僕らがしみじみ考えなければならないのは、日本の社会と階級関係のおくれですよ。ことに農村、それに結びついている小市民層の広範な存在、その考え方、心理的、社会的生活の機構が、敗戦後十五年たっても古いものが残っている。
.....わが党が革命的情勢の成熟という場合は、下層の人民がもう食えなくて死を恐れなくなっている、これが第一ですよ。第二は、支配する上層が、諸矛盾にとらわれて支配することができなくなること。第三点は、そういう条件の中で、大衆が権力などおそれず、死を決意し、しかも団結した前衛が立ち上がって戦う、という三つの条件があって、初めて客観的な革命情勢があるといえると思う。
新憲法というものが、われわれが考えていた以上に、大衆の血になり肉になっているのだということが、言えると思うのです。そしてそのように正しい予想を持ちえなかったことが、こちら側の運動を指導する態勢が不十分で、始めから長期の展望の上に立ったスケジュールを持てないままに、むしろ外の盛り上がりの一歩前か一歩後ろか、あるいはほとんど同時か、という指導しかできなかった最も根本的な原因になったといえます。
(11/27の国会構内突入事件について)ときどき、カメラのフラッシュが照らし出す光景は赤旗の林立とドス黒い学生の顔々。それらは苦悩に歪んでいた。
一定の手続きを踏まねば、一歩も入ることを許されない国会構内に、大衆の力で入ったことは、国家権力に対する激しい怒りをぶっつけた点で画期的な事件である。実力行使の持つ解放感が顔に滲み出ても当然なのに、何という鎮痛なデモなのか。私には最初に湧いた疑問であった。
....国会構内へ入ったことを高く評価した地方共闘からは、社会党、総評などのとった態度にものすごい不満があった。それは新聞論調に同調することへの不満よりも、構内に入った労働者、学生らのエネルギーを前向きに組織できなかった指導団体への不満であった。....この意味で十一・二七は安保闘争の第一の挫折となった。
....市民の高まりといいながら、その実、国会デモに参加した人々は、“孤独な群集”ではなかったろうか。
歴史に参加するには組織が必要だ。組織を作るには真の連帯感が必要である。既成政党、労組はどれだけの連帯意識を持ち得たろうか。学生らの行動さえ大きく包むことが出来ないで、一人の女子学生を殺されたことを、真に反省すべきである。
全学連こそは異物中の異物であり、護憲の論理を採用するあらゆる党派、あらゆる組識、あらゆる機関の非難の的となった。しかし不思議なことに、彼らに対する暗黙の支持はかなり大きかった。護憲の論理で抵抗のすじを通しながら、心情においてはひそかに全学連に共感をよせる、といった人びとが、私の周囲にもまれではなかった。しかも、その人びとのなかには一見反動的と見られる人びともまじっている。ここに一つの問題点がある。
最前衛の全学連も、中衛の安保阻止国民共闘会議も、後衛の護憲的大衆も、農村にアピールする綱領を全く用意していなかった。
仮に一千万人の署名が得られても、現在のような方法では、遺憾ながら、私が請願に託している意義を実現するに至らないと思われる。安保改定阻止国民会議は、八十万人分を衆議院議長に、三十万人分を参議院議長に渡す時、小山のような請願文の束の一番上にあった一枚を衆議院議長に、他の一枚を参議院議長に手交したそうで、小山のような請願文の束は一括して議長秘書に渡してしまったらしい。一番上にあった一枚に、何十万の署名者を含む小山のような請願文を代表させたつもりなのであろう。代表への不信の上に立つ筈の請願運動を行いながら、まだ代表というものに安心しているのだ。代表ではいけないところに、請願の意義があるのだ。....もし一人一人の署名者が自分の真実の気持ちを請願書に書こうとしたら、こういう言葉にならないであろう。....画一的な印刷物に署名するという受身の態度でなく、自分の真実の願いを自分の手で表現するという積極的な態度が生まれて来るだろう。