●「国語学」改称問題について

最近、このWEBの「「国語学」について」という部分が参照されて、私の意見
は、「国語学」を改称する必要はない、というものだというように、要約されて
いるようです。しかし、それは、ちょっと単純化されすぎているように思います。
というわけで、補足をしたいと思いますので、このコーナーにさまよいこんだ
(?)のも何かの縁とあきらめて、ちょっとばかりお付き合い頂ければ幸いで
す。(言語としての名[呼び方]について

まず、「国語学」名称問題というのは、現在のところ、三つの問題が複合したか
たちで存在しています。すなわち、
 1)学問の名称として
 2)学会の名称として
 3)学会機関誌の名称として
というのものです。

「「国語学」について」は、主として1)の問題を扱ったもので、それも、個人に
よる学問名称の使用に重点を置いたものです。

1)の学問の名称としては、現在、「国語学」と「日本語学」の両者が並びおこな
われています。大学の学科や専攻の名称としても「国語学」「日本語学」の両者
があります。そのような事情から、自分の専攻(専門)を、国語学科(専攻)出身
者が「国語学」と呼び、日本語学科(専攻)出身者は、「日本語学」と呼ぶことは、
ごく自然なことと思います(国語学科出身で、「日本語学」が専門だと称するのも、
日本語学科出身で「国語学」が専門だと称するのも、ありうると思います)。

というわけで、学問名称を、「国語学」と呼ぶか、「日本語学」と呼ぶかは、個人
の(学的)良心に任せられるべきだ
、というのが、基本的な考えです。このWEB
の「「国語学」について」は、その考えに基づいて、自分としては「国語学」と呼ぶ
ほうが自分の信ずるところに叶う、と述べたものです。

ということで、逆に言えば、研究団体が、学問名称の標準(スタンダード)を一つ
に決定するのは、かなり強引なことになるのではないか、と思うのです。

次に、2)の学会の名称について考えてみます。「国語学会」という名称は、50
年にわたって使われてきたものです。ですから、それを充分な根拠と思索なく
変えてしまうのは、問題だと思います。

例えば、前述の「日本語学」を専門と称する会員が、国語学会に多数参加する
ようになったことは、「日本語学会」と会の名称を変更する充分な理由になるの
でしょうか。もし、それが許されるのであれば、例えば、「英語学会」に、「米語学
専攻」専攻と称する人々が多くなれば、「米語学会」と名を変えることも可となり
ましょう。しかし、学会の名称が、参加する研究者の数で決まるというのは、「学
問的」ではないように思います。

学会名称は、実は、1)の学問名称とも連動しています。

曰く、「国語学という言い方は排他的だ」「国語という言い方は、国家を背負った
言い方だ」「直訳すると理解してもらえない」「戦前の植民地政策を思いおこさせ
る」など、「国語学」という名に対する批判は、数多くあります。が、それらは、本
当に検証されたものなのでしょうか。

例えば、「国語学会」は、国家を背負っていると、自負している研究者は、そんな
に多いのでしょうか。しかも、その場合の「国家」というのは、いつのまにやら、戦
前の軍国主義的「国家」のイメージにすりかえられてしまっています。「国語学会」
と名のっただけで、そのようなイメージを持たれてはかないません。かりに、その
ようなイメージが一般的なのだとすれば、「国語学会」の名において、検証をして
清算をすべきなのではないでしょうか。

「国語学(会)」という名を継続して使うことは、戦前への反省を見せていないこと
になるという論調がありますが、むしろ、上記の検証と清算ぬきに、「日本語学
(会)」と名を変えてしまったならば、その反省自体を行なわないでしまうことにな
りはしないでしょうか。

「国語学」から「日本語学」へ名を変えるとしたならば、そこには、学問としての
パラダイムの変更が伴うはずです。それを、まったく同じものだと言われてしま
いますと、それでは、昔、亀井孝氏が「日本語学」と名前を変えるべきだと言っ
たときに、どうして黙殺したのか、そして黙殺してきたのか、不審でたまりませ
ん。亀井孝氏のみならず、時枝誠記代表理事も、「国語学」よりも「日本語学」
の名称のほうがしかるべきだと述べた時点で、「日本語学会」と名称を変えて
もよかったのに、それもしませんでした。

とすれば、その時に、潜在的に反対した人々が、反対だという声を挙げてもい
いはずなのに、それも聞こえてきません。50年も使ってきた名なのに、だれも
それを惜しもうともしないのでしょうか。そんな厭な名のもとで学問を続けてき
たのでしょうか。いやいや、流れだから仕方ないのだと考えているとしたら、
「流れ」しだいでどうにでもなっていい名のもとに学問をしてきたのでしょうか。

不審でたまりません。

私は、以上のような不審の条々が晴れないうちに、「国語学(会)」という名を
変えるのは反対だ
と考えているのです。単に、今までのままでいいじゃないか、
と考えているわけではありません


3)の学会機関誌の問題は、純粋に2)と連動する問題と考えます。『国語学』
が『日本語学』になったとしても、現在でも『国文学』『語文』『文芸研究』など
同名の誌名はいくつかあります。そのペアが一つ増えるというだけでしょう。

(2001.11.13、執筆)

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