相生労基署長(播磨造船所)事件判決


神戸地裁平成6年(行ウ)第43号療養補償給付不支給処分取消請求事件


判        決

原       告    <省  略>

右訴訟代理人弁護士    古  殿   宣  敬

被       告    相生労働基準監督署長

             二  宮   保  男

右指定代理人       嶋  田   昌  和

同            田  畑   和  廣

同            辰   田     肇

同            山  本   正  博

同            田  中   稔  章

同            小  沢   善  郎

主        文

一 被告が原告に対し,平成元年10月16日付でした労働者災害補償保険法による療養補償給付の不支給処分を取り消す。

二 訴訟費用は被告の負担とする。

事 実 及 び 理 由

第一 請  求

主文同旨

第二 事案の概要

 本件は,テレックス業務に従事していた原告が,業務により頸肩腕症候群に罹患したとして被告に対して行った療養補償給付請求につき,被告が業務外認定をして不支給処分を行ったので,その取消を求めた事案である。

  一 争いのない事実等

1 原告は,昭和20年10月,兵庫県相生市所在の播磨造船所(後の石川島播磨重工業株式会社,以下「訴外会社」という。)に入社し,昭和40年3月頃から昭和61年12月末日に退職するまでの間,同社総務部通信グループ等(以下「通信グループ」という。)に配属され,主としてテレックス業務に従事していた。

2 発症経過

 原告は,昭和50年頃から両手指が自然に動き出す旨の,昭和52年頃から両手がしびれる旨の症状を自覚し,昭和52年9月17日の訴外会社の定期健康診断において両手のしびれを訴え,以降の定期健康診断等でもほぼ同様の症状を訴えていた(以下,原告のこうした一連の症状を「本件症状」ともいう。)。

 そして昭和61年11月19日,石川島播磨重工業健康保険組合播磨病院(以下「播磨病院」という。)で「頸椎骨軟骨症,右腓骨神経麻痺,両手根管症候群」と診断され,同年12月13日,順心病院で「手指振戦,頸椎骨軟骨症」と診断され(以下,播磨病院での診断も含め,原告が診断された疾病を「本件疾病」という。),治療を受けた。

3 原告の従事した業務の概要

(一) 通信グループの業務内容は,テレックス及びテレタイプの送受信業務であり,テレックス及びテレタイプの発信作業の手順は,原稿の受付,送信先の決定,発信番号の付与,打鍵業務,文字の確認(モニターとの照合),自動発信などであり,他方受信作業においては自動的に受信されるため,打鍵業務は行われない。

(二) 通信グループでは,テレックス業務は男性,テレタイプ業務は女性との一応の業務分担があり,原告は,テレックスの送受信業務に従事していた。

 要員配置は,昭和55年8月の本社集中方式の導入までは,ほぼ男性2名,女性2名の体制であったが,昭和49年6月ないし10月に男性職員1名(神田)が異動した後同52年7月までの間は,男性職員は原告のみであった。

4 本件処分及び不服申立

 原告は,本件疾病は業務上の事由によるもの,すなわち男性職員の1名減員により業務量が倍増したためである等として,昭和63年10月11日,被告に対し,労働者災害補償保険法に基づき療養補償給付請求をしたが,被告は,平成元年10月16日付けで,本件疾病は業務上の事由によるものではないとして右療養補債給付の不支給決定処分(以下「本件処分」という。)をした。

 原告は,本件処分を不服として,兵庫労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが,平成3年5月31日付けで棄却され,さらに,労働保険審査会に対し再審査請求をしたが,平成6年8月17日付けで棄却の裁決がされた。

  二 主要な争点

1 本件疾病は,頸肩腕症候群(手根管症候群を含む。)か否か。

2 業務起因性の有無

  三 争点に関する原告の主張

1 頸肩腕症候群等について

 以下の点から考察すると,原告の本件疾病は頸肩腕症候群と認められるべきである。

(一) 頸肩腕症候群は,特異性の少ない軟部組織の障害なので,他覚的所見の把握が難しく,また病態自体不明確であるため,「手指作業による頸肩腕症候群」と診断することは困難な場合が多い。

(二) 頸肩腕障害について

 頸肩腕症候群に関する研究委員会(日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会を兼ねる。)の頸肩腕障害に関する報告 (<証拠略>)によると,同会は,「業務に起因する頸肩腕症候祥」を頸肩腕障害と呼ぶことを提唱し,その定義及び診断基準を明確にすることを試みた。

 右によると,頸肩腕障害の定義等は,次のとおりである。

(1) 定  義

 業務による障害を対象とする。すなわち,上肢を同一肢位に保持,又は, 反復使用する作業により,神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である。

(2) 病像分類

 病像は,以下のような経過で進展することが多い。

T度…必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で,顕著な他覚的所見が認められない。

U度…筋硬結・筋圧痛などの所見が加わる。

V度…U度の症状に加え,次の所見の幾つかが加わる。

(イ) 筋の腫脹・熱感

(ロ) 筋硬結・筋圧痛などの増強又は範囲の拡大

(ハ) 神経テストの陽性

(ニ) 知覚異常

(ホ) 筋力低下

(ヘ) 脊椎棘突起の叩打痛

(ト) 神経の圧痛

(チ) 末梢循環機能の低下

W度…V度の所見がほぼ揃い,手指の変色・腫脹・極度の筋力低下なども出現する。

X度…頸腕などの高度の運動制限及び強度の集中困難・情緒不安定・思考判断力低下・睡眠障害などが加わる。

(三) 原告の症状(頸肩腕障害)

(1) 原告は,昭和50年6月から7月頃には,両手全体がむずかゆくなり,夜中に手が踊って目が覚める等の症状が表われ,その後も指先のしびれ,指先のうずき,物を落とす等の症状がでているが,これらの自覚症状は,頸肩腕障害の初期の典型的病像である。

(2) その後,原告には,圧痛の増強,神経テストの陽性,極度の握力低下等の症状が認められたのであり,右の病像分類によれば,原告の病像は,V度ないしW度に相当する頸肩腕障害である。

 原告は,昭和52年9月の健康診断で適切な指示がなかったため,療養を受ける機会がなく各検査を受けていないので,他覚所見がないというにすぎない。

(3) 労働基準局長の通達(後記昭和50年基発59号)は,適切な療養を行えば,おおむね3か月で症状は消退するとしているが,これは,早期の症状で適切な療養が行われた場合についてのことであり,原告のように初期に適切な療養を受けず,症状が進行している場合には該当しない。

(四) 以上からすれば,原告の本件疾病は,頸肩腕症候群ないし頸肩腕障害であることは明らかである。

2 業務起因性について

 以下の点からすると,本件疾病が原告の従事したテレックス業務に起因することは明らかである。

(一) 労働省の通達(認定基準)

 労働省の定める頸肩腕症候群の業務上外認定の基準(昭和50年2月5日付け基発第59号「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」。以下,この 通達を「昭和50年通達」といい,そこで示された基準を「昭和50年認定基準」という。)では,業務量について,次のように定めている。

イ 同一企業の中における同性の労働者であって,作業態様,年齢及び熟練度が同程度のもの,もしくは他の企業の同種の労働者と比較して,おおむね10%以上業務量が増加し,その状態が発症直前3か月程度にわたる場合には,業務量が過重であると判断する(昭和50年認定基準解説7(3)イ。以下「昭和50年認定基準イ」という。)。

(二) 作業内容等

(1) 作業内容

 原告の従事したテレックスの打鍵作業は,手を反復して使い,ある程度肩をあげて手・腕を保持し,迅速性・正確性が要求され,緊張状態が持続する作業であり,また,日によって原稿量が異なり,仕事の密度にムラもある。

(2) 作業時間

 原告は,残業が多く,夜10時頃まで打鍵業務を行うこともしばしばあり,長時間労働に従事していた。

(3) 作業量

 原告の1日の平均タッチ数(ただし,神田が昭和49年10月に異動したことを前提とする。)は,おおよそ,

・昭和49年2月から同年10月までは,8900タッチ,

・同年11月から同52年6月までは,この間原告1人がテレックス業務に従事した場合を前提とすれば,1万6500タッチ,

・同年7月から同54年元月までは,1万2800タッチ,

であったと推計される。

 原告は,昭和49年11月から52年7月までは,1人でテレックスの発受信業務に従事したことにより,打鍵作業量が,10%どころか倍増した。仮に,他の女性職員が一部を分担していたとしても,それは約20%程度であり,昭和49年10月までの業務量に比較すれば,1・5倍となった(8900タッチが1万3200タッチになった)。

 なお,テレタイブがAU型からAV型に変更されたのは,昭和52年頃のことであり,本件発症の頃はキータッチの強さも相当重かった。

(三) 以上の作業内容等と本件発症経緯等を併せ見ると,本件疾病は,原告がテレックス業務を1人で行うようになり急激に業務量が増加した時期以降に発症しているのであり,昭和50年認定基準イに照らして,業務起因性は明らかである。

(四) 被告主張のキーパンチャーの管理基準について

 キーパンチャーとテレックスの打鍵業務は,業務内容や労働態様が異なるから,同一に論ずることはできず,右管理基準を本件に適用することはできない。

 管理基準は,主として打鍵数を重視しているが,頸肩腕症候詳の発症との関連性を問う場合,打鍵数や打鍵の高速性のみならず,仕事の密度のムラ,他の作業姿勢,作業態様,作業環境等による,神経的,精神的,心身的負担も重要なのである。

3 手根管症候群について

 手根管症候詳は,正中神経が手根管に圧迫されて発症するもので,手指を便う職業に起こりやすいとされている。

 仮に,本件の傷病名が手根管症候群とされたとしても,これも頸肩腕症候群の病型の一つなのであり,打鍵業務が増加したことにより発症したものと考えられる。

 また,平成9年2月に出された通達(平成9年2月3日付け基発第65号「上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」,以下,この通達を「平成9年通達」という。)に示された認定基準では,業務に起因する上肢障害について,頸肩腕症候群のみならず手根管症候群をも対象疾病に加えており,本件疾病が頸肩腕症候群であろうと手根管症候群であろうと,業務上疾病であることに変わりはない。

4 まとめ

 以上のとおり,被告の本件処分には,本件疾病につき業務起因性を認めなかった点について事実認定の誤りがあり,違法な処分であるから取り消されるべきである。

四 争点に関する被告の主張

 本件疾病が療養補償給付の対象となるには,労働基準法施行規則35条別表1の2,第3号の4「せん孔・・・・・業務その他上肢に過度の負担のかかる業務による手指の痙攣,手指,前腕等の腱,腱鞘若しくは腱周囲の炎症又は頸肩腕症候群」ないし5「・・・身体に過度の負担のかかる作業態様の業務に起因することの明らかな疾病」に該当するものであることが医学的に認められ,その疾病について医学上療養が必要とされるとともに,その症状が当該業務以外の原因によるものではない(業務起因性)と判断されることが必要である。

1 本件疾病について

 以下の点からすると,本件疾病は,頸肩腕症候群ないし手根管症候群とは認められず,そもそも労基法施行規則別表第1の2,第3号の4ないし5に該当する疾病ではない。

(一) 頸肩腕症候群について

(1) 認定基準

 認定基準頸肩腕症候群とは,昭和50年認定基準によれば,種々の機序により後頭部, 頸部,肩甲帯,上腕,前腕,手及び指のいずれかあるいは全体にわたり,「こり」「しびれ」「いたみ」などの不快感を覚え,他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張もしくは硬結を認め,時には神経,血管系を介しての頭部,頸部,背部,上肢における異常感,脱力,血行不全などの症状を伴うことのある症候群に対して与えられた名称である(昭和50年認定基準解説3)。

 右の症状は,キーパンチャー業務等の職業性の原因で起こる他,外傷及び先天性の 奇形並びにその他の疾患によっても発症するとされている(同認定基準解説4)。

 また,職業性の頸肩腕症候群は,当該業務を継続することによりその症状が持続するか増悪の傾向を示すとされ(同認定基準1(3),解説6),他方,症状に応じた適正な治療を行えばおおむね3か月で症状は消退するとされている(同認定基準解説8)。

(2) 原告の症状

 原告の手指の症状が業務に起因する頸肩腕症候群であるとするには,自覚症状のみならず,他覚的にも各部諸筋の病的な圧痛などの症状が認められなければならないが,医師の所見からは,頸肩腕症候群と認められるような他覚的所見を見い出すことはできない。

 また,原告の自覚症状は変化せず,既に昭和61年末の退職時から10年以上も経過しているのに改善傾向が見られない。

 これらの点からすると,原告の症状が,医学的に頸肩腕症候群であると認めることは困難である。

(3) 症状の程度

 仮に,頸肩腕症候群であったとしても,昭和52年以降の健康診断において何度か医療機関の受診指示を受けているにもかかわらず,治療を行っていないのであるから,治療を要するほどの症状であったとは考えられない。

(二) 手根管症候群について

 数名の医師が手根管症候群について述べているが,いずれの所見も疑いに止まるものである。また,検査で神経伝導速度の低下が認められたことがあるが,それも年齢を考慮すれば正常範囲内である。

 したがって,原告の症状が,手根管症候群であると認めることも困難である。

2 業務起因性

 仮に,本件疾病が頸肩腕症候群ないし手根管症候群であるとしても,原告の従事した業務との業務起因性は認められない。

(一) 判断基準について

 労災補償における業務起因性は,疾病と業務との間に労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)があることが必要である。

 右相当因果関係の存否の判断に当たっては,業務上の事由の他に,他の有力な因子が認められる場合には,これらの要因に比較して,業務上の事由が相対的に有力に作用したと医学的に認められた場合についてのみ,相当因果関係が 肯定されるべきであり,有力に作用したか否かは,作業態様,作業期間,業務量からみて,当該業務が当該疾病を生じさせる具体的危険を内在しているか否かを医学的見地に基づいて判断することによって決せられねばならない。

 そして,業務上外の判断においては,昭和50年通達で示された認定基準を参考にするべきである。

(二) 業務過重性について

(1) 業務内容について

 テレックス業務には,打鍵業務の他に,原稿のチェック,判読できない文字の依頼者への問い合わせなど種々の業務がある。

 打鍵業務以外の業務は,昭和50年認定基準1(3)に示された,上肢に過度の負担のかかる業務である上肢の動的筋労作(打鍵などの繰り返し動作)や上肢の静的筋労作(上肢の前,側方挙上位等の一定の姿勢の保持)から解放される業務であるから,本件疾病の原因となりうる業務(手指等に負担のかかる作業)は,打鍵業務だけである。

(2) 原告の打鍵時間について

 昭和49年頃から週休二日制の実施により,土日は休日であった。平日の所定労働時間は,午前8時から午後5時(休憩1時間)であり,残業時間はせいぜい1日1,2時間程度であった。

 テレックス業務のうち,モニターとの照合には,打鍵業務と同等の時間を要し,原稿のチェック,問い合わせにもかなりの時間を要していたのであり,打鍵業務に専念していたのではない。

 打鍵時間については,多く見積もっても1日200分以内であった。

 また,原稿は普通は短文であり,さん孔に1時間を要する原稿は月に4,5件程度と少なかった。

(3) 業務(特に打鍵業務)分担について

 テレックスとテレタイプの業務分担は,必ずしも明確・固定的であったわけではない。

 しかも,テレックス業務は,キーパンチャー経験者であれば,女性職員であっても1週間も練習すれば男性職員と同等の業務量をこなすことができるようになるところ,訴外会社は,通信グループに配置されている全員がテレックス業務を分担できるようキーパンチャーの経験者を配置するなどの措置を講じていた。

 そして,男性職員が1名減員された後,直ちに女性職員1名が補充され,従前どおり4人でテレックス及びテレタイプの各業務をこなしていたのであり,原告が1人でテレックスの打鍵業務を全て担当したのではなく,女性職員もその一部を分担した。

 したがって,男性職員1名減員によって,原告の業務量が増加したものではない。

(4) キータッチ数等について

 原告の打鍵数の推計は,テレックス業務は男性職員のみということを前提とする限りではそのとおりであるが,女性職員もテレックス業務を分担していたのであるから,実際の原告のタッチ数はさらに少なかったはずである。

 また,昭和46年6月又は遅くとも原告が1人でテレックス業務に従事する前に,テレックスの機種はAU型からAV型に更新され,キータッチの強さはテレタイプとほとんど変わらなくなった。

(5) 管理基準について

 キーパンチャーの健康障害を予防するために労働省労働基準局長が示した昭和39年9月22日付け基発第1106号通達の作業管理基準(以下「キーパンチャーの管理基準」という。)によると,1日4万タッチを超えないこと,穿孔作業時間を1日300分以内にすること,一連続穿孔作業時間が60分を超えないようにすることが望ましいとされている。

 テレックスの打鍵業務はキーパンチャーと同種の作業をするものであることから,テレックス業務従事者に右管理基準をあてはめることの合理性が十分認められる。

 そうであるところ,原告のタッチ数は右管理基準の4分の1強程度とかなり下回り,1日の打鍵作業時間及び一連続打鍵作業時間も右基準を下回る。

 また,テレックスのキータッチの強さを考慮したとしても,タッチ数が4分の1強程度のものであるから,手指への負荷はやはり右基準を下回る。

 その上,上肢にかかる負担は,連続して長時間キーをたたく作業であるキーパンチャーの方が,原告のテレックス業務よりも大きい。また,原告は,打鍵作業以外にも種々の作業を行っていたのであり,これらの作業が打鍵作業の間に存在することは,継続的打鍵作業自体の肉体的負担を軽減するものである。さらに,キーパンチャーは,左手で伝票を繰りなから右手で打鍵するのが通常の作業態様であるが,テレックスは両手で打鍵するので負担が 軽減される。

(6) まとめ

 以上からすると,男性1名が減員されたことにより,原告の業務量に多少の増加があったとしても,倍増したとまでは到底考えられず,女性職員もテレックス業務を分担していたこと及び原告のタッチ数等は右キーパンチャーの管理基準を大幅に下回っていることなど,原告の作業内容,職場環境,作業従事期間及び業務量等を勘案すると,原告の業務が過重であったとはいえないから,業務と本件疾病との間に相当因果関係を認めることはできない。

3 以上のとおり,原告の疾病はそもそも労災補償の対象疾病ではなく,仮に原告の疾病が頸肩腕障害ないし手根管症候群であったとしても,本件疾病が業務上の事由によるものと認めることはできないのであるから,本件処分には何ら違法はない。

第三 当裁判所の判断

  一 業務起因性の判断基準

 本件疾病に業務起因性があるとされるためには,業務と本件疾病との間に相当因果関係があることが必要である。

 ところで,労働省労働基準局長は特定業務の従事者に業務に起因して頸肩腕症候群等の発症する場合のあることに鑑み,昭和44年10月29日付けで「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第723号)を発し,その後昭和50年通達(基発 第59号)により右認定基準の改定を行い,さらに,平成9年通達(基発第65号)により右認定基準について,対象業務・疾病の範囲等を明確化する,業務過重性の判断は業務量のほか作業の質的要因も評価して行う等の改正を行った (<証拠略>)。

 そして,右各通達は各時点においての最も新しい医学的知見に則した認定基準を設定していると考えられることから,当裁判所は本件の業務起因募有無を判断するにあたり,平成9年 通達の示す認定基準(以下「新認定基準」という。)が現時点における合理的な認定基準であるとしてこれを斟酌するのが相当であり,平成9年通達の定める全ての要件・基準を満たす場合には原則として業務起因性を肯定すべきものと考える。ただし,右認定基準は,行政庁をして適正迅速かつ画一的に認定業務を行わせる趣旨から設定されたものであり,裁判所の判断を拘束する性格のものではなく,その中のある要件・基準を欠いた場合でも業務起因性を肯定すべき場合があると考える。

 以下,この観点から本件疾病の業務起因性を検討する。

  二 原告が従事していた業務

1 業務全般について

前記争いのない事実等に証拠<省略>及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。

(一) テレックス業務の概要等

 原告は,昭和40年3月から昭和61年12月末の退職時まで,通信グループにおいて主としてテレックス業務に従事していた。

 テレックスは,相手を呼び出すためのダイヤルをもったテレプリンタ(印刷電信機)であり,けん盤部(キーボード)のキーを打鍵して紙テープにテレックス符号の孔をあけ(孔をあけることを「さん孔」という。),このさん孔テープを用いて通信したり,こちらのキーを打鍵して先方の通信紙にもタイプして通信したりするものである。

 テレックス業務の業務内容は,原稿を総務課に取りに行くこと,原稿の仕分け,原稿の受付,原稿のチェック・校正・判読できない文字の確認,送信先の決定,発信番号の付与,打鍵業務(原稿をアルファベットないしカタカナで打鍵して紙テープにさん孔する作業),文字の確認(モニターとの照合),自動発信,原稿の返却などであり,他方受信作業においては自動的に受信されるため,打鍵業務は行われない。

(二) 打鍵作業内容(打鍵姿勢等)

(1) 一般に打鍵作業をする際は,机上のテレックス本体に向かい,背筋を伸ばして胸を張り,椅子に深くかけて足をそろえ,上肢は肩から垂直に下ろし肘関節を90度程度曲げて肘から手首までは水平になるようにし,キーボード上の所定の位置に指を軽く曲げて置くというのが基本的な姿勢であり,キーを打つときは,姿勢を正しくし,指先だけでなく手首の全体を動かし,リズムよく同じテンポで打つようにすることとされている。

 打鍵の基本的動作は,キーボード上の所定の位置に両手を指を軽く曲げて置き,各指で各所定のキーを打っては元の位置に戻すという動作を連統して操り返すものである。

(2) 原告は,打鍵時の姿勢には気を付けており,背筋を伸ばし椅子に深くかけ,手から肘が水平になるようにしていた。キーの打ち方は,同僚からピアノを叩くような感じで少し変わっている旨指摘されたことがあったが,原告としてはきちんと打っているつもりであった。なお,仕事が忙しい時は,テレックス機1台で打鍵し,他の1台で送受信する等していたため,立ったままで打鍵や送受信等の作業をすることもあった。

(三) 打鍵の強さ

 訴外会社は,昭和46年6月頃にテレックスの機種をAUから改良型のAV型に更新した。

 打鍵(キータッチ)の強さは,現在のパソコンやワープロは50グラム程度であるのに対し,キーパンチャーのカード穿孔機は50から200グラム,テレックスのAV型は200から340グラムである。

(四) 要員配置

 原告が通信グループに所属していた間の要員配置は,基本的には男性2名,女性2名の計4名であった。

 ただし,昭和49年6月に男性職員1名(神田)が減員された後,昭和52年7月に別の男性職員(鶴田)が配属されるまでの間は,男性職員は,原告1名であった。また,昭和55年8月から同57年までの間も男性職員は原告1名であった。なお,女性職員がいたのは昭和56年6月までであった。

 昭和40年以降の要員配置を整理すると,次のとおりである。

 49年6月まで  男性2名,女性2ないし3名

 52年7月まで  男性1名,女性2ないし4名(52年1月から52年5月までが,男性1名,女性2名)

 55年8月まで  男性2名,女性2ないし3名

 57年まで   男性1名,女性0ないし2名

 61年12月まで 男性2名,女性0名

(五) 業務負担

(1) 訴外会社では,通信グループにはキーパンチャー経験者を配置するようにしていた。キーパンチャー経験者であれば,女性職員でもテレックスを 1週間程度も練習すれば,相当程度テレックス業務をこなすことができた。

 通信グループにおいては,テレックス業務が国際線(外国との間の送受信業務)も多く扱い,時差の関係で所定労働時間以降にずれ込むため,テレックス業務は男性,テレタイプ業務は女性と一応業務分担がされていた。

 男性職員2名の時でも,1人が休むと,残る1人で全てのテレックス業務を処理していた。

(2) 昭和49年6月に神田が配置換えになり,男性職員は原告1人となったが,同年6月頃から9月頃までは女性職員1名(下野)もテレックス業務を担当し,テレックス業務2名という体制は維持された。

(3) 昭和49年9月頃以降は,テレックス業務は主として原告1人が担当したが,女性職員もテレックスの原稿をテレタイプで送る方式等により打鍵作業の一部を分担した他,テレックスの発信番号の付与やモニターとの照合,受信の整理等の業務も手伝ったので,結果的に原告の全業務量(テレックス業務)の約20%程度を女性職員が分担することとなった。ただし,訴外会社では,女性職員にできるだけ残業をさせないように配慮しており,時間外は,原告1人がテレックス業務に従事した。

 また,業務量が極端に多い時には,通信グループ員でない営業担当者らがテレックスの打鍵作業を手伝うこともあった。

(六) 勤務時間等

(1) 昭和49年頃から週休二日制が施行されて土日は休みとなり,所定労働時間は午前8時から午後5時まで(休憩1時間)であった。

(2) 原告の1日の打鍵時間は,日によって原稿量に差があるためまちまちであり,男性職員2人体制のときは,原稿量の多い日で7時間,少ない日で2時間,平均して4時間程度(なお,神田は1日3時間から4時間であった旨述べるが,神田は打鍵の速度が早く,原告は普通程度であったのであるから,同量を処理する場合,原告の方が打鍵時間が長かったものと認められる。)であったが,男性職員1人体制のときは,多い日で7時間,少ない日でも5時間程度であった。

 原告は,例えば通常紙テープ1mをさん孔するのに6分から9分程度要していたところ,業務量が増えればそれを4,5分でさん孔するというように打鍵の速度を早くし,その他の作業も早く処理していたことから,業務量の増加と同程度作業時間が増加するというわけではなかった。

 なお,原稿は,通常は短文であり,さん孔するのに1時間以上を要するような長文のものは少なく,1件20分から40分かかるものは日に数件,1件1時間以上かかるものは月に4,5件程度であった。

(3) 残業時間については,男性職員2人体制のときでも,テレックスが国際線も多く扱い,時差の関係で所定労働時間以後になる場合があるため,1日平均1時間弱の残業があったが,男性職員1人体制のときは,それに加えて時間内に業務を消化しきれない場合もあり,1日平均2時間程度であった。

2 業務量(特に打鍵作業量)等について

(一) 証拠<省略>によれば,次の事実が認められる。

 原告と神田の2人がテレックス業務に従事していた約10年間(昭和40年頃から昭和49年6月頃まで)は,業務量にさしたる変化はなかった。

 昭和55年8月以降,テレックス及びテレタイプ業務につき本社集中方式(原稿をファクシミリで本社に送信し,本社で集中的に打鍵・送信する方式)が導入され,打鍵作業量は半分以下に 減少した。

(二) 別表1のテレックス及びテレタイプの年度別月平均送信件数,及び別表2のテレタイプ・テレックス処理量と題する各表は,原告の主張する作業件数を基に訴外会社ないし被告において推計したものであるが(別表2で「請求人」とあるのは原告のことを指す。),本件においては原告,被告ともその内容の信用性等について積極的に争わず,却って双方とも各表の推計を前提とした主張をしていること,本件全証拠と比してもこの表の数値の信用性に特に疑問を抱かせるものはないことからして,当裁判所においても右推計(別表1・2)を原告の業務量の概算を表す基本的貧料として採用する。

 まず別表2を基に試算すると,昭和49年2月から昭和53年12月までの通信グルーブにおけるテレックス及びテレタイブの1か月当たり概算タッチ数は,別表3の各欄記載のとおりである。

(三) さらに,前記1認定事実に証拠<省略>及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められ,原告の業務量について,これらの事実を考慮して試算すると,原告の1か月当たり概算タイプ数は,別表3の該当欄記載のとおりである。

(1) 昭和49年6月までは,テレックス業務には,男性職員2名すなわち原告と神田が従事した(便宜上,テレックス業務の分担割合を数値で表す(以下同様。)と,原告0・5,神田0・5となる)。

 この頃は,テレックスよりもテレタイプの方が業務量が多かった(テレタイプは1人当たり1か月平均26万0600タッチ,1日平均1万1850タッチ程度であった。)。

(2) 昭和49年7月から同年9月までは,原告と女性職員下野の2名がテレックス業務に従事した。この間原告の業務量は従前よりも若干増加した(この点については,テレックス及びテレタイプの類似性から1週間もすれば女性職員(下野)もテレックス業務をこなすことができたのであるが,それが長年テレックス業務を担当してきた神田と同程度にまでこなせたかは疑問であり,かつ残業時間は原告のみが従事したことをも考え併せると,原告の業務量が少なからず増えたであろうことが推認できる。)(ここでは原告0・6,下野0・4として推計することとする)。

(3) 昭和49年10月から昭和51年12月までは,男性職員は原告1名,女性職員は3名であり,テレックス業務は主として原告1人が担当したが,随時女性職員もその一部,おおよそ全体の20%程を分担した(原告0・8,女性職員0・2)。

(4) 昭和52年1月から同年5月までは,テレックス業務には原告1人が従事した(この点については,右期間は,女性職員は2名であり,別表3より計算するとテレタイプの1人当たりの業務量は1か月平均29万3200タッチ,1日平均1万3330タッチと従前(昭和49年10月以前)と同程度ないしそれ以上なのであり,テレックス業務を一定程度分担する余裕があったとは考えにくい。したがって,テレックス業務には原告1人が従事していたものと推認できる。)(原告のみ)。

(5) 昭和52年6月から同年7月までは,女性職員は3名であり,随時テレックス業務の一部を分担した(原告0・8,女性職員0・2)。

(6) 昭和52年8月以降は男性職員2名(原告と鶴田)がテレックス業務に従事した(原告0・5,鶴田0・5)。

(四) 別表3の試算を基に,さらに原告の1日当たり概算タッチ数を,1か月22日勤務として試算すると,別表4のとおりであり,前記1及び2(一),(三)認定事実とこの試算とを併せ考えると,次の事実が認められる。

(1) 原告は昭和40年からテレックス業務に従事していたが,当初は男性職員は2名であり,原告の業務量は,昭和49年6月頃までほぼ同程度であった。

(2) 原告の業務量は,男性職員が1名減員された昭和47年7月以降,それまでの約1・3倍に増加した。

(3) 昭和52年1月から同年7月までは,原告が1人でテレックス業務を担当した(ただし6月,7月は女性職員も一部分担した。)ことや,全体の業務量自体が増加したこと(別表1から認められる。)によって,原告の業務量は,昭和49年6月以前と比べて約2・7倍に,また男性職員が原告のみとなった昭和49年7月以降と比べても約2倍に増加した。

(4) 昭和52年8月以降も,全体の業務量自体が増加したこと(別表1参照)によって,原告の業務量は,極端に業務量の多かったそれ以前の半年程度と比較すれば 半減したが,昭和49年6月以前と比べると約1・4倍であった。

 これと同程度の業務量は,本社集中方式が導入された昭和55年8月頃まで続いていた。

  三 本件疾病について

1 発症経緯等

 前記争いのない事実等に証拠<省略>及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の(一),(二)の事実が認められる。

(一) 原告の健康状態及び既往歴

 原告は,訴外会社における健康診断を毎年受けていたが,昭和49年までは異常を指摘されたことはなかったし,原告自身も異常を感じたことはなく,健康であった。なお,昭和46年の健康診断時の握力は右57・5kg,左34kgであった。

 ただし,昭和27年頃に左手首至近の前腕部をノミで切創し,左手握力が低下したことがあり,昭和34年から35年頃に蓄膿の手術を受けたことがあった。また,退職後の昭和62年1月頃に立ち上がったときにギックリ腰になり,昭和62年12月に右足親指を骨折したことがあった。その他には特に負傷をしたり病気になったことはなかった。

(二) 発症経緯

(1) 昭和50年頃,両手全体がむずがゆくなり夜中に手が踊って目が覚めることがあったが,痛みはなく,昭和50年9月の健康診断で症状を訴えることはしなかった。

(2) 昭和51年頃,指先のしびれが現れ,冬には打鍵作業中に痛みを感じたり,就寝時に手首から指先がうずくことがあった。昭和51年9月の健康診断で右自覚症状を訴えたが,医師の所見では「使い痛み」であろうということで異常なしとされた。

(3) 昭和52年頃には,物を落とすことがあるようになり,昭和52年9月17日の健康診断で右自覚症状を訴えたところ,医師は両手のしびれについて精密検査の必要を認め,以後もしびれが続くようであれば整形外科を受診すること,次回からキーパンチャーに準ずる検診を受けることを勧めた。

(4) 昭和53年頃からは,業務中にも書類を落とすことがあるようになり,症状は依然として持続ないし悪化していった。昭和53年9月の健康診断でも,両手指のしびれ・ふるえについて整形外科を受診することを指導され,昭和54年9月の健康診断でも,両手指のしびれ感等についてキーパンチャー検診,整形外科受診を指導された。

(5) 昭和55年頃,原告は上司に対し,手の痛み等があるため,テレックスを打たないような仕事に替えてほしい旨申し入れたが,同年8月頃からの本社集中方式導入が検討されており,業務量の大幅 な減少が見込まれていたため,結局配置換えは行われなかった。

(6) 昭和56年頃からは,鈍痛は常にあり,強い痛みを感じることがあるようになり,以後も鈍痛や物を落とす等の症状が持続した。

 昭和56年,57年,58年の健康診断では,昭和53年頃から両手第2指から第5指にしびれ・痛みがある,持っている物を落とすこともある等訴え,両手第2ないし第5指のしびれ・痛み等について受診の必要を指摘された。

(7) 昭和59年の健康診断では,時々両手指にふるえ・指先に痛み・耳鳴り・めまいの自覚症状等が認められたが,総合判定はAとされた。また,昭和60年,61年の健康診断でも総合判定Aとされた。

(8) 昭和62年3月から昭和63年3月まで,電気システム管理研修の実施訓練を受けたが,ドライバーやビスをよく落とした。

(9) その後は,症状は仕事をしていた当時よりは良くなったものの,現在も手指が少し痛み,長時間物を持つと手がしびれる等の症状が持続している。

(三) まとめ

 以上の事実から考察すると,原告は昭和50年頃から両手に痛み等の異常を感じ始め,昭和52年に健康診断で精密検査の必要が認められる程度にまでなり,以後徐々に悪化していったものであり,遅くとも昭和52年 頃までには本件疾病を発症していたと認めるのが相当である。

2 治療経緯

 前記争いのない事実等に証拠<省略>及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実が認められる。

(一) 原告は,昭和52年頃,健康診断での治療指示を受けて播磨病院を受診してマッサージ等の治療を受け,その後も健康診断で整形外科受診の指導を受けた際に播磨病院で同様の治療を受けたりしたが,それ以上に自ら進んで医療機関を受診することはしなかった。

(二) 原告は,昭和61年に,自転車のハンドルを持つことができないことがあったことから治療の必要を感じ,同年11月19日に播磨病院で受診し「頸推骨軟骨症,右腓骨神経麻痺,両手根管症候群」と診断された。

 そして昭和61年12月13日に順心病院で受診し「手指振戦,頸椎骨軟骨症」と診断され,以後,順心病院に通院して手を温め電気をかける等の治療を受けた。

(三) 平成元年6月頃からは兵庫医大を受診し,現在は,兵庫医大に2か月に1回通院し,握力検査をして,塗り薬をもらい,医師の指示で自分で手をマッサージする等している。

3 頸肩腕症候群等について

 証拠<省略>及び弁論の全趣旨を総合すると,次のとおりである。

(一) 頸肩腕症候群

(1) 昭和50年認定基準(基発第59号)のいういわゆる頸肩腕症候群とは種々の機序により後頭部,頸部,肩甲帯,上腕,前腕,手及び指のいずれかあるいは全体にわたり,「こり」「しびれ」「いたみ」などの不快感を覚え,他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張もしくは硬結を認め,時には神経,血管系を介しての頭部,頸部,背部,上肢における異常感,脱力,血行不全などの症状を伴うことのある症候詳に対して与えられた名称である。

 頸肩腕症候群の発症機序については未だ医学的解明が確立しておらず,右症状は,キーパンチャー業務等の職業性の原因で起こる他,捻挫や骨折等の外傷及び先天性の奇形並びにその他の疾患によっても発症するとされている。また職業性の場合であっても,作業上の労働負荷,精神的ストレス ,加齢・素因や日常生活要因等が複雑に絡み合って発症するものと考えられている。

 職業性の頸肩腕症候群は,当該業務を継続することによりその症状が持続するか増悪の傾向を示すが,他方,早期の症状であれば痛み・だるさ等の症状に応じた適正な治療を行うことにより,概ね3か月で症状は軽快し,手術が施行された場合でも概ね6か月程度の療養が行われれば治癒する。しかし,当初に十分な療養を行わず,そのために症状が進行した場合は,回復までにはそれ以上の時間がかかり,症状の起伏が起こることが普通であるし,また,いかなる症状程度でも必ず全快(完治)するわけではない。

(2) 従来,頸肩腕症候群の病名は症状が様々で障害部位が特定できない不定愁訴等を特徴とする疾病として名付けられていたが,近時においては従来頸肩腕症候群とされてきたもののうち,症状や障害部位が特定されたものについては,頸椎椎間板症等のそれぞれに見合った病名が付けられるようになってきている。

(二) 頸肩腕障害

 「頸肩腕障害」は,職業性の頸肩腕症候群に対する病名として,昭和48年3月に日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会によって提唱されたものであり,頸肩腕症候群とほぼ同じ症状を指しているものと認められるから,頸肩腕障害についての考察・知見は,当該症状(頸肩腕症候群)の業務起因性を判断するに際して 1つの考慮要素となるものと考えられるので,頸肩腕障害についても概観する。

(1) 一般的知見

 疾病(頸肩腕障害)は,個体への障害因子(疲労等)の侵襲と,それに対する個体の抵抗力(疲労の回復力等)との力関係において前者が後者を上回った時に発生する。職業性の頸肩腕障害の主たる発症原因は,身体の局部特に手指等の上肢の過度の筋労作等による疲労の蓄積と考えられるが,そこには,肉体的・精神的な労働負荷の強さや持続性のみならず,作業の単調性,気温・照度・騒音等の環境要因,責任感等の心理的側面,その他 素因や他の疾病等が関連する,別の観点から言えば,個人的要因,職業環境的要因,社会的要因等が関与するのが通常である。

(2) 作業態様別の症状分類

 打鍵作業の場合,肘関節から手指の動的筋疲労により手指の痛み・しびれ,動きにくさ等の自覚症状が認められる。また打鍵に際して,上肢を同一肢位に保つための上肢帯の静的筋疲労により肩こり症状が,姿勢保持のための頸・肩・背・腰・下肢等ほぼ全身に及ぶ静的筋疲労により凝り・だるさ・痛みが訴えられる。精神疲労もでてくる。

(3) 進行度別の病像分類

 原告主張の日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会による頸肩腕障害の病像分類のT度からX度の分類は,複数の専門家医師らが研究・協議を重ねた結果としてまとめられたものであり,相応の 合理性を持つものとして採用できるものである。さらに,右病像分類に,頸肩腕障害の専門医である畑中生稔医師の見解等を併せれば,頸肩腕障害の病像の特徴は,次のとおりと認めるのが相当である。

T度…この時期の症状は,筋肉の単純な疲労によるものであることが多く,ある程度休んでいると治ることが多い。

U度…筋硬結,筋圧痛等の他覚的所見,臨床所見が出てくる。

V度…疲労の蓄積が慢性化し,筋肉の疲労のみならず,末梢神経や血管にも障害を引き起こして来る。

 この段階になると通院治療を要するようになる。

W度…右の様々な症状が拡大,増強してくる。

X度…これらの症状がさらに増強し,日常生活にも支障を来すようになる。

 なお,症状が軽度のうちに治療すれば完治するが,ある程度以上に症状が進行して慢性化してから治療する場合には相当長期間を要する場合もある。

 頸肩腕障害の病像は,概ね上記T度からX度へと進展していくものであると考えてよいが,頸肩腕症候群の考察において,頸肩腕障害の症状の進行度を参考にするに際しては,治療を要する疾病が発症したという段階(右のV度)以前に,当初の疲労や頸肩の凝り等の状態で適切な指導,作業管理・休業・訓練等の措置を講ずることにより自然治癒するいわば健康障害と称すべき段階(右のT度ないしU度)を経ていること,及びこの健康障害的な段階は未だ疾病としての頸肩腕症候群には該当しないことに注意せねばならない。

(4) 類似疾患との鑑別

 まず,問診により自覚症状の分布を見ればおおよその見当をつけることができる。頸肩腕障害であれば,局所の症状と全身の症状とがある程度バランスが取れた形で出てくることが多いので,それが一定の場所に固まっていれば他の病気を疑うことになる。

 次に,局所の自覚症状と所見とが一致するか,頸椎に異常がないかどうか等を検査した上,仕事内容と関連させて症状をよく理解しうるか等により頸肩腕障害の診断が下される。

(三) 手根管症候群

 手根管症候群は,手根管に狭窄が生じて正中神経が圧追されて起こる。

 症状は,第1ないし第3指の痛み,夜間により痛みが強いことが特色で,しびれ感も起こる。母指の内転が弱くなり母指球の萎縮が起こる。

 診断には,神経伝導速度の測定が有意義である。

 原因としては職業性の他,妊娠・リウマチ等種々のものが考えられているが,誘因が明らかでないことが多い。

(四) 類似疾患等

 頸肩腕症候群や手根管症候群等の新認定基準が対象疾病としている上肢障害と類似の症状を呈する疾患として,頸・背部の脊椎・脊髄あるいは周辺軟部の腫瘍,内臓疾病に起因する諸関連痛,類似の症状を呈しうる 精神医学的疾病,頭蓋内疾患等がある。また,上肢障害には,加齢による骨・関節系の退行性変性や関節リウマチ等の類似疾患が関与することが多い。

 退行性変性や素因が主たる原因となって発症する疾病としては,変形性脊椎症や肩関節周囲炎(いわゆる五十肩),胸郭出口症候群等がある。また,頭蓋内疾患を原 因とする疾病として大脳基底部の異常から生じるジストニア等がある。

4 本件疾病について

 前記1ないし3で認定した事実に,以下で認定する事実(各医師の所見等)を総合すると,原告の主たる症状は,次のとおり手根管症候群によるものであると認められる。

(一) 原告には,脊椎等の腫瘍,内臓疾患,精神的疾病,頭蓋内疾患,あるいは変形性脊椎症や椎間板ヘルニア,肩関節周囲炎,関節リュウマチ,胸郭出口症候群,脳疾患等を認める所見は存しない。

 ところで,昭和61年12月13日に原告を初診以後平成元年頃まで治療を継続していた順心病院の橋本真侍医師(以下「橋本医師」という。)は,頭椎にわずかの骨棘形成が認められるとして,加齢現象としての頸椎骨軟骨症と認めたことがあった。しかし,同医師自身,加齢現象とし ての頸椎骨軟骨症とそれとは異なる自律神経又は心理的原因と考えられるとする手指振戦を認めており,直ちに本件症状の主たる原因が加齢現象による神経症状であるとすることはできない。

(二) 原告の手や手指の痛み・しびれ感等の自覚症状は,手根管症候群の症状に当てはまるものであり,関西労災病院の平松紘一医師(以下「平松医師」という。)により神経伝達速度の検査結果から手根管症候群の疑いありと診断されたこと,関西労災病院健康診断センターの小川康恭医師(以下「小川医師」という。),兵庫労働基準局地方労災医員の折原正美医師(以下「折原医師」という。),原告が現在通院し治療を受けている兵庫医大整形外科の田中寿一医師(以下「田中医師」という。)は手根管症候群を疑っており,また橋本医師及び兵庫労働基準局地方労災医員の伊藤友正医師(以下「伊藤医師」という。)も手根管症候群を否定していないことからして,本件症状には,少なくとも手根管症候群によるとみられるものが含まれていたと認めることができる。

(三) ところで,手根管症候祥であることが直ちに頸肩腕症候群であることを否定することにはならないと考えられるので,原告の症状を手根管症侯群とするよりも,より広く頸肩腕症侯群であるとして捉えるべきか否かについても検討することとする。

(1) 原告の手や手指のしびれ・痛み等の自覚症状は頸肩腕症候群の症状にも当てはまるものであるが,他覚症状に乏しい。

 しかし,そもそも頸肩腕症候群は,狭義には,症状が様々で障害部位が特定できず,適切な診断名を下すことの困難な不定愁訴等を特徴とする疾病であり,病理学的知見や客観的所見・臨床症状等の得られないことの多いものであり,他覚症状の乏しいことが直ちに 頸肩腕症侯群を否定することにはならない。しかも,小川医師が左上腕軽度挙上制限の他覚症状を認めていること,田中医師も握力低下の他覚症状を認めていること等は,頸肩腕症候群を疑わせるものである。

(2) また,昭和61年12月から原告の治療に当たり最もよく原告の症状に接していたと考えられる橋本医師は,主症状は頸肩腕症候群とし,伊藤医師も頸肩腕症候群として検討すべきとしていることからすると,頸肩腕症候群の疑いは十分ある。

(3) しかし,前示のとおり頸肩腕症候群については,できる限り症状と障害部位を特定して診断名を付けるようになり,その 1つが手根管症候群であると考えられることからして,橋本医師及び伊藤医師の頸肩腕症候群との所見が手根管症候群と同一のものを指しているとみることもできること,伊藤医師は手根管症候群と腰椎や足指の疾患を併せて頸肩腕症候群としたものと考えられるが,腰椎や足指の骨棘はギッ クリ腰や骨折の際に生じたものである可能性があるところ,伊藤医師はこの既往歴を考慮しておらず,その診断に疑問がないではないこと,明確に他覚症状を認めた小川医師や田中医師は手根管症候群を疑っていること,各医師の所見において,頸肩腕症候群を否定して手根管症候群ないしその疑いを認めるものはあるが,手根管症候群を否定して頸肩腕症候群ないしその疑いを認めるものはないこと,原告の自覚症状はほぼ手ないし手指に限られていたこと,後頭部・頸部・肩・上肢等にはさしたる症状は見られず,頸椎にも特に異常はなかったこと等を総合すると,少なくとも主たる症状及び傷病名は手根管症候群として提えるのが相当である(もっとも,傷病名が手根管症候群であろうと頸肩腕症候群であろうと,ともに新認定基準の対象疾病であり,本件症状の業務起因性判断の問題においてはさしたる相違はないものと考えられるところではある。)。

(四) 本件症状の程度

 手根管症侯群は,広義の頸肩腕症候群の一病態であり,障害部位をより特定したものであることを前提とする限り,前述の 頸肩腕症候群ないし頸肩腕障害に関する医学上の知見を本件症状にあてはめて考察することができる。

 そして,本件処分が療養補償給付請求に対するものである以上,それを違法とするには,本件症状が療養を要する程度のものであったことも必要であるが,この点については後述(五  症状の程度)する。

  四 業務起因性について

 前記一で述べたとおり,業務起因性の有無の判断においては新認定基準を斟酌するのが相当であり,右基準を満たせば原則として業務起因性を肯定し,また右基準を満たさなくともなお業務起因性を肯定すべき場合があることに鑑み,新認定基準の設定する認定基準・要件及びその他本件において考慮すべき事情について検討した上で,業務起因性の有無を判断することとする。

1 新認定基準

 新認定基準の認定要件は,次のいずれかの要件を満たし,当該上肢障害について医学上療養が必要であると認められることである。

@ 上肢等に負担のかかる作業を主とする業務に相当期間従事した後に発症したものであること。

A 発症前に過重な業務に就労したこと。

B 過重な業務への就労と発症までの経緯が,医学上妥当なものと認められること。

 以下,各要件等について検討する。

2 要件@について

 新認定基準の運用基準では,要件@の内容として,(イ)上肢の反復動作の多い作業,(ロ)上肢を上げた状態で行う作業,(ハ)頸部,肩の動きが少なく,姿勢が拘束される作業,(ニ)上肢等の特定の部位に負担のかかる状態で行う作業のいずれかに該当する作業を主とする業務に従事したこと,原則として6か月程度以上の相当期間従事したことが必要であるとしている。

 前記二(原告が従事していた業務)認定事実からすると,次のことが指摘できる。

(一) 原告の従事していたテレックス業務のうち打鍵作業は,目で原稿ないしキーボードを見て,手はキーボード上に置いておくため,頸部や肩の動きが少なく,かつテレックス機の前で椅子上に一定の姿勢を保持した状態で行う作業であり,また,上肢を肩から垂直に下ろして肘を曲げて肘から手首を水平にしてほぼ固定した状態で,特に手首から先及び手指を用いてキーを所定の指で正確かつ迅速に連続して反復打建する作業であるから,この打鍵作業は,上肢 特に手・指に負担(動的筋疲労)のかかる作業である。

(二) テレックス業務には,打鍵作業の他に,原稿のチェック等もあったが,平均して勤務時間の半分程度が打鍵時間であり,テレックス業務は打鍵業務が主であった。

 打鍵業務以外の作業は,直接手・指に負担のかかる作業ではなかったが,依頼先等との電話での応答,原稿のチェック,モニターとの照合等精神的緊張を要する作業が多く,打鍵以外の作業中に打鍵による疲労が回復するというものではなかった。

(三) 原告は,昭和40年から昭和50年ないし52年頃まで約10年以上にわたってテレックス業務に従事してきた。

(四) 以上からすると,原告は,上肢特に手・指に負担のかかる打鍵作業を主とするテレックス業務に約10年以上従事した後に手根管症候群を発症したものであり,要件@を満たしていると一応考えられる。

3 要件Aについて

 新認定基準の運用基準では,「過重な業務」とは,医学経験則上,上肢障害の発症の有力な原因と認められる業務量を有するものであって,同一事業場における同種の労働者と比較して,おおむね10%以上業務量が増加し,その状態が発症直前3か月にわたる場合をいうとしている。

 以下,原告の業務量等について検討する。

(一) 業務量の増加について

 前記二認定事実からすると,通信グループにおいてテレックス業務に従事していたのは,昭和49年6月までは原告を含む男性職員2名であり,この間の業務量は,その頃まで原告に症状があらわれていないことから,過重なものではなかったと推認できる。業務量の比較においては,昭和49年以前の通信グループの男性職員の通常の業務量を最もよく反映していると認められる別表4の昭和49年2月から6月の平均タッチ数の数値(1日平均8880タッチ)を基準とするのが相当である。

 そこで,前記二2認定事笑に照らし,1日平均8880タッチを基準として原告の業務量の増減を検討すると,次のとおり認められる。

(1) 昭和49年7月から12月までの原告の1日平均タッチ数は1万1855タッチであり,以前よりも約1・3倍に増加した。

(2) 昭和52年の健康診断で異常所見ありとされる前の,昭和52年1月から7月までの原告の1日平均タッチ数は2万4040タッチであり,以前の通常の業務量よりも約2・7倍に増加した。また,男性職員が原告のみとなって以後の業務量と比較しても約2倍に増加した。

(二) 業務量自体について

 右昭和49年2月から6月業務量の推計(1日平均8880タッチ)以外には,訴外会社或いは他社のテレックス作業員一般における業務量の平均水準等を示した証拠はなく,他のテレックス作業員一般との比較において業務量が過重であったか否かを判断することは困難であるが,以下のとおり,キーパンチャーの管理基準との比較検討により,その過重性を推認することができる。

 すなわち,テレックス業務は,とりわけ打鍵作業の点でキーパンチャーの作業態様との類似性(手指を早く動かす,機械に合わせた拘束連続同一姿勢が多い等の点で類似)が認められるのであるから,テレックス業務の過重性を判断するに際し,以下で述べる両業務の相違点を勘案した上で,右管理基準を 1つの参考基準とすることができるものと考えられる。

(1) キーパンチャーの管理基準によると,1日4万タッチを超えないこと,作業量はできるだけ平均化すること,穿孔作業時間を1日300分以内にすること,一連続穿孔作業時間が60分を超えないようにすること,1作業時間につき10分から15分の休憩をとることが望ましいとされている。

(2) 前記二2認定事実(別表4を含む。)によると,原告の打鍵数は,昭和49年7月から12月までの1日平均タッチ数1万1855タッチ,その間で最も多い11月の1日平均タッチ数1万3295タッチ,また昭和52年1月から7月までの1日平均タッチ数2万4040タッチ,その間で最も多い3月の1日平均タッチ数3万1964タッチである。

 また右と同じ頃の原告の勤務時間は1日2時間程の残業時間を含めて約10時間,打鍵時間は1日5時間から7時間(300から400分)程度であり,また1時間につき10分から15分の休憩等はなかった。

(3) 以上からすると,原告の打鍵時間及び休患に関しては,右管理基準と同程度ないしそれよりも過重なものであったこと,打鍵数は,多いときには3万タッチを超えることがあったものの4万タッチに至ったことはないことが認められる。

(4) しかし,前記二1(三)のとおり,打鍵の強さは,キーパンチャーのカード穿孔機は50グラムから200グラムであるのに対し,テレックスのAV型は200グラムから340グラムであり,原告の筋的負担は,キーパンチャーの2倍以上であると認められ,この鍵の強さに打鍵数を加味した打鍵量は,キーパン チャーがテレックスと異なり片手で打鍵するものである点を考慮しても,右管理基準を下回っていたとは到底認められない。

 さらに,証拠<省略>によれば,一般に作業時間が2倍になれば処理量は4倍になると言われていることが認められ,作業量の増加はそれだけ集中的な業務処理に繋がるものと考えられる。原告が,従前は9時間程度の就労時間のうち4時間程度を打鍵作業に当てていたところ,業務量が1・3倍,2・7倍となっても,残業 時間を含めてもせいぜい10時間程度の就労時間のうち5時間から7時間を打鍵作業にあてることによりその業務量をこなしていたことは,十分な休憩をとらず相当長時間にわたり連続して,過度なペースで打鍵作業に従事したこと,打鍵作業や原稿のチェック等の業務を相当の集中力を用いて精神的にも緊張の持続した状態で従事したことを推認させるものである。しかも,右推認はあくまで月平均の業務量を基にしたものであり,実際には日によりかなりの原稿量すなわち業務量の差があったのであるから,この業務量のムラにより,原告の肉体的・精神的負担はさらに過大になったものと推認されるのである。

(5) 以上の諸事情に,証拠<省略>によれば,キーパンチャーの管理基準は,障害の発生を最小限に留めることを目的に作成されたものであって,右基準を満たせば障害が発生しないというものではないこと,右管理基準以下の軽い労働負荷条件の下で発病した事例も多数報告されていることが認められることを考え併せれば,原告の昭和49年後半以後,特に昭和52年前半の業務量は,医学経験則上も本件症状を発症ないし増悪させるに足る過重なものであったということができる。

(三) したがって,要件Aは満たしていると考えてよい。

4 要件Bについて

 以下のとおり,前記二,三認定事実から考察すると,要件Bも満たすと考えられる。

(一) 業務量の昭和49年後半からの約1・3倍の増加及び昭和52年前半の約2・7倍の増加と,昭和50年頃から昭和52年頃までの本件症状の経過とを見ると,業務量の増加時期と症状の発生又は増悪時期との間に明確な相関関係が認められる。

(二) また,それ以降も業務量が約1・4倍に増加した状態が昭和55年8月頃まで継続しており,この間症状が継続ないし悪化していたことも,業務量と症状との相関を示している。

(三) 昭和55年8月頃からは業務量は相当程度減少したとはいえ,原告は,尚もテレックス業務に従事していたこと,本件症状はそれ以前に5年以上にわたって 継続しており,また後述(五 症状の程度)のとおり頸肩腕障害の病像分類にあてはめてみてもすでにV度からW度と相当悪化した状態であって,たやすく軽快しうる時期を逸していたものと推認できること,昭和61年12月まで特に治療を行っていないことからして,発症後昭和61年頃まで10年間程にわたる症状の悪化ないし持統のために,それ以後約10年を経過してもなお症状が軽快しないことは医学的にも首肯しうるものであると認められる。

(四) 順心病院での治療経過を見ると,昭和61年12月には両側ホフマン反射陽性,スパーリングテスト陽性と,病的症状を示していたのが,昭和62年12月にはともに陰性となったこと,原告の自覚症状としても退職後は安静にしていれば痛みはなくなったこと等からして,業務から全く離れて治療を開始したことにより,当初に多少とはいえ軽快の傾向が見られたことが認められる。

(五) その他,原告の左手首の怪我等の他の既往歴と本件症状との間連を示す証拠はなく,また本件発症原因となる何らかの素因が存したこと及び当該素因と本件症状経過との相関関係等を示す証拠もない。

(六) 以上からすると,原告は,それまで本件症状がなかったところ,昭和49年6月以降業務量の増加により昭和50年頃から手指のしびれ・痛み等の症状が現れるようになり,当該業務の継続及び昭和52年1月以降の更なる業務量の堵加により右症状が次第に増悪して健康診断で精密検査の必要性が認められる程度にまでなり,その後も医療 機関で適切な治療を受けないまま当該業務を継続したため右症状が持続ないし悪化し,昭和61年に医療機関で両手根管症候群等と診断されて治療を開始したこと,及び 退職して業務から離れたことにより当初に若干の症状の軽快が見られたことが認められるのであり,そうすると,原告の過重な業務への就労と手根管症候群の発症とは,医学的にも十分整合性を持つものと認められるから,要件Bは満たしていると考えてよい。

5 テレックス業務従事者の発症率等と一般的知見

(一) 証拠<省略>によると,テレックス及びテレタイブ従事者のうち5%から12%程度の者に頸肩腕症候群が発症していることが認められる。

(二) 他方,証拠<省略>によると,訴外会社において,原告と同じような症状を訴えた者は見当たらないことが認められる。しかし,もともと訴外会社でテレックス及びテレタイプ業務に従事した者はせいぜい10名程度と少なく,しかも要員配置の変化からすると,原告程の多量の業務を処理した者は他にはいないと認められるのであるから,右事実をもって業務起因性判断において否定的に解することはできない。

(三) 以上のことに,労働基準法施行規則35条別表1の2,第3号の4において,上肢に過度の負担のかかる業務の例としてせん孔業務が摘示されていること,このことは,せん孔業務に従事することにより当該業務に起因して頸肩腕症候群等の同規定列挙の疾病が発症しうることが医学経験則上一般的に認められていることを示すこと,手根管症候 群は頸肩腕症候群の一病態とも考えられること,同規定には手根管症候群自体は列挙されていないが,最新の医学的知見をもとに作成された新認定基準が業務に起因する上肢障害の一例として列挙していることから,せん孔業務に従事することにより当該業務に起因して手根管症候群が発症しうることが医学経験則上一般的に認められているものと解して差し支えないこと(ただし,この場合の該当条項は,同規則35条別表1の2,第3号の5ということになる。),テレックス業務は打鍵業務すなわちせん孔業務を主たる業務とするものであること等から,一般的にテレックス業務により手根管症候群が発症することは医学的にも十分ありうるものと認められることを考え併せると,本件の過重なテレックス業務に従事していた原告に手根管症候群が発症したことは,その原因が過重な業務にあったことを推認させる。

6 医証について

(一) 証拠<省略>によれば,小川医師は,職業歴,自覚症状及び神経伝導速度より,手根管症侯群が疑われる旨診断しており,原告の職業歴すなわちテレックスないしキーパンチ作業の一般的な業務内容が手根管症候群の発症の原因であった可能性が高いことを認めているものと考えられる(ただし,右所見は,原告の業務内容についてテレックス作業に従事していたという以上にその具体的内容例えば業務量増加等の事情まで認識した上での所見とは認められない。)。

(二) 証拠<省略>によれば,平松医師は,右手根管症候群の疑いがあり,業務による可能性を否定できない旨の意見であり,同医師も原告のテレックス業務の一般的な業務内容が手根管症候群の発症の原因であった可能性が高いことを認めているものと考えられる。

(三) 証拠<省略>によれば,伊藤医師は,職場環境,業務内容,現在の状態から考え,素因に基づくものが大きく,明らかな業務起因性は認めがたい旨の意見である。

 しかし,その判断の前提となる職場環境については,当時の職場環境を実際に検証することはできないとしていること,業務内容については,本件で最も重視すべき業務量の増加を全く考慮していないことが認められること等,業務内容や診療経過等を子細に検討した結果の判断であるとは認められない上,右意見にいう素因がいかなるものであるのか全く解明されておらず,何故に(過重な)テレックス業務従事者に発症した頸肩腕症候 群(伊藤医師の診断による。)について業務起因性を否定するのか全く不明であることからして,右意見を採用することはできない。

(四) 証拠<省略>によれば,折原医師は,業務内容及び業務量等から考え,現在の自訴する症状が業務と因果関係があるとは考えられない旨の意見である。

 しかし,同医師が,原告の業務内容,従事期間,業務量の増加等について正確に把握していたか否か疑わしく,右意見を採用することはできない。

(五) 以上からすると,いずれかの医証のみを採用し,それのみに基づいて業務起因性を判断することはできないというべきである。

7 まとめ

 以上のとおり,原告の本件疾病(手根管症候群)はまず新認定基準の認定要件@を一応満たしていると考えられる(ただし,逆に,約10年以上もの間,業務を 継続してきたことは,日々の業務自体からくる手指等への負担ないし疲労は,翌日までには十分回復できていたものであることを推認させるのであり,従って,業務による負担疲労が約10年以上にわたり徐々に蓄積して本件発症に至ったものであるとするには疑問が残るから,要件@についての検討のみから本件症状の業務起因性を肯定することはできない。)とともに,同要件ABを満たしていると考えられるのであり,これと以上に検討した諸事情とを総合考慮すれば,昭和49年後半から昭和52年前半の業務量の増加により本件発症に至ったものと認められるのであり,業務起因性があるものと認められる。

 なお,原告が業務を離れて治療を開始してから既に10年以上経過しているにもかかわらず,なおも症状が持続していることからすると,本件症状に業務のみならず他の何らかの要囲も関与していた可能性を全く否定することこは疑問がなではない。しかし,本件発症を医学経験則上納得しうるに足る業務の過重性が認められること,過重な業務への就労と発症経緯とが医学上妥当なものであること,原告が本件テレックス業務に従事していなくとも本件症状が発症していた可能性を認めうる証拠はないこと等からすると,仮に原告の従事していた業務が唯一の原因ではなく他の要因も関与して発症したものであったとしても,少なくとも右業務が相対的に有力な原因となって本件症状が発症したものと認めることができるのであり,やはり業務起因性は肯定される。

  五 症状の程度−治療の要否

1 療養補償給付は,当該疾病について療養が必要な場合,すなわち療養によって疾病が軽快するか,軽快しないが悪化するのを肪止する効果がある場合に支給されるものである。

2 前記三認定事実によると,原告は,昭和50年頃から手指の異常を自覚し,昭和52年以降は毎年のように健康診断で検査の必要を指摘されていたにもかかわらず,さしたる治療を受けようとすることなくテレックス業務への従事を継続してきた。しかしながら,原告は昭和61年2月に播磨病院を受診し,両手根管症候群等と診断されて以降は,現在まで継続的に病院に通院して治療を受けている。

 療養の要否の判断においても,医師の所見や対応は大いに参考になると考えられるところ,証拠<省略>によると,原告が冶療を受けた順心病院の橋本医師や兵庫医大の田中医師は,当初に頸及び両上肢の理学療法や頸椎牽引等種々の処置を取り,その後は薬剤やマッサージにより経過観察をする等の治療を行っていることが認められること,健康診断で何度も整形外科等の受診を指導されていたことからすると,原告の症状は,ある時期以後は療養を要する程度に至っていたものと認めてよいと考えられる。

 また,原告の症状を見ても,当初は手指のしびれ・痛み等(頸肩腕障害の病像分類にあてはめるとT度ないしU度に該当すると考えられる。)から始まって,物を落とすようになり,昭和55年頃にはテレックス業務から替えてくれるよう上司に申し入れる程にまで症状が悪化していた。昭和56年 頃からは常に鈍痛があり痛みもより強くなり,この段階では,症状は当初よりも相当悪化しており,以後業務の過重はなく,症状は悪化していったというよりもこの頃から同程度の症状が持続していた可能性が高いこと,医療機関受診後の症状は少なくともV度に該当すると考えられることからして,V度であったと考えられ,以後同様の症状が持続した。そして,証拠 <省略>によれば,昭和61年以降の医療機関での検査等で神経テストの陽性,手指の冷感,握力の極度の低下傾向等が認められ(V度ないしW度。),その後もなかなか軽快しなかったことが認められる。これらの事情からすると,遅くとも昭和55,56年頃以降は,原告の症状につき療養を要するものであったと認めてよいと考えられる。

 一般に患者は,日常生活や仕事などに支障がなければ,たとえ医師の立場からは療養が必要ないし好ましい場合であっても,そのまま放置しておくことはよくあることであり(原告の場合も,配置換えを求めた昭和55年頃には仕事上支障が生じようとしていたものと推認されるが,以後業務量が減少したため,結局仕事上の支障が生ずることはなく,昭和61年に自転車のハンドルを持てず日常 生活上の支障を感じるようになるまで,そのまま放置していたものと認められる。),原告が当初,長期間にわたり病院を受診しなかったことのみをもって療養の必要なしとすることはできないというべきである。

3 以上から本件症状は,退職以前はもとより,退職後も少なくとも数年間は療養が必要であったことは認められるが,退職時から10年以上を経避した現時点においてもなお症状に顕著な軽快傾向を認めることができないことは,ある時点において既に症状固定しており,もはや療養の必要を認めることが できない状態である疑いもあり,この点は別途検討を要するところではある(ただし,この場合は障害補償給付の問題となる。)。

 しかし,業務起因性が認められ少なくとも本件療養補償給付請求にかかる療養期間(証拠<省略>によれば昭和61年12月)を含むある時点までの療養の必要があったことに変わりはないのであるから,仮に本件処分時(平成元年10月)において療養の必要が認められなかったとしても,それによって本件不支給処分が適法となるものではない。

  六 結  語

 以上のとおり,原告は手根管症候群に罹患したものであって,業務起因性も認めることができ,これを認めなかった本件処分には事実認定の誤りがある。本件処分は違法なものであり,取消を免れない。

 したがって,原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日,平成9年6月24日)

神戸地方裁判所第6民事部

裁 判 長  裁 判 官   森  本   翅  充

       裁 判 官   太  田   晃  詳

       裁 判 官   田  中   俊  行

 


<別表:いずれも省略>


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Published on the Web : May/20/1998

Error Corrected : Jun/14/2001

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