに将軍を斬りて 聖明に答へん
 
【読み方】シツダイ。クサカゲンズイ。コウコクのイメイ カイガイにナる / タレかアマんぜん ウボウ ケンヨウのメイ / ビョウドウ ネガわくわタマえ ショウホウのケン / タダちにショウグンをキりて セイメイにコタえん
【注】★失題=もともとは題があったが失われて伝わっていない、という意味。「佚題(いつだい)」や「逸題」と同じ。作者が諸般の事情を考慮して、わざと「失題」とする場合もある。そもそも漢詩に「題」は必須ではないので、漢詩の作者が最初から題をつけぬ場合も多い(その場合は「無題」)。★久坂玄瑞=吉田松陰の妹・文(ふみ)の最初の夫。身長六尺の美男子で秀才。尊皇攘夷の志士。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」では東出昌大(ひがしでまさひろ)さんが演ずる。★皇国=中国の漢文では「古代の三皇が統治した国(およびその時代)」。日本では平安時代以来「すめらみくに」の漢語的表現。★烏帽=中国の漢文では「烏紗帽」を指す。ここでは、日本の烏帽子(えぼし)をかぶった幕府の閣僚を指す。★犬羊=ここでは外敵の蔑称。「犬羊の盟」は、幕府が米国とのあいだに結んだ「日米和親条約」(1854)と「日米修好通商条約」(1858)を指す。★廟堂=祖先の霊を祭るみたまや。ここでは京都の朝廷を指す。★尚方の剣=前漢の成帝のときの忠臣・朱雲の「折檻(せっかん)」の故事をふまえる。「尚方」は、漢王朝の宮廷機関の一つで、天子が使う器物を製作する工官。朱雲は、大臣たちの前で、成帝に向かい「今、朝廷の大臣たちは、上は主をいさめず、下は民を助けず、ただの給料泥棒です。願わくば臣に尚方の斬馬剣を賜りますよう。佞臣のうち一人を斬り、残りの大臣たちの目を覚まさせます」云々と直訴し、成帝の逆鱗(げきりん)に触れた。役人たちは朱雲を連行しようとしたが、朱雲は宮殿の欄干にしがみつき、意地でも退出せず、とうとう欄干の木がポキリと折れた(折檻)。朱雲は、左将軍の辛慶忌の必死の取りなしにより、死刑を免れた。後に欄干を修理する際、成帝は、新品と交換させず「折れた木ををつなぎ合わせて直せ。これは直臣の勲章だ」と命令した。★聖明=聡明で徳のある天子。ここでは孝明天皇を指す。
  小田村外姪阿篤、初めて重五に値へるを賀す
吉田松陰(1830〜1859)
旌旗翻風気象雄    旌旗 風に翻り 気象 雄なり
仮兵塑馬又小弓   仮兵 塑馬 又 小弓
邦俗重五賀生児   邦俗 重五に生児を賀す
古風存得一堂中   古風 存し得たり 一堂の中
不倣江南試児術   倣はず 江南 児を試むるの術
漫陳弓矢与紙筆   漫りに弓矢と紙筆とを陳ぬるを
不倣荊楚弔屈平   倣はず 荊楚 屈平を弔ひ
飯?投処分流?   飯? 投ずる処 分流 ?なるを
外姪弄璋二十旬   外姪 璋を弄して二十旬
採艾今日値佳辰   艾を採りて今日 佳辰に値ふ
癡叔不癡又不死   癡叔 癡ならず 又 死せず
詩句偏逐榴花新   詩句 偏に 榴花の新たなるを逐ふ
期汝播穫紹父祖   期すらくは 汝が播穫 父祖に紹ぎ
縦観古典却戎虜   古典を縦観して戎虜を却けんことを
天家遺策至今伝   天家の遺策 今に至るまで伝はる
好斬夷酋復上古   好し 夷酋を斬りて上古に復せよ









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【読み方】オダムラ ガイテツ アトク、ハジめてジュウゴにアえるをガす。ヨシダ ショウイン。1セイキ カゼにヒルガエり キショウ ユウなり/2カヘイ ソバ マタ ショウキュウ/3ホウゾク ジュウゴにセイジをガす/4コフウ ソンしエたり イチドウのウチ/5ナラわず コウナン コをココロむるのジュツ/6ミダりにユミヤとシヒツとをツラぬるを/7ナラわず ケイソ クッペイをトムラい/8ハントウ トウずるトコロ ブンリュウ イツなるを/9ガイテツ タマをロウしてニジュウジュン/10ヨモギをトりてコンニチ カシンにアう/11チシュク チならず マタ シせず/12シク ヒトエに リュウカのアラたなるをオう/13キすらくは ナンジがハカク フソにツぎ/14コテンをジュウカンしてジュウリョをシリゾけんことを/15テンケのイサク イマにイタるまでツタはる/16ヨし イシュウをキりてショウコにフクせよ
【注】吉田松陰が、妹の子供のために作った漢詩。★小田村外姪阿篤=吉田松陰の「外姪」(姉妹のおいっこ)にあたる篤太郎のこと。「阿篤」は「篤ちゃん」の漢語的表現。★重五=旧暦五月五日の、端午の節句。★仮兵=ニセモノの兵隊、ここでは武者人形を指す。★邦俗=わが国(日本国)の習俗。後述の中国「江南」地方・「荊楚」地方の端午の節句の習俗と対比して、日本の端午の節句が武士的・男性的であることを、松陰は誇っている。★試児術=乳児の前にいくつか品物を並べ、どれに興味をもつかを観察することで、その子の将来を占うという習俗を指す。★飯?=飯筒。中国南方の習俗で、端午の節句には、入水自殺した屈原の霊を慰めるため川の中に飯の筒を投げ込んだ。一説に粽(ちまき)の起源とも関連すると言う。★二十旬=二百日間。篤太郎は生後約二百日だった。★癡=痴。痴叔は「バカなおじさん」で、ここでは松陰みずからを指す。★戎虜=西洋人を蔑んだ言い方。★天家=日本の朝廷。★夷酋=野蛮人の酋長。ここでは西洋人を指す。