はじめに

近年、日本の産業社会において、不況にあえぐ業界のひとつとして、スポーツ用品業

界がある。1997年では年間販売額が初めて減少し、商店の数は2万店を割り込み、ス

ポーツ用品業界の倒産は過去最高の141件にも上った。また、スポーツ用品メーカー

上場7社の1997年度決算はどれも減収であり、市場規模が2兆1414億円、前年比1.4%

減と市場全体が縮小している。この低迷の要因として考えられることとしては、景気

低迷の長期化や実質所得の伸び悩みなどによる消費の鈍化、少子化、スニーカーブー

ムの終焉、外資系小売業の参入に伴う流通構造の変化などメーカー、問屋、小売り各

層の経営基盤に影響を及ぼす要因が、複合的かつ同時に進行していることなどであ

る。

  こうして業界は低迷しているが、スポーツを楽しむことが日常となっている今日で

は、スポーツ用品は我々の生活には欠かすことができないものとなっている。そして

オリンピックやワールドカップなどのスポーツイベントにスポンサーとして深く関

わっているという点でも、スポーツメーカーが社会文化的な面で重要な役割を果たし

ていると言えるのである。

  日本のスポーツメーカーとして老舗であるミズノは日本のスポーツ文化の中心と言

える野球と深く結びつき、長年親しまれてきた。しかし、現在ではナイキやアディダ

スなどの海外メーカーが国内市場に次々と進出し、そんな状況の中、ミズノは自らの

シェアを維持していくことが困難になってきた。ミズノがなぜ国内での優位を保てな

くなってきたのか、人気を奪われてしまったのかを考えていき、これからの展望を探

る。なお、その際に街頭でのアンケートの計数処理や、ミズノの東京支社で行なった

インタビューを交え、スポーツ用品業界の現状をより明確にすることを、論文の中心

課題に添えるものとする。

第1章   経営戦略

ミズノは、1906年に創業者である水野利八が、洋品雑貨を扱う水野商店を開業したこ

とに始まり、1910年に野球用品の販売を手がけ、運動服装の生産を開始たことでス

ポーツ業界に進出した。翌1911年には、運動用具の生産を計画、1913年に大阪・堂島

に同社初の工場を開設し、運動用品の本格生産を開始、さらに1921年本店舗の移転と

工場の拡張移転により、スポーツ用品企業としての色彩を強めた。この間大阪実業団

野球大会(1911年〜)、関西学生連合野球大会(1913年〜)、を開催してその名を一躍世

間に広めた。1923年に「美津濃運動用品株式会社」に改組改称し、資本金150万の「美津

濃運動用品株式会社」を設立するに至った。1942年には社名を「美津濃株式会社」に変

更し、翌1943年には生産の主力となる養老工場を開設した。現在、生産は海外の工場

でもおこなっているが最終的な組立などはこの養老工場でおこなっている。

  戦時中、養老工場以外は軒並み被災や閉鎖にあったものの、1945年には一部活動を

再開した。この時期は「スポーツ聖業論」を説く社長の命令で、貧しい素材での品質

維持に努めていた。この頃から部活動を中心にスポーツの社会的意義が認められはじ

め、需要が急激に増加したのに伴い、ミズノは急成長を遂げた。

  1972年資本金を12億に増やし、東証、大証一部に株式上場を果たしたが、直後にオ

イルショックが起こり、業績悪化の可能性が大きくなった。デサントなどの企業がCI

を導入しはじめ、ミズノもこの時ロゴマークを制定し、社名も「美津濃株式会社」から

「ミズノ株式会社」に変更するというCIを導入した。

  ミズノは「より楽しいスポーツライフとスポーツの振興を通じて社会に貢献する」と

いう経営方針を掲げ、創業以来小さなスポーツ大会から、オリンピックをはじめとす

る様々な国際大会に至るまで、幅広い協力を行ってきた。1964年東京オリンピック

,1972年札幌オリンピックに協力し、1980年モスクワオリンピック、1984年サラエボ

オリンピック、1988年ソウルオリンピックではオフィシャルサプライヤーとして、

1992年バルセロナオリンピック、1994年リレハンメルオリンピック、1996年アトラン

タオリンピックではオフィシャルスポンサーとして、1998年長野オリンピックにおい

てはゴールドスポンサー第1号として活躍した。そして、1998年9月15日にはIOC(国際

オリンピック委員会)との間で役員用ユニフォーム納入に関する公式サプライヤー契

約を結んだ。この契約はシドニーオリンピック等でサマランチ会長などメンバーやス

タッフが着用するユニフォームの提供を約束した内容で、ジャケット、スラックス、

スカート、セーター、ポロシャツ、ウインドブレーカー、ランニングシューズなど17

アイテム、1230余名分である。今回の契約によりミズノはIOCに対するオフィシャル

サプライヤーの呼称を使用する権利を得ることになった。 オリンピックへの協力は

大変な費用がかかるうえ、すぐに業績に結びつく訳ではないが、競技スポーツに力を

入れているという企業姿勢や、オリンピックを通じて世界平和に貢献したいという願

いを明確に表現できる。また納入した製品を使った選手がメダルを取ることによって

かなりのPR効果があり、長野オリンピックでもスキーの日本代表が着用したフライト

ジャケットはプレミアがつき、売上げに大きく貢献した。

  ミズノでは企業倫理規範の中に「自然保護など地球的規模における環境保全に配慮

する責任がある。」と明記し、環境保全に取り組むことを企業経営においての最重要

課題の一つに挙げ、Crew21という独自のプロジェクトを行っている。

  取り組みとしては、原材料に関しては汚染物質を含んでいないか、リサイクルでき

るのか、輸送をいかに合理化するか、包装材をいかに簡略化するか、さらに耐用年数

を終えた製品をどうするかなど原材料から製品の寿命がつきるまでの全ての段階で環

境上なし得る配慮をしていく。長野オリンピックでミズノが納めたスタッフ用公式ユ

ニフォームはほぼ100%溶かせばナイロンに戻るリサイクルウエアとして、話題を呼

んだ。そのほかにもペットボトルからリサイクルした人工皮革を使ったランニング

シューズ古タイヤをリサイクルしたチップライバーを使ったウォーキングシューズ、

リサイクルラバーグリップを装着したゴルフクラブなど材料を見直したり、廃棄処理

を配慮した商品開発を行っている。このような取り組みは環境問題という大義名分だ

けでなく、可能な限り無駄を省くことで経営上の効果も期待できるという。また、主

力の養老工場では、ダイオキシンの出にくい「高温無煙焼却炉」を導入して、プラス

チックや木の研磨くず等の廃棄物を焼却し、煙で周辺に迷惑をかけないようにしたり

する努力が評価され、スポーツ業界初のISO14001注1)の認証を取得した。

商品開発面において、ミズノの取り扱いアイテム数は主力のゴルフ10万点、ニット14

万点をはじめ総計41万点にもおよび、その数では業界最大手である。商品の研究開発

はセレクト科学研究所を設置した1938年から始まり、1949年6月には同研究所を技術

開発部に拡充し、製品開発、品質改良のための機能を強化した。1993年4月には商品企

画、開発、生産機能を合体し、ウエア、グッズの両マーチャンダイジング本部を発足

させ、商品力強化を一段と推進している。また海外のスピード社、ボグナー社、オリ

ンピック・ギュオ・社、コルマー社と技術提携を結んでいる。 商品開発にはトップア

スリートの助言が欠かせないとして、著名選手とアドバイザリー契約を結び、その意

見を大いに採り入れながら、コンピューターによる設計やシュミレーションと、実際

のデータの収集、解析を繰り返し行い、科学的理論と確かな裏付けの下に商品を市場に

送りだしている。ゴルフでは米・欧PGAツアー注2)において、ミズノ製アイアンがその

使用者数、賞金獲得総額、トップ10フィニッシュ使用者数の3部門でトップになるなど

と、世界的に高い評価を得ている。街頭でのアンケートによると、ミズノの製品を

使っている人は、機能性は評価しているが、ファッション性については他社よりも劣

ると応えていた。その事について、ミズノの広報担当者はインタビューにおいて機能

勝負でファッション界への進出はない、とはっきり述べていた。

  レジャースポーツは景気の影響を受けやすいので、景気に左右されにくい競技ス

ポーツ関連で勝負していく方針を採用している。これまでに培った技術をいろいろな

スポーツ用品に水平展開できる強みがあるので、さらなる品質と機能性の向上により

他社にはできないものを提供することがミズノのもつべき力、存在価値だとミズノの

現社長は語っているように、品質と機能を最重視した商品開発を行っている。しかし

景気の低迷、競技人口の減少、海外企業の進出などにより市場は行き詰まりをみせて

おり、商品差別化の際に、品質と機能だけでは生き残りが難しいとされるようになっ

てきている。

第2章   多角化戦略

  ミズノの多角化には大きく分けて二つの方向がある。そのうちの一つを語る上で最

も重要な出来事が、1988年5月のトップ交代である注3)。 創業者の故 水野利八氏

の跡を継ぎ、1969年以来、社長を務めてきた水野健次郎氏が会長に、その長男で、副

社長だった水野正人氏が社長に就任した。

  新しい指揮者の登場により、ミズノの事業範囲は一気に拡大した。それまで「より

よいスポーツ用品とスポ−ツの振興を通じて、社会に貢献する」をモットーにスポー

ツ用品の製造販売に専念してきたミズノは、この年を契機に、「スポーツライフ提案

企業として社会に貢献する」を旨とし、製造業、流通業に加えて、サービス業も同社

の柱として育て、相互シナジー効果もねらい始めた。過去のボーリングブーム、ゴル

フブームの際にも、人材逸脱による製品の品質低下などを懸念して、経営の多角化に

は見向きもしなかった同社が、90余年の伝統的企業理念を受け継ぎつつ、事業環境の

変化に合わせた業容の拡大に着手したのである。ミズノはそれまで、スポーツ用品の

製造、卸、小売によって売上高を伸ばし続けてきた。しかし、その分野別構成比を見

ると、ゴルフの伸びが著しく、その他のスポーツ分野では、軒並み減少となっている

のが現状だった。今後も長期的に売上高を伸ばしていくには、ゴルフに並ぶ、または

それを追い抜くもう一つの柱が必要になった。そこで挙がったのが、スポーツサービ

ス業である。「今、企業がすべきことは、新商品の開発でも、宣伝でもなく、誰もが

スポーツを楽しめるだけの条件を整えることである」というのが、新リーダー登場後

のミズノの経営方針である。

  これまでにも、ミズノは日本のスポーツ・ソフトを先導しているといっても過言で

はない活躍してきた。例えば、1906年の創業からわずか5年後には、現在の都市対抗

野球の母体となった「大阪実業野球大会」を、さらに2年後には、現在の全国高校野

球の母体となった「関西学生連合野球大会」を開催し、今日のアマチュア野球の基礎

を築いている。その後、1965年には、ミズノ初のプロゴルフ大会「グランドモナーク

・ゴルフ大会」を開催し、現在に至るまで数多くのゴルフトーナメントを開いてい

る。さらに、1980年代にはスポーツシンポジウムMOC注4)や、スポーツファッショ

ン大賞の開催、モータースポーツへの参入も成功させた。1990年代に入ってからは、

ジャパン・オリンピックフォーラム(MOC)を開催、1996年には、創立90周年記念

イベントとして、ミュージカル「ダンサー」を公演するなど、多方面に進出している

注5)。

  ソフト関連ビジネスであるスポーツスペース業でも、ミズノは日本のスポーツを先

導している。1988年スポーツ・リゾート基地マーブ・コブチザワオープン、1989年マ

ンションとフィットネスクラブの複合施設サウスサイドコートオープン、スポーツ旅

行を手がけるミズノトラベルの設立。このほかにも関連会社がいくつかあり、レンタ

ル事業、リース事業、旅行事業、マリンリゾート事業、保険事業、金融事業、ゴルフ

会員権売買、ゴルフ場コンサルティングなども手がけてきた。注6)

しかし、以上のソフト分野、ソフト関連分野は別とすれば、商品開発を含めたハード

分野について、ミズノは、次のように語る。「ハード分野での多角化は考えていな

い。あるとすれば、多角化ではなく、専業化である。」つまり、機能性のほかに、ブ

ランド性、ファッション性も重視し、総合的戦略を進めているナイキに対して、ミズ

ノは、機能性のみを追求して差別化をはかるというのである。例えばスーパーフラッ

トプレス製法と呼ばれる、糸を全く使用せずに、ゴムの部分と、水着素材を高熱処理

によって圧着させる方法で抵抗を軽減した水着や、強度、通気性、耐久性など、特性

の異なるメッシュ素材を使い分けるなどの新設計によって、約23%の軽量化を図った

ランニングシューズ「WAVE LAZER」などのみの開発に止め、流通機構への

多角化戦略(垂直統合)のような、新戦略は抑制している。「ファッション界への進

出はしない。我々の対象は、スペシャライズでスポーツする人々なのである。」そう

語るミズノは、ある方面だけを深く掘り下げていく、「専業化」という経営戦略によ

り、現在のスポーツメーカーとしての日本における地位を確立しようとしている。



第3章   流通戦略

  これまで日本のスポーツ用品店は、「暗黒大陸」と呼ばれてきた。国内における小

売店の現状として、独立系の中小小売店が多く存在しているのである。メーカーは問

屋を介さなければ、それらの中小小売店に商品を供給できない。そのためメーカー、

問屋、小売店という多段階の流通構造が温存されてきた。 しかし、最近になって変

化の目が現れつつある。外資のスポーツ専門店が相次いで日本に進出し始め、従来の

日本の取引慣行とは違って、商品は問屋を通さずにメーカーから直接仕入れる方式を

採った。問屋などの代理店を一切使わないこの直販体制を、実はミズノは以前からデ

パートや百貨店などの大型小売店に対して行っている。ではそのシステムは効率的に

働いていたのだろうか。中間マージンを削減できる利点はあるにせよ、ミズノが扱っ

ているアイテム数が多すぎることもあり、その管理は隅々まで行き届いていなかった

のが今までのミズノの販売体制の実態である。小売店への卸し形態が未発達であると

言わざるを得ない。また、ファッション性の欠如のため一定の需要が見込めないのも

弱みの一つであろう。つまり商品の需要が自然発生的であり、販売ルートが明確にさ

れていないのである。そして、この不安定な流通状態を自覚していないミズノ自身に

も問題はある。 

第4章   財務分析

ここでは、1998年度の決算広告を基にミズノの経営の財務体質を分析する。まず売上

高を見てみると、1993年をピークに下降傾向にあるのがわかる(図1参照)。これは

単に業界のシェアを落としたりしているだけではなく、少子化により、学校の部活な

どでのスポーツ競技人口が減少していることや、サッカー人気が衰退してきているこ

となどが影響している。さらに、ファッション性のスポーツという点では、ナイキな

どの国内市場参入によりシェアを奪われていることも理由の一つに上げられる。ま

た、売上のシェアを見ると歴史的に古くから販売しているゴルフと野球で5割以上を

占めており、現在流行のスポーツや次世代のスポーツ用品といったものが成長してこ

ないのも伸び悩みの原因の一つであろ

う。

  次に会社財務カルテ注7)を見てみる(表1及び図1〜4参照)。株主資本を使い、ど

れだけの利益を生み出したかを示すROE注8)を見てみると、0.94%であり、1996年度

の平均は2.11%であることから決して良いとはいえない数値である。株式会社制度の

本旨が株主から資本を募り、事業活動を行うことである以上、ROEの向上は、企業に

とって重要な目標でなければならない。企業が事業活動に投下した総資産に対する収

益の水準を示すROA注9)は、1.67%、これも1996年度平均4.04%から比べると低い数

値である。経常利益注10)は年々わずかながら減少傾向にあり、当期純利益注11)を見

ても増減を繰り返しつつも減少傾向にある(1996年には多額の損失を計上したが、こ

れは特別損失によるものであった)。売上高経常利益率注12)は1993年以降ほぼ横ば

いの状況である。しかし、この数値もとの企業と比べてもあまり良い数値ではない。

また、資産利用の効率性をみるもので経営活動を行うための資産が売上高によって年

に何回入れ替わるのかを示す総資産回転率注13)が0.99%。手持ちの棚卸資産が売上

に立つのに何カ月かかったかを示す棚卸資産回転率注14)が、1.77ヶ月で在庫を抱え

過ぎていることがわかる。

以上のように、ミズノの財務事情は現在厳しい状態であり、戦略としては、今のとこ

ろは維持するので精一杯といったところである。それでも常に新しい商品を市場に供

給していかなければならないために、近年は人件費・広告費・宣伝費等を削減して商

品開発や設備投資を行っている。また売上高だけを見れば、確かにミズノはスポーツ

業界の他の企業よりも優れた業績を収めてはいるが、ROE・ROAをはじめその他ほとん

ど全ての指標において上場企業の平均値を下回った業績である。これからはまず、こ

の脆弱な財務体質の改善に努める必要があると思われる。



第5章   労働生産性分析

ミズノの労働生産性を見るのに、同業企業であるデサント、ゴールドウィンと比較し

てみると、その水準の低さがよく解る。ミズノは2社と比べ資本面、従業員数注15)と

もに企業規模としては大規模であり、1997年においてその粗付加価値生産額注16)は

32,707百万円とデサントの約1.6倍、ゴールドウィンの3.4倍を誇る。しかし、これを

一人当たりで比較すると、ミズノの労働生産性(粗付加価値生産額/従業員数)が

858万円であるのに対し、デサントが19,17万円、ゴールドウィンが1,300万円と逆に

大きく下回る。人件費注17)の点では、従業員一人当たり617.94万円とデサントの

1,014.36万円やゴールドウィンの743.89万円に比べ低くはあるが、従業員数を考慮す

ると人件費削減も大きな課題となるであり、また、それに伴い人員削減も必要であろ

う。現にミズノは近年大幅な人員削減を実施しているように見受けられる。1996年に

は3,911人であった従業員数は1997年には3,714人1998年には3,270人と3年間で、444

人もの削減を行っている。注18)しかし、現状から考えてこれらの削減策だけを推し

進めても、大幅な躍進に繋がるとは考えがたい。それに伴う労働準備率、設備投資率

の増加を含む個々の生産性の向上を目指すべきであろう。



第6章   対抗企業比較分析

 ミズノから市場を奪った企業、ナイキを中心に外資系企業の日本市場におけるマー

ケティングの成功例を取り上げたいと思う。日本に進出した歴史も浅ければ、会社の

歴史自体も浅いナイキがなぜこれほどまでに世界でトップを取れるようになってきた

のかみていきたい。そして、いくつかの要因からミズノと比較して考えていきたいと

思う。

 スポーツメーカーの供給の原点は選手である。現在、多種多様なスポーツが存在し

ている。よって、そのメーカーの発表する技術が様々なスポーツの公の大会で使わ

れ、結果を出し信頼されていく必要があると思われる。それがそのメーカー全体の技

術への信頼度と結びついていくからである。そしてスポーツ愛好家への信頼度も同時

に獲得していくことができる。1964年ナイキは初めブルーリボンスポーツ注19)とい

う名の会社で、創立された。創立者フィリップ・ナイトはその当時としては低価格で

高技術を実現していた日本製シューズを高く評価し、製造をオニツカ・タイガー社

(現アシックス)に委託、輸入、販売していた。1972年、オニツカ・タイガー社との

間でトラブルが生じ、両者の関係は断絶状態になってしまうが、自らが開発した

「ワッフルトレーナー」注20)がアメリカでベストセラーになり、その名が知られる

ようになる。国内で自社の技術が初めて認められたのである。その後も独自の「エ

ア」システム注21)を塔載したシューズを次々に発表し、それらの商品を公式の大会

で選手が使い良い結果をもたらすことで、技術への信頼度を獲得していったのであ

る。ミズノは日本の野球とともに歩んできたメーカーであり、 野球における技術開

発には余念がない。また日本のメーカーということもあって、日本人の体型の特徴を

つかみやすく、それをすぐに技術に結び付けることのできるというおおきなアドバン

テージを持っている。

良い技術の商品を発表しても多くの人に知ってもらわなければ意味が無い。そこで必

要となっていくのが宣伝広告である。もちろん公の大会で結果を出せば、宣伝効果は

望めると思えるが、それだけでは不十分であろう。TV、本、車両広告などあらゆる

広告スペースを有効に使う必要がある。またナイキが有名になるきっかけをつくった

個別スポンサー契約は、強力な宣伝効果をもつと思われる。1978年にナイキは、テニ

ス界の問題児マッケンローとスポンサー契約を交わした。マッケンローは行動、言動

ともに大胆で、人々の目を集めやすくナイキのマークもより多くの人々に見られるよ

うになっていった。彼が問題を起こせば起こすほどナイキの宣伝効果は上がっていた

のである。その成功例に見習い、1985年にNBA注22)のスーパースター、マイケル

ジョーダンとスポンサー契約を交わし、同時に「エア・ジョーダン」という名の商品

も発表。ナイキはアメリカにおいて人気のあるスポーツ、バスケット・ボールのプレ

イヤー達からも人気、支持を得るようになったいったのである。現在もタイガーウッ

ズや野茂、ブラジルのサッカー代表チームなどといった比較的TVで目にし易く人気

のある選手、チームとスポンサー契約を交わしている。以上の事から個別スポンサー

契約は、優れた選手が使うものは優れているという技術の宣伝にとどまらず、有名な

選手は活躍する機会が多く、人の目を集めやすいのでそれだけで宣伝の価値はあると

いうことになるのである。そういった選手達をCMに起用したり、様々な大会に招く

ことでも効果はあるだろう。そして宣伝広告は、良いブランドイメージを築くために

欠かせないものであると思える。ナイキは日本に進出するに当たって宣伝広告活動に

大きく力を注いだ。では商品を前面に押し出さず、CMの最後にロゴマークを出すだ

けのものであるが、今では「新しい」、「かっこいい」というイメージを持つ人が多

い。CMの印象の良さがそのままナイキの印象の良さにつながったのである。アディ

ダスも同じようにベズ社長自ら「売上高の20%を宣伝広告費に投入しても構わな

い。」と断言している。また、ベズ社長は、「日本ではゼロからブランドを構築し直

さなければならない。そのために必要な費用は投入する。売上高に占める割合は関係

ない。」とも言っている。宣伝広告活動は、ブランドを構築するために必要不可欠な

のである。ミズノは日本の野球との深い結びからCMにオリックスのイチローや、巨

人の松井を出演させている。またCMをある一定の時間枠の番組内で放送する権利を

獲得しているが、それ以外であまり目にする事はない。国内で行われる野球の様々な

大会にもスポンサーとして協力し、オリンピックにもオフィシャルスポンサーとして

参加している。

  ただ、以上のように宣伝し、皆に知ってもらっても店頭に商品が置かれなければ

買ってもらえない。大衆消費社会の今日、多種類の商品がメーカーから発表され、販

売されている。多くの商品を販売ルートにのせるためには、流通経路の大規模化と簡

略化が必要となってくるのではないだろうか。仲買をなるべく通さずメーカーから直

接仕入れする。返品はせず、仕入れも現金で決済する。以上のような事はすでに外資

系大手スポーツチェーン店が行ってきたことである。年間に発表するアイテム数が多

ければ多いほどそういった流通が必要になってくると思われる。よって国内に昔から

あるような街の小さな小売店中心の流通慣行を改め、デパートや外資のスポーツ専門

店のように大規模な売り場面積を持った店で取り扱うように変換していく必要がある

と思われる。ナイキはアメリカ国内の大手スポーツチェーン店と密接に結びつき大規

模で簡略な流通を行ってきた。また直営店も様々な国に設け、流通ルートを確保して

いる。ミズノは日本に昔から存在している特有の取引慣行に乗っ取って流通を行って

きた。よって、自社流通システムおよび直販システムを確立させていない。

  生産の状況もそのメーカーに強い影響を及ぼす。ナイキは創立当時自分達で生産せ

ず、日本のオニツカ・タイガーが作った製品をそのまま輸入販売していた。現在では

生産のほとんどを東南アジアを中心とした労働力の安い国で行い経費削減に努めてい

る。ミズノは生産の主力を養老工場で行い、国内生産重視の傾向が強い。

  そして、そのメーカーの出す商品が売れる背景にはユーザーが使いやすいかどう

か、価格、デザインなどが影響してくるが、絶対にはずして考えられないのがブラン

ドである。ブランドはユーザーがそのメーカーに対するイメージ、知名度に関係して

くるものでもあり、非常に重要であるといえる。消費者がどのメーカーのものを買お

うか迷ったときに、ブランドの優劣が選ぶ上での優先順位につながってくるといえ

る。またそのメーカーの出すアパレルが売れる背景にはブランドの強さが関係してく

ると思われる。外資系企業が日本で成功を手に入れる背景にもブランドマーケティン

グが大きく関わってくると思われる。そしてナイキは「商品ブランド」を見据えた

マーケティングで成功し、「企業ブランド」も確立することができたのである。過去

日本にはその人物、キャラクターを想起させる「仮物キャラクター」商品がいくつか

あった。月星シューズが作った「アトム」シューズは名前の通り「鉄腕アトム」のイ

メージに結びつけて作られた。ナイキもジョーダンが実際に試合で使用し、そのまま

製品名に彼の名前をつけた「エア・ジョーダン」を発表しているし、ミズノもイチ

ローの人気にあやかり彼が使っているのと同じ型のグローブとうたって「イチローモ

デル」を出した。それらの商品はそれぞれに人気を生んだが、1995年に日本でヒット

し社会現象までも生んだ「エア・マックス」はそれらを越えたと思われる。「エア・

マックス」は「仮物キャラクター」ではない。ヒットした原因はその製品に「商品ブ

ランド」が生まれたからなのである。そして、「商品ブランド」が「企業ブランド」

に結びついていったのである。日本でスポーツ業界において「商品ブランド」がはじ

めてもたらした結果といえる。その結果はナイキ日本進出の足がかりをつくるほど

上々であったのである。よって「商品ブランド」は非常に重要であるといえるだろ

う。ミズノもブランドを重要なものだと考えている。ミズノ創立当時にブランドとい

う概念が無かったが、長年野球やゴルフに関しては信頼と知名度があり、近年ブラン

ドという概念ができはじめてから、信頼と知名度がそのままブランドに結びついた。

そのままブランドを獲得したため、外資系企業に比べ、特にブランドマーケティング

に力を入れてこなかったように思える。また、「商品ブランド」をあまり重視せず、

あくまで「企業ブランド」の中の「商品ブランド」という考え方が強い。

  またグローバルな視点で経営を展開していくために必要なことがある。それは、そ

の国一番のスポーツカテゴリーを押さえて、商品を開発、発表することである。国、

地域それぞれには伝統的に人気が根強いスポーツが様々あると思われる。ヨーロッパ

だったら圧倒的にサッカーが人気を持っている。日本では野球であろう。サッカーの

人気はまだ新しいものと思われる。それぞれ国の国民性・歴史に、どのスポーツの人

気があるか異なってくると思われる。そういったスポーツに携わって商品を開発・発

表しなければ、需要の見込みが少ないと思われるし、一定の需要を得る事もできない

からだろう。逆に人気のあるスポーツと結びついていけば、その国内で将来的にも安

定した需要が望めると予想される。さらに伸びる可能性もあるといえる。またその国

のスポーツ文化への結びつきを得る事ができ、知名度を上げる事につながっていくだ

ろう。ナイキも、ミズノもそれぞれの国内で人気のあるスポーツと結びつき存続して

きた。



おわりに

  以上がスポーツ業界において忘れてはならない要因のいくつかであり、それに対し

ミズノと他社がどのように取り組んできたのかを述べた。最後にミズノがこれから市

場を守り、奪回していくためには何をしていったら良いか考えていきたいと思う。

  まずは宣伝の問題から見ていきたいと思う。宣伝は前にも述べた通り非常に重要で

ある。しかし、他社に比べ宣伝広告に力を入れてないように思える。現在のミズノの

財務状況を考えるとこれ以上費用をつぎ込めないだろう。かと言って宣伝を軽んじる

事は出来ない。経費をもう少し広告宣伝費にまわすためには、現在の生産方法の見直

しが必要になってくるのではないだろうか。自社の工場を持たず、労働力の安い国で

全面生産を行う。ようするにファブレス企業へ転換するのである。組み立てだけであ

るとはいえ国内で生産するより経費削減に大きく貢献すると思われる。そうすればも

う少し宣伝にも力を注げるのではないだろうか。また各社が行っている個別スポン

サー契約を、もう少し重視していくべきだと思われる。様々ある宣伝方法のなかでも

効果的であると思われているからである。

  流通ルートにも大きな問題を抱えているように思える。現在では外資系企業の日本

進出に伴って海外の大手スポーツチェーン店が次々と進出してきている。現在の小売

りシェアは中小小売店が6割、国内の大手専門チェーン店、スーパーが3割、百貨店が

1割といわれるが、今後も続く外資専門店の日本進出状況からあるスポーツメーカー

の幹部は、「5年後には中小小売店のシェアは3割に落ち込む」と予測する。そうなれ

ば日本の取引慣行は、一気に簡素化され、外資のメーカーにとっては日本で事業を進

めやすい環境が整ってしまうのである。全米最大のスポーツ専門店であるスポーツ

オーソリティでは売り上げの約8割を外資のブランドが占める。よって外資の専門店

が増えるにしたがって、国内のブランド劣勢に立たされるのである。こうしたスポー

ツ用品の流通構造の変化の中で、ミズノは生き残りの策として、まずは自社の流通改

革を押し進める必要がある。初めに必要とされてくるのは、小売店で売れ残った流動

資産・棚卸資産を減らすことである。このためには、売り上げの大部分を占める野球

・ゴルフ・スキー用品などをセットで販売するなどアイテム数を減らすことにより、

より管理しやすく効率的な流通体制を整えなければならない。また、この場合にセッ

ト販売できない専門的なスポーツ、いわゆるマイナースポーツについては、それ専門

の別会社を設立するなどの対処が必要である。次に必要なのは、未開拓市場の開拓及

びその管理である。このためにはPOSシステムなどのオンラインシステムが不可欠

になってくる。各小売店をPOSシステムで結ぶことにより、本社での在庫管理・需

要管理の体制も確立される。またPOSシステムを導入するにあたっては、すでにこ

のシステムで成功を収めている大手コンビニエンスストアなどと提携するのも有効で

はなかろうか。技術・ノウハウの提供だけでなく、例えばそのコンビニエンスストア

の店頭に商品のリストを並べてもらい、その場での注文が可能になるだけでも収益と

してはかなり違ってくるだろう。またインターネットを使っての注文・販売が行われ

ていけば、在庫が余ったりすることなく効率的な流通ができると思われる。

  最後に考えられるのは、ブランドとして力が劣っていることである。またブランド

マーケティングの戦略が立てられてないと思われる。ミズノの製品は日本において野

球、ゴルフで良い成績を収め海外においても評価は高い。社の方針が性能重視の商品

を世に送り出そうとし、選手が満足してくれるものを市場に送り出せればいいと考え

ているからである。もちろんどこのメーカーも機能向上を追求している。もし質的な

問題で両者が拮抗したならば、あとはブランドやデザインで決定されるのではないだ

ろうか。そうなればミズノは劣勢に立たされる。不況の世の中でナイキのような思い

切ったプロモーション戦略はできないにしても、イメージの転換つまり、ブランドの

再構築が必要になってくるのではないだろうか。もしくはSPEEDO(スピード)のよう

に、海外のブランドと結びついて新たなブランドを築き、競泳用水着のシェアを獲得

したように、ほかから有力なブランドを買ってきてミズノという名前をださず、まっ

たく新しいブランドで改めて市場奪回に挑んでいくのも一つの手だと考えられる。ま

た、アパレルでほとんどミズノが進出できないのもブランド力の欠如が関わってくる

と思われる。確かにアパレル方面で優位な立場に立つためには、ブームをつくってい

かなければならないし、その後もヒット商品を出し続けていかなければいけない。

ブームが去ってしまえば、その後に残るのは在庫の山でしかない。大きなダメージを

こうむるだろう。そのようなリスクは現状ではとても犯せない。しかし競技中心の

マーケティングでは市場が限定され、学校におけるクラブ活動の低迷などあいまっ

て、現時点で競技需要が拡大する可能性は低いと思われる。そうなれば現在、スト

リートカジュアルと密接に結びついてきたスポーツブランドの流れに焦点をあて、日

常での需要を伸ばしていく必要性があるのではないだろうか。今すぐにブームをあて

なくともそういった流れに合わせたブランドマーケティングを地道にしていくべきだ

と考える。よってミズノがこれから市場を奪っていくためには、ファッションブラン

ドへの開拓が必要となってくるだろう。まだアパレル方面に力をいれていないミズノ

にはまだ大いに可能性を秘めていると思われる。地道な努力によって国内ブランドが

海外ブランドと互角にわたりあえることを証明して欲しいと思う。

 

参考資料(アンケート分析結果)

    アンケートは、10代、20代、30代以上を中心に約150人に行い、その結果を10

代、20代30代以上としまとめた。アンケート結果は次の通りである。



   10代

      野球をやっている人にはミズノに人気が集まるが、他のスポーツにはナイキ、

アディダスに幅広く人気が集まった。しかし、ミズノの機能は高いという声も多かっ

た。また、ミズノが長野オリンピックのオフィシャルスポンサーだったことを知って

いますか、という質問と、ミズノのCMで印象に残ったものはありますか、という質問

でNOと答える人が半数を大きく上回る結果となった。

      少子化が進み、中学、高校で部活動をしない子供たちが増えてくる中で、好き

なスポーツメーカーはありますか、という質問にNOと答える人も多く、スポーツメー

カー不人気さもうかがえる。



   20代

      20代も10代と大きな違いはなく同じ様な結果となり、ミズノは野球、ゴルフに

は人気があるが、ナイキのような広範囲さは見られない。またミズノのファッション

性を調べるためナイキ、アディダスと比較し10段階で答えてもらったところ、ミズノ

4.0、ナイキ7.7、アディダス7.1とミズノの製品はファッション性に欠けることがわ

かった。



   30代以上

      30代以上も10代、20代と大差はないが、ゴルフが目立つようになり、ミズノの

知名度も少し高くなっている。長野オリンピックのオフィシャルスポンサーだったこ

とを半数の人が知っていたことは、10代、20代には見られないことである。また、今

は野球をしていないが小さい頃に買ってもらったグローブが確かミズノだったという

人もおり、この年代の人と野球とミズノの関係も見えてくる。

    注釈

注1)Professional Golfers Associationの略称。

注2)環境の悪化を食い止め、改善していくために開発された環境マネジメントの国際

規格のこと  で、1996年9月に制定されたものである。

注3)『ノムラ・サーチ』 野村総合研究所,1989年,18−25項参照。

注4)Mizuno Opinion Concertの略称。

注5)インターネット上のミズノのホームページデータを参照。

注6)『週間ダイヤモンド』 ダイヤモンド社,102−105項参照。

注7)1998年『東洋経済新報』に記載。

注8)株主資本利益率の略で、当期純利益/株主資本*100で算出。

注9)総資産収益率の略で、事業利益/総資産*100で算出。

注10)営業利益+営業外収益−営業外費用で算出。

注11)税引前当期利益−税額で算出。

注12)経常利益/売上高*100で算出。

注13)棚卸資産/月平均売上高*100で算出。

注14)売上高/総資産*100で算出。

注15)従業員数には嘱託・受入社員を含み、臨時工・出向社員を除く。

注16)粗付加価値額=人件費+賃借料+租税公課+支払特許料+減価償却実施額+営

業利益

注17)従業員数には嘱託・受入社員を含み、臨時工・出向社員を除く。

注18)1998年の従業員数のみミズノのインターネット上のデータを参照。

注19) フィリップ・ナイトとビル・バウワ−マンが500$ずつ出し合って設立したナ

イキの母体。

注20) ワッフルを焼く鉄板を型にして作った靴底「ワッフルソール」をつけたシュー

ズ。

注21) ナイキの販売特許となる革新的技術。ソール内に空気が入っているような履き

心地を実現した。

注22) National Basketball Associationの略称。アメリカ国内のバスケットボール

リーグ。

  参考文献

『日本会社史総覧 下巻』  東洋経済新報社,  1995年,  1522頁

『日経ビジネス』  マグロウヒル社,  1998月6月22日,  92−93頁

『ノムラ・サーチ』 野村総合研究所,  1989年,18−25項

『週間ダイヤモンド』 ダイヤモンド社,  1991年 3月 23日,  102−105項

『会社の比較:業種別企業ランキング』  ダイヤモンド社, 1998年,

『アメリカ会社四季報』  東洋経済新報社, 1995/96年,  632頁

『会社財務カルテ』  東洋経済新報社, 1998年,  1592頁

『全国上場会社日経経営指標』  日本経済新聞社,1998年春,  776頁

『日経ビジネス』  マグロウヒル社, 1998年2月23日号,  52−56頁,

                                   7月6日号,  16頁

恩蔵直人著  『競争優位のブランド戦略』  日本経済新聞社  1995年, 34−105頁

『広告批評』 (215号)  マドラ出版, 1998年4月,  58−120頁