はじめに

 幕末開港後、「バス・エール」などのヨーロッパビールが横浜居留地に輸入されるようになってようやく始まった日本におけるビール消費1は、その比較的短い歴史にも関わらず、日本の食卓において重要な地位を占めつつある。今や「ビール」は俳句の夏の季語2とされるほど、現代日本の食文化において非常にポピュラーなものとなっているのである。しかしこれほど広く一般に消費されるビールも、1994年から1998年までの5年間全ビールの出荷数量は着実に減少し、株式会社アサヒビール(以下アサヒビール)を除くビールメーカー各社の1998年度の決算短信による売上高はどれも減収であった3。このマイナス傾向は、長引く不況による消費者の購買意欲の低下と発泡酒へのシフトによるものと考えられる。つまり、消費者の低価格志向を反映し、麦芽比率の少ない「発泡酒」(以下、ここではビールの食感をコピーした発泡酒類を指す)が従来のビール購買層に深く食い込み、ビール市場を圧迫しているのである。1999年夏、ビール・発泡酒市場に占める発泡酒の割合はついに、約2割にも上った。後述するように、ビール業界各社は、消費者のビール離れ、発泡酒市場の拡大を前提に、主力ビール工場での発泡酒生産に主力商品をシフトしつつある。
 このようなビール業界低迷の中、唯一売上高・シェア共に伸ばしているアサヒビールは他のビールメーカーと違い、現在(1999年9月)に至っても未だ発泡酒を製造・販売しておらず、またその予定もないという4。「キリン・ラガー」の一人勝ち状況を打破し、「スーパードライ」を主力商品として、見事ビールブランド別の首位に立ったアサヒビールであったが、この「スーパードライ」の売り上げ増加率が減速傾向にあることや、発泡酒市場の急成長、ビール・発泡酒市場全体の飽和状態をふまえ、この夏1999年8月31日には工場閉鎖や人員削減を柱とする5ヵ年計画の合理化策を発表した。
 以上のことから、本稿では、ビール業界全体の動向を占う中心的ビールメーカーとしてアサヒビールを取り上げ、今後の展望を探ることにする。分析に当たっては、諸文献、通産省統計、新聞記事及び、アサヒビール本社にて行なったインタビュー(1999年9月8日、担当者=広報部中原氏、経理部鈴木氏)に主に依拠する。

第1章  アサヒビールのあゆみ
 
 1889年、朝日麦酒?5の前身である大阪麦酒会社が設立された。日本麦酒醸造会社、札幌麦酒?も相前後して官営から民営にシフトし、日本のビール産業の興隆期を迎えていた。その後ビール業界は、1906年の3社合併の大日本麦酒?の設立からシェア70%以上を確保する独占的状態を形成していた。しかし、第2次大戦後の1949年、「過度経済力集中排除法」6の適用を受け、日本麦酒?7と朝日麦酒に2分割(アサヒ 36.1%,サッポロ 38.6%)されることとなった8。
 分割前の大日本麦酒は「サッポロ」「エビス」「アサヒ」「ユニオン」という4つのブランドを有していた。これが企業分割により、日本麦酒が「サッポロ」「エビス」を、朝日麦酒が「アサヒ」と「ユニオン」を引き継ぐことになる。これら4大ブランドの強い地域を見ると、「サッポロ」は北海道と東日本地区、「エビス」は東京地区、「アサヒ」は西日本地区、そして「ユニオン」は名古屋地区というように地域別にはっきりと色分けされていた。つまり、分割によって、東京を中心とする東日本を基盤とした日本麦酒と、大阪を中心とする西日本を基盤とした朝日麦酒とに、マーケットエリアが事実上二分されたことになったのである。
 大日本麦酒?に対して、麒麟麦酒9は、1907年の設立に始まり、大日本麦酒の分割時のシェア25.3%から着々と伸ばし、戦後わずか数年でアサヒ、サッポロの両社を引き離し、1976年にはシェア64%を獲得することで、「ガリバー・キリン」の企業ブランドを築いた。一方のアサヒビールは徐々にシェアを落とし、1985年には、企業別シェアで8%台に落ち込む、「ジリ貧状態」であった。
 1963年、サントリーがビール事業に新規参入をした。その際、分割後の新生アサヒビール初代社長であった山本為三郎氏10が関西財界からの再々の要請に答えるべく、自社の販売網を形成するアサヒ専属の特約店をサントリーに開放し、アサヒの息が掛かった特約店で同社のビールを扱えるように便宜をはかったのである。このサントリーへの特約店開放は、アサヒのシェア下落に大きな影響を及ぼしたと言われている。
 この間のトップ人事はというと、初代社長の山本氏が17年間ワンマン社長として指揮を取り続け、この後住友銀行が社長派遣を決定した。このことにより、前会長の樋口廣太郎氏11に至るまで、社長派遣は続いた。
 1982年、東洋工業(現マツダ)を再建した実績を持つ村井勉氏12が新社長に就任した。同氏は,社内の負け犬根性を払拭するための意識改革を行った。最初に行ったことはユーザー調査だった。消費者はビールの味が分かるはずだ、という前提で、消費者が求めている「味」は何かを調べた。その結果、意外なことに「熱処理した重たい味」ではなく、「ライト感覚の生ビール」へとトレンドが変わってきていることが分かったのだ。当時、最強のブランド「ラガー」13とは明らかに違うトレンドを把握したのである。では、なぜキリンビールは強かったのだろうか。当時ビールを酒屋から購入する際、酒屋は黙ってキリンビールを出すという状態だったという。これは「ビール=キリン」、つまりキリンビールの味がビールの味だとされていたのである。これを受けてアサヒビールは、調査結果に基づいて消費者の求める味、すなわち「のどごしの良いスッキリしたキレのよい味」の開発に入った。そして試行錯誤の末「スーパードライ」14が誕生する。
 「スーパードライ」の仕掛け人樋口廣太郎氏が住友銀行副頭取からアサヒビール社長に就任した1986年頃、同社は「『アサヒ』ビール」ではなく、斜陽した「『夕日』ビール」とまで言われ、シェアは10%を割り込み、業績は最悪の状態であった。しかし同年に「コクキレビール」、翌1987年に日本初の辛口ビール「スーパードライ」を大ヒットさせ、ビール業界の流れを変えたのである。樋口の社長在任の6年間に、アサヒビールは売上高3.1倍、ビール売上箱数3.6倍となり、業界第2位に躍進した(シェア9.6%から約34%)。
 樋口社長陣頭指揮によって行われたアサヒビールの改革には、「フレッシュローテーションシステム」の導入、環境問題への取り組み、そして「アサヒスーパーネット」の構築、CI活動の導入があり、樋口氏は活力溢れる企業体質を目指した。
 最高の品質のビールを追求するためには、2つのファクターが欠かせないと、アサヒビールは言う。1つは「味」、そして、もう1つは「鮮度」である。そこで、アサヒビールでは、1986年に鮮度管理をしていくための「フレッシュローテーションシステム」を導入し、製造後、工場出荷までの期間を短縮するとともに、市場で3ヵ月以上滞留したビールを回収することとした。また同年1月にはCI導入宣言をし、それまで約100年続いた「旭マーク」のラベルから現在の銀と黒の「Asahi」表記にロゴを変更した。「フレッシュローテーションシステム」は、アサヒビールの決意表明ともいえる大胆な施策であり、このような「鮮度」の追求は酒販店からも高く評価され、厚い信頼関係を築くことで躍進の基盤をつくってきた。そして営業・生産・物流の各部門が一体となり、顧客情報の幅広い収集による需要予測精度の向上、適正在庫の維持管理、需要動向に応じた柔軟な製造体制を確立した。さらに、「自動ピッキングシステム」「工場内物流システム」などの導入により工場出荷能力の増強を図ったほか、全国9つの工場から直接出荷を推進することで在庫水準を削減し、製造から店頭までを最短日数で届ける体制を確立している。こうして、「フレッシュマネジメント活動」のスタート当初の実行目標は工場で製造後10日たった製品は出荷しない、であったが、その後の改善により、1996年には製造後、工場出荷まで5日以内を達成できるようになった。1998年には、製造から酒販店まで7日台の配送という生鮮食料品なみの「フレッシュマネジメント活動」に取り組んでいる。このようにして、アサヒビールでは「すべてはお客様の“うまい”のために」を合い言葉に、鮮度のみならず、製造から販売までの全工程における品質管理を徹底している。また、市場における品質管理への取り組みとしては、マーケットスタッフが店頭で鮮度管理を行っているほか、日光をカットし定温維持効果を持つ「アサヒクオリティシート」の展開、特約店向け「商品知識研修」の実施、飲食店向け「品質知識パンフレット」の配布などを行っている。
 1992年、現会長の瀬戸雄三社長15体制になった。そして、1996年1月の出荷量シェアで38.3%を記録し、44年ぶりにビール業界の首位に立ったのである。キリンビールは37.2%で、わずかの差とはいえ2位の座に甘んじることになったのであった。
  業界での地位の確保と同時にアサヒビールは、環境問題への積極的取り組みとして、1991年に業界に先駆けて生活環境委員会を設置し、1993年に「環境に関する基本方針」を制定した。代表的な取り組みとしては「廃棄物再資源化100%」があげられる。廃棄物の85%を占める「ビール粕」は飼料に、紙くず・生ゴミの焼却灰はセメント副原料に、廃プラスチックは土木材料にと、すべての廃棄物を2次活用している。この「廃棄物再資源化100%」は1997年に東京工場および福島工場でも実施されており、1998年中には全ての工場で「廃棄物再資源化100%」を完成した。しかし、キリンビールはすでに全工場ゴミゼロ化を達成済みであるのにあまり知られていないことから、このことは、アサヒの戦略勝ちと言えるのではないだろうか。また、この一環として「スタイニー」16の開発を行った。これは、コンビニエンスストアを中心とした、若者向けの新しい商材で、軽いので宅配用に用いられている。リターナブルびんは工場に戻って繰り返し再利用が可能であり、現在びんの回収率は約80%17と安定しているとのことである。
 また、アサヒビールでは、常に市場の動きに先駆けて先進的な経営戦略を遂行していくために市場の動き、顧客の動きを的確に捉え、それを速やかに企業活動に反映させるために情報インフラの整備・活用に力を入れている。1996年8月には、スタッフ全員にパソコンを配備し、全社規模の情報ネットワーク「アサヒスーパーネット」を構築した。商品や顧客の動向など多様な情報を共有することにより、意思決定のスピードアップを図っている。このようにして、アサヒビールはスピーディーで的確な提案型の営業活動を展開し、これらの情報システムの活用により、アサヒビールは個々の知識の共有化・活用をめざすナレッジマネジメントを推進。営業活動や商品・サービスの品質向上・生産性の向上に努めている。この活動の中心となるのは約900名の営業担当者であり、彼らは前述したように、全員が携帯型パソコンを持ち、卸会社や酒販店をきめ細かくフォローしている。また、約1500名のマーケットスタッフは、店頭での品質管理や情報収集など市場に密着した活動を行っている。店頭で収集された市場や顧客に関する情報は、マーケットスタッフ全員に配布された情報端末を通してその日のうちにデータベースに収録され、需要予測や生産計画などに活用される。このようにアサヒビールの営業活動は単に顧客への対応にとどまらず、営業情報を有効な武器として捉え、「フレッシュマネジメント活動」の重要な要素として活用している。

第2章   財務分析

アサヒビールの財務分析を行うにあたっては、ビールのシェアはやや劣るものの発泡酒、「麒麟淡麗〈生〉」が好調のキリンビールとの比較は避けて通れない。そこで、本章では、財務諸表のデータをもとに、両社の比較をしてみたいと思う。
 まず、アサヒビールは自己資本に比べて他人資本(特に流動負債)の割合が高く、流動負債が流動資産で賄えていない18。これは、キリンビールが常に自己資本比率50%前後を維持していることから見ても、両社の際だった相違点となっている。流動負債が多い原因としては、歴代社長に見られるように、これまで借り入れを住友銀行に頼らざるを得なかったことは想像に難くない。
 一方、ビールの売上に伸び悩むキリンビールに比べて、アサヒビールは着実に売上高を伸ばしてきた。しかし、アサヒビールは、売上高の伸びにもかかわらず、販売費及び一般管理費の増加で営業利益が大幅に減少した。インタビューによれば、やはり人件費と販促費(ビール券キャンペーン、ワインキャンペーンなど)、減価償却費が主な原因であり、今後も人的リストラは行うつもりはなく、販促費をどのようにコントロールしていくかは今後の課題であるということだ。今までは、キリンを追い越しシェアトップの座を狙おうとしてきたが、来年からは採算、キャッシュフロー重視、利益重視の経営に転換していくという19。
 アサヒビールはここ数年、「特金処理」として子会社のリストラに力を入れているようである。同社の金融子会社は、「スーパードライ」拡販時における設備投資費用を捻出するために、エクイティ・ファイナンスを展開し、それがバブル崩壊に伴って金融負債に化していたからである。これらの特別損失処理にアサヒビール本体で発生したキャッシュフローのほとんどを充当したため、1998年12月期決算では、経常利益504億円に対して当期利益は88億円にとどまった。キリンビールの純利益は246億円にものぼり、150億円以上の差をつけられている。
 このように、企業の財務体質に弱点を持っていた同社であるが、今年(1999年)の8月31日に、将来数年間での負債消却プログラムを盛り込んだ、アサヒビール中期経営計画、「アサヒ・イノベーション・プログラム・2000」を発表した。5000億円もの設備投資に費やした特定金融信託の残高にようやく解消のめどが立ったため、今後同社の経営を「利益重視、財務体質強化の経営」へと転換していくという20。
 また、アサヒビールと似たような財務体質のサッポロビールも同様に、群馬工場を閉鎖するなどして2002年までに有利子負債を約1200億円削減する計画を発表している。
 それでは、アサヒビールの中期経営計画について示された内部資料21を基に分析してみることにする。まず、売上高は年平均3%の割合で伸ばしていくという。これは、「スーパードライ」その他の伸びを考慮した上での現実味のあるものだということだが、「スーパードライ」の伸び率が以前ほどではなくなった今、販促費をコントロールしながらも、これだけの伸びを得るには、「スーパードライ」を凌ぐような新商品の開発が望まれるのではないだろうか。次に利益目標であるが、売上高の伸びに伴って利益も増加の一途をたどっている。最終的には営業利益と経常利益の差が20億円となっているが、これには、金融債務目標も合わせて見れば分かるように、5年後の2004年にはこれらの財務リストラによって有利子負債も300億円まで減り、それに伴い支払利息など、営業外費用も減るということが想定されているようである。また、経営指標目標を見ると、当然のように売上高/営業利益率、ROAが着実に伸びているが、なかでも注目すべきは、2001年から2002年にかけて急激にROEを上昇させる予定になっている点である。この背景には、自社発行株式の消却ということが考えられるのではと思ったが、インタビューによればこれはあくまでも、財務リストラで当期利益が上がることによってはじき出された数値であるということだ。
 そして、今後は、これらの財務リストラによって得た利益を、食品や薬品といったコア事業に投資していくつもりであるという22。財務リストラは、子会社の整理という形を通じて行う予定であるが、それでは、アサヒビールの関連企業について少し見てみよう。

第3章   コア事業への収束

 最近10年ほどのアサヒビールの業績を見ると、幸いにして良好であり、大規模な設備投資による借金も着実に処理しつつある。1998年12月期の決算を見ても、経常利益が10.6%増の504億円で、売上高でも5.8%増の1兆283億円と3期連続の増収増益となった。
 しかしながら、食品、飲料、ウイスキー、薬品23などの関連企業を含めた連結決算で見ると、まだまだ伸びは小さく脆弱な体質だと言わざるを得ない。1998年1月、アサヒビールは2001年からの国際会計基準と連結納税制度の導入のために、持ち株会社制度に移行することを発表した。出資比率20%以上のグループは、全部で93社24あり、バブル時代に利潤を追求して増やした多角化を見直さなければならない時期に来ていると思われる。
 関連企業の中でも、ニッカウヰスキーの経営は極めて厳しい。1997年12月期まで、10年連続の減収減益を記録。過去に輝かしい活躍を記録したスキージャンプ部も休部し、九州工場の閉鎖や従業員のリストラなども検討されている。
 このような現状に対してアサヒビールは、事業ポートフォリオに基づいたグループ事業の再編成を早急に行い、同業種の統合や低収益事業からの撤退などにより、現在93社存在するグループ企業の再構築を行ない、一方では、今後発生する豊富なキャッシュフローを活用して、グループ企業としてシナジー効果が発揮できる新たな成長分野へ事業を積極的に展開する、としている。また、グループ経営の更なる強化を目的として、事業持株会社としての機能充実を図るため、1999年9月には社内にいくつかのグループ本社機能25が設置された。なお、ここでいうグループ本社機能には、中期経営計画の推進やグループ事業計画などのグループ経営戦略推進機能を持つ「経営戦略部」、グループ人事制度の策定、グループ全体での人材活用、グループ人事育成などのグループ人事戦略推進機能を持つ「人事戦略部」、グループ財務戦略の立案・推進などのグループ財務機能を持つ「財務部」、グループ広報、グループIRなどグループ広報機能を持つ「広報部」、グループの規律監査、業務監査などのグループ監査機能を持つ「監査部」などが部門として存在している。このような取り組みからも、アサヒビールのグループ経営、多角化への意欲は大きいものであることが伺える。
 こうした関連企業に対する考え方には、大きく2つあるだろう。企業として利潤を上げられる部門であるかどうか。そして本業のために本当に必要な部門であるかどうかである。アサヒビールは、利益率、将来性、必要性などを含めて総合的に判断し26、半分程度に減らすという方針を固めているようである。これは、コア事業への事業集中によって、アサヒビールが投資した結果膨張した子会社を半分程度に収束させるということであろう。
 では、以上のような経営多角化の収束を経て、さらに財務体質を強化しようとするアサヒビールは、従来通りビール1本に的を絞った戦略を貫くのであろうか。次にアサヒビールの発泡酒に対する考え方とその具体的な取り組みを見てみよう。

第4章   発泡酒戦略

 現在、国内主力4社のうち、発泡酒の販売を唯一行っていないのがアサヒビールである。
 発泡酒とは、酒税法の分類によると、「麦芽、ホップ、水と副原料を使用し発酵させたもので、麦芽の使用割合が67%未満のもの、あるいは67%以上であっても果汁などビールの原料として使用しないものが添加されているもの」と定義される。ゆえに、発泡酒は厳密に言うとビールではなく「雑酒」となる。
 発泡酒の場合、酒税額をビールよりも安く抑えることができるために、低価格が実現する。発泡酒が、不況時の「節税ビール」などと揶揄される所以だ。ちなみに酒税法によれば、50%以上67%未満、25%以上、25%未満の3段階の麦芽比率によって税率が決められる。発泡酒の多くが属する25%未満のランクは、酒税率がリットルあたり105円となる。これを350ミリリットル缶に換算すると37円弱で、同じ容量の缶ビールの78円と比較すると半分以下である。これに対して、ビールは各種アルコールの中で最も酒税率が高く、「税金を飲んでいる」と言われるほどだ。長引く不景気で消費者が、より安い発泡酒に飛びついたのも頷けよう。大手のビール・メーカーが本格的に発泡酒を発売した平成8年以降、前年比50%以上の伸びが続いていたカテゴリーである。
 このような時代の流れの中、最大のライバル・キリンビールも本格的に発泡酒市場への参入を行った。1998年2月、500ミリリットル缶で約90円も低価格の発泡酒「麒麟淡麗〈生〉」を発売したのである。この発泡酒への参入は、キリンビールの「マルチブランド戦略」の一環である。ちなみにキリンビールのラインナップを見ると、12種類もの商品群があることがわかる。これに対してアサヒビールの商品ラインナップは5種類(「スーパードライ」「アサヒ黒生」「ファーストレディシルキー」「富士山」「ビアウォーター」)であり、総出荷量の93%を「スーパードライ」に依存している。まさに2社の戦略は正反対のものであることがわかる。
 そして、キリンビールのこのような動きの結果、発泡酒市場は一層の急成長を遂げる。サントリー、サッポロ、そしてキリンの3社27が熾烈な販売合戦を行った結果、1998年のビールの割合は90%を割り込むところまで下がり、また、ビールと発泡酒を合計したシェアではキリンビールがトップを維持した。
 このような発泡酒人気の中で、「なぜ出さないのか。出遅れているのではないか。」という声を耳にしつつも、アサヒビールは一貫して発泡酒は出さないという姿勢を崩さない。「発泡酒が売れていると言うが、安いから売れているのであって、あくまでも不況対策商品。景気が回復すれば本物のビールに戻ってくる。発泡酒はビールだとは思っていない。」と前社長の瀬戸雄三氏は明言し、また1999年1月の福地茂男社長昇格時の挨拶でも「これからも『スーパードライ』のフォーカス戦略を堅持したい。発泡酒はこれまで通り出すつもりはない。」とそれまでの経営を踏襲する考えを発表したことからも明らかである。
 発泡酒を出さないことについて、現会長の瀬戸氏は2つの理由を挙げている。1つは、オリジナリティを重視し、人の真似はするまいと決めている企業理念。「スーパードライ」発売後の「ドライ戦争」の際にアサヒビールの後を追った3社がドライ市場から撤退していったという、「2番煎じは駄目だ」という原体験が瀬戸氏の心に焼きついているようだ。そしてもう1つは、ビールは麦芽をたっぷり使った、本来の味のもの以外作ってはいけないという企業哲学によるものだと言うのである。「お客様満足の追求」を基本方針とするアサヒビールの、まさに基本コンセプトであると言えよう。
 企業のカルチャーには、変化すべきものと変化してはならないものの2つがある。変化を頑なに拒み、保守的になりすぎては企業の衰退は免れないだろう。そういった事態を恐れる者の立場に立てば発泡酒生産に乗り出すべきだと考えるのも名案であろう。しかし、かといって変化だけに追随するばかりでは、薄っぺらな企業になってしまう。この2つを程よく調和させた企業が成長するのではないだろうか。アサヒビールの場合、「本物をつくる」「最高品質を追求する」という経営哲学が確立されている反面、一方で変化すべきものは大胆に変えていくという市場戦略が良いバランスでミックスされているように思われる。
 変化を読む、変化に対応すると一口に言うが、それは単純な作業ではない。まず、変化すべきものと変化すべきではないものをはっきりと識別する。そして変化してはいけないものをより大事にし、一方で変化すべきものを思い切りよく変えていくところに、企業発展のポイントがあるのだ。アサヒビールの有為転変から得られる教訓はこの一言に尽きるのではないだろうか。

第5章   国際競争力強化のための戦略

 前述したように、アサヒビールはビール部門においてキリンビールを抜いて1953年以来、44年ぶりにビールで業界トップの座を奪回した。奇跡とも言われるこの快挙を成し遂げたことで、舞台が本格的に海外へと移っていくであろうというのがアサヒビールの見解である。
 他社3社もそれぞれ海外で独自の経営戦略を展開しているが、アサヒビールは特に北アメリカ、ヨーロッパ、中国に焦点を当てている。北アメリカは中でも1番新しく、1995年にミラー社と包括多目的提携を結び、また、昨年にはミラー社との合弁会社、アサヒビールU.S.A.Inc.を設立。スーパードライをカナダ「モルソン社」のバンクーバー工場で生産している。北アメリカでは、4社の中ではニューヨークに本店、サンフランシスコに支店を持つサッポロU.S.A.社が13年連続シェアトップの座についている。アサヒビールはヨーロッパへの進出が1番古く、1982年にドイツのレーベンブロイ社と提携したのをきっかけに、1988年にはイギリスのバス社と提携し、昨年にはドイツ最大手のヒンディング・グループと提携、アサヒビール・ヨーロッパLtd.を設立。今年の3月にはバス社傘下のプラハ・ビール社(チェコ)で「スーパードライ」の委託生産の基本合意が成立した。
 販売量では世界第14位に輝くアサヒビールだが(ちなみに、キリンビールは第10位)、海外におけるシェアを見てみると、わずか2%28。ブランドでは、「スーパードライ」が第3位と健闘しているものの、やはり1位の「バドワイザー」の半分の量にすぎない。このような現状をアサヒビールは謙虚に受け止めているようだ。
 さて、4社が今一番勢力を注いでいるのが、世界第2位のビール市場を誇る、中国である。中国への進出は比較的新しく、1994年に抗州、泉州、嘉興ビール会社への資本参加をきっかけに、1995年には中国市場に強い伊藤忠商事と共同で北京ビールと煙台ビール会社の経営権を獲得、そして昨年には青島 酒社ほかと合弁で深 青島 酒朝日有限公司を設立。今年からはこの工場で「スーパードライ」の生産を開始した。インタビューによると、中国でのシェアはグループとしては、5,6位に入るという。なぜ、今中国なのかということに関しては、やはり現在世界第2位のマーケットであるにもかかわらず、1人当たりの消費量が15リッターと、日本やアメリカの5分の1に過ぎず、まだまだ今後のマーケット拡大が見込めると踏んでいるからということだ29。
 アサヒビールは、「スーパードライ」のグローバルブランド化を提唱している。「スーパードライ」は開発当時から先を見込んで作られたということで、その後一切、味の改良は行われていないという30。当然のことながら、中国で販売されている「スーパードライ」も、日本のものと全く同じである。アサヒビールでは、北京、上海、大連、広州の4大都市で嗜好調査を行った。その結果、プレミアムビールへの関心・要望が高かったということだが、こういった中で、最も古くから中国に進出していたサントリーが上海でシェアトップの座に輝いた。この要因は、アサヒビールを始め他社3社がプレミアム価格帯32で勝負しているのに対し、サントリーは大衆価格帯に参入したことと、メーカーの下に大卸、さらに二次卸、三次卸が連なり、小売店を経て消費者に商品が届く中国の流通構造にメスを入れたことである31。これに対して、アサヒビールは試飲キャンペーンといった経営戦略を展開しているようだが、アサヒビールはあくまでも、全国を網羅したいと述べている。今は沿岸中心だが、今後は内陸にも拡大するのでは、と見込んでいるのである。そして、「スーパードライ」は高品質なので、これからもプレミアム価格で勝負していくということだ33。あくまでも、高級イメージでいくアサヒビールのもう1つの戦略は、生ビールへのシフトである。生化に当たっては、中国の流通面の問題も大きく関わってくる34。日本でフレッシュローテーションを売りとしているアサヒビールにとって、中国でも同品質のものを販売するようになるには、かなり長い時間を要するだろう。
日本よりも大幅に安い中国のビール市場は現在、メーカーが500?600社に上っているため、人口約13億人のうち、「誰に飲ませるのか」を明確にする必要がある。「誰にでも好まれる」ことを前提とした日本式のマーケティング手法では、中国市場の攻略は難しいのではないだろうか。

おわりに

 なぜアサヒビールは、中期経営計画を今年(1999年)の夏に発表したのだろうか。インタビューによれば、もちろんアサヒビールがシェアトップの座につき、従来の目標であった「キリンに追いつき追い越す」使命を全うしたこともあるが、酒販免許の緩和35など、取り巻く環境が変わってきたことも大きな理由だということだ。そして新しい試みとして、トヨタ自動車、松下電器、花王、近畿日本ツーリストと共同で統一商品ブランドを作り、販売促進活動を一緒に進めることを発表した36。ブランド名は「Will(ウィル)」。そしてこの秋、「ウィル・スムースビア」という苦みを抑えた若者向けの新製品を発売する。       
 機会を逸するということは、こういった業界では命取りになるので、今しかできないこと、今すべきことを最優先に前面に押し出していくことが、いずれは世界市場の攻略に繋がるのではないだろうか。最後の章で検討した、対中国戦略を練る上でもより強力な力が必要であり、アサヒビールとしては、分割前の初心に返ってサッポロビールとの合併など、大胆な業界再編のリーダーシップを取る可能性が残されているだろう。発泡酒開発費用を削り、さらに、「エビス」、「黒生」など、既に差別化に成功しているブランドを持つサッポロビールとの再合併は、アサヒビールにとって大きなシナジー効果を産むかもしれないし、今後予定しているキャッシュフローを基に他産業を含めた既存優良ブランドそのものの買収などの実践的な戦術が選択可能であろう。
 

【注釈】
1 キリンビール編『ビールと日本人』河出書房 1988年 p.69
2 松村明・山口明穂・和田利政編『国語辞典』旺文社 第八版による。
3 キリン、サッポロ、サントリーのホームページによる。
4 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー。
5 現アサヒビール。
6 独占禁止法の前身。
7 現サッポロビール。
8 分割時の麒麟麦酒のシェアは25.3%で、おおよそ横並びといえる状況
  であった。
9 現キリンビール。
10  1949年?1966年在任。
11  1986年?1992年在任。
12  1982年?1986年在任。
13  キリンの瓶ビールのこと。
14  現在アサヒビールが製造・販売しているビールブランドのうち約93%を
    構成している。
15  1992年?1999年在任。
16  栓抜きが要らず、缶ビールの感覚でダイレクトに飲めるビールの新しい飲
    用スタイルのこと。
17 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー。
18 グラフ1,2参照。
19 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー。
20 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー。
21 グラフ3,4,5,6参照。
22 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー。
23 アサヒビール薬品。ビール醸造で培った技術を基盤に製剤の開発に取り組む。
24 外食産業、物流事業から不動産事業まで、多ジャンルに渡り展開している。
25 グループ間の調整やインフラ整備が整い次第増設する、としている。
26 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー。
27 サントリーは「スーパーホップス」、サッポロは「ドラフティスペシャル」が有力商品であった。
28 Source: IMPACT DATABANKより。
29 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー: 1人当たりの消費量は、日本が約66 リッターでアメリカが約80?90リッター。
30 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー。
31 中国のビール市場は大きく分けてプレミアム価格帯、大衆価格帯、低価格帯の3層構造になっている。中国の大瓶(640ミリリットル瓶)で見ると、プレミアム価格帯は3?6元(1元=約15円)、大衆価格帯は2?3元、低価格帯は2元以下というのが相場になっている。
32 サントリーは大卸を除外し、小規模卸と直接取引した。
33 アサヒビール本社広報部9月8日付けインタビュー。
34 日本のビールメーカーが熱処理しない生ビールを中国市場に本格投入するのは初めての試みである。
35 以前は酒屋でしか販売されていなかったが、これによってビールが、コンビニエンスストアなどでも販売されるようになった。
36 今後、若者層を標的に業界の垣根を超えたマーケティング活動を展開していくという。販売促進活動を一緒に進めることで広告宣伝費の削減も狙っている。

【新聞記事】
日本経済新聞 1999年4月4日朝刊、1999年7月29日朝刊、
              1999年7月30日朝刊、1999年8月30日朝刊、
              1999年9月1日朝刊、1999年9月18日朝刊、
       1999年9月22日朝刊
日経産業新聞 1999年8月3日朝刊、1999年8月4日朝刊、
              1999年8月5日朝刊、1999年8月6日朝刊

【参考文献】
アサヒビール株式会社社史資料室編集『Asahi100』1990年  アサヒビール
清丸恵三郎著『ビア・ウォーズ スーパードライVS 発泡酒』1998年 東洋経済新報社
石山順也著『アサヒビールの挑戦』
山田泰造著『アサヒビール「ガリバーに勝った最前線の男たち」』1999年 プレジデント社
飯塚昭男著『アサヒビール大逆転の発想』1999年 扶桑社
藤沢摩彌子『アサヒビール大逆転:どん底時代をいかに乗り越えたのか』1999年 ネスコ
新納一徳著『アサヒビールの秘密』?成熟市場を制する「マーケティング戦略の強さ」とは何か?1997年 こう書房
小島郁夫著『ズバリ よいビール会社 わるいビール会社』1998年 KKベストブック

【ホームページ】
アサヒビール http://www.asahibeer.co.jp
キリンビール  http://www.kirin.co.jp
サッポロビールhttp://www.sapporo.co.jp
サントリー  http://www.suntory.co.jp
日経goo     http://nikkei.goo.ne.jp