●「国語」と「日本語」

「国語学」か「日本語学」かという問題については述べましたが、「国語」と「日本語」
のいずれを、言語としての名[呼び方]にしたらよいか(あくまでも、語学的な問題とし
て)ということについては述べるところがありませんでしたので、ここに書いてみます。
同じく、ここに迷いこんだのも何かの御縁と考えて、少々お付き合い頂ければ幸いで
す。

言語の名[呼び方]として、「国語」と「日本語」とで、どちらが望ましいかということにな
ると、「英語」「ドイツ語」「フランス語」「中国語」などとのバランスから言えば、「日本語」
と呼ぶのがよいと考えています。また、実際、論文などでは、もっぱら「日本語」という
言い方を用いています。

言語としての呼び方は「日本語」で、やっている学問は「国語学」では、不統一ではな
いかと考えられてしまうかもしれませんが、絶対に統一しなければならないことなので
しょうか

また、そのことは語学的に日本語を問題にする際のことであって、自然言語の事実と
して、日本語において、「国語」が慣用的に〈日本語〉を指示する場合があることは、受
け容れなければならないのではないかと考えます。

「国語」が〈日本語〉ではなく、〈言語〉の意味で用いられる場合も現実にあります。例
えば、

  しゃべっているのはフランス語で、彼はその【国語】にかなり堪能だった。(アガサ・
  クリスティー/大門一男訳『パディントン発4時50分』12―2、ハヤカワ文庫166―
  *3、地)

のような場合です。ここでの「国語」は、〈言語〉の意味で用いられていて、実際、この
原文は、

  He was speaking in French, a language in which he was tolerably proficient.

であり、a languageが「国語」に対応しています。「国語」といっただけで、日本語では
〈日本語〉を指し示してしまうといった乱暴な議論をたまに聞きますが、このような例を
知っていて言っているのか心許なく思います。あるいは、この訳文も、「国語」では排
他的だから「言語」と訳せというのでしょうか(そんなことはないとは思いますが、もし
そんな風に考えるのならば、それは思い上がりなのではないでしょうか。a language
を「国語」と訳そうが「言語」と訳そうが、それは翻訳をする人の自由でしょう)。

盛岡の町でタクシーに乗って、「駅までお願いします」と言えば〈盛岡駅〉に連れていっ
てくれます。仙台市内で、同じく「駅まで」と言えば〈仙台駅〉に連れていってくれます。
このとき、「駅」というだけで、〈盛岡駅〉や〈仙台駅〉を意味するのは、〈厨川〉や〈北仙
台〉を排除した、排他的な言い方だから止めろというでしょうか。〈日本国内〉で、「国
語」と言って〈日本語〉を指し示すことがあるのは、いわゆる無標による指示であり、あ
まり特別なことではないように思います。

自分としては、特に考え方が頑迷だとは思えません。言語の事実をありのままに見た
いだけなのだとういことを理解して頂ければありがたいのですが…