情報化社会における著作権と契約法理

by 近藤剛史


初出 : パテント Vol.51. No.5


Tsuyoshi KONDO
Practicing Lawyer
E-mail  kondolaw@wombat.or.jp
Web Page http://www.wombat.or.jp/kondolaw/multimedialaw/index.html 

目        次

T はじめに

U ソフトウェア製品の利用に関する権利関係

1 シュリンクラップ契約

2 購入者及び譲受人の使用権原

3 検  討

V 情報ライセンス契約(information license contract

2 UCC2Bの改正作業

3 検 討

W 情報化社会における著作権

1 デジタル化と経済的合理性

2 ライセンス契約の重要性

3 新しい解釈論の検討

X むすび


 

T はじめに

 著作権は,時代とともに発展してきたと言えます。最近の著作権法の改正の経緯を振り返ってみますと,貸レコード業が生まれてきたことに対してなされた貸与権の新設(1985),パーソナル・コンピュータ(PC)が普及してきたことに伴うコンピュータ・プログラムの保護(1986),情報化社会に伴うデータベースの保護(1987),経済のボーダレス化に床ナウ外国原盤レコードの保護強化(1991),デジタル録音機の普及に伴う私的録音に係る補償金制度の導入(1992),著作隣接権の遡及的保護(1996)と,いずれも時代の要請に応えた改正が行われてきたと言うことができます。そして,1997年にはインターネット(internet)が爆発的に普及したことに伴い,公衆送信権及び送信可能化権という権利が制定され,1998年1月1日より施行されています。インターネット上においては,インターネットのもつ国際性,デジタル情報の特性,表現の自由の実質化により,これまでの著作権法上の課題がより先鋭化されており,解決困難な問題を多く生じさせていると言えます。著作権は,権利の束(boundle of rights)とも呼ばれていますが,箒のように目の前の課題を綺麗に一掃することができるかと言いますと必ずしもそうではなく,未だに隙間が多く,不明確な部分も多いことは否定できません。

 現在のようにコンピュータ・ネットワークが普及した情報社会において,ソフトウェアや情報提供サービスにおける著作権者の権利を守りつつ,他方でどのようにして利用者の便宜を考えていくのか,今後ますます著作権法やライセンス契約の内容が重要になってくると思われます。そこで,これまでの議論の整理や僅かな問題の提起だけでもできればと思い,先人達の偉大なる業績の恩恵にあずかりつつ,本稿を著すことに致しました。

U ソフトウェア製品の利用に関する権利関係

1 シュリンクラップ契約

パソコン(PC)やインターネットが普及した現在,財産的価値が高く,また法的保護のあり方がクローズアップされているものとして,コンピュータ・プログラムやゲームソフトなどのソフトウェアの著作物の問題があります。一般の個人がPCを利用する場合には,通常,ソフトウェアのパッケージ製品を販売店で購入したり,インターネットのサイトから必要なソフトウェアをダウンロードして使用することになります。このソフトウェアを利用する際には,ほとんどの場合,使用許諾契約なる契約条項を目にすることになります。パッケージ製品を販売店で購入する場合には(所有権移転型の契約),パッケージ化されたプログラムの外部から判読できる箇所に使用許諾契約の条項が明示されており,購入者が右パッケージの包装用ラップ(wrap)を破り縮ませ(shrink)開封したときに,明示された条項に従った使用許諾契約が成立するといった法律構成が行われることがあります。このように開封時成立するソフトウェアに関する契約のことを「シュリンクラップ契約」と呼んでいます。

 このような契約の成立を認めるべきか否か,認めるとしてどのような法律構成を行うかに関しては,日本におきましても議論がなされてきました。それに関しては,大体,次の4つの立場に分類することができると言われています(山本隆司「シュリンクラップ契約の問題点」コピライト(1997.9)3頁。

(1) 意思実現説

 まず最初は,承諾するという意思表示がなくても,その意思表示に代わるような事実行為があれば,契約が成立すると定めている民法526条2項の規程を根拠とする考え方です。この意思実現においては,被申込者が契約の履行に着手したり,代金または商品を発送したり,あるいは契約の目的物の製造に着手したりしたとき,一般に承諾の意思表示があるとみなされています。しかし,どのパッケージ製品でも全く同じで明確な内容の使用許諾契約書であるというならばともかく,その契約条項の内容は区々であり,パッケージの外側からその内容を知り得ないことが多く,また購入者としては単に使うために開封しているに過ぎないと言える状況において,果たして意思表示に代わる事実行為があると言えるのか疑問が残ることになります。

(2) 附合契約(普通契約約款)説

 次に,附合契約(普通契約約款)を根拠とする考え方があります。例えば,電気やガス等の供給契約や鉄道などの交通機関の利用契約などの場合には,利用者は一般大衆であり,相手方は独占企業などであり,相手方が予め画一的に定められた内容の契約を一括して承認して契約するかしないか(附合するか否か),だけしか決定できないような契約を附合契約と呼びますが,この契約類型にあたると考えるものです。つまり電気やガスの供給を受ける場合のように,契約条件が慣習化しているといえるような事実がある場合に,電気やガスを使うという行為に着目するという考え方です。なお,契約の一方当事者はその内容について交渉権を持ちませんので,一方当事者にとって著しく不利益を課する条項が存在する場合には,その拘束力が,公序良俗違反や例文解釈等種々の方法によって否定されることがあります。また,事業の公共的性格から独占が認められる場合には,主務官庁の許認可を要件とすることにより,公的機関の関与により適正化を図っている場合もあります。しかし,この考え方も,現在のようにソフトウェアの使用許諾契約の内容が慣習化しているとは言えませんので,この考え方によって正当化することにも疑問が残ります。

(3) 黙示の許諾(意思表示)説

 また,黙示の許諾があるという考え方があります。これは意思実現説に近い考え方ですが,契約条項がパッケージの外側から見える状態になっており,そのパッケージを破ったという事実行為の中に,使用許諾契約に対する黙示の承諾の意思表示があると考える立場があります。この立場の場合には,ここ具体的なケースに応じて,当事者の合理的意思解釈の問題としつつ,柔軟に解釈を行っていくことができ,比較的穏当な考え方であると言うことができます。この立場では,使用許諾契約の成立の有無及びその内容は,ケース・バイ・ケースによって決定されるということになります。もっとも,契約の成立自体に問題がないとは言えませんので,仮に契約が成立したとみられる場合でも,いわば「いい加減に成立した契約」であるというのは厳然とした事実であるという点が指摘されています(木村孝「コンピュータ・マルチメディアと法律」トライエックス316頁)。

(4) 無効説

 この立場は,そもそもソフトウェアの利用に関する事項については,全く何らの合意もなされていないと考える考え方です。この無効説に立った場合には,当該ソフトウェアは著作権法によってのみ保護されているということになります。

 いずれの立場に立つにせよ,著作権者と購入者との間には,契約関係あるいは著作権法を介した法律関係が存在すると言えます。

2 購入者及び譲受人の使用権原

 次に,ソフトウェアのパッケージ製品を購入した者が,それを第三者に譲渡した場合,その第三者にはどのような使用権原があると言えるのか。この点をどのように説明するのか,法律上問題になります。最近のパッケージ製品は,フロッピーディスクあるいはCD-ROMからPCのハードディスクへインストールして使用するものがほとんどとなっており,一旦インストールしてセットアップしてしまうと,プログラムが破壊されたりしない限り,それらの媒体自体は特段必要とせず,このような事態も多く生じうると言えます。

 この点に関して,明確に論じた文献はあまり見あたらないようですが,次の4つの立場が考えられるとされています(山本隆司・前掲15頁)。

(1) 法30条説

 まず,著作権法30条に基づいてソフトウェアを使用できると理論構成する考え方があります。パッケージ製品の購入者には,法30条に基づいて私的複製が認められていますので,PCのRAMにインストールして使用することも当然許されています(法47条の2)。そして,その後,第三者がパッケージ製品を譲り受け,同じように使用したとしても,同じく法30条により保護されるという考え方です。なお,著作権者の許諾を得てダウンロードした情報に関する事例につき,電子メールを利用し第三者へ譲渡した場合について,有線送信権の問題とし,少数の友人に送る場合であれば,著作権者の承諾は不要であり,送る相手の人数により結論は変わることになる点だけ指摘している文献もありますが(三山裕三「著作権法解説(第二版)」東京布井出版228頁),やはりこの場合においても,受信者の側のPCのハードディスク上に複製物が作成されることになりますので,有線送信権のみならず,複製権に関しても検討を行っておく必要があると思われます。

 結局,第三者のソフトウェアの利用が許されるか否かは,法30条の私的利用の範囲内と言えるかどうかの問題ということになります。ただ,ベルヌ条約上許容されるケースとしての「著作物の通常の利用を妨げず,かつ,著作者の正当な利益を不当に害しないこと」という条件を充足する必要がありますし,本条の趣旨が閉鎖的な範囲内の零細な利用を認めることにあることからすれば,度を過ぎた行為は本条の許容する限りではないと厳格に解するべきとされていますので(加戸守行「著作権法逐条講義(改訂新版)」著作権情報センター181頁),無条件に許されていると考えることはできないということになります。なお,先の電子メールでの転送の事例に関しては,閉鎖的な範囲内の零細な利用を認めるという本条の趣旨からするならば,少数に対する公然性を有する通信でない電子メールによる送信の場合には,通信の秘密の保護と相まって,本条の適用される場合もあり得ると思われますが,ソフトウェアの場合にはやはり厳格に解されるべきでしょう。

(2) 黙示の許諾説

 次に,著作権者と購入者との間には黙示のライセンス契約があるという理論構成が考えられます。仮に,前述したいわゆるシュリンクラップ契約がソフトウェアの開封時に成立しないとしても,パッケージ製品の売買契約時,当該プログラムを使用させるために購入者にパッケージ製品を譲渡しているわけですから,購入者はその目的に見合った使用を許されていると考えることができ,それが黙示の使用許諾であるとする考え方です。そして,著作権者が購入者に対して,記憶媒体やプログラム使用権を第三者に譲渡することを禁止するという黙示の承諾があると考えられる場合には,著作権法63条3項は著作権者の承諾を得ない限り使用許諾権は譲渡することはできないとしていますので,第三者には使用権原が移転することにはならないということになります。

 なお,著作権者と購入者との間のライセンスに関する合意は契約当事者に対してのみ拘束力を有するに過ぎず,別途合意する場合でなければ,第三者に対しては何らの効力も持たないことになります。また,購入者が著作権者に無断でパッケージ製品を第三者に譲渡したとしても,パッケージ製品の所有権だけが移転するに過ぎず,著作権者と購入者との間の使用許諾契約の効力そのものには何ら影響を及ぼさないと考えられますので,第三者は著作権者の許諾を得ずに,事実上使用しているに過ぎないことになると思われます。

(3) 消尽説

 さらに,著作権者は,購入者にパッケージ製品を売却したことによって,その記憶媒体に格納されている著作権は消尽(exhauste)してしまうという考え方があります。消尽理論やファースト・セール・ドクトリン(first sale doctrine)と呼ばれたりする考え方です。この考え方によりますと,著作権者が一旦パッケージ製品を売却してしまうと,購入者は完全なる権利を取得することになり,さらに第三者の使用権原もやはり譲渡(売買契約)により完全なる権利を取得したことに基づくということになります。

 この点,ゲームソフトの売買が適法か否かという問題として議論されることもあり,事前の契約がない場合には,正規に作られたプログラムの複製物を売るのは,本を古本屋さんに売るのと同じことだから,全く何の問題もなく,著作権者が,このような形の流通をコントロールできるのは映画の場合だけと説明されており(木村孝「コンピュータ・マルチメディアと法律」トライエックス313頁),合法であると意見表明している研究グループもあります(中古ソフト問題研究会,http://www.asahi-net.or.jp/~ZG2Y-FJT/copy_r/chuko.html)。その意見書によりますと,違法説が論拠としているのは,ゲームソフトは著作権法上の「映画の著作物」に該当し,「映画の著作物」には「頒布権」(著作物の流通をコントロールする権利)が制作者に認められるということにあるが,ゲームソフトの中に「映画の著作物」に該当するものがあるとしても,必ずしもすべてのゲームソフトが「映画の著作物」に該当するとは限らない。また,もともと劇場用映画フィルムを想定して制定したものであるから,ゲームソフトについても劇場用映画フィルムと全く同様に扱うべきかについては疑問があり,さらに,「頒布権」に全く制限がないかどうかは大問題であるといった点を根拠としています。

(4) 物上債務説

 フロッピーやCD-ROMなどの記憶媒体に化体している使用許諾権があり,記憶媒体の所有権の移転とともに,その使用許諾権も転々流通するという考え方です。金銭債権と証券が一体化している手形や小切手などの考え方と似たところがあるのかもしれませんが,要するに,使用許諾権が付与され,あるいは使用許諾権の制限が課せられたままの状態の記憶媒体の所有権が移転していくと考えるわけです。しかしながら,そもそも記憶媒体の所有権とソフトウェアに関する著作権といった二つの権利をどうして同一視できるのか,実定法上の根拠が薄弱であることは否定できません。

3 検  討

 

(1) 無効説の帰結

 まず,シュリンクラップ契約等の契約関係がそもそも存在しないか,あるいは無効であると考えた場合,著作権者と購入者並びに第三者との関係を規律するのは,著作権法のみとなります。そこで,購入者及び第三者のパッケージに含まれているソフトウェアを使用する行為が著作権法上どのように評価されるべきなのかについて考えなければなりません。

 通常,PCにおいてソフトウェア(プログラム)を実行する場合には,ハードディスクからRAM(ランダム・アクセス・メモリーの略)へ一時的にデータが移動することになりますが,このようなデータの移動(RAMへのロードという)が複製にあたるか否かを検討する必要があります。この点,アメリカにおいては,RAMへの一時的蓄積を複製にあたるとした判例(MAY Systems Co. v. Peak Computer, Inc., 991 F.2d 511 (9th Cir. 1993))があり,いわゆるホワイトペーパーにおいても複製の範囲は広く捉えられております(小畑明彦「インターネットと著作権(上)」CIPICジャーナル vol.71 24頁)。それに対して日本では,コンピュータ内部で行われるプログラムの蓄積は,瞬間的かつ過渡的なものであり,複製には該当しないと考えられていきました(著作権審議会第6小委員会中間報告書(昭和59年1月)49頁)。そうしますと,購入者や第三者がソフトウェアを使用する行為は,著作権法上の複製行為を行っていることにはなりません。

 また,購入者から第三者へのパッケージ製品の譲渡行為それ自体も,頒布権侵害であると評価できなければ,著作権法の禁止している行為には該当せず(著作権の内容に含まれているとは考えられず),無断複製を行ってその複製物を譲渡するという場合でなければ,何ら問題がないということになります。つまり,著作権は複製権等の支分権を通じて著作物をコントロールする権利でありますが,現行法上,ソフトウェアの著作物の使用やその譲渡に関してはコントロールが及んでいないという結論になりそうです。

 ただ,プログラムの著作物を侵害する行為によって作成された複製物を電子計算機において使用する行為は,これらの複製物を使用する権原を取得した時に情を知っていた場合に限り,当該著作権を侵害する行為とみなすという規定(法113条2項)がありますから,第三者が通常市販されているパッケージ製品の海賊版(デットコピー)を取得する際に,海賊版であることを知っていた場合には,たとえそれを使用しているだけであっても,著作権侵害に基づく差止,損害賠償を受ける可能性があるということになります。

(2) 黙示の許諾説の帰結

 本来,著作物の利用権の譲渡には,著作権者の許諾を要しますので(法63条3項),著作権者と購入者との間に黙示の使用許諾がある場合,購入者は著作権者の承諾を得ない限り,この使用許諾権を譲渡することはできないということになります。そうしますと,第三者は使用権原を有することなく,著作物を使用していることになりますので,第三者のソフトウェアの使用が法的に全く問題ないと言えるかどうか疑問ということになります。この点は,先に述べましたように,RAMへの一時的蓄積も複製にあたると解する立場をとるならば,第三者は無断複製行為を行っているということになります。

(3) 消尽説の帰結

 著作権者がパッケージ製品を販売した以上,それ以降どのように再売買が繰り返されようと全く問題とならないということになります。この見解の結論は極めて明快で,かつ法的安定性という見地から考えても解釈論としては筋が通っていると言えます。

 しかしながら,経済的合理性(効率性)あるいは立法論的な見地から考えた場合,ある者は,正規に代金を支払ってパッケージ製品を購入したにも関わらず,他の者は全く同じ品質の製品(デジタル情報であるから品質は劣化せず,リセールバリューは正規の値段とほぼ同じ)を,より安価で製品を購入し,さらに他の者が再びより安い値段で購入し,このような循環が理論上半永久的に続いていくと考えた(製品寿命を度外視した)場合,どういった均衡点に収斂していくことになるでしょうか。恐らく,ゲームの理論でいうところの「囚人のジレンマ」と呼ばれる状況に限りなく近づいていくことになります。すなわち,消費者が合理的に行動しようとすればするほど,正規の値段でパッケージ製品を購入する者がいなくなり,製品の値段が極端に高くなってしまうか,利潤が得られないため製品が市場から消えてしまうという状況となり,結局,誰も得をしない状況,つまり社会的厚生が達成できないということになってしまいます。逆に,違法複製物が世の中から無くなり,再売買が行われなくなるとするならば,より良い製品が,より安価で消費者に供給されるという市場(market)を生み出すことができ,資源の最適配分という点から考えると優れていると言えることになります。

(4) 今後の方向性

 そもそもソフトウェアの各種取引を考えてみた場合には,制作者がプログラムの譲渡・転貸を禁止することにも合理的理由があり,使用者もそのような契約形態を承認してプログラムを取得したと言える状況があるような取引の場合には(所有権留保特約が置かれているような場合)使用者が,格別不利益を被ることもないと言えます。また,使用者に一定の範囲でプログラムの複製・翻案・有線送信等の利用を認めるいわゆる複製等許諾型契約においては,本来著作物の利用権の譲渡には,著作権者である製作者の許諾を要しますので(63条3項),このような契約形態の場合には,著作権者である製作者の承諾を得ることなく,これを譲渡・転貸することを禁止することも当然許されなければならない(松村信夫「ソフトウェア法務の上手な対処法」民事法研究会121頁」と言うことができます。中古ゲームソフトの売買の問題に関しましても,契約法理によって対処していくことは十分考えられるわけです。そうなってきますと,明示の使用許諾契約,あるいはシュリンクラップ契約について,再びその意義を検討し直すことが必要になってきます。つまり,シュリンクラップ契約等のライセンス契約の法理を確立していくことによって,第三者による不当な使用を制限していくことが可能となってくるわけなのです。

 そして,また,PCのRAMへのロードを複製行為と見る余地はないのか,この点についてももう一度考え直す必要があると思われます。そもそも,プログラムの実行に関し複製が行われていないということになると,複製権侵害といった形での著作権の効力を及ぼすことができなくなり,プログラムを不正に使用する第三者に対して著作権者が差し止めたり損害賠償請求を行うことができないという不都合が生じていたからです。そして,仮に,RAMへのロードが複製にあたると解したとしても,著作権法47条の2第1項本文は,プログラムの著作物の複製物の所有者は,自ら当該著作物を電子計算機において利用するために必要と認められる限度において,当該著作物の複製又は翻案(これにより創作した二次的著作物の複製を含む。)をすることができると規定していますので,通常の利用が著作権侵害になるといった結論になることもないはずなのです。また,私人の個人的な行為にまで著作権の効力を及ぼすことがプライバシー保護の観点から好ましくないとの意見もあると思われますが,私的利用に関する法30条にような規定もありますので,そのような危惧も必要ないと思われます。

V 情報ライセンス契約(information license contract

 インターネットの時代においては,ソフトウェアに留まらず,様々なコンテンツ(情報)がネットワークを通じて,流通,取引がなされていくことになります。現在の契約法はいずれも,商品(財)取引を前提とした経済を前提としており,サービスと言った情報産業を前提としていません。「NYタイムズのオンラインにアクセスするために金銭を支払った者は,自分が椅子などのような製品を購入していると思ってはいないだろう」(Raymond T. Nimmer CONTRACTS IN THE INFORMATION AGE: Article 2BSOFTIC SYMPOSIUM '97)との指摘もありますように,各当事者は,単なる商品の引き渡しではなく,継続的なライセンス関係を意識し,そのような契約関係を築こうとしていると言えます。このようにアクセスすることにつき対価を支払い,サービスを受けるという契約をどのように考えていくべきでしょうか。

2 UCC2Bの改正作業

 従来,米国のソフトウェア製品に関しましては,アメリカ統一商事法典(Uniform Commercial Code)「第2章 売買」の規定が適用されていましたが,情報化社会の進展に即応し,「第2章B ライセンス」(Article 2B Licenses)を新設するという改正案が作成され,現在検討が進められています(例えば,http://www.law.upenn.edu/library/ulc/ucc2/2b298.htm)。この改正案の適用対象となる取引類型は,情報ライセンス及びソフトウェア契約(Licenses of information and software contracts)であり,ソフトウェアに関するシュリンクラップ契約あるいはネットワーク上での取引の双方を含む広い適用範囲を有すると言われています。

 シュリンクラップ契約に関しては,これまでのアメリカの判例ではその契約の効力を否定するものが多かったのですが,§2B-112(a)(1)は,当事者が「記録が顕著な方法で定める積極的行為」をした場合には「同意の表示」(manifests assent)があったものとして,その有効性を認めています。また,ライセンサーが管理する情報システムへのアクセスを認め,その内容の利用を認めるアクセス契約(access contracts)という契約類型についても規定しています。これは,「ライセンサー,ライセンシーまたは第三者の,情報を含む資源,情報処理用の資源,データ・システム,その他類似の設備への電子的アクセスに向けられた契約」(§2B-102(a)(1))と定義されており,インターネット・プロバイダー契約等もここに含まれるとされています。すなわち,ネットワーク社会において想定される,ソフトウェアに関する契約(パッケージ製品の売買かネットワークからのダウンロードかを問わない),各種データベースの利用契約,情報配信サービスなどすべての契約を網羅する形での改正案作りが進められているのであり,卓越した先取性と意欲が感じられます。

3 検 討

 コンピュータ・ネットワークが世界中に張り巡らされた情報化社会においては,物流を中心とした経済システムだけではなく,インターネット上の経済システムについても法的分析を加えなければならないと思われます。そして,例えば,インターネット上の情報サービスのデータを利用する場合やイメージ(グラフィックス)といった著作物の利用を考えた場合,ブラウザ(閲覧)ソフトによって利用する行為が,RAMへのロードの問題とパラレルに考え捉えていくことはできないのか,この点についても十分に検討されるべきだと思われます(岡村久道・近藤剛史「インターネットの法律実務」新日本法規出版190頁)。なお,これらの著作物の利用の場合には,法47条の2が適用されないことにも注意が必要です。

 前述しました消尽説によりますと,CD-ROMが売買された場合には,消尽理論(first sale doctrin)(Copyright Act of 1976, 17 U.S.C §109)によって,買主はそのCD-ROMを自由に譲渡することができるできるようになると解する余地がありますが,ライセンス契約は,ライセンシーによる消尽の主張を封ずる機能を果たすこともあると指摘されています(曽野裕夫「情報取引における契約法理の確立に向けて(中間報告)NBL No.626 29頁)。また,シュリンクラップ契約とネットワークを通じたソフトウェア購入等の取引のいずれにおきましても,本質的な違いはないと思われますので,ライセンス契約のもつ意味及びその効力について,今後明確化していき,著作権者の権利保護と利用者の利用権の保護といった両者の調査のとれた適正なライセンス契約が生み出されていくことが重要であると思われます。

W 情報化社会における著作権

1 デジタル化と経済的合理性

 例えば,ある新聞を一人が購入し,それを会社内のLAN上で全員で閲覧するようなケース(電子新聞を購読している場合,あるいは紙ベースの新聞をスキャナーで読みとって電子化している場合など)を考えた場合には,プログラムの著作物の場合のような公衆送信権の規定が適用されないため(著作権法2条1項7号の2),公衆送信権の問題ではなく,複製権侵害の問題として捉えることになります。しかし,この複製権侵害を行っているのはその購読者一人であり,データがサーバー上の一カ所に置かれているに過ぎない場合,あるいはデータが転送され多数の複製物が作成されてしまっている場合,侵害行為者以外の大多数の者に対して,その新聞の閲覧を中止せよと要求できるのか,契約が不明確であることと相俟って,難しい面があることは否定できません。また,それが新聞報道の一部を用いたような内容であった場合には,どこまでが単なる事実報道に関する部分(パブリック・ドメイン)で,どこからが著作権法により保護される表現(コンテンツ)であるのか,また,どれぐらいまでの分量や形態であるならば「引用」(法32条)として許されるのか,一般人には判断が難しいという問題が出てきます。

 さらに,著作権法は,常に「著作権者等の権利の保護」と「文化的所産の公正な利用」の調和を図ることが求められているのですが(法1条),簡単に複製物が作成されやすいデジタル情報化社会においては,利用者の立場からすると大変便利な時代になったと言えるのではないかと思われます。その再,経済的合理性という視点もなおざりにするわけにはいきません。情報ライセンス契約においては,いくら時間と費用をかけて情報サービスを行ったとしても,簡単にデットコピーを作出して,ただ乗り(free ride)させてしまうというようなことになれば,情報化社会の進展を妨げることにもなってしまうと考えられるからです。したがって,著作権者の投下資本の回収を容易にし,経済的合理性に見合う権利関係を構築できるようにするということを常に意識しなければならないと思われます。

 1996年12月に調印されたWIPOの著作権条約では,著作物の公衆への伝達(communication to the public)に著作権を及ぼすこと,及び著作権の侵害を防ぐための効果的な技術的手段の回避(circumvention)に適切な法的保護を与えるべきことなどが定められています。また,著作物の流通によって,著作権者に対価を得させるためには,権利を与えるのみでは不十分であり,その対価の支払を可能とする仕組みが重要となりますので(相澤英孝「コンピュータ・ネットワーク時代の知的財産法」ジュリスト No.1117(1997.8) 88頁),デジタル複写機に関しての補償金制度(法30条2項)の趣旨なども踏まえ,デジタル社会における特殊性と経済性を常に意識しておくことが必要です。

2 ライセンス契約の重要性

 著作権法は言うまでもなく,表現を保護するものであり,アイデアそのものを保護するものではありません。したがって,表現とアイデアが一致するような場合には,その表現そのものも保護されなくなる場合もあります(マージ理論)。そして,アイデアやパブリック・ドメインに関しては全く自由な流通を認めますが,反面,表現という著作物に関しては,著作権者のコントロールを及ぼさせることによって,更なる創作への意欲を掻き立て,あるいは投下資本の回収を可能にすることによって,究極的に「文化の発展に寄与すること」(著作権法1条)を指向しているのです。そういった面から考えると,デジタル情報の形であったとしても,表現の複製物(コピー)を残した上で,同一物を第三者に移転させることは,アイデアだけの移転と考えることはできず,情報化社会をデザインする場合には,やはり問題がある行為ととらえていくべきではないでしょうか。

 この点,許諾に係る著作物を利用する権利は,著作権者の承諾を得ない限り,譲渡することができないとする法63条3項に関し,「利用方法の違反については,多くの場合が著作権侵害を伴いますけれども,頒布権を映画の著作物だけに認めた趣旨からすれば,出版物や録音物の頒布先や頒布場所の限定に違反しても,それは単なる債務不履行であって著作権侵害になりえ」ないと解されており(加戸守行「著作権法逐条講義(改訂新版)」著作権情報センター322頁),著作権法による保護だけではなく,契約による保護をより重視していかざるを得ないということになります。そういった意味からも,シュリンクラップ契約や情報ライセンス契約などのライセンス契約が市民権を獲得し,社会的に認知されていくことがますます重要になってくると思われます。

3 新しい解釈論の検討

 変化の激しい情報化社会においては,実社会の動きに立法が追いつかない状況ということも十分に考えられ,著作権法の将来を見据えた場合には,新しい解釈論が求められる場面もあるのではないかと思われます。

 例えば,ライセンス契約に違反して著作物が譲渡されたような場合,著作権者は著作権侵害に基づく損害賠償請求権を行使することが考えられます。この場合,損害賠償に関しては,民法の不法行為の規定(民法709条)が適用されることになりますので,ライセンス契約に違反して譲渡を行った者をいわば正犯者と考え,譲り受けた者を教唆犯として共同不法行為者(民法719条2項)として,第三者に対しても著作権侵害の責任追及をしていく方法が考え出せないかといった問題です。あるいは,インターネットのサーバー上に違法に著作物を配置するような場合には,データをダウンロードする者も公衆送信権侵害の幇助として構成できないかという点も一応検討の余地はあると思われます(もっとも,両者の間で意思を通じることはなく,このような片面的な場合でも従犯が成立するのかという点の問題は残ります)。ただ,著作権法におきましては,特許権法とは異なり,間接侵害という規定がありませんので,具体的にどういう場合に,間接的な寄与責任を負うのかに関しては,未だ明確な結論が出ているとは言えず,まさに今後の課題ということができます(宮下佳之「サイバー・スペースにおける著作権問題について」コピライト439(1997.10)14頁)。我々は,今後妥当な結論を導くために,法的安定性に配慮しつつ,新しい解釈論の検討という,いわば法の発見をするための不断の努力をしなければなりません。

X むすび

 著作権は,著作者が自己の創出した著作物という情報の流れを,法律上認められた支分権に従ってコントロールしうる権利であるとも言われていますが(椙山敬士「マルチメディアの法的枠組」司法研修所論集創立50周年記念特集第1巻民事編281頁),特に,インターネットを通じて流通して行く著作物は,安価にかる広範囲に流通して行く性質を有し,かつデジタル情報であるが故に改変が容易であることから,侵害性の判断や権利の実効性を図ることが相当困難である場合が多くあります。そうなってきますと,まず著作物という情報の流れを川上で制限することが必要であり,そのために重要になってくるのがライセンス契約であると言うことができます。しかし,情報の特性を前提として,情報の保有者は,取引の相手方に対して情報の使用に制限を課して情報の専有困難性という特性を(債権的に)減殺しながら,共有可能性という特性を最大限に活用して複数人を相手に情報を取引の目的とすることがその目指すところであり(中山信弘「デジタル時代における財産的情報の保護」法曹時報49巻8号1839頁),容易に結論が出る性質のものではありません。

 インターネットの出現によって,著作権制度や契約法理という法制度の国際的ハーモナイゼーションもますます重要になってくると思われますが,世界各国の議論の行方を注目しつつ,権利内容の明確性や経済的合理性,あるいは情報流通やプライバシーといった幅広い観点から議論を行うことが必要であると思われます。

 


Copyright (C) 1998 Tsuyoshi KONDO, All rights reserved.

Uploaded (on this Web Page) : Jun/15/1998

Junction

Copyright

Top Page