死へのダイビング

括弧でくくられたオレンジの字は、このホームページを作るに際して、新たに加筆した部分です。
English Version



 神風についてどのような研究をされているのですか? 

 特攻を生み出した価値観、思考方法、思想を研究しています。したがって、特攻だけを研究しているわけではありません。神風の研究はテーマの一つというわけです。
 
 

 なぜ、このテーマを選ばれたのですか?

 近代戦史において、特攻隊というのは最も特異な戦闘方法だからです。つまり、神風を研究することは、戦時期の日本人の性格を知るための有効な方法なのです。 

 世界には神風特攻隊と似た事例というのも数多くあります。しかし、それらは次の三つの点において神風と決定的に異なります。 

 第一に、これらの事例の殆どは決死の攻撃( an attack with ready to die )であり、生還の可能性が残されています。たとえその可能性が非常に小さなものであろうとも、とにかく可能性が存在します。 

 これに対して、神風は必死( an attack with death )の攻撃であり、生還の可能性は全くなく、完全なる死が存在するだけです。ご存知のように、特攻機は行きの燃料しか詰まれておらず、帰りの燃料を積んでいませんでした。そして、爆弾は投下できないように機体に固定されていたのです。 

 第二に、1944年の秋から1945年の夏の戦争終結にいたるまで、日本軍はそのような「必死」攻撃を、通常兵器のように組織化しました。少なくとも、毎週、そして、しばしば、連日神風特攻隊が出撃しました。人間爆弾、人間魚雷、特攻船など、色々な種類の特攻兵器が登場しました。 

 第三に、これは1994年の論文で指摘した私の見解ですが、我々日本人は、神風が攻撃方法であった、ということを決して忘れてはならない、ということです。 

 正確にいうと、神風とは自殺ではなく、自らを殺すことにより敵を殺すことなのです。

 それは自殺の方法であるばかりでなく、敵を殺すための方法でもあります。日本人はこの点を理解すべきであり、悲劇的英雄という理解を超えた視点を持たなければならいでしょう。

 何故ならば、多くのアメリカの将兵もまた神風攻撃により戦死しているからです。新しい世紀に、我々日本人は、過去の戦争を自国の立場からばかりでなく、敵味方双方の観点からとらえるようにしなければなりません。戦争は、終わったのですから、もうどちらの立場もないのです。

 


 結論に至るのにどのくらい時間がかかりましたか?

 この質問の意味がわかりません。何故ならば、「結論に至る」とはどういうことでしょうか?

 これは既に死んでしまった者の気持ちや思想についての研究です。最もよい方法は彼等に直接、きいてみることですから、「結論に至る」日は決して来ないのです。彼等は皆、逝ってしまいました。唯一の手掛かりは、出撃の前に日本降伏の日を迎えた数少ない神風の元パイロットたちです。しかし、結論を導き出すには、死んでいってしまった者の数と比べると生き残った者の数は余りにも少ないです。
 
 


 あなたは、特攻隊の元パイロットにインタビューをしたことがありますか?

 ええ、東京、大阪、神奈川、山口などで。中にはもう亡くなられた方もいます。私が個人的に行ったものもあれば、NHKの番組作成を通じて行ったものもあります。
 
 

 死ぬとわかっていながら多くの若い日本人が神風のパイロットとなったのはなぜでしょうか?

 こうした若者にとって命の意味とはなんだったのでしうか?
 

 この二つの質問には「戦時における死生」として一緒にお答えすることにしましょう。

 戦時下の日本で、若者や多くの民衆にとって死は決して縁遠いものではありませんでした。1931年の「満州事変」以降、日本人は戦争に直面しつづけました。厳密に言うとこれら15年間の間には短い停戦期がふくまれますが、普通の庶民にとってはほとんど戦争中であったという印象です。

 したがって、当時、戦死は決して珍しいものではない。そして、マス・メディアは戦場における数多くの英雄的な死を宣伝しました。このような状況から死生に対する価値観が変わったのです。

 戦争が長期化したからこそ、人々は戦死を拒みましたが、その他方、戦争による死がいつの日か自らにも訪れることから逃れることもできなくなりました。

 ほとんどの日本人は、勝利か、さもなくば最後の一人まで戦いつづけるかのいずれかとしてしか、戦争終結を想像することができませんでした。驚くべきことに、降伏という発想がなかったのです。日本人は「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」と教育され、捕虜になるくらいなら自決するように教えられてきました。

 従って、勝利の見込みがなくなったとき、とりうる唯一の選択とは、いかにして死ぬかだったのです。つまり、敵に殺されるか、死ぬまで戦うかということです。人々はアメリカは日本人の絶滅を意図していると信じていました。実際、アメリカによる無差別絨緞爆撃はアメリカの殲滅作戦を示すものとして人々に理解されていたのです。

 これが若者が特攻隊になる背景だったのです。


 彼らはいかにして死に直面したのでしょうか?
 

 「いかにして死に直面したのでしょうか?」、これは難しい質問ですね。なにしろ、彼らは皆死んでしまったのです。

 それに出撃基地では、他の隊員が特攻隊員に話し掛けることを禁止していましたから。

 理由は、特攻隊員の気持ちの動揺を防ぐためです。軍紀を維持するためには、特攻隊員が出撃の覚悟に集中することが必要だったのです。ですから、出撃前の特攻隊員は孤立した状況に置かれていました。

 私は特攻隊員の中には命令に抵抗した者もいたということを聞いたことがあります。次のような話を聞いたり、あるいは書かれたりしているのを知っています。

 出撃前夜、日本刀を持って「司令官をたたき斬る」と憤怒した隊員を、戦友が止めに入るというものです。ところが、翌朝になると憤激していた隊員は逍遥として機上の人となり、戦友に一瞬、別れの微笑みを送るというのです。多くの戦友たちがこの微笑を回想しています。そして「神々しく」見えたと述べています。
 
 


 祖国のために自らを殺すのは、何か宗教的な理由があるのでしうか?
 

 ナショナリズムと呼ばれる近代の宗教が、「祖国のための死」を美学に変えたのです。
 

 武士は主君の名誉のために自死をしました。神風は天皇の栄誉のために自死しました。これら二つの種類の死には何らかの歴史的関連がありませんか?

 天皇や主君を神や法とみなしていたからではないでしょうか?


 歴史の関連性について、答えは、「イエス」でもあり、「ノー」でもある。
 
 「イエス」について

 主君のための自己犠牲として、あるいは忠誠の表明として自らを殺すというのは決して珍しい話ではなく、そのような例は多くの国々で見られます。
 
 ちょっと、難しい回答になります。

 当時の日本人は、自分たちが生きている時代の物語としてだけでは自らを納得させることができなかったのです。彼らは自らを納得させるための古典的で、歴史的で、伝統的な物語を必要としたのです。そうすることで、日本人は生まれつきそのような国民性や性格を持つものなのだ、ずっと昔からそのような国民なのだと納得したのです。

 わかりますか?

 過去との関連性があったから神風が登場したのではないのです。神風攻撃が過去との結びつきを必要としたのです。そうすることによってのみ、人々は納得したように振舞うことができたのです。そうでもしなければ、自らの死を納得させることはできないのです。
 (納得はできないまでも、美化することが必要だったのです。何らかの真善美として理解することが必要でした。その真善美を、自らが生きた時代の中に見出すことは困難だったのでしょう)

 「ノー」について

 すでに述べたように、神風とは自らを殺すことにより敵を殺すという攻撃です。しかし、「武士」の自死は、切腹が典型ですが、攻撃の要素を持ちません。それは攻撃ではなく、自らの意思の表明方法なのです。
 

 天皇や主君を神や法とみなしていた人もいるのでしょうか?
 (少なくとも天皇を神格化していました。)
 

 神風の死は利他的な死と言えますか?

 どこに利己的な要素がありますか?

 問題は、何のためならば死ぬことができたのか、です。

 天皇のため?
 家族のため?
 国家のため?
 愛するもののため?

 とにかく彼らは何かのために死んだのです。それが誤りであろうと、そうでなかろうと。自分自身のために死んだのではない以上、神風は完璧に利他的な行為です。
 


 私は二人の元特攻隊のパイロットにインタビューしました。一人はブラジルで、もう一人は日本で。日本にいる元パイロットは、今でも同じことをするだろうと言っていました。ブラジルの元パイロットはしないと言っています。というのは、当時はとても若く、そして軍部が非常に強力だったから。そして、ブラジルにきて考えが変わった、と。これをどう思われますか?

 これは個々人の問題でしょう。
 降伏前の日本では、すべての日本人が同じ思考方法、価値、思想を持っていました。しかし、一度敗れると、人々は戦勝という名の大きな目標を失い、彼らの考えは多様になったのです。それは当然なことです。(戦争が末期となるにつれ、つまり、状況が切迫するにつれ段々とわずかな立場の相違がもたらす格差が大きくなり、不平等への不満が多様化への要因でもあったわけですが)

 私の聞き取りでは、「今でも同じことをやる」と考える人は極めて稀です。(というより、お目にかかったことがない)。普通、彼らはもう二度と御免だと言うし、(回想することすら拒むこともある)自分たちがしたことと同じことを子供たちにさせたくないと言います。
 


 今日、日本の新しい世代は神風の英雄主義とどう向き合っているのでしょうか?

 この55年間で何が変わりましたか?

 天皇は、依然、神と見られているのでしょうか?

 当時の世界の人々(特にアメリカ人)は日本のパイロットや日本人のことを自殺するのはきちがいじみていると言っていました。彼らの死を世界に説明するために、あなたはどのような解説をするでしょうか? つまり、特攻の思想です。
 


 これら四つの質問については一つにまとめてお答えしましょう。

 55年前、われわれ日本人は西洋近代文明と戦っていた。(そのような認識は、侵略を正当化する誤ったとらえかたではあるが、しかし、当時の日本人が当時の歴史というものをそのようにとらえていたことは間違いない)それは文明の正当性をめぐる戦争でした。アジアを侵略し、植民地の拡大を正当化することは、この文明の問題の中の一つの論点に過ぎなかったのです。日本人は、新たなそして西洋よりも光り輝く文明を打建てようとしていました。当時、日本人が追及しようとしたものとは「欧米化することなく近代化すること」であり、「近代化そのものを日本化すること」でした。

 日本人は日本と近代西洋文明の対比を、非物資的な文化と物質文明の対比として理解していた。そして、日本の非物資的な文化に、西洋文明に誇りうる、そして、西洋文明にはない真、善、美を見出していた。

 そして、日本人は天皇ならびに天皇制に日本の真、善、美の象徴を見出していたのです。西洋文明を超克する方法を、日本精神と西洋の技術の組み合わせを洗練させることに求めていました。(戦争末期期の)絶望的な文明の戦争の中で、神風は日本精神と西洋文明の最も悲劇的な組み合わせとなったのです。

 「日本精神」とはパイロット自身に具現化され、飛行機は「西洋近代文明」であり、これが特攻として結合されたのです。この悲劇的な組み合わせに日本は勝利への一縷の望みを託したのです。大日本帝国は、パイロットにとってまったく希望のない攻撃に、勝利への希望を見出そうとしたのです。日本が得ようとしたのは、軍事的な勝利だけではなく、精神的な勝利だったのです。

 現在、神風は日々過去の物語となりつつあります。
日本の若者は事実として単にその名前を知るに過ぎません。彼らは悲劇と共にそれを英雄的な犠牲を感じとることでしょう。まだまだ、それが攻撃であったということ、必死の攻撃と決死の攻撃というのは全く性格が異なるということは、ひろく認識されていません。

 過去と根本的に異なる点は、天皇や天皇制を西洋文明に対抗するための日本の真、善、美であるとは、決してみなさなくなった点でしょう。今日、日本は非西洋圏で最も西洋化された社会を持つのではないでしょうか。

 我々日本人は、半世紀を擁し、ようやく文明の戦いを終わらせたのです。その結果が良かったのか、悪かったのかを、今、私は結論することはできません。

 しかし、もし「神去りし」あまた「英霊」に言葉を手向けることができるならば、こう言うでしょう。
 

       日本、敗レタリ、然レドモ敢闘セリ