岡本綺堂『中国怪奇小説集』より
発塚異事
三国の呉の孫休のときに、一人の戍将が広陵を守っていたが、城の修繕をするために付近の古い塚を掘りかえして石の板をあつめた。見あたり次第にたくさんの塚をぶち壊しているうちに、一つの大きい塚を発くことになった。
塚のうちには幾重の閣があって、その扉はみな回転して開閉自在に作られていた。四方には車道が通じていて、その高さは騎馬の人も往来が出来るほどである。ほかに高さ五尺ほどの銅人が数十も立っていて、いずれも朱衣、大冠、剣を執って整列し、そのうしろの石壁には殿中将軍とか、侍郎常侍とか彫刻してある。それらの護衛から想像すると、定めて由緒ある公侯の塚であるらしく思われた。
さらに正面の棺を破ってみると、棺中の人は髪がすでに斑白で、衣冠鮮明、その相貌は生けるが如くである。棺のうちには厚さ一尺ほどに雲母を敷き、白い玉三十個を死骸の下に置き列べてあった。兵卒らがその死人を舁き出して、うしろの壁に倚せかけると、冬瓜のような大きい玉がその懐中から転げ出したので、驚いて更に検査すると、死人の耳にも鼻にも棗の実ほどの黄金が詰め込んであった。
次も墓あらしの話。
漢の広川王も墓あらしを好んだ。あるとき欒書の塚をあばくと、棺も祭具もみな朽ち破れて、何物も余されていなかったが、ただ一匹の白い狐が棲んでいて、人を見ておどろき走ったので、王の左右にある者が追いかけたが、わずかに戟をもってその左足を傷つけただけで、遂にその姿を見失った。
その夜、王の枕もとに、鬚も眉もことごとく白い一個の丈夫があらわれて、お前はなぜおれの左の足を傷つけたかと責めた上に、持ったる杖をあげて王の左足を撃ったかと思うと、夢は醒めた。
王は撃たれた足に痛みをおぼえて一種の悪瘡を生じ、いかに治療しても一生を終るまで平癒しなかった。
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