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○『楊門女将』(ようもんじょしょう) ──戦う女性の愛と悲しみ

加藤 徹
この文章は、
  上海京劇院・来日公演『楊門女将 −−楊家の女将軍たち−−』
  2006年5月25日〜6月14日、東京・福岡・大阪・名古屋
  詳しくは「京劇カレンダー
の公演パンフレットに掲載したものです。


 京劇『楊門女将』は、「楊家将」の物語の一部である。

 いまから千年前、日本では清少納言(せいしょうなごん)や紫式部(むらさきしきぶ)が活躍していたころ。中国では、漢民族の王朝である宋(そう)が、北の異民族の軍事的侵略に苦しんでいた。

 宋は経済大国だったが、軍隊は弱かった。宋軍のなかで、例外的に強く、敵国と勇敢に戦ったのが「楊家軍」だった。

 楊家は、昔の日本で言えば武士にあたる世襲軍人の一族である。もともと楊一族は、宋の敵国だった北漢の忠臣であった。宋が北漢を併合し、中国を統一したあと、楊家軍も宋軍の一部に編入された。宋の皇帝は楊一族を信頼したが、高級官僚や職業軍人たちは楊一族の人気に嫉妬し、その卓越した武力を警戒した。楊一族は、いわば外様(とざま)であり、二級市民であった。

 楊家の男たちは、祖国・宋のために、勇敢に戦った。彼らは、常に二つの敵と戦わねばならなかった。眼前の外国軍と、背後の宋国内の嫉視である。初代の楊業(?−986。楊継業ともいう)とその息子たちは、宋軍の先鋒として、異民族である遼(りょう)の軍隊と勇敢に戦ったが、彼らを嫉妬する宋軍の司令官の策謀によって死地に送られ、無念の最後を遂げた。

 生き残った楊家の男たちは、それでも、祖国のため、民の平和を守るために、戦場へと向かった。男たちが次々に戦死すると、未亡人や娘たちが女だてらに武器を手にとり、その志を継いだ。彼女たち「楊門女将」の中心となったのは、楊業の未亡人である■太君(しゃたいくん)と、楊業の孫の嫁である穆桂英(ぼくけいえい)であった。──
   * ■は「佘」(ユニコード番号4F58)。「余」の下半分が「示」である文字。

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 「楊家将」の物語は、歴史に実在した楊一族の事跡をもとに生まれた。長い歳月をかけて、芝居や講談で演じられていくうちに、しだいに話がふくらみ、現在の形になった。  今日の歴史学者は、穆桂英のモデルは、楊家に嫁として入ったタングート族ないし鮮卑族の女性「慕容氏(ぼようし)」であろう、と推定している(中国語では「穆(ムー)」と「慕(ムー)」は同音)。■太君(史実では「■」と近音の「折氏」)も、史実では、非漢民族の血を引く中国人であったらしい。そんな彼女らが、中国で最も人気のある愛国英雄として語り継がれてきた。多民族国家・中国の、ふところの深さを感じる。

 いつの時代でもそうだが、ふだん社会の甘い汁を吸っているエリートや特権階級は、国が危機に瀕したとき、必ずしも勇敢には戦わない。むしろ「二級市民」や庶民のほうが、純粋な愛国心をもち、血と汗を流して戦う傾向がある。

 「楊家将」は、そんな民衆の思いを代弁する物語である。日本では、北方謙三(きたかた・けんぞう)氏の歴史小説『楊家将』(吉川英治賞受賞作)および『血涙〜楊家将後伝〜』(月刊『文蔵』連載中)で、ようやく知られるようになった「楊家将」だが、中国では、むかしから「三国志」や「水滸伝」と並ぶ人気をもっていた。

 「三国志」や「水滸伝」に出てくる戦争は「内戦」だが、「楊家将」は熾烈(しれつ)な民族間戦争である。しかも「楊家将」には、祖国愛と家族愛の矛盾、二級市民の苦悩など、ドラマチックなエッセンスがつまっている。

 京劇『楊門女将』では、色あざやかな甲冑(かっちゅう)に身を固めた楊家の美女たちが、舞台上に勢揃いする。その凛々(りり)しいあでやかさは、京劇の数ある演目のなかでも、他に類を見ない。

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 京劇の女優にとって、穆桂英は、演ずるのが最も難しい役柄の一つである。

 女優が重い甲冑の衣装を身につけ、しかも胸をきつく締めて立ち回りをするのは、男優以上に大変である。また穆桂英の唱も、繊細と力強さの双方が要求される。

 筆者は今年の二月、上海京劇院を訪問し、史敏さんと厳慶谷さんに会ってきた。

月刊『中国語ジャーナル』2006年5月号に、インタビュー記事「上海京劇院二大劇星、『楊門女将』を語る」が掲載。

上海京劇院にて。右から、厳慶谷さん、史依弘(史敏)さん、筆者。
 史敏さんは、筆者にこう語った。

「私は2002年の来日公演で、『白蛇伝』のヒロイン白素貞を演じましたが、穆桂英は、白素貞よりも難しいです。白素貞は夫への愛をつらぬくために戦いましたが、穆桂英の愛はもっと複雑で、矛盾をはらんでいます。彼女は、女将軍であると同時に、生身の女性でもあります。最愛の夫を戦争で失った悲しみ。愛する息子を危険な戦場に出さねばならぬつらさ。穆桂英は、妻として、母として、心のなかで号泣します。しかし彼女は、楊一族のと祖国の運命を、その肩に負っています。戦争は非情です。彼女は将軍として、家来である自分の家族に、ときには苛酷な命令をくださねばなりません。祖国への愛と、家族への愛。『楊門女将』は、ドラマチックな愛の物語です。穆桂英を演ずるのは、とても難しいのですが、それだけに演じがいがあります」

 今回、特筆すべきは、名優である厳慶谷さんが、演出を担当することである。京劇界きっての知日派でもある厳さんは、目を爛々と輝かせて、筆者にこう語った。

「私は日本のみなさんに、本物の京劇、京劇の神髄を見ていただきたいのです。そのためには、絶対に妥協しません。歌も立ち回りも、最高のものを堪能していただきます。上演時間内におさめるために話をはしょったり、歌をカットすることは、しません。Aプロ、Bプロに分けるのも、そのためです。現在の中国国内でも、これほど本格的な『楊門女将』は見られない。そんな舞台を、京劇を愛してくださる日本のみなさまのために作ります」

 筆者が「一般に、俳優が監督や演出の仕事をすると、出演者は苦労するものです。厳慶谷さんは、ご自分が演技も立ち回りも一流なので、そのぶん、出演者に対する要求のレベルも、つい高くなってしまうのでは?」と水を向けると、厳さんはニヤリと笑い、隣の史敏さんを見ながら、

「もちろん出演者には、心身ともに限界まで頑張ってもらいます」

と言った。

 いま、最高に脂(あぶら)ののっている上海京劇院のスターたちは、どんな『楊門女将』を見せてくれるのか。とても楽しみである。



+−+−+(2006.4.17)+−+−+

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