二 現代史研究の危機
現代史とは自己の来歴を問う「史的実存」の追求である。これは研究への情熱として成立する限り批判すべきものではない。しかし、自己実存の追及も度が過ぎると歴史や過去の「私物化」となる。自由主義史観はまさにその悪しき典型だが、このような政治的潔癖主義は左右を問わない。政治的潔癖主義とは特定の政治規範により文化もしくは非政治領域の全てを統制しようとすることである。争点の激化と共に対立当事者間でのレッテルの張り合いから始まることが多いが、より深刻なのは政治規範上の判断からして不純との嫌疑があるものを排除しようとすること―過剰同調と異端の排除―にある。簡明に言うならば「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」の心理である。歴評においても「天皇制批判」の批判(15)が言われたが、万事を「いつか来た道」としてラベリングすることは、批判対象の中にある多様性や段階性を見失わせ、延いては自らの言論空間をも狭める(ラベリングするものは対抗措置としてこれまたラベリングをされる)結果となる。求められる評価手法とは「程度は質を伴う」という尺度ではないだろうか。
国民国家は虚構に過ぎず実体はないという主張や、日本にファシズムは存在しなかったという主張も、政治的潔癖主義においては同質なものがある。階級・階層、地域横断的な要素としてその時代を典型する概念を特定化することの意義は、それにより階層・階級、もしくは地域分断的な要素が明確になる点にある。ファシズムは存在したが国民国家は虚構であるということを想像してみれば、定義できないことを理由にその概念や存在を否定する主張の政治性が明瞭となるだろう。小林よしのりをはじめとする一連の「サヨク」批判はこの左派知識人の政治的潔癖主義を劇画手法でデフォルメして批判したものであった(「右」の潔癖主義―例えば金甌無欠、単一民族、清き明き…等々―は棚上げにしたまま)。しかし、このような若い世代の反動化には時代的不可避性があった。
日本では戦争責任問題が未決のまま当事者たる戦争世代から言わば「孫の代」となる純粋戦後世代に持ち越されてしまった。このため、民族意識の継承と問題意識の継承の間にねじれが生じたのである。このねじれについて民族意識を継承することなく問題意識のみ継承させるための理論と思想の模索が提起された(16)。詳しくは別稿に譲らざるを得ないが(17)、重要なことは民族主義と民族意識を峻別すること(程度は質を伴う)である。民族主義を否定するが故に民族的な概念を全て否定するは、政治による文化の動員・統制である。民族のような多義的で広範な概念を否定しようとすると、結局、政治的潔癖主義の拡大となる。また民族意識とは多かれ少なかれ「記憶の共同体」として機能するが、戦争に関する「問題意識」が共有されれば、それは一定の民族性を持つことは不可避である。民族性と類的普遍性を対立関係からではなく、相互補完の関係から捉え直してみるということも必要ではないだろうか。
次に学問の官僚制化についてであるが、今日、文化人・知識人の世界で学士−修士(博士前期課程)−博士(博士後期課程)と知の階統制が教育行政制度の一貫として整備されているのは大学知識人をおいて他に類例がない。その結果、「学問の定義化」が進行してしまった(意図せざる結果ではあるが)。つまり、学者とは大学教員のことであり、学問とは大学院以上の学歴を持つ人が「論文」作成することである、と。学問の表現方法にもっと多様性を求め、そしてこれを認めるべきである。特に詳細な実証が可能な現代史の分野は、研究者の想像や解釈の余地が少ない。このため学問の表現方法に多様性を求めないと史料の膨大さや詳細さは研究の官僚化を不可避としてしまう。
他方、昨今は研究テーマの細分化、さらに細分化された領域での多様な研究会の組織化といった現象があり、学際的視点を維持する禁欲さを持たないと学問の官僚制化を引起しかねない。実際、大学院生特有の特権意識を感じさせられることがあるし、専門性故の責任回避(他領域についての不勉強・無関心。これは自己の史的実存以外に興味がないということか…)、セクショナリズムなどが濃厚に認められることがある。要約することで見失われる本質があるという点に細分化された研究の意義があり、その他方、要約しなければ見えてこない本質というものがある。歴史科学の醍醐味はこの大量観測と個別分析の間に説得力ある接点を設ける点にある。学際的視点を喪失した時、歴史学界は単に党派性を継承する小集団の集まりとなってしまうだろう。