<はじめに> 97年、消費税が3%から5%に引き上げられ、4月から6月の経済成長率(GNP)がマ イナス11.2%成長と、23年ぶりの落ち込みになった。この落ち込みは国民の景気に対 する不安感により財布のひもをゆるめる状況ではなくなったためといえる。しかし、 “世界で一番消費されている酒”として地位を保ちつづけるビール業界は各社の不断 の経営努力と好況・不況による影響度が小さいこともあり、定番商品の抜群の伸び、 地域限定ビール・季節商品も定番化しているし、また、発泡酒の好評も見逃せない程 で、安定した成長の路線を歩んでいる。 しかし、その成長の裏側では、常に市場シェアをめぐる激しいバトルが繰り返され ている。長年ビール業界では、キリンが60%以上のシェアを誇っていた。しかし、こ のキリンを十数%侵食し、サッポロを抜いて2位の座に就いたのがアサヒである。更 に、これに貢献した『アサヒスーパードライ』は同じく、長年トップブランドであっ た『キリンラガー』を抑え、王座についたのである。キリンは今年(97年8月)、東京 ・京都・広島の3工場を閉鎖する一方、新規採用の抑制などで、千人規模の人員削減 を行なうことを柱にした経営計画を発表する(1)にまで追い込まれた。更に、発泡 酒がエコノミービールとして消費者として受け入れられており、その人気をもはや無 視することはできないと、ついに来年早々からでも発泡酒市場に参戦する旨を発表 し、キリンの焦りが表面化した。 ここまでキリンを追いつめ、ビール業界を大きく変動させた現在のアサヒビールの 要素をこれから追っていきたいと思う。 第1章 アサヒビールの歴史 アサヒビールは『大阪麦酒』、『札幌麦酒』、『日本麦酒醸造』の大手ビール会社 三社の合同によって、1906(明治39)年設立された『大日本麦酒株式会社』が前身で ある。この『大日本麦酒株式会社』は、明治、大正、昭和を通じて独占的な地位を確 立し、国内ビールシェアの七割以上を占め、清涼飲料水でも3割以上のシェアを占有 するほどであった。しかし、1949(昭和24)年過度経済力集中排除法により、『朝日 麦酒』と『日本麦酒』の2社に分割され、現在のアサヒビールとサッポロビールが誕 生した。しかしこの分割後、アサヒビールのシェアは30数年間にわたって、ジリジリ と下がり続ける。分割当時35%近くあったのが、1980年代半ばには10%を割り込むよ うな状態であった。(2) この間のトップ人事はどうであったかというと、初代社長は山本為三郎であった。 山本は17年間、ワンマン社長として指揮を取り続けた。その次には、生え抜きの中島 正義が5年間指揮を取った。この後、住友銀行が「アサヒのプロパー役員が育つま で」との条件付きで、社長派遣を決定した。このことにより、高橋吉隆、延命直松と 住友銀行の派遣社長が指揮を取り続ける。この社長派遣は、前社長の樋口廣太郎まで 続くことになった。 このような中で、1982(昭和57)年にアサヒビールの転機のきっかけとなる、村井 勉が社長就任する。村井が最初に取り組んだことが、社員の意識を変えるための、経 営理念の策定である。特にマーケットインの発想を取り入れることが、その後のアサ ヒの営業、商品開発の方向を決定付けた。 その次に村井が行ったことは、1984(昭和59)年のTQCの導入である。このとき の活動の柱は、方針管理、品質保証、サークル活動の3つであった。さらに村井は、 意識改革の総仕上げとしてCIを導入する。1982(昭和57)年に「CI導入準備委員 会」を設置してから、実際にCI導入を発表する1986(昭和61)年まで、足掛け5年 をかけた大事業により、アサヒビールのCIは大成功を収める。第1に、100年続いた 伝統ある「旭日マーク」のラベルを変え、現在の銀地に黒のアサヒのロゴに大転換し たのである。それは単なるロゴの変更ではなく、社員の意識改革の総決算を形にした ものだった。そして、CI導入と並行して、アサヒビールではビールの味を変えた 『アサヒ生ビール』の開発を進めた。その過程として、まず、開発のための大掛かり な味覚調査が行われた。その結果として、消費者の嗜好は、「口に含んだときのうま さ」「喉ごしに代表される爽快感」が上位を占め、従来のビールである「ホップの効 いた苦み」は好まれないことがわかった。これによって、これまでの味とされてきた 「苦み」ではなく、「コク」と「キレ」が新しい味の目標となったのである。それま で、ビールの味を変えることは、業界のタブーとされていた。味を変えて従来のファ ンを逃したら、絶対に彼らは戻ってこない。それを恐れるあまり、ビール会社は従来 の味にこだわり続けたのである。だがそれこそが、プロダクトアウトの発想だった。 CI導入と重なって、アサヒビールは挑戦的な、若々しい企業というイメージが浸透 していった。(3) そして、樋口廣太郎社長の登場である。彼が社長に就任したのは、1986(昭和61) 年3月であるが、その年の1月に住友銀行副頭取から、顧問として入ってきた。同時 に、1月のCI導入、2月に『アサヒ生ビール』が発売された。そして彼は、現在のア サヒビールを特徴づけるフレッシュ・ローテーションを確立し、この年を境に、『ア サヒスーパードライ』へと大変身を遂げていくのである。 次に『アサヒ生ビール』の開発を加え、「辛口」をコンセプトにした『スーパード ライ』を、1987(昭和62)年に発売する。これは、当初の発売予定の100万ケースを はるかに上回り、結局、1350万ケースという記録破りのヒットとなった。翌88年は、 年間7500万ケースという、前年比5倍以上の伸びとなったのである。さらに翌89年に は1億500万ケースと、わずか3年で1億ケースの大台に乗せた。その後、1992(平成 4)年に、現在の瀬戸雄三社長体制になった。そしてついに、1996(平成8)年6月、 『スーパードライ』が『ラガー』を抜いて、トップブランドに躍り出た。(4) だが、『スーパードライ』の躍進に関しても、キリンの『ラガー』の生化による自 滅により、トップブランドになったという見方もあるし、又、1ブランドのヒットに 甘んじる傾向は今までの歴史からも反省するべき点であろう。それは、1964(昭和 39)年の『スタイニー』である。この『スタイニー』とは、その当時、市場を支配し ていた、熱処理を施したラガービールに対抗する生ビールだった。この『スタイ ニー』は、一時は全ビールに占める小瓶のシェアが、変動するほど売れた。それに続 き、1968(昭和43)年『スタイニーブラック』を発売する。これは、しかしこの時点 以降、これに続く商品を出せず、いつのまにか販売は打ち切りになり、シェアを下げ 続けたのである。これは、今の『スーパードライ』と『黒生』の関係によく似てい る。 他方でアサヒビールは、多角化や地域限定ビール(5)などに力を入れ、飽和市場 脱却の戦略を展開している。そこで、次にアサヒビール・他社の国内の多角化につい て調べてみた。 第2章 多角化戦略 ビール各社の多角化路線は、近年、大きくクローズアップされているが、特に重要 な柱となっているのが、食品事業・外食事業・バイオ関連・医薬事業、そして不動産 事業である。いわゆる、非アルコール部門の主流化であって各社とも強力に推進して いる。各社の売上高に占めるビールの比率を見てみると、キリン97%、アサヒ86%、 サッポロ85%、サントリー26%と高いのは当たり前なのだが、非アルコール分野への 投資・営業開発にも注目せざるを得ないのである。(6)1996(平成8)年度のアサ ヒビール全体の売り上げを見てみると、圧倒的に酒類が多くを占め、多角化における 売り上げはわずか6%である。 清涼飲料を日本人が1年間に飲む量は、一人当たり10リットル。ソフトドリンクの 御三家と言えば、コーヒー飲料・ウーロン茶・スポーツドリンクであったが、近年、 「お茶・緑茶」とか「杜仲茶」が急増している。缶入り日本茶市場は1991(平成3)年 には300億円であったが、猛暑の1994(平成6)年を通年すると1000億円を超えている。 ウーロン茶や杜仲茶も前年を上回っていて、2500億円市場となっている。缶コーヒー の市場規模は7000億円市場と言われているが、今尚、激しい商戦が展開されいる。こ の中でも、ビール・洋酒各社が確実にシェアを占めている。又、缶入り紅茶もたけな わである。数十社が100種類以上の製品を発売している。キリンの『午後の紅茶』が 圧倒的に強い。 アサヒビール飲料は、『BIG JUNP FOR A BRIGHT TOMORROW(大きく飛躍しよ う!輝かしい未来のために!)』をスローガンに、1996(平成8)年に製造販売会社と してスタートした。現在、アサヒ飲料を代表するものには、今年、生誕113年目を迎 える炭酸飲料『三ツ矢サイダー』がある。(7)また、バヤリースオレンジに続い て、最近、バヤリース・アップル、レモン、ピーチ、トマトが新たに発売された。 外食関連では、各社ともレストラン・パブ・ビアホール・ハンバーガーショップな どの経営に乗り出し、既に業容拡大の一翼を担うほどに成長している。キリンの関連 会社のキリンフードサービスは東京や全国の主要都市で、レストランを始め、ピザパ イ店・ビアガーデン・ビアパブなどを経営している。 サッポロのレストラン経営の歴史は古く、1989(昭和64・平成元)年にビアホールを オープンして以来、約100店舗を経営している。アサヒでは、関連の外食企業が約100 店舗を傘下にして、大きな成果をおさめている。 ビール企業の多くは研究所を抱えている。生命工学・ファインケミカル・遺伝子関 係など医薬品事業の開発研究が進められており、海外の大学や研究所と共同研究を行 なっている所も少なくない。この医薬品事業は、酒類・食品と並ぶ大きな柱になる可 能性が高く、多大な期待が寄せられている。サントリーの医薬品部門では、生物医学 研究所を軸に心臓循環系用薬・抗がん剤・抗生物質の3分野の開発をめざし、化学・ 生命工学・免疫・生化学・薬理・薬剤の各研究がある。キリンは、医薬品工場を高崎 市につくり、バイオを応用した医薬品の開発と新薬製造の拠点としている。また、医 薬・農業・食品などの生活様式を革新するバイオサイエンスを研究する医薬開発研究 所が前橋にある。更に、キリン・アムジェン社では、1990(平成2)年、遺伝子工学に より大量生産に成功した腎性貧血疾患薬を発売した。アサヒでは、ビールの酵母菌を 使用した『ヱビオス錠』や『健胃薬』、『ラクトーン』や『薬湯入浴剤』、『バイタ ルロース・ロイヤルゼリー』と新薬『アクティオ』が根強く好評ではあるが、他社と 比べて、まだまだ薬品事業への進出は足りない。アサヒはあくまでもビール(アサヒ スーパードライ)を中心とした経営を行なっていくといっているが(8)、これから 先、スーパードライに陰りが出てきた時の対策として可能性が高く、多大な期待が寄 せられているこの事業にもっと進出するべきである。キリン・サントリー・サッポロ がこれだけ積極的に広範囲に渡って研究・開発(生産にまでこぎつけている分野もあ る)を行なっているがアサヒもビール業界を引っ張っていく中で、重要なことである と思う。 不動産事業分野では、最も際立つのが、大型の再開発事業を展開中であったサッポ ロが、東京・恵比寿の工場跡地の再開発が完了し、「恵比寿ガーデンプレイス」であ る。また、札幌の工場跡地にもホテル・マンション・商業施設・日本一の規模を持つ 屋内公園が完成している。アサヒは、1990(平成2)年に不動産部を不動産事業本部に 格上げし、都内や近県の工場、倉庫の跡地など40ヵ所を対象にテナントビル・マン ション建設を計画している他、グアム島のリゾートホテルの建設、英仏のゴルフ場買 収計画など海外不動産投資にも積極的である。 ミュージカル・映像・スポーツイベント・講演会や出版物など文化・スポーツ事業 に関して、特にサントリーの文化活動は多岐に渡り、1961(昭和36)年にサントリー美 術館を開設以来、サントリー音楽財団、サントリー文化財団などを設け、それぞれの 分野で貢献している。1987(昭和62)年、秋に完成したサントリーホールは、わが国有 数の文化空間となった。キリンは、劇団四季とタイアップしたキリンミュージカルシ アターや映画の制作に取り組み、また、1986(昭和61)年に創立したキリン記念財団を 身障者や老人の福祉、青少年健全育成のための活動を行なっている。更に、東京ディ ズニーランド「カリブの海賊」の提供や、ロックコンサート・サッカー大会の開催・ カルチャーセンターの施設などにも及んでいる。 現在、客観的なデータによるアサヒビールの多角化シェアはわずか6%である。ビー ル市場は現在、成熟段階と言われているが、更に大きな成長は望めない市場である。 そんな中で、@食品事業、A外食事業、B医薬関連(バイオ)事業、C不動産事業、 D文化・スポーツ事業の非アルコール分野、5方向に進出することは、今後、同社が 成長する中で必要である。 第3章 経営・流通分析 ここではアサヒとキリンとの比較を通じてアサヒビールの財務的特徴及び問題点を明 らかにしていきたい。まず、2社の総資産事業利益率(ROA)(9)と、株主資本 当期純利益率(ROE)(10)の表とグラフをみてもらいたい。最初に目につくも のは、やはり95年度のROAであろう。今までビール業界において、キリンは常に約 半分のシェアを占めてきた。本年(97年)、ブランド別構成比において、『アサヒ スーパードライ』に『キリンラガー』が初めて凌駕されたが、この流れは2年前のR OAがほぼ同率になったことから読み取れる。アサヒビール本社へのインタビュー (11)によると、食品部門、薬品部門、飲料部門、のそれぞれの事業部をアサヒ ビール本体から切り離し、アサヒビール食品株式会社、アサヒビール薬品株式会社、 アサヒ飲料株式会社へ営業譲度、分社化したことによるものが一番の理由ではないか ということであった。3部門あわせても、アサヒビールの売上高の10%弱(12)で ある分野であるならば、売り上げの大多数を占める酒類(特にビール)に力を入れた ほうが結果的に良いと判断したのである。 ただし、以上のROA分析と異なる結果を見せるのが、ROE分析の(表2)である。アサ ヒのROEはなぜ低調であり続けているのか。インタビュー(13)によれば、 「スーパードライ」発売当初は純粋な売り上げであったが、最近のアサヒの利益の増 加はリストラなどによる間接的なものであった。そして、初代社長山本為三郎から前 社長(現会長)樋口廣太郎に至るまでの約43年間もの間、住友銀行がアサヒビールの 社長を派遣してきた関係上、十分な資金があるにもかかわらず、工場の設備投資や借 り入れを住友銀行からしなければならなかったことも類推された。瀬戸雄三社長は 「当面3%のROEを目指し、財務内容の立て直しが完了次第、自社株の買い入れ消 却などを含めてさらに高い水準を狙っていく。」(14)と語っているが、欧米の ビールメーカーでは10%前後のROEも珍しくないため、世界市場で競争できる会社 になるためには更に抜本的な企業戦略を考えていく必要がある。アサヒビール社内で は、ペーパーレス運動と称されるものがあった。本来は情報の共有化、メールなどに よる伝達の迅速化を求めて行われている。およそ1800台、すなわち1人1台パソコン を持つ環境が1995(平成 7)年春までに整い、情報インフラが経営効率の上昇に貢献し ていくことだろう。 次に流通システムについてみてみよう。「新鮮度」をテーマに大々的に宣伝している アサヒは、どのような手法を用いているのか。最初の動きとしては、フレッシュロー テーション(製造から3ヶ月以上経ったビールは回収してしまうという)と呼ばれる 製品の流通段階での管理が行われている。この作戦は、更に1996年には、フレッシュ マネジメントという全社的な運動に広がりをみせていった。物流部門では、全国の8 工場に加え、全国に35ヶ所の配送センターを設置し、地域の需要にきめ細かく対応で きる物流体制を確立した。生産部門では、「在庫管理システム」の構築による適正在 庫の実現と安定化を図り、さらに「自動ピッキングシステム」「自動ラック」「工場 内トータル物流システム」の導入により工場出荷能力を増強した。その結果、ビン詰 めから出荷までの日数を1992(平成4)年までに10日間、1996(平成8)年までには5日間 というビール業界としてはぎりぎりのラインまで短縮することに成功したのである。 続いて、現在低価格で話題になっている発泡酒について、アサヒがどのように考えて いるのか、発泡酒自体の現状もあわせて述べていきたい。 第4章 発泡酒市場の現状 アサヒビールの販売戦略は、既に述べてきたように、「スーパードライ」に絞った 戦略をとることを明確にしているため、アサヒにとって発泡酒は直接関係がないとも 思われる。しかし今日発泡酒は、事実上ビールとして飲まれていること、またビール 市場の大きな成長は期待できないといわれているなかで、発泡酒市場が著しい成長を 続けていることなどから発泡酒についての調査を行い、その市場を分析することは、 アサヒビールという企業を研究するに当たって少なからず意義のあることではないか と思う。 まず、発泡酒について酒税(ビール税)の観点から説明したい。酒類は「酒税法」 によって酒税という間接税が課せられる。酒税は1995年(平成7)年度で2兆1720億 円あり、酒税が税収に占める割合は国税(56兆7878億円)の約3.8%占めている。 1996(平成8)年予算額ベースでみると、酒税は2兆1110億円、国税比率は約3.9%となっ ている。 この酒税が課税される理由には次の3つがある。@酒類はたばこと並ぶ代表的な嗜 好品の1つであり、それを購入する消費者は、ある程度の税負担能力があると判断さ れること。A酒類は中毒性をもつアルコールを含んでおり、未成年者の飲酒防止や飲 酒運転の防止など、適量以上の過大な消費を抑制する必要があること。B酒類の消費 量は相当量あり、税収面からみても、相当多額の収入が見込めることである。(1 5) 日本のビール小売価格に占める税金の割合を、他の諸外国と比べてみると、日本の 税抜き小売価格に対する税額の割合が45.5%なのに対して、イギリスは28.7%、ドイ ツが18.1%、フランスが17.2%、アメリカが11.7%となっており(16)、日本のビー ルに対する酒税率がいかに高いかがわかると思う。つまり、いくらビールが嗜好品で あるとはいえ、この酒税がビールの価格を必然的に高くしているのである。しかし逆 にこの酒税率に着目することによって、ビールの価格を安くできるのではないかとい う発想が、発泡酒という安いビールをつくりだすきっかけになったのである。 もともと酒税法によるとビールの定義とは、「麦芽の使用比率が水を除く原料の67 %以上の酒類」のことであり、「麦芽の使用比率が水を除く原料の67%未満の種類 で、発泡性を有する雑酒」は発泡酒と定義されている。つまり、 麦芽の使用比率を 67%未満に抑えたビールをつくれば、大びん1本当たり96円という発泡酒の税率が適 用され、今までのビール大びん1本当たり140円よりも酒税が安くすむため、販売価 格を安く設定することができるのである。 まず、発泡酒を発売したのはサントリーだった。1994(平成6)年10月末に静岡県内限 定で試験的に売り出したところ、静岡県内の消費者に価格の安いビールとして受け入 れられたため、その年の12月全国に販売地域を拡大した。サントリー「ホップス」の 発売から半年後の4月末、サッポロは麦芽使用比率25%未満の発泡酒「ドラフ ティー」を売り出した。麦芽使用比率が25%未満なのには理由がある。発泡酒の税額 は、麦芽比率67%未満は大びん1本当たり96円であるが、麦芽比率25%未満のものは さらに安い大びん1本当たり53円となるのである。その後、大蔵省が麦芽使用比率50 %以上の発泡酒の税額をビールと同じに引き上げるとの方針を打ち出したこともあ り、1996(平成8)年5月にサントリーは麦芽比率を25%未満に抑えた「スーパーホップ ス」を350ml缶150円で発売したのである。またサッポロ「ドラフティー」も350ml缶 150円に改訂された。1996(平成8)年10月に麦芽使用比率25%未満の発泡酒についても 酒税額が大びん1本当たり53円から66円に引き上げられたが、両社とも価格は据え置 いた。(17) 発泡酒市場の推移をみてみると、1995(平成7)年の年間販売量は1498万ケース(1 ケースは大びん20本)、1996(平成8)年の年間販売量は前年比1.43倍の2143万ケース で、1997(平成9)年は上半期(1月〜6月)だけで1445万ケースと前年同期比1.88倍と いう著しく高い伸びをしている。また発泡酒が、ビールと発泡酒を合わせた市場に占 める割合は、約6%といわれ、特に缶ビール市場に限ってみるとその占める割合は約 10%にも達するのである。(18) 発泡酒市場の特徴を、サントリーが行った「発泡酒の飲用意識調査」により分析し てみたい。調査対象は都内20代から40代の「スーパーホップス」を飲んだことのある 男性ビジネスマンで調査実施時期は1997(平成9)年6月23日〜24日というものである。 それによるとまず、発泡酒を最初に買ったきっかけは、「値段が安かったから」 (36.5%)で、次に「テレビCMなどの宣伝広告を見て」(30.6%)、「新しいタイ プのお酒だったから」(21.2%)と、「価格」と「話題性」がきっかけで広がったと 言うことができる。また価格への満足度は、「満足」(40.0%)、「やや満足」 (41.2%)と8割の人たちが価格に満足している。特に週1回以上飲んでいる人たちの 9割(91.4%)が「価格に満足しており、「安さ」が発泡酒の人気の重要な要素の1 つであることがわかる。次に味に対する満足度は、「満足」(12.9%)、「やや満 足」(48.2%)と6割(61.1%)の人たちが味に満足している。また特に週1回以上飲んで いる人たちの8割以上(84.5%)が味に満足している。最後に「スーパーホップス」の味 の印象はと言うと、「ちょうどよい飲みやすさ」(57.1%)がトップにあげられている。 (19) 発泡酒を1度飲んだ顧客が再び選ぶリピート率は6割を超える(20)と言われ ている。つまり、『ビール⇒発泡酒』という流れはあるが、『発泡酒⇒ビール』とい う消費者の選択志向の流れは弱いと考えられる。そしてハードユーザーが、発泡酒の 味に満足しその価格にも満足しているという調査結果からも、発泡酒市場は低下する ことのない堅い市場であるといえるのではないだろうか。 現在、発泡酒市場に参入しているのはサントリーとサッポロだけだが、キリンも 1998(平成10)年早々には参入するということを表明している。しかし、アサヒは、こ の発泡酒市場に対してどのような見解を持っているのかというと、発泡酒市場は今後 低下するか、今のビールと発泡酒を合わせた市場の6%が限界と考えているのであ る。なぜなら、以前にも国産の半額以下という安い輸入ビールがはやり、これもビー ル市場の6%まで販売量が増加したがその後低下したからというのである(21)。 だが輸入ビールというのは船で運搬するケースがほとんどで、製造してから消費者の 手元に届くまで2〜3ヶ月かかる。そのため鮮度が薄れ味が落ちてしまうのだから、一 概に発泡酒と比較することはできないのではないかとも考えられる。アサヒビールの 瀬戸雄三社長も「発泡酒には参入しない。ビールまがいのものを飲みたい層はもうふ えない。」(22)と、発泡酒のような「ビールもどきの節税商品」や「まがい物」をつ くるのではなく、あくまで本業を中心に品質を重視したビールをつくりたいと断言し ている。 だが、確かに予想以上に成長し続けている発泡酒市場にアサヒが参入をしないの は、戦略的に誤っている可能性が強い。 しかし、急成長を続けている発泡酒市場への参入を考えることは、発泡酒が好調な のにはそれなりの理由があり、単なる流行にはとどまらないと予想されることからも 妥当な判断といえるだろう。そしてそのことは、アサヒが企業として更なる成長をす るために必要なこととなるはずである。 この発泡酒市場への参入の妥当性は、我々が、次に行ったアンケートの結果からも 明らかである。 このアンケートは、男子学生50人、女子学生50人を対象に調査したもので対象者の平 均年齢は、男子21.1歳、女子20.64歳である。ここで特に注目したいのは、現在、発 泡酒市場は急成長をしているが、問3から分かることは、発泡酒を飲む人が思った以 上に、少なかったことである。しかし、問4の発泡酒に感じることとしては、男女と も「味がよくない」という答えが多かった。これは、単なる先入観ではないだろう か。 また、問7では、ビール業界に求めることとして、味わいのよいもの・価格の安いも のという意見が出た。現在の20代の女性達が、30代〜40代と家庭を持つようになった とき、これがアサヒの売り上げに大きく左右するだろう。なぜなら、主婦が家計を考 えるとき、やはり低価格のものを購入するし、夫には、味わいのよいものを飲ませた いからである。20年・30年先のことを考えると、発泡酒をつくるべきである。その他 に、男性の3割近く、女性の4割の人が、地球環境保全・リサイクルにもっと積極的に 取り組んで欲しいと考えている事が分かった。(23) 第5章 多国籍化 中国に進出する日本のビール会社の中でも、アサヒビールは、1995(平成 7)年、中 国のビール市場でナンバーワンの売り上げを確保するまでになった。中国で最大の生 産能力を誇るほどになった成功の要因は、伊藤忠商事という中国市場に圧倒的に強い パートナーを得て、中国既存の企業を買収・資本参加するM&Aを駆使したことにあ る。このアサヒビールの中国への本格的な進出の始まりは、最近のことである。1993 (平成 5)年12月、中国浙江省・杭州ビール会社と福建省・泉州ビール会社、両社の 株式の過半数を保有していたCSIブリュワリー社の株式を取得することで、両社を 傘下におさめた。取得したのは、CSIブリュワリー社の株式の75%、内訳は、アサ ヒビール45%、伊藤忠商事30%であった。さらに、傘下におさめた杭州ビール会社は 嘉興ビール会社の55%の株式を取得していたことから、杭州ビール会社を傘下にいれ ることによって、自動的にこの嘉興ビール会社も傘下に入ることになった。結果とし てアサヒビールは、中国の杭州、泉州、嘉興という3つのビール製造会社の経営権を 取得することができたのである。この“経営権”とは、直接それらの会社を経営する ことを意味しているわけではなく、技術供与、及びライセンス契約を結ぶ形で会社の 経営に参加するものであった。さらに、同1995(平成 7)年12月には、中国の大手 ビール会社、北京中栄 酒(北京ビール)と煙台中栄 酒(煙台ビール)の2社の経営 権を取得した。 北京ビールは、社名どおり、首都である北京の中心部に位置し、中国政府の国宴用 ビールとして指定されるなど、ビール業界の名門とも言うべきビール会社の1つであ り、中国では最も知れたブランドの1つである『北京 酒』の会社である。1941(昭 和 16)年の創業で、中国全土20カ所の工場で、ライセンス生産を行っている。一 方、煙台ビールは、1920(大正 9)年創業のビール会社で『煙台 酒』を中心に生産 している会社である。これら両ビール会社の過半数の株式を保有していたチャイナ・ ブリュワリー・HKの株式を、またもや伊藤忠商事と共同で取得したことで、両社を 傘下に入れたわけである。取得比率は、アサヒビール45%、伊藤忠商事30%で、前述 のCSIブリュワリー社と同じ比率であった。なお、CSIブリュワリー社、チャイ ナ・ブリュワリー・HK社の従来の親会社は、香港のCSH社(チャイナ・ストラテ ジック・ホールディングス・リミテッド)であり、同社は、依然として25%以上の株 式を保有している。 この急ピッチに進んだアサヒビールの中国市場でのシェアの拡大には目を見張るも のがある。1995(平成 7)年の杭州ビール会社の生産量は8万5000キロリットル(大瓶換算 約671万ケース)、嘉興ビール会社は同2万5000キロリットル(同197万ケース)、泉州 ビール会社は5万キロリットル(同400万ケース)で先に買収した3社の合計生産能力だけで も16万キロリットルにもなるのだ。1995(平成 7)年に買収した北京ビール会社は、12万キロ リットル、煙台ビール会社は15万キロリットルの生産能力を誇る。これら5社を総計すると、43 万キロリットルの生産能力を有することになり、この時点で、中国最大のビール会社、青島 ビールの36万キロリットルを上回り、中国最大のビールグループとなったのだが、実は、先 に買収した3社が、いち早く生産能力を高めているため、現在ではトータルで51万 8000キロリットルにも達した。 1993(平成 5)年から1995(平成 7)年というわずか2年間の間に中国市場のトッ プへと導いた事業展開とは、いったいどのようなものなのか。 1つは、今や傘下となった中国の各ビール会社を拠点として、それぞれの地域の市場 を押さえることで高いシェア獲得と急速な経済成長に基づいてビールの消費量が急速 に拡大している中国沿岸部全域での事業展開を実現したことである。すなわち、杭州 ビール、嘉興ビールのある、浙江省は、人工、約4200万人と、大消費地、上海に近い こともあり、今や供給が、需要に追いつくことができないほどの需要を有している。 泉州ビールのある福建省も、3000万人という人口を有している。北京ビールは、言う までもなく、首都であり、巨大消費地である北京を中心に供給している。煙台ビール は、山東半島、渤海に面した、海上輸送に適した場所に位置することで、国内だけで なく、海外へも輸出している。 第2に、商品開発での確信があげられる。前述で紹介したように、アサヒビールは既 に、杭州ビールと泉州ビールから『日本朝日 酒』を発売し、1996(平成 8)年7月 には、煙台ビールからも共同開発の『朝日 酒』を発売した。さらに北京ビールとも 共同開発で、ビールを発売した。この共同商品開発では、アサヒビールは実に興味深 い方法を採っている。この共同開発のために中国に派遣したアサヒビールの技術者た ちは、皆、定年退職した人々なのだ。 これは定年退職した技術者たちの方 が、中国の技術者たちと意思の疎通がはかりやすいと見ての策だといわれている。こ のように共同開発された商品はプレミアムビールタイプのビールとして販売されてい る点は注意しなくてはならない。一般人の日常的ビールとして普及しなければ、量の 拡大もできないからである。 現在アサヒビールは、中国、アメリカ、ヨーロッパと世界の3大市場に『スーパード ライ』の供給の拠点を構築しているが、やはり現段階での販売量は、中国では全体で 260万ケース、アメリカでも100万ケース、イギリスでは10万ケースという規模の威力 しか持たない。(24) 日本では圧倒的なブランド力を持つ『スーパードライ』も 1歩外に足を踏み外せば、この知名度も、信用も通じない、広く、難しい“世界”が ある。それぞれの国には、それぞれの国の味わいがある。ブランドや、商品イメージ に対する信頼性を獲得するにも長い時間がかかるだろう。 1998(平成 10)年には中国での『スーパードライ』の現地生産を発表しているア サヒビールであるが、中国でのフレッシュ・ローテーションや、中国という全く日本 と違った政治下での未成熟な流通機構に耐えられるのか、という問題が解決されなけ ればならない。 <おわりに> これまで述べてきたことから、アサヒビールの今に至る成長を長い年月をかけて、努 力と創造精神に支えられて、ビールという根から芽を出し、食品事業・外食事業・バ イオ関連・医薬事業、そして不動産事業という枝を次々と広げてきた。しかし、まだ 今の段階では、根とも幹ともいえるビールが太すぎて多角化へと広がる枝が細すぎ る。 先にも述べたように、アサヒビールの売り上げの94%は『スーパードライ』によるも のである。今は国内で売り上げトップという銘ブランドではあるが、今や、成熟産業 化しているビール業界で果たして、どれだけこれからの売り上げの伸びを期待できよ う。売上増加中の『スーパードライ』といっても、1%〜3%程度の伸びなのである。 時代をしっかりと見極め、ビールの将来の需要を冷静に判断して、発泡酒を含めて、 ビールに代わる新たなる柱を生み出すことが、今後のアサヒビールが発展していくた めの課題であるだろう。 注釈 (1) 日本経済新聞1997年9月2日朝刊 (2) 溝上幸伸著『アサヒスーパードライの奇跡』あっぷる出版社P.69,70 (3) 石山順也著『アサヒビールの挑戦』JMAM P.41〜76 (4) 溝上「前掲書」P.81,82 (5)アサヒビールでは、NATIONAL BLANDOである『アサヒスーパードライ』 が圧倒的に強いが、PRIVATE BLANDOである地域限定ビールも各社を圧し1994年の猛 暑の中、売上げ・経常利益ともに過去最高であった。地域限定ビールを発売するに当 たってアサヒビールは、“地域に根差した心から愛されるビール”を目指した。地域 ごとに徹底した市場調査を行ない地域の人々の要望を十分に取り入れた。また、味・ ネーミング・デザインに地域の特性を取り入れることで、地域密着型の商品開発を行 なった。特に、中京地区の『アサヒ名古屋麦酒』は、他の地域とは大きく違った特性 を持っている。地域の市場調査の結果、名古屋の人々は、“味噌カツ”や“味噌煮込 みうどん”などこってりしたものを好むということで、通常のビールの1.3倍の麦芽 を使用している。更に、1.3倍の麦芽を使用しているにもかかわらず、価格は変わら ないのでお得な商品なのである。見た目もこってり、味もこってりのビールに仕上げ ることで、地域の人々に親しまれ、高い評価を得ている。 アサヒビールは、1992(平成4)年に福島工場の開設20周年記念として初めて地域限 定ビールを発売した。現在は、8ブランドがアサヒビールからは発売されているが、 商品名は次の通りである。 1992(平成4)年7月 『アサヒビール福島麦酒』(福島地区) 1993(平成5)年4月 『アサヒビール名古屋麦酒』(中京地区) 1993(平成5)年9月 『アサヒ江戸前生ビール』(関東地区) 1994(平成6)年2月 『アサヒ博多蔵出し生ビール』(九州地区) 1994(平成6)年2月 『アサヒ生ビール一丁』(関西地区) 1995(平成7)年1月 『アサヒみちのく淡麗生』(東北地区) 1995(平成7)年1月 『アサヒ道産の生』(北海道) 1996(平成8)年1月 『アサヒ四国麦酒きりっと生』(四国地方) (6)海藤守著『比較日本の会社'97洋酒・ビール』実務教育出版P.150 (7)アサヒビールパンフレット 資料編「会社概要」P.23,25 (8) アサヒビール広報部広報課1997年9月8日付インタビュー (9)企業が事業活動に投下した使用総資本(=総資産)に対する収益の水準を表 す。=事業利益÷総資産(期首・期末平均)×100% (10)株主の持分である株主資本に対して同じく株主に帰属すべき最終的な利益 (=当期純利益)がどの程度であったかを示す。 =当期純利益÷株主資本(期首・期末平均)×100% (11)アサヒビール広報部広報課への1997年9月8日付インタビュー (12)アサヒビールパンフレット会社概要p.25 (13)アサヒビール広報部広報課への1997年9月8日付インタビュー (14)日本経済新聞1997年9月17日朝刊 (15)キリンビールパンフレット 資料編P.58〜61 (16)読売新聞1997年8月7日付朝刊 (17)SUNTORY REPORT NO.7071(1997年9月2日)P.4〜73 (18)読売新聞1997年6月27日付朝刊(サントリー深井常務) (19)アサヒビール広報部広報課1997年9月8日付インタビュー (20)読売新聞1997年8月8日付朝刊 (21)アサヒビール広報部広報課1997年9月8日付インタビュー (22)読売新聞1997年8月8日付朝刊 (23) 現在のアサヒビールが取り組んでいる環境保全のアプローチの1つとし て、省エネルギー工場の設立があげられる。1997(平成9)年大阪の吹田工場をモデ ル工場として、エネルギー利用度向上のためのコ・ジェネレーション・システムを導 入した。コ・ジェネレーション・システムとは、熱電併給(CHP、Combined heat and power)とも呼ばれ、エンジンやガスタービンの動力、燃料電池などによって発電を すると同時にその排熱を利用して給湯・暖房を行うなど、2つ以上のエネルギーを供 給するシステムをいう。従来型の発電システムでは利用されない排熱を利用すること により、エネルギー効率を最大70〜80%にまで高めることができるものである。 2つ目に、1996(平成8)年10月から、工場からの廃棄物をすべて再利用するシステ ムが茨城工場でスタートした。この新しいシステムの特徴は、34種類の廃棄物の徹底 した分別収集で、廃棄物の85%を占めるビール粕は飼料に、紙屑・生ごみの焼却灰は セメント副原料に、廃プラスチックは土木材料にと、工場から出るすべての廃棄物は それぞれ2次活用が可能となった。 今現在、茨城工場だけが産業廃棄物ゼロであるが、来年(1998年)には東京工場と 福島工場が、再来年(1999年)には残りの5工場(北海道・名古屋・吹田・西宮・博 多)すべてで産業廃棄物ゼロになるという。 ところで、ライバルのキリンビールは環境問題に対して、全工場に環境整備室を設 置し、工場排水の浄化などの環境保全に取り組み、1990(平成2)年9月、本社内に地 球環境問題連絡会を設け、さらに1991(平成3)年7月に社会環境部を新設した。 キリングループの地球環境問題への取り組みの基本方針は以下のようになってい る。 ・環境保全に十分配慮した商品開発を行う。 ・省エネルギー、省資源、環境負荷低減に役立つ施策の実施及ぴ技術開発を行 う。 ・廃棄物の減量化、資源リサイクルを推進する。 ・社外の環境保全活動への参加、協賛を行う。 ・海外活動において、当事国における環境保全に十分に配慮する。 さらに、環境対策の実施状況は「キリンビール環境ガイドライン」に基づいて定め られた「キリンビール環境システム」により、 1 用水・エネルギーの効率的利用 2 副産・廃棄物の排出抑制 3 温室効果ガス(CO2、フロンなど)の負荷の抑制 4 自然環境の保全 など、9項目の環境対策を実施している。 空容器リサイクル問題としては [1] 空きビン対策: ・容器保証金制度の維持 ・「リサイクル優等生」であるビールビンに関する情報発信(新聞広告他) ・ガラスくずを建材用軽量骨材にリサイクルする事業への出資・参画 [2] 空き缶対策: ・関係団体、アルミ缶回収事業、ボランティア団体へ支援・協 力 ・各地域での社員による「あき缶回収運動」(環境美化活動)の実施 ・その他 [3] 社外の環境保全活動への支援・環境教育ビデオの制作・配布 小学生向けビデオ「あきらとかん太のゴミ冒険」 (94年4月、約22500本配布、全国小学校の約8割配布) 中学生向けビデオ「中学生のごみ体験」 (96年3月、約8800本配布、全国中学校の約5割配布) 高校生向けビデオ「裁かれるのは誰だ〜ゴミ法廷」 (91年11月、約5500本配布、全国高等学校の約7割配布) (24)溝上「前掲書」P.175〜186