戦後政治が内包しているさまざまな矛盾にしても自衛隊等の「既成事実」に対する態度にも示されているように、現状は現状のままで、それなりに「存在理由」を肯定しようとする傾向がつよく、その限りにおいてきわめて楽観的でさえあるのだ。
....「個の無力感」と「国家的使命の喪失感」とが、平行的に作用して、進歩や変革への意欲は多元的な私的生活領域に分散停滞し、政治的エネルギーとして盛り上がるような状況にないことは否定できないところである。
現在の日本において、相当広範に形成されつつある保守的意識は、その反共性、非分極化傾向、さらには中間層的階層意識などからみても、一度大きな失意にみまわれた場合、ファシズムの好箇の心理基盤となる潜在的可能性を内包していることは否定できまい。しかし目下の所、そのような危険信号として指摘できるような顕著な傾向はむしろ少なく、極左に対してと同様極右に対しても、およそラディカリズムを嫌悪する本来的な保守性向を示していると判断してよさそうである。生活の安定感と、政治的社会的体制の漸進的発展とが、同一方向に志向されている限り、ラディカリズムのデマゴギーは一応無力であるといってよい。ともかく現在の新憲法体制のつづく限り、つつましい解放の自由感はある。この自由を確保してくれる「秩序」が、何ものかの力によって急激にこわされることに対しては、保守意識の大勢は、本能的ともいえる反発を示すのであろう。
.....この「天下泰平」の夢はいつまで続くことであろう。そして人工衛星が地球の周辺をとび廻っている今日、「泰平の夢」を破る新しい「黒船」は、そもそもどのようなシロモノなのであろうか。
一方には「泰平馴れ」とでも言える気分があり、他方には一度戦争が始まったら、皆殺し戦争だという強い恐怖感がある。