「自然承認」



 藤原弘達「天下泰平策」という発想 『群像』1960/9

 中ソのような共産国家、何かといえば「ロケットをとばすぞ」とか何とかいって、威たけだかになっておどしつけるオッカナイ国々と、更に敵対的関係をハッキリさせることは損であるという打算も入っていたかも知れない。ハッキリとアメリカと軍事的関係を絶縁して「中立」といきたいが、それもアメリカを敵視するような中立ではどうにも具合が悪い。どちらの陣営からも余りニラまれないようなカタチの中立が一番望ましいという気持ちである。ナセルの「積極的中立主義」に対する「消極的中立主義」といってもよい。....アメリカのいいなりになりたくないし、いわんや中ソを敵視などしない人間が、こんなに日本国にいるのだということを、全世界に向って示せばそれでよい。....自然成立の六・一九にしても、学生が暴発しては困るという気持ちと、誰か勇敢な者がいて首相官邸になぐりこみをかけ岸首相を人質にして解散宣言でもやらせないかという空しい期待と、率直にいって微妙に交錯していたようにも思うのだ。だからあの歴史的時刻がすぎ去り、全てが平穏無事に終わったとき、一方ではホッとしたし、他方では失望した。そして自分でやれないことを少しでも他人や若い学生たちに期待している卑怯さを恥じないではおれなかった。



 日高六郎、高畠通敏、中谷健太郎、前田康博、竹内敏晴「形なき組織の中で」思想の科学1960/7

 高畠通敏

 非常にラジカルに言ってしまえば、安保の問題で失敗しても、ほとんどしようがないんじゃないかという気持ちがしているんです。いままでこういう指導部をつくっておいたことは、われわれの責任ですからね。重要なのは、われわれのなかでもうひとつの革命が通過してると考える事ですね。言い替えれば前衛革命に対して後衛革命とでもいうか、つまりデモクラシーというものが肉体的な民主主義ということに変わりつつあるでしょう。



  谷川雁「私のなかのグァムの兵士」、『思想の科学』、1960/7

....新憲法感覚といい変えてみたところで、抵抗のもっともぎりぎりの規準が天下って根をはやすという神話をふやすだけである。私の辞典によれば、それは抵抗とはよばない。民主主義をまもるという言葉にしても、その空虚なひびきをどうして追いだすか思案もつかないうちに早くも守りに守ることになっのが戦後民主主義であったという事実はいったいどうするというのか。....私が安保に反対するのはすぐれて精神の自立に関する面、いわば百年前の開国条約を成立させた思想基盤に対する否定からはじまるのであって、幾人かの発言がすでに触れたように、情勢論というよりも情勢論の拒絶の方にウェイトがある。

 (この思想基盤を安保根性と呼んでいる)....安保闘争そのものが精神の自立性とその反対の安保根性とを同時に拡大再生産していること、この矛盾に眼をつけないかぎり安保闘争はその基本的意義を喪失する。....事態を形式論からみれば、小選挙区制のときも、警職法の時も大同小異であったろう。事態の本質はこれまで政党・労組レベルの、また個人のレベルの内にひそむ安保根性によって、せきとめられていたものが、ようやく流出のはけ口を見出したということではなかったか。

....統一のシンボルを憲法または議会制的民主主義に置くことによって実態のない運動を膨らまし、批判の意味を失うおそれがあるのをみて、私はもはや自分の欲求を全的に投入しうる微小な一点を確保するよりほかないと観念した。....状況に参加しようとすればするほど参加の意欲が失われていく状況。裏がえせば、状況に参加しまいとする姿勢でしか参加できない状況。この感触にはおぼえがある。軍隊から帰ったばかりのときがそうだった。もしそうでああるなら、私はいま二度目の復員をしたことになる。



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