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朝日カルチャーセンター新宿教室  担当・加藤徹 

中国古典における「存在の連鎖」について

最初の公開2012-5-18 最新の更新2012-5-18
存在の(大いなる)連鎖 Great chain of being
狭義の「存在の連鎖」…「進化論」以前の、西洋の自然認知の一つ。
広義の「存在の連鎖」…世界各地の類比思考において見られる自然認知。 「自然のあらゆる事物は必然の産物であり、偶然の産物ではありえない」 「似た物どうしは、幽冥界のパワーでつながっている」 「かけ離れた物どうしには、必ず中間形が存在する」という考えかた。
アレキサンダー・ポープ(1688年-1744年) 『人間論』
存在の巨大なる連鎖よ、神より始まり、
霊妙なる性質、人間的性質、天使、人間、
けだもの、鳥、魚、虫、目に見えぬもの、
目がねも及ばぬもの、無限より汝へ、
汝より無に至る。より秀れしものに我等が
迫る以上、劣れるものは我等にせまる。
さもなくば、創られし宇宙に空虚が生じ、
一段破れ、大いなる階段は崩れ落ちよう。
自然の鎖より輪を一つ打ち落とせば、
十分の一、千分の一の輪にかかわらず
鎖もこわれ落ちよう。
訳 http://tkido.com/blog/448.htmlより引用
Alexander Pope's
An Essay on Man
Vast Chain of Being! which from God began,
Natures ethereal, human, angel, man,
Beast, bird, fish, insect, what no eye can see,
No glass can reach; from Infinite to thee,
From thee to Nothing.--On superior powers
Were we to press, inferior might on ours:
Or in the full creation leave a void,
Where, one step broken, the great scale's destroyed:
From Nature's chain whatever link you strike.
Tenth or ten thousandth, breaks the chain alike.
(I.8.233-46)


『淮南子』墜形訓より
▲生海人,海人生若菌,若菌生聖人,聖人生庶人。凡▲者生於庶人。
羽嘉生飛龍,飛龍生鳳皇,鳳皇生鸞鳥,鸞鳥生庶鳥,凡羽者生於庶鳥。
 ※▲…「穴」の下に、「髪」の旧字体の下半分。


中国の「人魚」 『洽聞記』より
 海人魚、東海之有り、大なる者長さ五六尺、状は人の如し。眉目口鼻手爪頭、皆な美麗女子となす。 具足せざること無し。皮肉白くして玉の如し。鱗無く細毛有り。五色軟軽長さ一二寸、髪馬毛の如し、長さ五六尺。 陰形、丈夫女子と異なる無し。 臨海の鰥寡、多く取り得て之を池沼に養ふ。交合するの際、人と異なること無し。亦た人を傷つけず。  海人魚、東海有之、大者長五六尺、状如人眉目口鼻手足爪頭、皆為美麗女子、無不具足、皮肉白如玉、無鱗有細毛、五色軽軟長一二寸、髪如馬尾長五六尺、陰形与丈夫女子無異、臨海鰥寡、多取得養之於池沼、交合之際与人無異、亦不傷人。
参考文献

人魚の涙 能の「合甫(かっぽ)」より
仕舞「合甫」
1995.12.10@矢来能楽堂
ワキ「何と見申せども更に人間とは見え給はず候。名を御なのり候へ」
シテ「今は何をか包むべき。われは鮫人といへる魚の精なり。命をつがれ参らせし。報謝の為に来りたり。我が泣く涙の露の玉。絶えぬ宝となるべきなり」
地「鮫人涙に、玉をなして命恩を、宝珠を猶も捧げて、合甫にも入らせ給へと、前なる渚の波の上に、いるよと見えつるが、白魚となつて其侭に、 ひれふして失せにけり、跡ひれふして失せにけり」
(中略)
シテ「是こそ真如の玉の緒の」
地「これこそ真如の玉の緒の。寿命長遠息災延命の宝の玉は。当来まで の。二世の願も。成就なるべしこれまで なりや。織りつる綾の。浦は合甫。玉は 二度かへる波の。千秋万歳の宝の玉は。 /\。合甫の浦にぞをさまりける。

唐・李頎「鮫人歌」(こうじんか)
鮫人潜織水底居 コウジン ヒソかにオる スイテイのキョ
側身上下隨遊魚 ソクシン ジョウゲ ユウギョをシタガワしむ
軽綃文綵不可識 ケイショウのブンサイ シるべからず
夜夜澄波連月色 ヤヤ チョウハ ゲッショクにツラなる
有時寄宿来城市 トキアりて キシュクして ジョウシにキタる
海島青冥無極已 カイトウ セイメイ キョクイ ナし
泣珠報恩君莫辞 「キュウシュ オンをホウず キミ ジするナカれ
今年相見明年期 コンネン アイミて ミョウネンをキす」
始知万族無不有 「ハジめてシる バンゾクのユウせざるナきを
百尺深泉架戸牖 ヒャクセキのシンセンにコユウをカす」
鳥没空山誰復望 トリ ボッして クウザン タレかマたノゾまん
一望雲濤堪白首 ウントウをウチボウすれば ハクシュにタう


ウサギ
張華『博物志』「兎、月を望んで孕み、口中より子を吐く。故にこれを兎とという。兎は吐なり」 「九竅なる者は胎生し、八竅なる者は卵生す」
陸佃『埤雅』「咀嚼するものは九竅きょうにして胎生するに、独り兎は雌雄とも八竅にして吐生す」
日本語では、ウサギは「一羽、二羽…」と数える。


公牛哀が虎になった話
『淮南子』俶真訓
 昔公牛哀転病也、七日化為虎。其兄掩戸而入覘之、則虎搏而殺之。 是故文章成獣、爪牙移易、志与心変、神与形化。方其為虎也、不知其嘗為人也。方其為人、不知其且為虎也。二者代謝舛馳、各楽其成形。  ムカシ、コウギュウアイのテンペイするや、ナヌカにしてカしてトラとナる。 ソのアニ、トをオオいてイり、コレをウカガえば、スナワちトラ、ウちてコレをコロす。 コのユエにブンショウはケモノとナり、ソウガはイエキし、シはココロとトモにヘンじ、 シンはカタチとトモにカす。ソのトラタるにアタりては、ソのカツてヒトタりしをシらず。 ソのヒトタるにアタりては、ソのシバラくトラタりしをシらざるなり。 ニシャ、タイシャしセンチして、オノオノ、ソのナるカタチをタノしむ。

中島敦「山月記」より
中島敦「山月記」李景亮「人虎伝」
(『国訳漢文大成』)
 隴西ろうさい李徴りちょうは博学 才穎さいえい、天宝の末年、若くして名を虎榜こぼうに連ね、ついで江南尉こうなんいに補せられたが、性、狷介けんかいみずかたのむところすこぶる厚く、賤吏せんり に甘んずるをいさぎよしとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山こざん虢略かくりゃく帰臥きがし、人とまじわりを絶って、ひたすら詩作に ふけった。下吏となって長くひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、 詩家としての名を死後百年にのこそうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日をうて苦しくなる。 李徴はようや焦躁しょうそうに駆られて来た。 このころからその容貌ようぼう 峭刻しょうこくとなり、肉落ち骨ひいで、眼光のみいたずらに炯々けいけいとして、かつて進士に登第とうだいした頃の豊頬ほうきょうの美少年の おもかげは、何処どこに求めようもない。 数年の後、貧窮にえず、妻子の衣食のためについに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、おのれの詩業に半ば絶望したためでもある。 曾ての同輩は既にはるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙しがにもかけなかったその連中の下命を拝さねば ならぬことが、往年の儁才しゅんさい李徴の自尊心を如何いかきずつけたかは、想像にかた くない。彼は怏々おうおうとして楽しまず、狂悖きょうはい の性は愈々いよいよ抑えがたくなった。一年の後、公用で旅に出、汝水じょすいのほとりに宿った時、遂に発狂した。 ある夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、 やみの中へ駈出かけだした。 彼は二度ともどって来なかった。附近の山野を捜索しても、 何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、だれもなかった。
(以下略)
 隴西李徴、皇族子、家於虢略、徴少博学、善属文、弱冠従州府貢焉、時号名士。天宝十五載春、 於尚書右丞楊元榜下登進士第。後数年、調補江南尉、徴性疎逸、恃才倨傲、不能屈跡卑僚、嘗鬱鬱不楽、 毎同舎会既酣、顧謂其群官曰「生乃与君等為伍耶」、其寮友咸側目之。及謝秩、則退帰間適、 不与人通者近歳余。後迫衣食、乃東遊呉楚間、以干郡国長吏、楚人聞其声固久矣、及至皆開館以俟之、 宴遊極歓、将去悉厚遺以実其嚢橐、徴在呉楚且歳余、所獲饋遺甚多。西帰虢略、未至、 舎於汝墳逆旅中、忽被疾発狂、鞭捶僕者、不勝其苦。於是旬余、疾益甚、無何夜狂走、莫知其適。

 隴西の李徴は皇族の子なり。虢略に家す。徴、少くして博学、善く文を属す。天宝十五載の春、 尚書右丞楊元の榜下に於いて進士の第に登る。 後数年、江南尉に調補せらる。徴、性疎逸にして、才を恃み倨傲なり。卑僚に屈跡する能はず。嘗に鬱鬱として楽まず。 同舎会する毎に既に酣なれば、其の群官を顧み謂ひて曰く「生きて乃ち君等の伍と為らんや」と。 其の寮友、咸之を側目す。秩を謝するに及び、則ち退帰間適し、人と通ぜざること歳余に近し。 後に衣食に迫られ、 乃ち東のかた呉楚の間に遊び、以て郡国の長吏を干む。 楚人、其の声を聞くこと固より久し。 至るに及び、皆館を開きて以て之を俟つ。 宴遊、歓を極め、将に去らんとして、悉く 厚く遺りて以て其の嚢橐を実たす。 徴、呉楚に在ること且つ歳余ならんとし、獲る所の饋遺甚だ多し。 西のかた虢略へ帰らんとして未だ至らず。 汝墳の逆旅中に舎るに、忽ち疾に被され発狂し、 僕者を鞭捶して其の苦に勝へざらしむ。 是に於て旬余、疾益ます甚し。 何とも無く夜狂走し、其の適くところを知るなし。(以下略)
…(略)ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心がかえって来る。そういう時には、 曾ての日と同じく、人語もあやつれれば、複雑な思考にも堪え得るし、 経書けいしょの章句をそら んずることも出来る。その人間の心で、虎としてのおのれ残虐 ざんぎゃくおこないのあと を見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、いきどおろしい。 しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、 この間ひょいと気が付いて見たら、おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。 これは恐しいことだ。今少してば、おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかりう もれて消えてしまうだろう。ちょうど、古い 宮殿のいしずえが次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の 過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人ともと 認めることなく、君を裂きくろうて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何かほかのものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、 初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?(略)…
参考 青空文庫「山月記」
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