*編集部 私はいままで国籍離脱の欲求が非常に強くてナショナリズムとか愛国心とかいう言葉を聞くとぞっとするという感じがあったんです。ところが、五・一九以降はじめて「よくぞ日本に生れける」という感じ、日本がはじめて世界の中につながるという感じを持ったんですがね。
丸山、まさに全体を指導するプログラムがどこにもなくて、いわばむなしく、しかし無数の人の集団がとにかく行動に立ち上がったということ、それは僕はやっぱり画期的なことなんじゃないかと思う。というのは、それまでは戦後ずっと擬似プログラムであって、歴史のコースがあらかじめきまっていて、そのおしきせに従って運動が展開するような、安易な考え方があった。社会党は社会党なりに、共産党は共産党なりにそういう形でやってきたという気がするんです。その意味では、一ぺんそういうおしきせをご破算にして、ニヒルから立ち上がること、その点が少なくも基本的にこれまでの運動史にはなかったモメントだと思う。
分裂におちいらない多様性はどのようにして可能であるか、また画一主義におちいらない統一はどのようにして可能であるか、ということに帰着する。....多様性とは、第一には参加者の階層、職業、年齢等の多様性、第二には参加者のイデオロギー、あるいは思想的信条の多様性、第三には参加者の動機の多様性、第四には運動目標の多様性が多様性のままある程度整合できたということ、第五には運動形態の多様性をさす。
このたびの国民運動においては無党派活動家が輩出した。少なくとも無党派半活動家が噴出した。....この無党派活動家という言葉が世上で使用されるようになったのは、決して五・一九以後のことではない。すでにその数年前から、この言葉は種々の混乱を伴いながらも使用されてきた。.... 運動が拡大するにつれ、民衆の創意と多様性を吸収し、それとマッチするには、末端に根を下した無党派の活動家を必用とした。第二にわが国、とくに地方においては既成反対政党は「アカ」として、一般から遊離した異質集団とみられているため、そういう日本的カルチャーの壁を少しでも打破するためには無党派である方がより有効であるという事情がある。
....すでに三月の社会党大会の活動方針では、「・・・・・・とくに無党派の積極的活動はつかみ、これを組織化し、入党させることに集中的に努力をそそぐ必用がある」とのべられ、社会党系の青年組織「日本社会主義青年同盟」では、すでに七月現在八千三百名の同盟員のうち五〇%が無党派活動家であり、とくに大阪、岡山等でこれら活動家の獲得に成功したといわれている。
....無党派活動家を性急に「結びつけ」、「同化」しようとする方針はそれ自体決して賢明な方法ではないであろう。