|
ムハンマドの死後、誰が後継者になったのですか? |
預言者を失った教団はしばらく混乱に陥りました。しかし教団の崩壊をなんとか避けようとの総意から、アブー・バクルが後継者に選ばれました。
|
|
アブー・バクルも預言者だったのですか? |
いいえ、ムハンマド以降、預言者はいないことになっています。アブー・バクルは、ムハンマドの代理人(ハリーファ)とされました。
ちなみに・・・
カリフとはハリーファが訛ってヨーロッパに入った言葉です。
|
|
アブー・バクルはどのように教団をまとめたのですか? |
ムハンマドの生前からイスラームを盛り上げてきたサハーバ(教友)とよばれる人々とともに教団をまとめました。
|
|
アブー・バクルに反対する者はいなかったのですか? |
少なからず反対した部族もいました。アブー・バクルはこうした反乱(リッダ)を鎮圧しました。アブー・バクルの死後は、ウマルがカリフ位を継承しました。
|
|
その後もカリフを中心にイスラームは発展していったのですか? |
ウマルの時代には、イスラーム勢力はエジプトにまで拡大します。しかし拡大に伴い以前のようなまとまりがなくなってきました。ウマルの後にカリフ位についたウスマーンは暗殺されてしまいます。そこでアリーが4代目のカリフになりました。
|
|
アリーの時代にも反乱が起きたのですか? |
アリーは預言者ムハンマドの従弟で娘婿でもあり、人気がありました。しかしシリアで大きな勢力を持っていたウマイヤ家のムアーウィヤは、アリーを認めませんでした。アリーはムアーウィヤを討伐しきれず、その後暗殺されてしまいました。その後、教団の総意で位についたカリフは出なかったので、アリーまでの4代を正統カリフといいます。
|
|
正統カリフ時代の後は誰が教団をまとめたのですか? |
事実上の支配者となったウマイヤ家が、カリフを称しました。しかし、元来アリーとその血筋こそが教団のイマーム(指導者)である、と主張する党派(シーア)の人々はウマイヤ朝政権に反抗しました。
この人たちが「シーア派」と呼ばれてゆくことになります。
|
|
シーア派の反乱にはどのようなものがありましたか? |
まず有名なのは、「カルバラーの悲劇」といわれる出来事です。ムアーウィヤの死後、その息子ヤズィードがカリフ位につくのを頑として認めなかったアリーの次男フサイン(第3代イマーム)とその一族が680年ムハッラム月10日に、カルバラーというところでウマイヤ朝に包囲され虐殺され(殉教し)てしまいました。
ちなみに・・・
シーア派信徒は毎年ムハッラム月10日(アーシューラー)に、フサイン一族の殉教を偲び、哀悼行事を行います。イランなどシーア派信徒の多いところでは、胸を叩きながら行進したり、カルバラーの悲劇を再現して皆で嗚咽したりします。
また、ウマイヤ朝の後にバグダードを中心に繁栄したアッバース朝も、その政権掌握の端緒はシーア派反乱にあったのです。
|
|
ところでシーア派の人々のいう「イマーム」はカリフとはどう違うのですか? |
シーア派は、預言者ムハンマドは生前にアリーを後継者に任命したといいます。ですから正統カリフ3代を認めません。
彼らは、預言者の死後、啓示は途絶えても預言者の無謬性(誤りをしないこと)はアリーに継承され、それゆえアリーとその血筋をひく後継者のみが啓示の解釈の独占権を有すると考えます。
これに対して、ムスリムの多数であるスンナ派は、預言者の死後、無謬人間はおらず、預言者の代理人(カリフ)が、預言者の慣行(スンナ)にしたがって共同体をまとめるのを認めます。
|
|
スンナ派がイスラームの正統派と考えて良いのですか? |
どの宗派にも加担せず、教団のまとまりを重視して事実上の政権を認めていった多数派が主流となり、後にスンナ派と称されるようになりました。現在スンナ派がムスリム人口の9割を占めるといわれます。
なおイスラーム法学の分野では、スンナ派もシーア派も互いに正統な範囲内にあると認めており、スンナ派を正統派、シーア派を異端、と見るのは必ずしも適切ではありません。
|
|
イマームは、その後どうなったのですか? |
イマーム位の継承をめぐる諍いが起きるようになり、系譜争いから、第5代イマームがザイドであると主張するザイド派、第7代イマームをイスマーイールである主張するイスマーイール派などが分派しました。
第5代イマームをジャァファルとし、第7代イマームをムーサーとするシーア派の中の多数派にとっても、イマームは12代までしか続きませんでした。(ここから12イマーム・シーア派とよばれます)
第12代イマームは874年に忽然と姿を消しましたが、シーア派の人々は彼が「お隠れ(ガイバ)」状態にあるとし、終末の前に救世主(マフディー)として再臨すると信じています。
|
|
カリフ位は今はどうなっていますか? |
オスマン帝国の最後のスルタンが追放され1924年にカリフ制が廃止されてこのかた、ムスリムの多数派に支配権をおよぼすカリフはいません。
つまり、現代はイスラーム共同体をまとめる正統な支配者が誰もいないわけで、近年盛り上がりを見せているイスラーム復興運動はこの状況から生まれています。(イスラームと政治の章参照)
|