2.1 加藤紘一氏にとってのインターネット

 昨年末の所謂「加藤の乱」(2)に際し、加藤紘一氏のホームページ(以降、HPと表記)(http://www.katokoichi.org/)のアクセスカウンタが「激増」し、政局展開の契機としてインターネットが政治に持つ影響力が注目されるようになった(昨年末の段階で国会代議士のHP総アクセス件数4,607,597に対し加藤氏のHPのアクセス件数は1,153,653、実に25%を占めた)。また、長野県知事選挙では田中康夫氏が、インターネット上で連携しあう多くの「勝手連」による支援を受け当選を果たしたこともインターネットが持つ影響力の一つとして注目された。

 しかし、「きっかけはインターネットではないんです。『加藤政局』のスタートは119日の『山里会(政治評論家らとの会食)』での(『森首相の手で内閣改造はやらせない』という)発言ですから」と加藤氏自らが語るように(3)、マスコミ報道があってはじめてネットでの広がりにつながった。考えてみればこれは当然のことであり、HPは基本的にユーザの側が主体的にアクセスすることにより成立するメディアである。また、「加藤氏の乱」は宏池会長老・宮沢喜一の支持を得ることができなかったことが決定的な敗因となったわけであり、その意味からすればネットの支持者と言うものは直接的な影響力を政局にもち得なかったと言える。

 重要なことはマスメディアにとって、何がニュースだったのか、である。それはインターネットが政治を変えるという抽象的で大きな間口を掲げているが、より具体的にはHPを通じて一般の有権者が政局の軸にある政治家・加藤紘一と意見交換する可能性がある、という点にニュース性があったのである。

 小泉内閣がメール・マガジンを創刊し、小泉人気からその巨大な、恐らくは日本一の発行部数(817日現在で223万)(4)が話題となった。当初、インターネットと政治の新たな接点として注目されたが、その評価には訂正が必要である。それは「特定」ではあるが大量な読者に向けて一方的に情報発信をするものであり、言うなればマス・メディア化したインターネットである。「特定」といっても登録者が200万人を超え、しかも、自動登録システムをとっている(このような内閣直結の公報の登録システムが自動ではないとすれば、それはデジタル・デハイスを政治的に引起す問題を惹起しかねない)のであれば、それは、もはや事実上の「不特定」多数と同じことである。それは小泉純一郎とインターネットというマスコミにより造られた二つの「話題性」を見事に結合させたものでもある。昨今、創刊当初に比べてマスコミで言及されることが殆どなくなったのは、内容そのものに話題性が乏しいからである。しかし、官邸には1日平均約2000通のメールが読者から寄せられており、情報発信による情報収集としては大成功である。政治家は、常に世論の反応を知る手がかりを欲している。

 政治家にとって報道機関というバイアスを経ることなく直接に民意を確かめる手段を得たことは、おそらく有権者にとってのインターネット以上に重要な意味を持つのである。安価に迅速に実行できるという点も画期的である。

 加藤政局とインターネットについても、むしろ、影響を受けたのは加藤氏その人であった。加藤氏はHPのフォーラムへの投稿者層を「ものすごくレベルが高い。いやあ、これだけのことをよく書いてくれたなあと思うことがしょっちゅうですよ。たぶんものすごい時間がかかると思うんですね、意見書くのに。だから、私に向かって2時間、3時間費やしながら1000字、2000字の文章を書いてくれてる」と評している。インターネットを介し加藤氏は始めて「一般の有権者から見れば、とてつもなく日々政治を考えている人たち」の大量なメッセージと接触することが可能となったのである。

 「これからの政治ってのはネットが決めるという感じはしますよ」と語る加藤氏は、その実感を「元旦に250006000の人に、新年のメッセージを送った」ことに求めている。新年の間際まで文章を推敲し、「12時の新年の声とともに植木君(WEBマスター[筆者注])が送ったわけですよ。たぶんほぼ10分以内に全員に伝わったと思うんですけどね。このライブ感覚がね、繋がっているという感覚が、なんか政治を変えていくなあという実感がありました。だから去年、「紅白」は十分よく見てないんですよ(笑)。

 加藤氏はこの「繋がっているという感覚」をさらに、ネット上で募集した人々と全国で集会を持つことで実践している。「しがらみのない人たちと接点ができるから。これまでの人脈や紹介ルートで行くと、どんな形にしろ、みんな身内みたいなものでしょ(笑)。平均50〜60人の小さな集会で2時間ずつ話す。3月には20カ所以上行ったかな」(5)。つまり、インターネットは政治家・加藤紘一の政治活動のあり方に大きな変化をもたらしたのである。