法情報学への抱負

by 夏井高人


法情報が誰のためのものであるのかを考えてみると,様々なこたえを予測することができる。

ある者にとっては,自分の利益や権利や安全を守るためのものかもしれない。また,ある者にとっては学問研究の対象であったり,直接仕事に関連するものであったりするかもしれない。また,ある者にとっては,単なる趣味とか娯楽の一部であったり,場合によっては,宝石やコイン等と同じようなコレクションの一種であるかもしれない。

これらは,「情報」というものが,一般に,人間が生存するためのツールとして存在しているのであって,情報それ自体が何らかの自律性を持っているわけではない,ということに由来するものであろう。したがって,上記のようなどの立場からの「こたえ」もいずれも正しい。すなわち,特定の種類の情報の具体的用途は,それを用いるユーザによって定められるものであって,情報それ自体からは出てこないのである。その意味で,「情報」は,徹頭徹尾「道具(ツール)」である。

さて,私自身は,「法情報」を対象とする学問すなわち「法情報学」を標榜する者である。この私が意図する「法情報」は,誰のためにあるのか。

まず最初に,それは,私自身のためにある。私自身が,存在するデータを何らかの意味を持つ法情報として私自身の中に取り込む作業,すなわち,データの情報化という作業を経なければ,少なくとも「私」という閉じた主観的世界の中に「法情報」なるものが存在することはない。したがって,まず最初に私自身のために存在するのでなけれな,何も始まらないのである。このことは,法情報と関連を持つすべてのユーザにとって共通のことであるから,これを一般定式化すると,法情報は,それを処理可能な情報として取り込もうとする者のために存在すると言い換えることもできるだろう。しかし,このような言い方は,余りに抽象的・一般的に過ぎる。

そこで,次に,もう少し具体的なレベルで,「社会」という観点から考えてみる。

いうまでもなく,我が国は,民主主義を標榜する国家であり,また,国際的な民主主義の考えに同調するグループに属する国家である。この民主主義なるもの,それ自体が概念として完全なものであるのか,また,社会システムとして真に合理的なものであるのかについては,更に何百年かの歴史を経てみないと分からない。しかし,日本国憲法にも明記されているとおり,日本国は,民主主義国家でなければならないのである。これは,すべての法律そして国家組織と国家システムの「あり方」に対する「命令」として存在すると解釈すべきである。

ところで,特定の国家が民主主義国家であるためには,その国家における規律すなわち「法」が主権者である国民によって創られ,執行され,改正され,そして,廃止されなければならない。

しかし,国民にとって,本当に「法」は,自分が創り,運用し,廃止するものとして認識可能な存在であろうか。この点について,岡村久道先生は,「情報化社会における法律事務所」(自由と正義49巻11月号62頁以下)という論文の中で,法治国家という観点から次のように明快に指摘しておられる(同誌69頁)。

法律は,市民に対し,「法の不知はこれを宥さず」という大原則の下に運用されている。しかし,以上に述べてきたとおり,法律の専門家ですら法令のリサーチが簡単ではなく,高額な費用を要するという状況そのものが異常というほかない。法治国家である以上,市民に対し法令等に自由にアクセスし得る機会が満足に与えられることのないままに,「法律を知らないと言っても許さない」と断言することは本来であれば到底できないはずである。

私は,こうした社会的観点からの法情報の捉え方を重視する立場をとっている。すなわち,法に関する情報は,国民自身が法を創ったのであり,法の担い手そのものなのであるから,いつでも,誰でも,何らの制限もなく,無料で法の情報にアクセスし,入手し,活用することができるのでなければならない。この法の情報すなわち法情報には,形式的な意味での法律だけではなく,政令や条例,判決や命令等も含まれることは言うまでもない。

とはいっても,法の世界には専門用語が満ちあふれ,また,その使い方にも「秘伝」のようなものがあるらしく,これを隠しておくところに「運用の妙」というものもあるらしい。しかし,このような法情報の伝達を阻害するような要因を放置することは,それ自体で正義に反することである。

このような立場からすると,私を含む法学研究者の仕事というのは,すでに「役割」の中でも書いたとおり,専門家でない人たちに対し,法情報を,できるだけ分かりやすく,使いやすい状態で,しかも,可能な限り安価に提供すること,換言すると,法情報とそのユーザとの間のフレキシブルなインタフェイスとなることであるということができよう。

とはいっても,専門の法学研究者が常に優れたインタフェイスであるとは限らない。したがって,専門家と一般市民との間には,もう一つのインタフェイス,すなわち,インタフェイスであることそれ自体を目的とする組織が必要である。

そして,以上のような理解を前提に,私は,次のような仕事をしていきたいと考える。これは,1999年というよりも21世紀に向けた私の抱負である。

1 法情報プラットフォームを確立する。

これは,本来,研究者個人ですべき仕事ではなく,大学法学部以上のレベルでなすべきことである。

しかし,その実現のための基礎研究が余りに乏しい。人工知能研究も含め,関連する諸部門の研究成果もばらばらに散在しており,これらを総合し,何らかの意味のあるかたまりとして構成しようとする研究者や指導者も皆無に等しい。

そこで,私は,新たに法情報学研究会を立ち上げたほか,様々なプロジェクトチームを構成し,海外の実例の研究も踏まえて,日本を含めた非英語圏における標準であり英語圏での互換性も有するものとしての法情報プラットフォームのための基礎研究を開始することにした。

これをもって,今後5年間の法情報学研究テーマの中の最も中核的な部分としたい。

2 法情報インタフェイスの形成を促進する。

法情報の伝達主体は,法学者だけでも弁護士だけでもない。本来,マスコミは,そのための重要な伝達媒体であったし,現にそうした機能を営んできた。

しかし,第2次世界大戦後約50年間の比較的波風の立たない状況は過ぎ去り,法の世界は,世界的な変動期に入っている。これは,「財の電子化」というものに起因するところが大きい。私は,それに関連する分野を研究する学術団体として,サイバー法研究会を立ち上げ,積極的に研究を重ねてきたが,研究内容及び研究成果の質の維持のために,一定の条件を満たしたアクティブな研究者だけを会員とする研究団体であり,法情報の伝達主体としての機能を十分に発揮することをその目的としていはいない。

そこで,伝統的なマスコミ手段である新聞社や雑誌社等の有志による研究会を開催し,サイバー法研究会や法情報学研究会の会員を含む専門家と一般市民との間のインタフェイスとして,新たな時代のマスコミ等が何をすることができ,何をすべきなのかについて,できる限り自由に意見交換をする機会を作っていきたい。

3 第1次的な法情報へのアクセスを確保する

第1次的な法情報は,法律や通達や条例や判決等である。場合によっては,国会の本会議や委員会における質疑応答等も重要な法情報となることがある。

政令や通達等を含め,成文法のほとんどすべてが行政庁の中にしまい込まれており,そのこと自体が法情報のためのボトルネックとなっている。そして,このボトルネックの存在が,様々なタイプの汚職を含めた「タイムラグを利用した商売(インサイダー情報を握っていることを利用し,その情報がパブリックなものとなるまでの間のタイムラグを利用して荒稼ぎをするようなタイプの商売)を成立可能にしている。判決等の「宣言された法」でも事情は同じである。

しかし,このような状況を嘆いたり非難してばかりいても何の前進もない。誰かが橋渡し(ブリッジ)となって,法の情報を公開するための環境を準備し,そのための技術的問題を解決していかなければならないだろう。

このような問題を解決するための努力それ自体がすなわち第1次的な法情報へのアクセスを確保するための道程そのものとなるに違いない。私は,そのための道を歩み続けたい。

4 新たな法情報産業を模索する。

法情報への自由なアクセスを確立することは,それへのアクセスが自由でないことによって成立し得る判例雑誌社や判例・法令データベース会社等の生存権を脅かすことになるであろう。しかし,個々の企業の経済的利益と国民の「知る権利」のどちらが重いかは,議論の余地がない。

私は,判例・法令データベース会社を含めた法情報産業は,新たな時代へ入るべきだと考える。

確信はないが,マスコミ等が「わかりやすさ」を重視したインタフェイスとしての機能を持つとすれば,法情報関連企業は,「品質保証のある法情報」や「専門家による支援その他の有益な付加価値を持つ法情報」を提供することによって対価を得る企業へと大きく進化すべきではないか。単に,法情報を右から左へと移動するだけで対価を得るのであれば,それは,流通業に過ぎない。『ネットワーク社会の文化と法』の中で繰り返し主張しているように,一般的に,物体の移動を伴わない流通部門というものが,ネットワーク社会では無用な存在であるとするならば,法情報企業も単なる流通業にとどまるべきではない。そのためには,企業の存在形態それ自体を見直すことも必要かもしれないが,たとえば,毛虫が蛹となり,そして,美しい蝶へと変身を重ねていくのと同じように,あるいは,ナメクジウオのような原始的な動物から魚類へ進化し,それが長い年月の間に陸上でしか生活できないが地球の支配者となった人類へと進化したように,その身体構造それ自体を変えることなしには,生き残ることができないのであろう。

では,そのように変化すべきなのか。そこでは,法学者だけではなく,経営や会計の専門家と実務家も含めたチームによる模索・研究と提案・支援が有用かもしれない。

こうした意味でもさらに様々な模索を続けていきたい。

5 新たなタイプの法情報認識の啓発

ネットワーク社会では,これまでとは全く異なる形態で法的ルールが形成される可能性が大きい。したがって,単に各国の法令や判例を調べるだけでは不十分であり,ネットワーク環境における法的問題の所在を常に観察し,考察し続ける必要がある。

サイバー法研究会における研究を含め,サイバー法の研究は,こうした重要な仕事を担っている。専門家によって観察・考察された結果は,直接に研究会サイトから,あるいは,新たなインタフェイスを通じて,より分かりやすい形式で,または,一定の品質保証のあるものとして,一般市民にアクセス可能なものとなるであろう。

ネットワーク社会で生起する問題は,ネットワーク社会が社会として機能し続ける限り絶えることがない。したがって,サイバー法研究は,ネットワーク社会の継続する限り,存続し続けるのである。

私は,ネットワーク社会の法を含め,今後の人類社会における新たな法的問題の探求を更に深めていくこととしたい。

以上が法情報学への私の抱負である。


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Last modified :Jan/05/1999

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