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tradition 伝統

Last updated2024年4月26日 Since 2019-10-4

〇辞書的な説明
https://kotobank.jp/word/伝統-102607

「伝統」についての国語辞典の説明の一例。
『大辞林』第三版の解説
でんとう【伝統】
 ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習。 「民族の−」 「 −を守る」


〇「伝統」は新漢語
 「伝統」はなかった
 「伝統」(韓国語“전통”、中国語“传统”。繁体字では「傳統」)は、近代西洋の概念を東アジアが輸入して生まれた「新漢語」の一つ。
 「伝統」という文字の組み合わせは古くからあったが、昔の漢文では文字通り「(血統、王統などの)統を伝う」という意味であり、traditionの意味ではなかった。
例『後漢書』東夷列伝に出てくる昔の日本についての記事。
「倭在韓東南大海中、依山島為居、凡百余国。自武帝滅朝鮮、使駅通於漢者三十許国、国皆称王、世世伝統。其大倭王居邪馬台国。」
 倭は、韓の東南の大海のなかにあり、山や島に居住し、およそ百あまりの小国からなる。前漢の武帝が古代朝鮮を滅ぼしたあと、倭から漢王朝と交流をもった国々は三十ほどで、それぞれの国の主張はみな「王」号を名乗り、代々、王統を世襲した。


〇メタ伝統 meta-tradition
 そもそも「伝統的なもの」についての考えかたが、国によって全然違うことに注意。
 日本人の「伝統」は、家元制、世襲制、「道」、「魂」、「心」などと結びついている。
 中華人民共和国の「伝統」は、戦争や革命により何度も中断したこと、一次伝統が豊富に存在すること、日本のような「天皇制的なもの」が存在しなかったこと、などの理由により、日本とは全然違う。
 メタ伝統は、東洋と西洋でも違う。


〇サンスクリット化 Sanskritisation(中国語“梵化” 韓国での訳語は未詳)
 近代のアジア社会においては、「西洋の衝撃」(The Western Impact)によって、Sanskritisation(サンスクリット化)という現象が起きた。
 前近代のアジアの社会では、社会の上流階層の生活様式や価値観と、中・下層のそれは全く違ってていた。例えば江戸時代の日本でも、百姓・町人が、武士のまねをすることは禁じられていた。明治維新によって武士という身分が消滅して四民平等の世になると、社会の中・下層は、あこがれの武士のまねをするようになった。武家の装束「紋付き袴」の国民的普及、「武士道」の推奨、軍人の日本刀好き、能楽や詩吟などの「創られた伝統」等々、そのれいは枚挙にいとまがない。
 日本では、明治維新で武士階級が消滅したあとに「武士道」的な価値観が全国民に広まった。
 このように、西洋の衝撃を受けた国(インド、中国、朝鮮半島、日本、等々)では「近代に入って伝統的社会の統制がゆるむと、かえって昔の上層身分の価値観が下層にまで拡大する」つまり「近代に入ると、かえって反近代化が進むように見える」という逆説的現象が見られる。
 サンスクリット化、は近代インド社会の現象を指す言葉であるが、これと同様のメカニズムは、近代の日本・中国・朝鮮半島でも見られた。
 近代の中国では「中体西洋」や「中華国粋(“中华国粹”)」(京劇の「国劇」化はその一例)が提唱された。
 朝鮮半島では、江戸時代の武士に相当するのは、「朝鮮王朝」(自称は「대조선국」=大朝鮮国)の「両班」(りょうはん。ヤンパンとかヤンバンと読む日本人もいる。韓国語では「양반」、朝鮮民主主義人民共和国の言葉では「량반」)である。現在の韓国人は、先祖が「常民(상민)」や「白丁(백정)」であっても、昔の「両班」的な文化を自分たちの伝統だと思いたがる傾向がある。現代日本人の「武士」へのあこがれと同様である。
 「メタ伝統」や「サンスクリット化」、という考え方については、
加藤徹著『京劇』にわかりやすく解説してあるので、図書館などで読んでください。

cf.日本の和服、韓国の韓服(한복)、中国の漢服
 韓服についてはYouTube「日本で出会う禹那英(우나영)の韓服物語

〇「創られた伝統」
 実は世界中の「伝統」の多くは事実上の「捏造」、と言って悪ければ「再創造されたもの」である。
 英国の歴史家、エリック・ホブズボーム(Eric John Ernest Hobsbawm、1917年6月9日-2012年10月1日)らの共著 The Invention of Tradition(邦訳は『創られた伝統』)等を参照のこと。
cf.エリック・ホブズボウム (編集)、テレンス・レンジャー (編集)、Eric Hobsbawm (原著)、Terence Ranger (原著)、前川 啓治 (翻訳)、梶原 景昭 (翻訳)『創られた伝統』(紀伊國屋書店、1992年)ISBN-13: 978-4314005722
【書評】 藤井青銅『「日本の伝統」という幻想』(柏書房、2018年) ISBN-13: 978-4760150502
 以下の記事は、2019/02/03付読売新聞の書評欄(こちらも参照)に加藤が寄稿したもの。
誰が、なんのために?
 評・加藤 徹 中国文化学者・明治大教授
 痛快な本だ。著者は作家で、数年前から落語家の柳家花緑(かろく)氏に新作落語を提供している。落語界のしきたりを少し知っているだけで企業から一目おかれる、という経験もした。そんな著者が、現代日本の「伝統」の正体と日本人の精神構造を、軽妙洒脱しゃだつな筆致で斬りまくる。
 著者が示す「伝統ビジネス」のノウハウは、日本文化論としても秀逸である。
 日本人は「旧国名」に弱い。「讃岐うどん」も「伊勢うどん」も、実は戦後に誕生した名称だ。これがもし「香川うどん」や「三重うどん」だったら? 「江戸」マジックや「京都ブランド」の威力も絶大だ。近現代に誕生した新しい事物も「京都」に事寄せると、伝統感を出せる。明治に誕生した「都をどり」も「平安神宮」もしかり。日本人は「京都に騙(だま)されたい」と思い、京都も街ぐるみで「上手に騙してあげよう」と応える。「おこしやす」と京都弁で客を迎える店のバイトが九州出身だったり、舞妓(まいこ)さんの出身地は全国各地だったりする。
 日本古来の伝統なのだから変えるな、従え、絶やすな、古来のしきたりを守れ、という主張もよく耳にする。伝統の権威をかさにきて自分の言うことを相手にきかせることを、著者は「伝統マウンティング」と呼ぶ。
 「相撲は国技」なので「土俵上は女人禁制」と主張する人もいる。実は、相撲の「国技」化は20世紀からだ。女性が土俵にのぼる女相撲の興行も昭和30年代まで続いた。近年、海洋散骨や、貸金庫のような納骨堂が増えている。「先祖代々之墓」を守れという声もある。実は、庶民の先祖代々の墓の伝統は百年ていどだ。
 「古来の伝統」は変えてもいい。事実を知った上で、楽しめばいい。「日本はすごい」と自己アピールする風潮が強い昨今、本書のように「その伝統は、誰が、なんのために、どういうスタンスで主張しているのか?」と裏を読む「伝統リテラシー」をもつことは大事であろう。


○文化の再解釈 reinterpretation of culture
日本テレビの番組『特命リサーチ200X』の「ドゴン族」の回
https://meiji-univ.ap.panopto.com/Panopto/Pages/Viewer.aspx?id=d599ae91-21d5-42ba-9a41-b07a0072f496dummy
参考サイト https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12419419511.html
★ドゴン族の「シリウス・ミステリー」
 1931年、フランスの民族学者マルセル・グリオール(Marcel Griaule、1898年-1956年)は、アフリカのドゴン族(Dogon people)の 神話の中に、シリウス連星説があることを発見したが……
 A説 ドゴン族は、西洋人が天体望遠鏡を発明するずっと前から、何らかの方法でシリウスが連星であることを知っていた。
 B説 ドゴン族は、20世紀の初めに接触した西洋人から最新の天文学の知識を聞いて、それを先祖伝来の神話に組み込んだ。
cf. https://ja.wikipedia.org/wiki/ドゴン族の神話#シリウス
★ニューギニアの伝統民謡にロシア民謡そっくりの歌がある謎
 1957年、パプアニューギニアのサウスフォレ地方(South Fore)で、米国の医学研究者ダニエル・カールトン・ガジュセック (Daniel Carleton Gajdusek 1923-2008)が、クールー病(Kuru) の研究を行った(1976年度のノーベル生理学・医学賞を受賞)。
 博士が、奥地のアガカマタサ村(Agakamatasa)を訪問したとき、現地人にロシア民謡「黒い瞳」を歌ってきかせた。
 数年後、博士がサウスフォレ地方の別の村を訪ねると、若い村人が「黒い瞳」と似た歌を口ずさんでいた。
 博士が「その歌は?」ときくと、若者は自信満々に「先祖代々伝わる民謡だ」と答えた。
テレビ番組内での、文化人類学者・豊田由貴夫博士(当時、立教大学文学部教授)のコメント。
「このサウスフォレという地域は、外部の文明との 接触が今までほとんどなかった地域ですね。 こういう地域では、外の文明・文化に対して 非常に好奇心を持つわけです。それで、 今まで全く聞いた事のない音楽とか、それに出会った時は、 それは、自分たちの先祖が歌っていた音楽に違いない、とか、 霊魂や精霊が歌っていた音楽に違いない、とか、 そういう色々な解釈を行うわけです。 で、これは元の文化と違うように解釈をするので、 こういう現象を文化の再解釈と呼んでます」
ナレーション:文化の再解釈とは、外国から新しい 文化情報が伝えられたとき、普及していく過程で、 新しい解釈が与えられ、 大衆に受け入れられやすい情報に変化してしまう現象のことである。

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