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 朝日カルチャーセンター千葉教室
平成二十五年四月二十六日(金) 講師 加藤 徹






 
 四月五日
 四月二十日
☆四月二十六日
 五月五日
 五月十二日
 六月十一日
 六月十三日
旧暦二月二十五日
旧暦三月十一日
旧暦三月十七日
旧暦三月二十六日

旧暦五月三日
旧暦五月五日
清明(二十四節気)
穀雨(二十四節気)
(今日の講義の日)
立夏(二十四節気)
母の日(毎年五月の第二日曜日)
入梅(雑節)
端午(五節句)
 
七十二候(日本の神宮暦) ・・・、清明(玄鳥至、鴻雁北、虹始見)、穀雨(葭始生、霜止出苗、
             牡丹華)、立夏(蛙始鳴、蚯蚓出、竹笋生)、・・・・
 
五節句  人日(一月七日)、上巳(三月三日)、端午(五月五日)、七夕(七月七日)、
     重陽(九月九日)
 
端午の節句・・・楚の屈原(前三四三?〜前二七八?)が憂国のあまり、湘江(しょうこう)の  支流である汨羅(べきら。現在の湖南省北東部)で入水自殺した命日(旧暦五月五日)  を記念する行事が行われる。
参考「昭和維新の歌」 汨羅の淵に波さわぎ、巫山の雲は乱れ飛ぶ。混濁の世に我れ立て   ば、義憤に燃えて血潮沸く。・・・・・・
 
   滄浪之水
無名氏(前三世紀)
 
滄浪之水清兮     滄浪の水 清まば
可以濯吾纓       以て吾が纓を濯ふべし
滄浪之水濁兮     滄浪の水 濁らば
可以濯吾足       以て吾が足を濯ふべし
 
  そうろうのみず すまば もって わがえいを あらうべし
  そうろうのみず にごらば もって わがあしを あらうべし
【大意】
 滄浪の川の水がきれいに澄んだら、私の冠のひもを洗えばいい。滄浪の川の水が濁ったら、私の足を洗えばいい。(世間は移ろいやすいから、自分も清濁をあわせのんで、臨機応変の生き方をする。『楚辞』漁父で、無名の漁師が、屈原にむかって歌った詩)
  端午
一休宗純(一三九四〜一四八一)
 
千古屈平情豈休   千古 屈平 情 豈に休まんや
衆人此日酔悠悠   衆人 此の日酔ふこと悠悠たり
忠言逆耳誰能会  忠言 耳に逆らふ 誰か能く会せんや
只有湘江解順流   只だ湘江の順流を解する有るのみ
 
せんこ くっぺい じょう あに やまんや
しゅうじん この ひ えうこと ゆうゆうたり
ちゅうげん みみにさからう たれか よく かいせんや
ただ しょうこうの じゅんりゅうを かいする あるのみ
【大意】
 大昔の屈平(姓は屈、名は原、字は平)の鬱屈した情は、どうして休まることがあろうか。今も休まるはずはない。それなのに、世の人々は、彼の命日である端午の節句に、お祝い気分でぼんやりと酔いしれる。屈平の悲劇「忠言、耳に逆らう」の意味を、本当に理会できる人は、誰もいまい。今も残っているのは、彼の命を飲み込んで流れ続ける湘江の川だけだ。
(一休も屈原と同様、世人から理解されなかった)
 
 
  遊芳野    芳野に遊ぶ
藤井竹外(一八〇七〜一八六六)
 
古陵松柏吼天飆   古陵の松柏 天飆に吼ゆ
山寺尋春春寂寥   山寺 春を尋ぬれば 春は寂寥たり
眉雪老僧時輟帚   眉雪の老僧 時に帚くを輟め
落花深処説南朝   落花 深き処 南朝を説く
 
  こりょうの しょうはく てんぴょうに ほゆ
  さんじ はるを たずぬれば はるは せきりょうたり
  びせつの ろうそう ときに はくを やめ
  らっか ふかき ところ なんちょうを とく
【大意】
 昔の御陵に植えられている松柏の木々が、天から吹く強い風に吼えた。山寺に春の気配を探ると、春はものさびしい。雪のように白い眉の老僧が、ほうきの手を休め、桜の花が散りしきる中、南朝の物語を語ってくれた。
(この漢詩は、いわゆる「芳野三絶」の一つ)
 
 
   富士山
石川丈山(一五八三〜一六七二)
 
仙客来遊雲外巓    仙客 来たり遊ぶ 雲外の巓
神龍栖老洞中淵    神龍 栖み老ゆ 洞中の淵
雪如?素煙如柄    雪は?素の如く 煙は柄の如し
白扇倒懸東海天    白扇 倒まに懸る 東海の天
 
  せんかく きたりあそぶ うんがいの いただき
  しんりゅう すみおゆ どうちゅうの ふち
  ゆきは がんそのごとく けむりは へいのごとし
  びゃくせん さかしまに かかる とうかいの てん
【大意】
 雲の上につきでた頂上には、仙人が遊びに来る。山腹の洞窟の奥には、年を経た神龍が棲んでいる。山の雪は無垢な白絹のようで、立ち上る噴煙は扇の枝のようだ。まるで、巨大な白い扇が、東の海の空から逆さまに垂れさがっているようだ。
 
 
   後夜聞仏法僧鳥    後夜 仏法僧鳥を聞く
空海(七七四〜八三五)
 
閑林独坐草堂暁  閑林 独坐す 草堂の暁
三宝之声聞一鳥  三宝の声は 一鳥に聞く
一鳥有声人有心  一鳥 声有り 人 心有り
声心雲水倶了了  声心 雲水 倶に了了
 
  かんりん どくざす そうどうの あかつき
  さんぽうの こえは いっちょうに きく
  いっちょう こえあり ひと こころあり
  せいしん うんすい ともに りょうりょう
【大意】
 夜明け前、静かな森の中の、質素な建物の中。ひとり坐っていると、どこかでブッポウソウという鳥が「仏、宝、僧」と鳴く声が聞こえてきた。鳥の自然の声と、人間の心の共鳴。その瞬間、「行雲流水」の無我の境地が、はっきりとわかった。
(ブッポウソウは水辺の森に棲む渡り鳥。実際にブッポウソウと鳴くのはコノハズクで、ブッポウソウという鳥ではないが、この事実がわかったのは一九三五年である)
 
 
 毎年、五月の第二日曜は「母の日」。日本、中国、アメリカなどの母の日は同じ日。
 
   謝人贈魚     人の魚を贈るに謝す
原采蘋(一七九八〜一八五九)
 
千里省親帰草廬   千里 親を省みて草廬に帰る
山中供養只菜蔬   山中 供養するは 只 菜蔬のみ
謝君情意深於海   謝す 君の情意は海よりも深し
忽使寒厨食有魚   忽ち寒厨をして食に魚有らしむ
 
  せんり おやを かえりみて そうろに かえる
  さんちゅう きょうようするは ただ さいそ のみ
  しゃす きみの じょういは うみよりも ふかし
  たちまち かんちゅうをして しょくに うお あらしむ
【大意】
 千里の旅に出ていた私は、老いた親の面倒を見るため、田舎の実家に戻りました。なにぶん、山の中なので、親にささげる食事は、野菜だけでした。魚をお贈りくださり、ありがとうございます。海よりも深いご厚意に感謝します。おかげさまで、わが家の貧しい台所のメニューに、魚が加わりました。
(作者は女流漢詩人。男装して各地を旅した破天荒な女性だったが、老母を養うため故郷に戻り、私塾を開いた。)
 
 
   送母路上短歌   母を送る路上の短歌
頼山陽(一七八〇〜一八三二)
 
東風迎母来      東風に母を迎えて来たり
北風送母還      北風に母を送りて還る
来時芳菲路      来たる時は芳菲の路
忽為霜雪寒      忽ち霜雪の寒と為る
聞鶏即裹足      鶏を聞きて即ち足を裹み
侍輿足槃跚      輿に侍して足 槃跚たり
不言児足疲      児の足の疲るるを言わず
唯計母輿安      唯 母の輿の安らかならんことを計る
献母一杯児亦飲   母に一杯を献じて 児も亦た飲む
初陽満店霜已乾   初陽 店に満ちて 霜 已に乾く
五十児有七十母   五十の児に七十の母有り
此福人間得応難   此の福 人間に得ること応に難かるべし
南去北来人如織   南去北来 人 織るが如し
誰人如我児母歓   誰が人か 我が児母の歓びに如かんや
 
とうふうに ははをむかえて きたり/ほくふうに ははをおくりて かえる/きたるときは ほうひの みち/たちまち そうせつの かんと なる/にわとりを ききて すなわち あしを つつみ/こしに じして あし ばんさんたり/じの あしのつかるるを いわず/ただ ははの こしの やすらかならんことを はかる/ははに いっぱいを けんじて じも また のむ/しょよう みせにみちて しも すでにかわく/ごじゅうの じに しちじゅうの はは あり/この ふく じんかんに うること まさに かたかるべし/なんきょ ほくらい ひと おるが ごとし/たがひとか わが じぼの よろこびに しかんや
【大意】
 春風の中、母を京都に迎えた。今、冬の北風の中、母を広島まで送ってゆく。来たときの道には、春の草花が萌えていた。今はもう、霜と雪で寒い。早朝の鶏の声を聴いて、すぐ旅の足ごしらえをする。私もいい年齢だ。母の乗った籠についてゆくだけで、足はふらふらだ。でも、自分の足なんか、どうでもいい。母の籠が快適なら、それでいい。旅籠(はたご)で母に一献(いっこん)。自分もつきあって飲む。日の出の暖かさで、冬の霜も乾く。五十歳の息子に、七十歳の母がいる。こんな幸せは、きっと世間でも得がたいだろう。街道の人々は、まるで機織りの糸のように、めまぐるしく行き来する。この多くの人々のなかで、ぼくら親子ほど幸せな人は、誰もいないだろう。