京都大学の学生をみていると東京工大の学生とだいぶちがいますね。それは地方から出て来てる人が多いからなんです。さっきから平等はあたりまえとか、男女一緒にいることも当たり前だというけれども、東京で当たり前であるほど当たり前じゃないんですよ。.....同時に社会改革というときに、もっとせっぱつまった叫び方をする。非常にラディカルなんですね。また例えば、日教組大会があると、地方の先生がたくさん来るんですね。そうするとおそろしく激しいことをいうわけです。都会から来た先生は、かなり日本は民主化されているんだから、もっとおとなしく合理的な話をしたらどうかというんですが、そういうふうにおとなしくやっていられないほど面倒くさいことがあるんですね。......
日本みたいに都市と村落の落差のつよいところでは、同じ世代でもちがう感じ方をしていることをハッキリつかんでおくべきです。
私は同盟者である農民に、今日、さしのべられる人々の姿勢と意識の底に、おそるべき農民侮蔑感が流れているように思えてならない。
....農民は書くことに抵抗を感ずる。ハンコを押すとなるともっと重大である。マチに通用する署名運動が、そのまま田舎の運動形態であってよいだろうか。
農協に勤める女子青年は、白い安保阻止のバッチを胸にし、自分の胸についているバッチを、お百姓さんの胸につけて歩いた。一個十円のバッチは、彼女の経済力で十個も買えば精一杯である。署名運動は都会型で、バッチ運動は農村型だという。
....金は末端ほど乏しく、マチの労働者以上にたくさんの身銭を切る活動が強いられてくるのである。マチの労働者が意識が高く、ムラの組織労働者がおくれているという見かたは、それを無条件に認めるわけにはゆかない。さらに労組の活動が、資金的にも、専従員的にも、マチに集中し、村に土着する人々から吸い上げる一方交通がなりたっている。
これくらいのことは解ってもらえると、従業員組合の機関紙を復活編集して、ささやかな願いを書いたのがたたって、型通りの肩たたき。地方の小さな食品会社。社長は保守党の大物。組合員は百名ちょっと。あるにはあっても御用組合。わかってもらえるが甘すぎた。一人でねばって遂に転勤。嫌応なしに倉庫係。「君は大学を出ていながら―」ねちねちと嫌がらせ。私はじっと耐えていた。私が耐えていることをまわりの人達が知っている。それだけでも、私がこの会社にいる意味がある。私は貝になっていた。警職法は勿論、組合のくの字もうかつに口には出来なかった。そのような状態の中で読み続ける「世界」。
(800名近く集めた署名について)正直にいって、私達は部落の農民層をつかみ、揺り動かしたという手答えはなかった。いや、署名提出の期日に追われ、又古い層からの圧力を警戒して、働きかける農家を選別しなければならなかった。自分の部落よりも他の部落での方が働きやすかった。
(校区共闘会議による政党の働きかけについて)君たちの最初の働きかけにも明らかに見られる革新政党の欠陥。独善的楽観主義、公式的画一主義、そしてあの性急さ。それが原因となって、生産点に重点をおくのは原則的に正しいのだが、ただ企業内で労組を通じて上から大衆を把握しようとしかせず、農村とそれに結びついている小市民の広範な層の中に侵み込んで行くことが不足だった。