インターネットとわいせつ犯罪

by 増田豊刑法ゼミナール

(厚見直哉,伊藤孝浩,岩見行浩,大橋竜治,小澤朗子,小野晋平,小野雅弘,角田裕子,幸田一志,小町寿江,斉藤和孝,相馬卓朗,手島孝明,花島正明,福崎唯司,本谷 徹,松田健太郎,松本照正,吉野 準,若林美樹)


初出 : 法學會誌 vol-48 pp.26-56 1998(明治大学法学会)


− 目    次 -

序 章 インターネットの現状

第1節 問題提起

第2節 世界のインターネットの現状

第3節 日本のインターネットの現状

第1章 刑法第175条における「わいせつ」

第1節 「わいせつ」とは何か

第2節 判例の検討

1.カストリ雑誌事件

2.チャタレイ事件

3.悪徳の栄え事件

4.四畳半事件

5.日活ロマンポルノ事件

第3節 学説の検討

1.保護法益の面から考える学説

(1)性道徳・性秩序の維持が保護法益とする説

(2)犯罪や重大な反社会的行為への因果関係がある限りで処罰に値するとする説

(3)パンダリング理論

(4)他人の見たくない権利を保護法益とする説

(5)青少年の保護を目的とする説

2.判断基準から考える学説(相対的わいせつ概念)

(1)比較衡量論

(2)相対的わいせつ文書の理論・主観説

(3)相対的わいせつ文書の理論・客観説

第4節 私見

第2章 刑法第175条の解釈

第1節 構成要件要素について

1.

(1)客体

(2)「文書・図画・その他の物」

(3)「わいせつ」

2.行為

(1)頒布・販売

(2)公然性

(3)公然陳列

(4)所持

3.主観的要件

(1)故意

(2)その他

第2節 適用範囲

第3節 片面的ほう助犯の可否

第4節 不真正不作為犯としての175条

第3章 インターネットと刑法第175条

第1節 インターネットの性質

第2節 インターネット上のわいせつ物とは何か

1.

2.判例の検討

3.インターネットへの当てはめ

第3節 頒布・販売目的所持か、公然陳列か

第4節 海外のプロバイダの利用行為

第5節 リンク機能

1.リンク機能とは何か

2.検討及び考察

第六節 プロバイダの刑事責任

第4章 大阪FLMASK事件

第1節 事件概要

第2節 問題点の検討

第5章 総括

第1節 「わいせつ」について

第2節 刑法第175条の今後のあり方

注  釈


序 章 インターネットの現状

第1節 問題提起

 インターネット(※1)は、今や電子上の社会を形成し、現在もなお発展の途上にある。そして社会の形成は、同時に犯罪の場の形成でもある。当然に刑法もその社会の利益を守るために要請される。インターネットの普及に伴い、「わいせつ」について、またインターネットと刑法175条の今後のあり方について、考察すべき時が来ているのではないだろうか。

第2節 世界のインターネットの現状

 インターネットにおける犯罪、特にわいせつ画像に対する規制は、日本のみならず諸外国においても問題とされている。インターネットに関し最も先進国といえるアメリカでは、連邦最高裁は1997年6月26日、インターネット上でわいせつな画像や文書の流布を禁じた「米通信品位法(Communications Decency Act)」が、言論・表現の自由を保障する米国憲法に違反するとの判決を下した。これに対しクリントン米大統領は1997年7月16日、わいせつな画像を掲載するホームページ(※2)へのアクセスを遮断するフィルタリングソフト(※3)の積極的な導入を求めるほか、捜査当局の担当組織を強化する新しい規制策を発表している。
 一方ドイツでは、1997年8月1日、情報通信サービスの基本条件の規制に関する法律」(通称「マルチメディア法」)において、刑法、秩序違反法、青少年に有害な文書の流布に関する法律を改正し、法律により違法とされる情報の媒体として「文書、録画媒体、図画」に「データ記憶装置」を追加した。また電子的情報通信サービスを事業として一般公衆に対して行う者は、未成年者に有害なコンテンツ(※4)を含む可能性がある場合は、青少年保護担当者を指名し、担当者は利用者との接触窓口となり、問題となった事業者に助言を行うほか、特定のサービスを制限するよう勧告できるようにしている。

第3節 日本のインターネットの現状

 他方日本においては、インターネットを主眼においた法的改正はなく、また現在の刑法的規制はインターネットの中のWWW(※5)という一部の機能に対して行われているにすぎず、例えばニュースグループ(※6)などは未だ日本において規制の対象外である。インターネットを含むコンピューター・ネットワーク(※7)を利用したわいせつ犯に対する取締状況、すなわち警察庁の動向に目を向けてみると、実際にコンピューター・ネットワークに関連したわいせつ物公然陳列やわいせつ物頒布等での検挙件数は、1993年7件、1994年12件、1995年20件と年々増加傾向を見せ、昨年は57件、今年は4月までで既に20件と更に増加していくと思われる。というのも現在国内には約1万4千のアダルトページ(「衣服を脱いだ人の姿態の画像の送信やアダルトビデオ、CD−ROMの通信販売などを行っているホームページ」との警察庁の定義による)があるとされているが、その8割にあたる約1万1千について警察庁は、わいせつ図画公然陳列などの可能性が高いと推測される、としているのである。

 現行法下での取締状況は以上のようになっているが、これらは検挙されても略式起訴や不起訴処分になる例が多く、あまり法廷では争われない。インターネットというヴァーチャルな空間におけるわいせつ情報を刑法175条におけるわいせつ物の公然陳列とみなせるのか議論となっているからである。しかしいくつかの事件は現在も法廷で争われており、新たな基準を明確にすべく司法の判断がおこなわれている。

 以上のことを考察すると、我が国においてはインターネット上のわいせつ画像に対する新たな司法の明確な判断が待たれている。以降,第1章,第2章では175条における「わいせつ」について、第3章,第4章ではインターネットと175条について論じる。

第1章 刑法175条における「わいせつ」

第1節 「わいせつ」とは何か

刑法第175条

 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した 者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販 売の目的でこれを所持した者も同様とする。

 この章では、刑法175条における、規範的構成要件要素「わいせつ」について論じる。「わいせつ」の定義は極めて曖昧であり、裁判官の恣意的な判断が働く余地が多分にあるため、刑法の明確性の原則、法定手続を保障する憲法31条に反するのではないかという問題があるからである。さらに「わいせつ」を定義しようとすれば、刑法175条における保護法益が問題となり、そもそも刑法175条に保護法益は存在するのか、すなわち、刑法の謙抑主義、表現の自由を保障する憲法21条に照らして、道徳に国家が介入する必要があるのかという疑問へとつながる。
 この章では、刑法175条の保護法益について考察し、「わいせつ」の定義、判断基準を導き出したい。そのために、まず判例・学説を検討する。判例は裁判所が判断基準とする「社会通念」の考察を中心に、学説は各学説が如何なるロジックを用いて「わいせつ」を定義し、刑法175条の必要性を肯定しているのかという点を中心に検討し、その後私見を述べる。

第2節 判例の検討

1.カストリ雑誌事件(最判昭和26・5・10刑集5巻6号1026頁)

 カストリ雑誌と呼ばれた性を取り扱った雑誌を巡る裁判。最高裁がわいせつ性の肯定の判断基準として提示したのが、「わいせつ」3要素説であり、後の判例に影響を与えた。3要素説によれば、「わいせつ」とは、@徒に性欲を興奮又は刺激させA普通人の正常な性的羞恥心を害し、かつ、B善良な性的道義観念に反することと定義される。この3要素説は次に述べる、チャタレイ事件でも採用されるのでそこで検討したい。

2.チャタレイ事件(最判昭和32・3・13刑集11巻3号997頁)

 D・Hロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳のわいせつ性を巡る裁判であり、「芸術かわいせつか」という文芸裁判とも言える。なお、その翻訳は当時、大ベストセラーとなった。
 最高裁は、その翻訳のわいせつ性を肯定するにあたり、先の3要素説を踏襲した。その際、最高裁が3要素説をどのように解釈し、わいせつ性を肯定したのか、簡単に紹介し、検討してみることにする。

@ その翻訳は春本ではなく芸術作品

A わいせつ性の判断に3要素説を踏襲。わいせつ文書は、人に羞恥心を抱かせ、そして羞恥心は人間の性に関する良心を麻痺させ、性道徳・性秩序の無視を誘発する
危険があるので禁圧すべきだとし、3要素説を肯定した。性道徳・性秩序は「最少限度の道徳」であるとし、刑法175条の禁圧の趣旨を説明した。

Bわいせつ文書か否かの判断は、法解釈の問題であり、事実認定の問題ではないとした。それは裁判官が判断すべきで、その判断基準は一般社会において行われている良識、すなわち「社会通念」であるとした。

C 性に関する社会通念に変遷があっても、「わいせつ」の概念の基本に変更はないとした。その根拠は性行為非公然の原則であるとし、裁判所は、社会通念の規範に従い、社会を道徳的に頽廃から守らねばならないとした。

D 芸術作品であっても、芸術性はわいせつ性を否定はしないとした。

 以上5つの判断の要点を鑑み、最高裁は『チャタレイ夫人の恋人』のわいせつ性を肯定した。
 この5つの要点に含まれる問題を検討する。まず、3要素説の曖昧性が問題となる。そもそも3要素説は事実ではなく、現実に3要素が存在することを証拠で確かめる必要が無くなる。従って3要素説は不明確と言わざるを得ない。だいたい、羞恥心が性道徳・性秩序の無視を誘発すると言うことは証明され得ない。
 さらに、3要素説を前提として、判例が基準として挙げた、「社会通念」の曖昧さを批判したい。性行為非公然の原則という根拠のない原則に基づいた、普遍の「社会通念」とはどのようなものか定義できない。耳障りの良い「社会通念」を判断基準にすることは、結局、裁判官の恣意的判断につながる。従って、「社会通念」を判断基準に用いることは問題である。
 「わいせつ」は道徳的な概念であり、本来曖昧不明確なものである。しかし刑法で処罰を規定する以上、より明確な要件の提示が要求されるのは当然のことだろう。

3.悪徳の栄え事件(最判昭和44・10・15刑集23巻10号1239頁)

 マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』の翻訳のわいせつ性を巡る裁判。最高裁は、「文書がわいせつ性を持つかどうかは、裁判官が社会通念に従い判断するところに任されているのであるから、裁判官が社会通念が如何なるものであるかを知るために、一般人の読後感等を知ることは好ましいことではあるが、それは、あくまで参考としての意味を持つに過ぎないものである」とした。
 ここにも、チャタレイ事件における批判が当たるだろう。

4.四畳半事件(最判昭和55・11・28刑集34巻6号433頁)

 永井荷風作と伝えられる短編小説『四畳半襖の下張』のわいせつ性を巡る裁判。
 最高裁は、3要素説を補充する判断方法として「好色的興味にうったえるものと認めるか否か」を示した。これは、相対的わいせつ文書の理論の主観説を採用したものであり、後で検討する。

5.日活ロマンポルノ事件(東京高判昭和53・6・23判時897号39頁)

 映画のわいせつ性を巡る裁判。東京高裁は、性行為非公然の原則が厳として存在するとしても、この原則がどの程度及ぶのかの判断は、時と所による制約を免れないとし、「普遍の社会通念」を否定。当該映画のわいせつ性を否定した。
 だが、まだ判断基準としての「社会通念」を捨ててはおらず、明確性に欠ける。しかし、「社会通念」の変動を認めるに至ったことは、大きな前進であると言える。

第3節 学説の検討

 現在展開されている学説は、「わいせつ」の判断における、裁判官の恣意の介入を少なくし、刑法175条の必要性を肯定するためのロジックといえる。まず保護法益の面からそのロジックを構築する学説を検討し、さらに判断基準としてのロジックを検討する。

1.保護法益の面から考える学説

(1)性道徳・性秩序の維持が保護法益とする説

 わいせつ文書禁圧の究極の目的を性道徳・性秩序の無視誘発の阻止とした、チャタレイ事件の最高裁判決における見解と一致するものである。
 しかし、価値観の多様化した現代において、その一つの価値観を国家が刑罰を持って強制することはできない。又被害者への侵害がないのに道徳それ自体を保護法益とすることは刑法の任務を越えることになる。さらに性道徳・性秩序という不明確な概念を保護法益とすると、社会通念のような不明確な判断基準を用いるざるを得なくなるという問題も生じる。

(2)犯罪や重大な反社会的行為への因果関係がある限りで処罰に値するとする説

 (1)が妥当性の欠如を犯罪や重大な反社会的行為への因果関係のある限りというロジックを使うことで埋めようとするものであるが、わいせつ物が、犯罪や重大な反社会的行為の原因であることを証明することは不可能であり妥当ではない。保護法益は、(1)よりも緩やかな性道徳・性秩序の維持ということになる。

(3)パンダリング理論

 顧客の性的興味をそそるために公然と広告した、わいせつ物を供給する商売が処罰に当たるとするロジックを使うことで(1)の妥当性の欠如を補おうとする説。保護法益は(1)より緩やかな性道徳・性秩序の維持ということになる。
 この説では行為態様を重視する反面、わいせつ物の定義が忘れさられている。したがって、「わいせつ」でないものを「わいせつ」だと偽って売る場合も処罰に値するのかという問題がある。被侵害法益の不明確性は行為態様の明確化によって補われるものではなく、この説も妥当ではない。

(4)他人の見たくない権利を保護法益とする説

 性道徳・性秩序の維持を保護法益と考える説を3つ検討してきたが、わいせつ物を欲している者にわいせつ物を見せたり、売ったりしたとき、被害者はいないと考えるべきだろう。
 その場合、性道徳・性秩序の維持は保護法益といえるのかという疑問が生ずる。逆に、わいせつ物を欲していない人に見せたり、売りつけた場高驕B見たくない権利は守られるべきであろう。では「他人の見たくない権利」を刑法175条の保護法益とするべきだろうか。「見たくない人」と対象を限定することは、刑法175条の解釈上不可能である。従ってこの説も妥当ではない。

(5)青少年の保護を目的とする説

 未熟で判断能力に乏しい青少年を有害な性的情報から守ることを保護法益とする説。
 しかし、青少年に対するわいせつ物の有害性は立証不可能であり、不当である。また青少年にとっての「わいせつ」は、成年にとっての「わいせつ」よりも拡大された「わいせつ」であり、処罰対象が拡がる可能性がある。

2.判断基準から考える学説(相対的わいせつ概念)

(1)比較衡量論

 その文書の公表により、そのわいせつ性のために侵害される法益と、社会が芸術的・思想的・学問的に受ける利益を比較衡量して前者が大きい場合に、刑法175条による処罰に値するとする説。構成要件における「わいせつ」の定義における比較衡量とする説と違法性阻却事由としての比較衡量とする説に分かれる。
 「わいせつ性のために侵害される法益」と「社会が芸術的・思想的・学問的に受ける利益」は曖昧である上に、合理的な比較衡量に値する概念とは言えないので、比較衡量は妥当ではない。裁判所が文書等の芸術的・思想的・学問的価値を判断することは、芸術・思想・学問への国家の過度の干渉になるのではないかという有力な批判もある。さらに、芸術性・思想性・学問性の重視に偏り、文書等の娯楽的な価値を見過ごしてしまうことも問題である。

(2)相対的わいせつ文書の理論・主観説

 これは四畳半事件の検討の際に触れたもので、文書等が、芸術として読む者に向けて販売された場合は「わいせつ」ではなく、好色的興味で見る人に向けて販売した場合は「わいせつ」だとする説。文書のわいせつ性は、行為者の主観によって決まるものではないので、この説も妥当ではない。

(3)相対的わいせつ文書の理論・客観説

 同じ文書等でも、一般人の卑俗な興味にさらすように公表すれば「わいせつ」であるが、科学的研究のために専門の学者の間で発表する場合は「わいせつ」ではないというように、取り扱いの形式や作品の置かれた状況を考慮する説。パンダリング理論とよく調和する。
 しかし、覚知する人の資格範囲を合理的に限定することは、それによって、行為に正当化原因を与えるものの、対象物のわいせつ性がそれによって減少したり、消滅したりするとは考えられない。さらに文学的作品が全く好色的興味で読む者に販売され、作者もそのような可能性もあると認識していた場合にも、刑法175条は成立することになり、処罰範囲がかえって拡がってしまうという問題があり、この説も妥当性を欠く。

第4節 私見

 これまで判例・学説を検討してきたが、「わいせつ」の判断の曖昧さを明確にし、裁判官の恣意的介入の余地を狭めるための決め手となるもの見いだすことはできなかった。「わいせつ」とは、そもそも道徳的概念であり、定義することは不可能であるかもしれない。しかし、刑法175条に規定される、「わいせつ」は、明確性の原則から、極力限定されるべきである。
 「わいせつ」を限定するために、まず、刑法175条の保護法益を考えてみたい。性道徳、性秩序の維持や「見たくない権利」、青少年の保護を保護法益とすることは妥当ではないことは既に述べた通りである。わいせつ物の頒布、販売においては被害者は存在しないとも考えられる。結果無価値論を考慮するのであれば、保護法益が存在しないのに刑罰を規定することは許されないというべきであり、これは、刑法175条不要論へとつながる。しかし、この議論は立法論であり、刑法175条の存在を前提とすれば、その保護法益を考えなければならない。その際、刑法は道徳に介入するべきではないという批判にも応えるべきであろう。
 刑法175条の保護法益を考える上で、刑法189条(墳墓発掘)、刑法190条(死体損壊罪)を参照したい。墓荒らしや、死体を切り刻むことを罰する根拠たる保護法益は何であろうか。まさか霊魂の保護ではないだろうし、宗教倫理でもない。この場合、保護法益は公衆の正常な感情の保護と考えるべきである。刑法175条においても、公衆の正常な感情の保護と考えるのが自然であり、人々の感情を法によって保護することは、その感情が不合理ではない限り許されると考える。
 公衆の感情の保護は、性道徳・性秩序の維持と同じではないか、という疑問があるかもしれない。また不快感をもつレヴェルに個人差があるのではないかという批判もあるだろう。しかし、性道徳や性秩序は曖昧なものだが、著しく「わいせつ」なものに対して、大多数の公衆が不快感を示すことは明らかであり、公衆の感情の保護は自藻サにも応えられる。さらに不快感をもつレヴェルの個人差に関しての批判に応えなければならない。公衆の感情を刑法が保護するとしても、刑法の謙抑主義、憲法21条の表現の自由の保障から考えれば、「わいせつ」の定義は極めて限定されるべきである。これで個人差に関する批判に応えたことになるであろう。これより、今までの議論を前提に、「わいせつ」を定義してみたい。

 わいせつとは、社会における通常人の性欲を著しく刺激又は興奮させ、耐え難い不快感ないし、嫌悪感を生じさせるような性質である。

 ヘアヌード・ブーム、AVブームが一段落した今、わいせつ物は、わいせつ図画に関しては、性器があからさまに写った写真などに限られるのではないか。ここまで限定すれば、裁判官の恣意の介入も極めて少なくなると思う。

第2章 刑法175条の解釈

第1節 構成要件の客観的要素について

1.

(1)客 体

 本条の客体は「わいせつな文書、図画その他の物」である。
まず、刑法全般の問題として、音声や画像データのような情報自体を刑法の客体として把握できるだろうか。
 思うに、情報自体を刑法の客体と考えると、構成要件該当性が極めて一般的・抽象的になり、これは刑罰を加える刑法の謙抑性に激しく抵触する。確かに情報化社会となりつつある現状も無視できず、将来的には情報自体を刑法の客体と見る必要もあるかもしれないが、少なくとも現行法上は、有体物をもって刑法の客体と解すべきである。

(2)「文書・図画・その他の物」

 文書とは発音的符号によって表示されるもの(例:小説)、図画とは象徴的方法によって表示されるもの(例:映画、絵画、写真)をいう。その他の物とは、文書・図画以外のもの(例:彫刻物、録音テープ)である。これらのものは、例えばビデオテープのように、現像・映写・再生という作業を加えなければわいせつ性を認識し得ない物であっても良いと解される。なぜなら、透過性のない封筒の中に入れてあるわいせつ写真のように、既にわいせつ性が潜在化しており、これが簡単な操作を加えることにより容易にわいせつ性を顕在化できる以上、公衆の感情を十分に害すると言えるからである。

(3)「わいせつ」

 わいせつとは、社会における通常人の性欲を著しく刺激又は興奮させ、耐え難い不快感ないし、嫌悪感を生じさせるような性質であると考える。図画に関していえば、現在においては、性器をあからさまに写したものなどに限られると考える。

2.行 為

 本条の行為は、わいせつ物の頒布、公然陳列、販売目的を持って所持することである。

(1)頒布・販売

 頒布とは、不特定又は多数人に対して無償で交付することをいい、現実に交付されたことを要する。(大判昭和11・1・31刑集15巻68頁)、販売とは同じく有償で目的物が引き渡されることを要する。(最判昭和34・3・5刑集13巻3号275頁)

(2)公然性

 公然性とは、不特定又は多数人が認識できる状態をいう。現実に不特定又は多数人が認識したことを要しない。尚、例えば密室内で少数の者が認識するにすぎない場合でも、それを反復すれば善良な性的道義観念を害するので公然性の要件を充たすと解する。

(3)公然陳列

 公然陳列とは、不特定又は多数人の観覧しうる状態におくことをいう。例えば、ビデオや映画フィルムの映写や、録音テープの再生がこれにあたる。ただ、陳列したならば罰せられるという視点からは、その客体は、頒布・販売罪の客体よりも抽象化されうるため、厳密に有体物を陳列しなくとも「公然陳列」として処理されうると解される。すなわち、わいせつ画像の録画されたテープ自体を公然陳列するから罰せられるのではなく、テープを再生して皆に見せる行為を持って、「公然陳列」と構成されうると考える。このように解しても、罪刑法定主義に反するとまでは言えない。

(4)所 持

 所持とはわいせつ物を自己の支配下におくことをいい、必ずしも現に保持している必要はなく、自宅に置いておくことも所持にあたる。

3.主観的要件

(1)故 意

 構成要件の客観面に対する表象・認容があれば故意が認められる。そして、わいせつ性についても、構成要件要素として、認識の対象となると考える。前述の通り図画に関しては、「わいせつ」なものを性器があからさまに写っているものに限定して考える以上、図画のわいせつ性の認識についても、「性器があからさまに写っているもの」との認識を要すると考えられる。このように考えると図画に関しては、わいせつ性についての認識は事実の認識ということができる。

(2)その他

所持については、販売の目的が必要となる。

第2節 適用範囲

 刑法は175条につき属地主義(1条1項)の原則をとっているため、日本国内での犯罪にしか適用されない。しかし、構成要件に該当する事実の一部分(実行行為・結果・因果関係の経過に与えた中間影響地等)が日本国内に存在していれば、その場所を犯罪地と評価しても良いと解される(偏在説)。 

第3節 片面的ほう助犯の可否

 ほう助犯に責任を問うために、ほう助者に助けられているという被ほう助者の認識が問題となるが、不要と解する。なぜなら、ほう助犯が罰せられるのは、正犯の実行行為を補助して犯罪の実行を容易にさせて、法益侵害に間接的に関与するからであることを鑑みると、被ほう助者にこのような認識が無くとも、犯罪の実行を容易にさせて、間接的に法益侵害に関与することが可能だからである。

第4節 不真正不作為犯としての175条

 不真正不作為犯理論により175条の不作為犯を肯定するにしても、明確性の原則の要請から成立範囲を限定することが要求される。この点、プロバイダ(※8)に175条の責任を問うにつき問題となるが、これについては後述する。

第3章 インターネットと刑法第175条

第1節 インターネットの性質

 インターネットは現行法体系上、「放送」ではなく「通信」とされている。しかし、ホームページを開設することにより、国内・国外を問わず不特定多数の者に対し情報を送受信できる。すなわち、インターネットは従来電話等を念頭に置いて想定されていた、一対一の「通信」という概念ではとらえきれない放送的色彩をもった「公然性を有する通信」というべき全く新しいメディアなのである。以下、刑法175条を適用する際に問題となる点を検討する。

第2節 インターネット上のわいせつ物とは何か

1.

 インターネット上のわいせつ画像の実体は、有体物ではない画像データである。
従ってインターネットにおけるわいせつ画像に175条は適用できないとする説もある。判例(横浜地裁川崎支部平成7・7・14)では、わいせつデータを含むハードディスク(※9)をわいせつ物としている。確かに、将来的には情報自体を刑法の客体と見る必要もあるかもしれない。だが、少なくとも現行法上は、有体物を持って刑法の客体と解すべきである。
 インターネットにおけるわいせつ画像そのもののわいせつ性は、写真のわいせつ性と何ら変わらない。故に実体がデジタル情報だからといって、刑法175条を適用できないと考えるのは不都合であり,判例はハードディスクをわいせつ物とせざるを得なかったといえる。この節では、何をもってわいせつ物とするべきか考察したい。

2.判例の検討

 まず、わいせつ情報についての過去の判例を検討する。

 「ダイヤルQ2」のアダルト番組については、デジタル化された音声は、わいせつ物とすることができないので、「電話と接続されたわいせつ音声の再生機」がわいせつ物であるとされた(大阪地判平成3・12・2判時1411号128頁)。
 更にわいせつビデオについても、一時的な映像をわいせつ物とすることはできないので、ビデオテープがわいせつ「図画」であるとされた(富山地判平成2・4・22判時1341号160頁)。
 現像・映写・再生という作業を加えなければ、それ自体では、わいせつ物と知覚されない再生機やビデオテ−プをわいせつ物であると考えることの不自然さは残るものの、簡単な操作を加えることにより容易にわいせつ性を顕在化できる以上、厳重に封をされた包みの中のわいせつ写真でもわいせつ物には他ならないことを考えれば、判例の主旨は理解できる。

3.インターネットへの当てはめ

 このような考え方をインターネットに当てはめれば、結局インターネットの利用者が、わいせつな画像を含むホームページにアクセスすれば、容易にわいせつ画像を顕出する事ができるので、判例と同じくわいせつ画像を記録・蔵置しているサーバー(※10)上のコンピューター(ハードディスク)自体がわいせつ物だと解する他無い。
 なお、園田寿教授はこのような考え方に対し、「スーパーコンピューター(※11)さえもわいせつ物になってしまうが違和感は大きいのではないか」「日常物と余りにかけ離れている」と批判を加えている。それらの批判は的を得ているが、現行刑法では、ハードディスク自体がわいせつ物ということにならざるを得まい。これは刑法175条がインターネットに対応しきれていないということである。

第3節 頒布・販売か、公然陳列か、販売目的所持か

 刑法175条は、頒布、販売、公然陳列、販売目的所持の4つの態様を対象としている。判例はインターネットを利用した、わいせつ画像の提供は公然陳列であるとする。前述サーバー上のコンピューターをわいせつ物とする以上、頒布、販売、販売目的所持と考えることはできないので、公然陳列というa@公然陳列とは、前述の通り「不特定又は多数人の観覧しうる状態におくこと」と解する。するとやはり、サーバー上のコンピューターを公然陳列していると考えることの不自然さは否めない。不特定又は多数人に対し提供されているのは、あくまで観覧し得ない、デジタル情報なのであり、園田教授も「データーをダウンロード(※12)しなければ画像は見られないのに、なぜ陳列になるのか」と述べている。ここにも刑法175条の限界が見ることができよう。

第4節 海外のプロバイダの利用行為

 インターネットには、国境が存在せず、その点で現実の世界とは大きく異なる。
わいせつ画像については、日本国内から海外のプロバイダのサーバー上のコンピューターに、日本国内向けのわいせつ画像を記憶・蔵置させる行為がまず問題となろう。刑法175条の適用範囲が問題となる。
 前述の通り、刑法は175条につき属地主義をとっているが、この場合は構成要件に該当する事実の一部分が日本国内で行われているので、つまり日本国内で海外のプロバイダへの送信行為が行われているので、刑法175条は適用できる。
 しかし、海外で海外のプロバイダのサーバー上のコンピューターに、日本国内向けのわいせつ画像を記憶・蔵置させた場合、刑法175条の適用は無理である。更に、海外にあるプロバイダのサーバー上のコンピューターに海外で記憶・蔵置された日本国内向けでないわいせつ画像を日本で見た場合、全く為す術がない。つまりインターネットは、刑法175条を骨抜きにする可能性を秘めている。

第5節 リンク機能

1.リンク機能とは何か

 まず、インターネットそのものともいえるリンク機能について説明したい。リンクとはインターネット上に点在する情報を相互に関連付けることである。インターネット上のホームページと呼ばれるウェブページは、ハイパーテキスト(HTML)と呼ばれるプログラミング言語で書かれている。リンクはこの言語の特性であり、ホームページ上のある画像やテキスト上の単語をクリックするだけで、リンクを張った別のホームページにネットサーフィンできる。リンクは自らのホームページにリンクしたいホームページを指示、参照するコマンドを埋め込むだけで張れる。ユーザーはリンクを利用することで、アドレスの入力をしなくてもその時閲覧しているホームページから、様々なホームページに瞬時にアクセスすることが可能になり、しかもリンクされたホームページは、あたかも閲覧しているホームページに掲げられているように見える。いわば木の根のように複雑にテキストが絡み合った情報空間がそこに創出され、自己増殖してゆくことになる。
 さらにリンクをたどり、リンク先のホームページに飛ぶということが、仮想の行為であることを留意しなければならない。リンク行為は一見するとその時みているホームぺージを通して、そのホームページにリンクされたホームページをみることのように思える。しかし現実はそのような情報の流れが実体として形成されているのではない。現実のリンク行為は、まずユーザーのコンピューターが閲覧中のページとの接続を切り、そこからリンクが張られたホームページを呼び出して接続することであり、実体的なリンクは現実としては存在しないのである。閲覧中のホームページにリンクしたホームページのデジタル情報が流れるのは、そのデジタル情報の置かれたホームページと、そこにダイレクトに接続したユーザー間のラインのみだといえる。

2.検討及び考察

 ここで簡単な事例を用いて、リンク機能がわいせつ図画公然陳列の手段となりうるか、検討する。

 Aは自分のホームぺージから、わいせつ画像を掲載したBのホームぺージに、Aのホームページの閲覧者に見せる目的で、Bの許可を得ることなくリンクを張った。これによりAのホームページの閲覧者は、Bのホームページのわいせつ画像に容易にアクセスできるようになった。

 Aのホームページから簡単にBのホームページにリンクできるので、あたかもAのホームページにBのホームページのわいせつ画像が掲載されているように見える。Aはわいせつ図画公然陳列の正犯の外観を持つ。
 しかし前述の通り、リンク機能の構造を考えれば、事実上Aは閲覧者にBのホームページのアドレスしか教えていない。しかもわいせつ物が、Bがわいせつ画像を記憶・蔵置したサーバー上のコンピューターであるとしか解釈できないので、Aがわいせつ物を陳列したと考えることは難しい。Aをわいせつ図画公然陳列の正犯とは考えられない。
 このように、Aが公然陳列の正犯でないとするのは、一般の法感情にそぐわないといわざるを得ない。リンク機能により、現実の世界と異なった複雑な空間を生み出す、インターネット上のわいせつ図画の公然陳列に、刑法175条は対応しきれていないのである。

第6節 プロバイダの刑事責任

 個人がインターネットを利用する場合、プロバイダとよばれる、第二種電気通信事業者と契約を結んで、電話をかけたときだけインターネットにアクセスできるサービスを受け、さらにその際,プロバイダのサーバを借りることでホームページをひらくのが一般的である。
 このような「サーバー・レンタル・サービス」を利用してユーザーが175条のわいせつ物の公然陳列を行った場合、プロバイダには,それを阻止ないし困難にしなかったことにつき、不作為による175条の幇助犯は成立するのであろうか。
 そこで、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」とする憲法21条2項さらに「電気通信事業者の通信に係る通信は、検閲してはならない。」とする電気通信事業法第3条、「電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない。」とする同4条1項,「電気通信事業者は、電気通信役務の提供について、不当な差別的取扱いをしてはならない。」とする同7条からプロバイダに、わいせつ物の公然陳列を阻止ないし困難にする作為義務を認めることはできないとする議論がでてくる。しかし検閲は行政権が主体となって、行われるものであって、プロバイダがホームページの内容を審査した上で、不適当と認めるものの発表を禁止することは、検閲とはいえないし、ホームページの性質上、その内容が秘密にあたるとするのは、妥当ではない。また刑法で禁じられた、わいせつ物の陳列を阻止、困難にすることは「不当な差別的取扱い」とまではいえず、憲法21条2項、電気通信事業法3条、同4条2項、同7条からプロバイダに、わいせつ物の公然陳列を阻止ないし困難にする作為義務を認めることはできないとすることはできない。
 しかし、そもそも不作為による幇助犯については、不真性不作為犯自体に実質的にみて、犯罪成立の限界が不明確になりがちであるという点で罪形法定主義にかかわる問題があり、さらにそれが正犯の犯罪(刑罰)拡張事由としての幇助犯にかかる場合であるから、その根拠となる法的作為義務の認定は特に慎重でなければならず、あくまでその成立が明白な場合にのみ成立すると考えるべきであろう。このように考えると挙動犯であり危険犯である、わいせつ物公然陳列罪の不作為による幇助を、ユーザーによる、わいせつ画像データのサーバへの蔵置を、阻止ないし困難にしなかったプロバイダに認めることは不可能といえるのではないか。
 なお、1998年2月、警察庁は風俗営業適正化法の改正案の骨子をまとめた。インターネットに関しては、アダルト映像提供業者とともに、プロバイダに対する規制も検討されている。映像提供業者が違法なわいせつ映像を流している事実を知ったプロバイダーに、提供業者への警告や削除要求を行うことを求めるなどの内容だが罰則は設けず努力規定にとどまった。

第4章 大阪FLMASK事件

 最後に、平成9年11月現在係争中の大阪FLMASK事件という実例を紹介する。

第1節 事件概要

 インターネット上の画像のモザイクの取り外しが可能な、画像修正ソフト「FLMASK」を開発した横浜市の会社員は、平成8年8月、東京都渋谷区のインターネット接続プロバイダーの会員として、「FLMASK」を販売するためのホームページ「FLMASKサポート」を開設した。その後、彼は「FLMASKサポート」とわいせつ画像を提供する二つのホームページ、大阪市のパソコンインストラクターの「アダルトクラブJ-BOX」、滋賀県の会社役員の「あまちゃふぉとぎゃらりー」との間で、相互にリンクを張った。彼は大阪市のパソコンインストラクター、滋賀県の会社役員とは面識はなく、電子メールでの連絡を通じて、彼らのFLMASKの無償使用と引き替えに相互リンクをはらせてもらっていた。こうして、両わいせつホームページからクリックするだけで「FLMASKサポート」にアクセスできるようになり、横浜市の会社員は1500円の「FLMASK」の販売で両ページからのリンクによる販売以外も含めて、約3500万円の収益を挙げた。両わいせつホームページ上の、FLMASKでモザイク処理されたわいせつ画像は、FLMASKを入手・使用することで復元できた。なお、両わいせつホームページのデジタル情報は、アメリカのサーバー上のコンピューターに置かれていた。
 大阪地裁は平成9年2月、大阪市のパソコンインストラクターに対し、わいせつ図画公然陳列罪で懲役1年2月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡し、確定。滋賀県の会社役員は、平成9年5月1日現在、大阪地裁で係争中。横浜市の会社員については、大阪地検が、平成9年5月1日、わいせつ図画公然陳列罪ほう助の罪で起訴した。

第2節 問題点の検討

 横浜市の会社員がほう助犯にあたるかが焦点となるが、平成9年11月現在係争中であり、詳しく触れることは避ける。ここでは、横浜市の会社員の罪責を判断する上でのポイントを箇条書きすることにとどめる。

・正犯者(大阪市のパソコンインストラクター、及び滋賀県の会社役員)の表象・認容はどこまで及んでいたのか。つまり、モザイク処理した画像を提供するつもりでいたのか、それとも、横浜市の会社員のFLMASK販売を利用して、モザイクをはずした画像を提供するつもりだったのか。

・FLMASKでモザイク処理した、わいせつ画像はわいせつか。つまり、モザイクをはずすのが容易と言えるのか。

・モザイク処理したわいせつ画像がわいせつでないとすれば、正犯者のモザイク処理したわいせつ画像の提供に、横浜市の会社員のFLMASK販売がプラスされることが、わいせつ図画の公然陳列といえるのか。更に会社員のFLMASK販売は、正犯者の行為を容易にしたといえるのか。

・電子メールのやりとりをほう助行為と認めることができるのか。岡山県警は平成9年6月、FLMASKでモザイク処理した画像を、ホームページに掲載していた男二人を、わいせつ図画公然陳列罪の疑いで逮捕したが、そのホームページにも横浜市の会社員の「FLMASKサポート」へのリンクが張って合った。この実例でも事前の電子メールのやりとりはあったが、岡山県警は「(リンクを張る)了解を電子メールで(横浜市の)会社員に求めた」などの供述だけでは公判維持は難しいとして、横浜市の会社員の摘発を見送った。

・リンクはほう助の手段足り得るのか。岡山のケースでは、岡山県警は「(リンクを張っていたことで)ほう助犯を立件し、公判を維持することは難しい」とした。

・横浜市の会社員が、正犯者のFLMASKの無償使用と引き替えに、正犯者と相互にリンクを張らせてもらったのならば、共同正犯であると、前田教授は述べている。

 「大阪FLMASK事件」の裁判はインターネットの今後のあり方に少なからず影響を与えるものであり、「一〇年裁判」になるのではともいわれている。インターネットが、真の意味で「開かれたメディア」になりうるかを占う、この裁判を我々も見守っていきたい。

第5章 総  括

第1節 「わいせつ」について

 インターネットを利用した、わいせつ情報の氾濫が問題となるなか、我々は、「わいせつ」とは何かということを再び考察した。刑法175条における規範的構成要件要素「わいせつ」の定義は、きわめて不明確であり、裁判官の恣意的な判断がはたらく余地は自ずと広い。しかし刑法は処罰を規定する以上、明確性が要求されるのは、当然であり、「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する」ことと「わいせつ」を定義した判例は曖昧にすぎるので、判断基準を限定しようと試みた。175条の保護法益は公衆の正常な感情の保護であるとの結論に達した。人々の感情を法によって保護することは、その感情が不合理ではないかぎり許されるだろう。そして、「わいせつ」とは「社会における通常人の性欲を著しく刺激又は興奮させ、耐え難い不快感ないし,嫌悪感を生じさせるような性質」であると考えた。したがってヘアヌード・ブーム、AVブームも一段落し、わいせつ物は、わいせつ図画に関しては、性器があからさまに写った写真などに限定できるのではないか。

第2節 刑法第175条の今後のあり方

 インターネットにおける、わいせつ画像の提供に刑法175条を適用する際、わいせつ画像のデジタル情報が記憶・蔵置された有体物であるサーバー上のコンピューターを、「わいせつ物」と解釈するほかない。しかしサーバー上のコンピューターを「わいせつ物」とすると、わいせつ画像の提供を公然陳列としなければならない。リンク機能を用いたわいせつ画像の提供に、対応できないといった問題が生ずる。わいせつ画像のデジタル情報自体を「わいせつ物」と解する方向に、刑法が変わっていく必要があるだろう。
 更にインターネットは、国境の存在を否定しまうものであり、リンク機能によって、現実の世界とは異なった、複雑な空間を生み出すものであるので、国内法である刑法では、対応するのは不可能と言わざるをえない。インターネットは、限りない発展の可能性をもつメディアである。このメディアを、わいせつ画像の氾濫するメディアにしないためにも、国際的な規制が必要な時期にきているのではないだろうか。

 


注        釈

※1) インターネット:家にいながら全世界と情報をやりとりできるコンピューターネットワーク。

※2) ホームページ:WWW(WorldWideWeb)で提供される情報の表紙となるページ。個人が自由にレイアウトしたディスプレイ上の誌面の事。

※3) フィルタリングソフト:わいせつ情報などを選別し情報の受信を防ぐためのソフト。

※4) コンテンツ:情報提供サービスのために情報を作ること。

※5) WWW:ネットワーク上に離散するさまざまな情報を、誰もがアクセスできる情報として公開するためのメカニズム。それぞれの文書が他の文書にリンクしており、全体として一つの巨大な電子図書館を形成する。

※6) ニュースグループ:話題によって分割された電子掲示板の事。ニュースサーバーに投稿されたニュースが世界各地のニュースサーバーに転送され、ユーザーがそこへアクセスしてニュースを読む事ができる。

※7) コンピューター・ネットワーク:インターネットのネットワークとは単一のメディアでコンピューターを接続した個々のネットワークの事。こうしたネットワークを接続して出来上がった集合体がインターネットとなる。

※8) プロバイダ:インターネットを運用しそこへの接続サービスを提供する会社。

※9) ハードディスク:パソコンの本体に内蔵されている記憶装置。

※10) サーバー(ホストコンピューター):ネットワークにおいて提供されるさまざまな機能の事をサービスと呼び、このサービスを提供するソフトウェアをサーバー、サービスを受けるために利用するソフトウェアをクライアントと呼ぶ。

※11) スーパーコンピューター:※10)のホストコンピューターと同様。

※12) ダウンロード(Download):プログラムのデータを取り出すこと。アップロードの逆。


参 考 文 献

(1) 大塚仁  「刑法概説(総論)〔改訂増補版〕」(有斐閣、1992年)

(2) 大塚仁  「刑法概説(各論)〔改訂増補版〕」(有斐閣、1992年)

(3) 大谷實  「刑法講義総論〔第四版補訂版〕」(成文堂、1997年)

(4) 川端博  「集中講義 刑法総論」(成文堂、1992年)

(5) 川端博 「刑法講義総論T」(成文堂、1995年)

(6) 園田寿 「メディアの変貌」(『中山研一先生古希記念論文集-刑法の諸相』168頁1997年)

(7) 園田寿 「インタ−ネットとわいせつ情報」(法律時報69巻7号1997年)

(8) 園田寿  「インタ−ネット基本用語の解説」(法律時報69巻7号1997年)

(9) 西村克彦 「共犯理論と共犯立法〔新版〕」(信山社、1992年)

(10) 長谷部恭男「インタ−ネットによるわいせつ画像の発信」 (法律時報69巻1号1997年)

(11) 林美月子 「性的自由・性表現に関する罪」 (法学セミナ−NO.455、1992年)

(12) 堀部政男 「わいせつ画像の発信とインタ−ネットの規制」 (法学教室NO.187、1996年)

(13) 前田雅英 「インタ−ネットとわいせつ犯罪」 (ジュリストNO.1112、1997年)

(14) 米丸耕治 「インタ−ネットの構造と規制」(法律時報69巻7号1997年)


その他の参考文献

・アメリカ電気通信法案審議の過程--上院通過を受けて(http://ifrm.glocom.ac.jp/ifrm/k01.001.html

・インターネット・ロイヤー法律相談室 (http://www.asahi-net.or.jp/~VR5J-MKN/

・インターネットを巡る法律問題 (http://www.maido.or.jp/maido/useful/law/law.html

・FLMASK USER GROUP(http://www.pileup.com/mask/

・シンポジウム「性表現の自由を考える」 (http://www.erde.co.jp/~masaru/mapplethorpe/symposium.html

・立花隆「同時代を撃つ」(http://www.iijnet.or.jp/kodansha/wgendai/

・電脳世界の刑法学 (http://w3.scan.or.jp/sonoda/

・毎日新聞社インターネット事件を追う (http://www.mainichi.co.jp/hensyuu/jiken/index.html


判        例

大判昭和11・1・31刑集15巻68頁

最判昭和26・5・10刑集5巻6号1026頁

最判昭和32・3・13刑集11巻3号997頁

最判昭和34・3・5刑集13巻3号275頁

最判昭和44・10・15刑集23巻10号1239頁

東京高判昭和53・6・23判時897号39頁

最判昭和55・11・28刑集34巻6号433頁

富山地判平成2・4・22判時1341号160頁

大阪地判平成3・12・2判時1411号128頁

横浜地裁川崎支部平成7・7・14

東京地判平成9・5・26判時1610号22頁

 


Copyright (C) 1998 MASUDA Yutaka Criminal Law Seminar, all rights reserved.

Uploaded (on the Web) : Apr/27/1998

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