「お焼香デモ」



 荒瀬豊「静かなる請願の底に」世界1960/6 (4月26日の安保改定阻止第十五次統一行動について)

 文字どおり終日にわたって切れ間もなくつづいた請願の行進は、ある意味で屈辱的なものだった。労組、団体の標旗やプラカードは行進の出発にあたって係員にあずけられた。....「平穏」なる請願、という憲法の規定が、どこかで、規制のために拡大解釈されている。組合旗、プラカードをもつことが、なぜ「平穏」でないことになるのか。....トラックの上からくり返し罵声をあびせた黒シャツ姿の右翼団体には、「安保改定促進」の表示も、大声にわめき立てる自由も許されているのに、請願者には請願の過程で道ばたの市民に訴える表示さえ許されていない。



 石川武男(岩手大学教授)「みちのくアンポ民話」中央公論1960/9

 農民組合の闘士で、いまは開拓にいるある老農は、六・一五の新聞を見て、

「・…彼らの最大の欠点は、マスコミの悪口をいいながら、もっともマスコミを気にすることだ。その点、全学連は立派なものだ。頭からマスコミを問題にしていない。とうとうマスコミが全学連に牛耳られた」こうつぶやいていた。



 上山春平「思想的プログラムのための覚え書 ―傍観者のノートから―『思想の科学』1960/8。

 全学連こそは異物中の異物であり、護憲の論理を採用するあらゆる党派、あらゆる組識、あらゆる機関の非難の的となった。しかし不思議なことに、彼らに対する暗黙の支持はかなり大きかった。護憲の論理で抵抗のすじを通しながら、心情においてはひそかに全学連に共感をよせる、といった人びとが、私の周囲にもまれではなかった。しかも、その人びとのなかには一見反動的と見られる人びともまじっている。ここに一つの問題点がある。



 埴谷雄高「六月の《革命なき革命》」『群像』1960/8

 私の偏見をもってすれば、そこにある萌芽的なものがもしそのまま成長するならば現秩序の擁護ではなく、その否定、全く新しき秩序の創造という遠い遥かな開花へまでついに到達するだろうこと、ここにいる代議士などに頼ることなく、民主主義の最も徹底したかたち、すなわち、働くもの自身による自らの支配にまで到達するだろうことが透視されるのである。



 手塚富雄「青年のニヒリズムは消えた ―学生と教授の側から見て―」『群像』1960/8

 理屈としてはともかく、感情としては学生の気持ちはわかる、というのが、六対四、もしくは七対三で多かった。これが当時の人心である。....ある貿易会社の中堅社員は、これで日米貿易は当分不利な影響をうけるだろうし、困ったことだと嘆いた。「しかしですよ」と彼は眼をパチパチさしてつけ加えた。「正直にいうと、私はやっぱり全学連が、あれをやったのも無理がないと思いますよ。どっちかと言えば、私は学生の方に味方しますね。」



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