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日本人の漢詩 いくつかの作品についてのメモ
加藤 徹 2013・4・20
【作者】【タイトル】【原漢文】【書き下し】【読み方】【大意】
 
【作者】空海(七七四〜八三五)
【タイトル】後夜聞仏法僧鳥
後夜仏法僧鳥を聞く
【原文】
閑林独坐草堂暁
三宝之声聞一鳥
一鳥有声人有心
声心雲水倶了了
【書き下し】
閑林独坐す 草堂の暁
三宝之声は 一鳥に聞く
一鳥声有り 人心有り
声心雲水 倶に了了
【読み方】
かんりんどくざす そうどうのあかつき
さんぽうのこえは いっちょうにきく
いっちょうこえあり ひとこころあり
せいしんうんすい ともにりょうりょう
【大意】あけがた、ブッポウソウの鳴き声を聞く
 夜明け前、静かな森の中の、質素な建物の中。ひとり坐っていると、どこかでブッポウソウという鳥が「仏、宝、僧」と鳴く声が聞こえてきた。鳥の自然の声と、人間の心の共鳴。その瞬間、「行雲流水」の無我の境地が、はっきりとわかった。
 
 
【作者】嵯峨天皇(七八六〜八四二)
【タイトル】山夜
【原漢文】
移居今夜薜蘿眠
夢裏山鶏報暁天
不覚雲来衣暗湿
即知家近深渓辺
【書き下し】
居を移して今夜 薜蘿に眠る
夢裏の山鶏 暁天を報ず
覚えず雲来たって衣 暗に湿う
即ち知る家は深渓の辺に近きを
【読み方】
きょをうつしてこんや へいらにねむる
むりのさんけい ぎょうてんをほうず
おぼえず くもきたって ころも あんにうるおう
すなわちしる いえは しんけいのほとりにちかきを
【大意】
 今夜、宮中から出た私は、草木や苔が生い茂る森の中に泊まっている。夢の中で、山鳥が鳴いた。もう、夜空は開け始めている。おや? 気づかぬうちに、私の服が、しめっているではないか。なるほど、私のいるこの山荘は、霧深い谷の近くにあるのだな。
 
 
【作者】菅原道真(八四五〜九〇三)
【タイトル】秋思
【原漢文】
丞相度年幾楽思
今宵触物自然悲
声寒絡緯風吹処
葉落梧桐雨打時
君富春秋臣漸老
恩無涯岸報猶遅
不知此意何安慰
飲酒聴琴又詠詩
【書き下し】
丞相 年を度りて幾度か楽思す
今宵 物に触れて自然に悲し
声は寒し絡緯 風吹くの処
葉は落つ梧桐 雨打つの時
君春秋に富み 臣漸く老ゆ
恩に涯岸無く 報ゆること猶お遅し
知らず 此の意 何くにか安慰せん
酒を飲み琴を聴き 又詩を詠ず
【読み方】
じょうしょう としをわたりて いくたびからくしす
こんしょう ものにふりて しぜんにかなし
こえはさむし らくい かぜふくのところ
ははおつ ごとう あめうつのとき
きみ しゅんじゅうにとみ しん ようやくおゆ
おんにがいがんなく むくゆること なお おそし
しらず このい いずくにかあんいせん
さけをのみ きんをきき また しをえいず
【大意】
右大臣をつとめる私は、多年にわたり、楽しい思いをさせていただきました。しかしながら今宵は、秋の風物に触れて、なぜか自然と悲しい思いになります。秋風の中で、虫の声も寒々と聞こえます。桐の葉も、秋雨に打たれて落ちて行きます。陛下はまだお若くいらっしゃいますが、私めはだんだん老いて参りました。陛下から受けたご恩は限りないのに、私のご恩返しの奉公は遅々として進みませぬ。さて、この私のもどかしい思いを、どのように慰めたら良いものでございましょう。今宵の清涼殿での会では、私めは酒を飲み、琴を聴き、下手な漢詩を詠むばかりでございます。
 
【作者】菅原道真
【タイトル】九月十日
【原漢文】
去年今夜待清涼
秋思詩篇独断腸
恩賜御衣今在此
捧持毎日拝余香
【書き下し】
去年の今夜 清涼に待す
秋思の詩篇 独り断腸
恩賜の御衣は今此に在り
捧持して 毎日余香を拝す
【読み方】
きょねんのこんや せいりょうにじす
しゅうしのしへん ひとりだんちょう
おんしのぎょいは いま ここにあり
ぼうじして まいにち よこうをはいす
【大意】
 ちょうど一年前の今夜でした。私は、清涼殿の漢詩の会に参加しました。そのとき、なぜか私が詠んだ「秋思」の漢詩だけが、悲しい内容でした。思えば、私は気づかぬうちに、今日の自分の悲運を予感していたのかもしれません。あの夜、漢詩の褒美の品として帝からいただいた御衣は、今もここ(太宰府)にございます。毎日、ささげもち、余香をなつかしく拝しております。
 
 
【作者】菅原道真
【タイトル】不出門
 門を出でず (もんをいでず)
【原漢文】
一従謫落在柴荊
万死兢兢跼蹐情
都府楼讒看瓦色
観音寺只聴鐘声
中懐好逐孤雲去
外物相逢満月迎
此地雖身無検繋
何為寸歩出門行
【書き下し】
一たび謫落して柴荊に在りて従り
万死兢兢たり 跼蹟の情
都府楼は纔かに 瓦色を看
観音寺は只 鐘声を聴く
中懐は好し 孤雲を逐うて去り
外物相逢うて満月迎う
此の地身に 検繋無しと雖も
何為れぞ寸歩も門を出でて行かん
【読み方】
ひとたびたくらくして さいけいにありてより
ばんしきょうきょうたり きょくせきのじょう
とふろうはわずかに がしょくをみ
かんのんじはただ しょうせいをきく
ちゅうかいはよし こうんをおうてさり
がいぶつあいおうて まんげつむこう
このちみに けんけいなしといえども
なんすれぞすんぽも もんをいでてゆかん
【大意】
 一たび太宰府に左遷され、質素な官舎に住むようになってから、万死に当たる罪を反省し、戦々兢々の思いで謹慎の日々を過ごしております。毎日、こもりきりの生活を送り、近くの都府楼も遠くから瓦の色を見るばかりです。観音寺にも行かず、ただ鐘の音を聴くだけです。蟄居の生活の中で、空の孤独な雲をながめると、遠い京の都を思う気持ちが、どうしてもつのります。人間との面会は自粛しておりますが、そんな私のところにも、満月などの風物は訪問してくれます。私は、体を縄や鎖で縛られてはおりません。しかし、ひたすら反省の日々を送る私は、一寸たりとも門を出ぬ所存です。
 
 
【作者】 絶海中津(一三三六〜一四〇五)
【タイトル】応制賦三山
 制に応じて三山を賦す
【原漢文】
熊野峰前徐福祠
満山薬草雨余肥
只今海上波濤穏
万里好風須早歸
【書き下し】
熊野 峰前 徐福の祠
満山の薬草  雨余に 肥ゆ
只今 海上  波濤穏やかなり
万里の好風 須らく 早く歸るべし
【読み方】
くまの ほうぜん じょふくのし
まんざんのやくそう うよに こゆ
ただいま かいじょう はとう おだやかなり
ばんりのこうふう すべからく はやくかえるべし
【大意】
(この詩は、明王朝の初代皇帝・洪武帝と日本の僧・絶海が漢詩を作りあって交換したとき、絶海が詠んだ作品)
 その昔、秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて、徐福を、東の海にある伝説の島に送りました。徐福はそれきり中国に戻らず、行方不明になりました。実は、わが国の熊野の山の前に、徐福をまつるほこらがあります。熊野の山には、薬草が、豊かな雨のめぐみをうけて、すくすくと育っております。ちょうど今、海の波はおだやかで、万里にわたり順風にめぐまれています。徐福よ。今の皇帝陛下は、昔の始皇帝のような暴君じゃないから、安心してすぐに中国に帰りなさい。
 
 
【作者】上杉謙信(一五三〇〜一五七八)
【タイトル】九月十三夜、陣中作
 九月十三夜、陣中の作
【原漢文】
霜満軍営秋気清
数行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征
【書き下し】
霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁 月三更
越山 併せ得たり 能州の景
遮莫 家郷の遠征を憶うを
【読み方】
しもはぐんえいにみちて しゅうききよし
すうこうのかがん つきさんこう
えつざんあわせえたり のうしゅうのけい
さもあらばあれ かきょうの えんせいをおもうを
【大意】
夜の軍営に霜が満ち、秋の空気は清らかだ
真夜中の輝く月のもと、数列の雁が夜空を飛んでゆく
今度の戦いで、越後に加え能登の景色もわが領土に加わろうとしている
故郷に残した家族はわれらを心配しているだろうが、まあ、しかたない
 
 
【作者】直江兼続(一五六〇〜一六一九)
【タイトル】織姫惜別
【原漢文】
二星何恨隔年逢
今夜連床散鬱胸
私語未終先洒涙
合歓枕下五更鐘
【書き下し】
二星何ぞ恨みん 隔年に逢うを
今夜 床を連ねて 鬱胸を散ず
私語 未だ終わらざるに 先ず涙を洒ぐ
合歓 枕下 五更の鐘
【読み方】
にせい なんぞうらみん かくねんにあうを
こんや とこをつらねて うっとうをさんず
しご いまだおわらざるに まずなみだをそそぐ
ごうかん ちんか ごこうのかね
【大意】
 織り姫と彦星は、一年に一度しか会えないが、つらくはないさ、今夜、同衾して積もる思いを晴らせるのだから。でも、愛のささやきが終わらぬうちに、二人は涙を流す。男女の愛をたしかめあった枕元に、もう、夜明け前の鐘が聞こえてきた。
(直江兼続は愛妻家で、当時としては珍しく一夫一妻を貫いた。また、兼続の「愛」の前立ての兜も有名)
 
 
【作者】石川丈山(一五八三〜一六七二)
【タイトル】富士山
【原漢文】
仙客来遊雲外巓
神龍栖老洞中淵
雪如?素煙如柄
白扇倒懸東海天
【書き下し】
仙客 来たり遊ぶ 雲外の巓
神龍 栖み老ゆ 洞中の淵
雪は?素の如く 煙は柄の如し
白扇 倒まに懸る 東海の天
【読み方】
せんきゃく きたりあそぶ うんがいのいただき
しんりゅう すみおゆ どうちゅうのふち
ゆきは がんそのごとく けむりは へいのごとし
びゃくせん さかしまにかかる とうかいのてん
【大意】
雲の上につきでた頂上には、仙人が遊びに来る。山腹の洞窟の奥には、年を経た神龍が棲んでいる。山の雪は無垢な白絹のようで、立ち上る噴煙は扇の枝のようだ。まるで、巨大な白い扇が、東の海の空から逆さまに垂れさがっているようだ。
(江戸と日本を自信をもって詠んだ詩。江戸時代の漢詩の特徴のさきがけとなった)
 
 
【作者】菅茶山(一七四八〜一八二七)
【タイトル】
冬夜読書
【原漢文】
雪擁山堂樹影深
檐鈴不動夜沈沈
閑収乱帙思疑義
一穂青灯万古心
【書き下し】
雪は山堂を擁して 樹影 深し
檐鈴 動かず 夜沈沈
閑かに乱帙を収めて疑義を思う
一穂の青灯 万古の心
【読み方】
ゆきはさんどうをようして じゅえい ふかし
えんれい うごかず よる ちんちん
しずかに らんちつをおさめて ぎぎをおもう
いっすいの せいとう ばんこのこころ
【大意】
雪は山の書斎を降りこめ、木の陰が深まる
軒端の鈴は鳴らず、夜は静かにふけてゆく
ちらかった書物をそっと片付けながら、疑問を考える
一筋の青い灯火 時代を超えた永遠の心
 
 
【作者】良寛(一七五八〜一八三一)
【タイトル】
偶作
【原漢文】
誰我詩謂詩
我詩是非詩
知我詩非詩
始可与言詩
【書き下し】
誰か我が詩を詩と謂う
我が詩は是れ詩に非ず
我が詩の詩に非ざるを知りて
始めて与に詩を言うべし
【読み方】
たれか わがしを しという
わがしは これ しにあらず
わがしのしにあらざるをしりて
はじめて ともに しをいうべし
【大意】
俺の漢詩を詩だと言うやつは誰だ
俺の漢詩は実は詩じゃないのさ
俺の漢詩が詩じゃないとわかるやつだけが
俺と詩について語りあう資格がある
 
 
【作者】頼山陽(一七八〇〜一八三二)
【タイトル】送母路上短歌
 母を送る路上の短歌
【原漢文】
東風迎母来
北風送母還
来時芳菲路
忽為霜雪寒
聞鶏即裹足
侍輿足槃跚
不言児足疲
唯計母輿安
献母一杯児亦飲
初陽満店霜已乾
五十児有七十母
此福人間得応難
南去北来人如織
誰人如我児母歓
【書き下し】
東風に母を迎えて来たり
北風に母を送りて還る
来たる時は芳菲の路
忽ち霜雪の寒と為る
鶏を聞きて即ち足を裹み
輿に侍して足 槃跚たり
児の足の疲るるを言わず
唯 母の輿の安らかならんことを計る
母に一杯を献じて児も亦た飲む
初陽 店に満ちて 霜 已に乾く
五十の児に七十の母有り
此の福 人間に得ること応に難かるべし
南去北来 人 織るが如し
誰が人か 我が児母の歓びに如しかんや
【読み方】
とうふうに ははをむかえて きたり
ほくふうに ははをおくりて かえる
きたるときは ほうひのみち
たちまち そうせつの かんと なる
にわとりをききて すなわち あしをつつみ
こしにじして あし ばんさんたり
じの あしのつかるるを いわず
ただ ははのこしの やすらかならんことをはかる
ははに いっぱいをけんじて じもまたのむ
しょよう みせにみちて しも すでにかわく
ごじゅうのじに しちじゅうのはは あり
このふく じんかんに うること まさにかたかるべし
なんきょ ほくらい ひと おるがごとし
たがひとか わがじぼのよろこびにしかんや
【大意】
 春風の中、母を京都に迎えた。今、冬の北風の中、母を広島まで送ってゆく。来たときの道には、春の草花が萌えていた。今はもう、霜と雪で寒い。早朝の鶏の声を聴いて、すぐ旅の足ごしらえをする。私もいい年齢だ。母の乗った籠についてゆくだけで、足はふらふらだ。でも、自分の足なんか、どうでもいい。母の籠が快適なら、それでいい。旅籠(はたご)で母に一献(いっこん)。自分もつきあって飲む。日の出の暖かさで、冬の霜も乾く。五十歳の息子に、七十歳の母がいる。こんな幸せは、きっと世間でも得がたいだろう。街道の人々は、まるで機織りの糸のように、めまぐるしく行き来する。この多くの人々のなかで、ぼくら親子ほど幸せな人は、誰もいないだろう。
 
 
【作者】頼山陽
【タイトル】泊天草洋
 天草(あまくさ)の洋(なだ)に泊す
【原漢文】
雲耶山耶呉耶越
水天髣髴一髪
万里泊舟天草洋
烟横篷窗日漸没
瞥見大魚波間跳
太白当船明似月
【書き下し】
雲か山か呉か越か
雲か 山か 呉か 越か
水天 髣髴 青一髪
万里 舟を泊す 天草の洋
煙は篷窗に横たわりて 日 漸やく没す
瞥見す 大魚の波間に跳るを
太白 船に当りて 明るきこと月に似たり
【読み方】
くもか やまか ごか えつか
すいてん ほうふつ せいいっぱつ
ばんり ふねをはくす あまくさのなだ
けむりはほうそうによこたわりて ひ ようやくぼっす
べっけんす たいぎょの はかんに おどるを
たいはく ふねにあたりて あかるきこと つきににたり
【大意】
雲か? 山か? 中国大陸の呉か、越か?
水平線と空のさかいめは、ぼんやりとして、青い一筋の髪の毛のようだ。
万里の航海の途中、天草の海に泊まる。
夕靄(ゆうもや)が船の窓にかかり、夕日はだんだんと沈む。
波間から大魚が跳ね上がるのが、ちらりと見えた。
船のまっすぐ先にある金星は、月のように明るい。
 
 
【作者】頼山陽
【タイトル】題不識庵撃機山図
 不識庵、機山を撃つの図に題す
【原漢文】
鞭声肅肅夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一剣
流星光底エ長蛇
【書き下し】
鞭声 粛粛 夜 河を過る
暁に見る 千兵の大牙を擁するを
遺恨なり十年 一剣を磨く
流星光底 長蛇を逸す
【読み方】
べんせい しゅくしゅく よる かわをわたる
あかつきにみる せんぺいの たいがをようするを
いこんなり じゅうねん いっけんをみがく
りゅうせいこうてい ちょうだをいっす
【大意】
上杉軍の、夜の渡河作戦。兵は押し黙り、馬に鞭をピシリと当てる音だけが聞こえてくる。夜があけた。目の前に、数千の敵兵が大将の旗を守っている。憎い十年来の宿敵を倒すチャンスが、とうとうきた。謙信は流星のように信玄の本陣に斬り込み、刀をふりおろしたが、あと一歩のところで信玄を打ち漏らした。
(川中島の謙信と信玄の合戦の絵に、頼山陽が書き込んだ漢詩)
 
 
【作者】江馬細香(一七八七〜一八六一)
【タイトル】夏夜
 夏の夜
【原漢文】
雨晴庭上竹風多
新月如眉繊影斜
深夜貪涼窓不掩
暗香和枕合歓花
【書き下し】
雨 晴るる 庭上に竹風 多く
新月 眉の如く 繊影 斜めなり。
深夜 涼を貪りて 窓 掩わざれば
暗香 枕に和す 合歓の花
【読み方】
あめ はるる ていじょうに ちくふう おおく
しんげつ まゆのごとく せんえい ななめなり
しんや りょうをむさぼりて まど おおわざれば
あんこう まくらにわす ねむのはな
【大意】
雨上がりの庭に、竹の風が多い。新月は女性の細い眉のように、うっすらと斜め。寝苦しい真夜中。窓を閉めずに、あけている。どこからともなく、甘い香りが枕にしみてくる。合歓の花の香りだ。
(作者は女性。頼山陽の愛人だったとも言われる)
 
 
【作者】原采蘋(一七九八〜一八五九)
【タイトル】謝人贈魚
 人の魚を贈るに謝す
【原漢文】
千里省親帰草廬
山中供養只菜蔬
謝君情意深於海
忽使寒厨食有魚
【書き下し】
千里 親を省みて草廬に帰る
山中の供養 只 菜蔬
謝す 君の情意は海よりも深し
忽ち寒厨をして食に魚有らしむ
【読み方】
せんり おやをかえりみて そうろにかえる
さんちゅう きょうようするは ただ さいそのみ
しゃす きみのじょういは うみよりもふかし
たちまち かんちゅうをして しょくに うお あらしむ
【大意】
 千里の旅に出ていた私は、老いた親の面倒を見るため、田舎の実家に戻りました。なにぶん、山の中なので、親にささげる食事は、野菜だけでした。魚をお贈りくださり、ありがとうございます。海よりも深いご厚意に感謝します。おかげさまで、わが家の貧しい台所のメニューに、魚が加わりました。
(作者は女流漢詩人。男装して各地を旅した破天荒な女性だったが、老母を養うため故郷に戻り、私塾を開いた。)
 
 
【作者】藤井竹外(一八〇七〜一八六六)
【タイトル】遊芳野
 芳野に遊ぶ
【原漢文】
古陵松柏吼天飆
山寺尋春春寂寥
眉雪老僧時輟帚
落花深処説南朝
【書き下し】
古陵の松柏 天飆に吼ゆ
山寺 春を尋ぬれば 春は寂寥たり
眉雪の老僧 時に帚くを輟め
落花 深き処 南朝を説く
【読み方】
こりょうのしょうはく てんぴょうにほゆ
さんじ はるをたずぬれば はるはせきりょうたり
びせつのろうそう ときにはくをやめ
らっか ふかきところ なんちょうをとく
【大意】
昔の御陵に植えられている松柏の木々が、天から吹く強い風に吼えた。山寺に春の気配を探ると、春はものさびしい。雪のように白い眉の老僧が、ほうきの手を休め、桜の花が散りしきる中、南朝の物語を語ってくれた。
(この漢詩は、いわゆる「芳野三絶」の一つ)
 
 
【作者】河野鉄兜(一八二六〜一八六七)
【タイトル】芳野
【原漢文】
山禽叫断夜寥寥
無限春風恨未銷
露臥延元陵下月
満身花影夢南朝
【書き下し】
山禽 叫断 夜 寥寥
無限の春風 恨み未だ銷えず
露臥す 延元陵下の月
満身の花影 南朝を夢む
【読み方】
さんきん きょうだん よる りょうりょう
むげんのしゅんぷう うらみ いまだきえず
ろがす えんげんりょうかのつき
まんしんのかえい なんちょうをゆめむ
【大意】
 春の夜、吉野山の鳥がなき、ますます静かになる。春の夜風は、いつまでも尽きることはない。南朝時代の悲しみが、今も尽きぬのと同じように。後醍醐天皇の延元陵の近くで、夜空の月をみあげ、野宿する。満身の桜の花の影に、南朝の夢をみる。
(この漢詩は、いわゆる「芳野三絶」の一つ)
 
 
【作者】西郷髏キ(一八二八〜一八七七)
【タイトル】偶成
【原漢文】
幾歴辛酸志始堅
丈夫玉碎恥甎全
一家遺事人知否
不為児孫買美田
【書き下し】
幾たびか辛酸を歴て 志 始めて堅し
丈夫は玉碎するも 甎全を恥づ
一家の遺事 人 知るや否や
児孫の為に美田を買はず
【読み方】
いくたびか しんさんをへて こころざし はじめて かたし
じょうふは ぎょくさいするも せんぜんを はず
いっかのいじ ひと しるやいなや
じそんのために びでんをかわず
【大意】
 男子の志は、何度も苦労を経て、ようやく固まるもの。当たって砕ける覚悟で全力でぶつかるのが、男の生き方だ。生き恥をさらすなんて、まっぴらだ。わが家の家訓を、知っているだろうか。子供のために美田や財産を残すことは、しない。
 
 
【作者】夏目漱石(一八六七〜一九一六)
【タイトル】無題
【原漢文】
眼識東西字
心抱古今憂
廿年愧昏濁
而立纔回頭
静座観復剥
虚懐役剛柔
鳥入雲無迹
魚行水自流
人間固無事
白雲自悠悠
【書き下し】
眼には識る 東西の字
心に抱く 古今の憂い
廿年 昏濁を愧じ
而立 纔かに頭を回らす
静座 復剥を観
虚懐 剛柔を役す
鳥入りて 雲に迹無く
魚行きて 水自ずから流る
人間 固より事無し
白雲 自ずから悠悠たり
【読み方】
めにはしる とうざいのじ
こころには いだく ここんのうれい
ねんねん こんだくをはじ
じりつ わずかにこうべをめぐらす
せいざ ふくはくをみ
きょかい ごうじゅうをえきす
とり いりて くもにあとなく
うお ゆきて みず みずからながる
じんかん もとより こと なし
はくうん おのずから ゆうゆうたり
 
【大意】
 東洋と西洋の文字を学び、読めるようになった。心は、古今の悲しみでいっぱいになった。過去二十年間の、自分の勉学の混迷ぶりが、恥ずかしい。三十歳になった今、少しは自分を振り返れるようになった。『易』の六十四卦の復や剥のような運命の転変を、静かに距離を置いて見つめよう。硬軟の力の使い分けも、虚心坦懐の境地でできるようになろう。空を飛ぶ鳥が、雲に入って姿を消す。雲に跡形は残らない。川の魚が泳ぎ去る。川は流れ、水はすっかり入れ替わる。人の世も同じこと。永遠に尾を引く悩み事など、何もないのだ。空を悠々と流れゆく白い雲。そんな自然体の生き方を、私はしたい。
(明治三十二年の作)