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tea ceremony 茶道

Last updated 2020-7-16 Since 2019-3-20

茶道(さどう)
茶道具:唐物、高麗物、島物、和物…
曜変天目茶碗、高麗茶碗、呂宋壺(ルソンつぼ)、古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)…
天下三茄子(てんかさんなす)=九十九髪茄子、松本茄子、富士茄子
天下三肩衝(てんかさんかたつき)=新田、初花、楢柴

 日本の茶道は、外国でも大きな関心を得てきた。
 中国の作家・劉慈欣による世界的ベストセラーSF小説『三体』三部作の第三部では、「智子」による「茶道談話」が山場の一つとなっている。
 「智子」(ちし/ともこ)は、宇宙人が地球人と意思疎通するために作った人間型のインターフェースで、和服の日本女性の姿をしており、日本刀を愛用し、茶道にも精通している。
 ちなみに、和服美女+日本刀の組み合わせは、中国では、実在した女性革命家・秋瑾(しゅぅきん Qiū Jǐn 1875-1907)の写真(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Qiu_Jin2.jpg)以来、不思議な人気がある。
 https://dic.pixiv.net/a/三体
 中国語 《三体》中智子的形象为何是日本女人
 中国語 https://youtu.be/QO25QnboJG0?t=3367
 中国語 《三体》“茶道谈话”,宇宙的安全声明是真的存在?

大学の授業で日本の茶道を解説した。中国のSF小説『三体』第3部「死神永生」の「茶道談話」にも言及。茶道の席では、百姓町人も公家も、戦場では殺し合う武将も、宇宙人もヒューマノイドもみな平等、と説明。学生の指摘「日本語訳はまだ第2部までなので、ネタバレですよ」。あ、すみません?? pic.twitter.com/Uj76hpQqkh

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) July 16, 2020

千利休が登場する漫画
山田芳裕『へうげもの』(英語 Hyouge Mono 台湾『戰國鬼才傳』 ハングル表記「효우게모노」)2005年−2017年
原哲夫『花の慶次』1990年−1993年


千利休と豊臣秀吉
RPGゲーム「信長の野望」 https://youtu.be/C295qbmaUjY 北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)1587年
アニメ「へうげもの」 https://youtu.be/sCFkCoLecbs 身長180cmの利休と、140cm(127cm説もある)の秀吉が謀略を密談
アニメ「へうげもの」39話 https://youtu.be/T-WuOYwB-x4?t=2732
 数え70歳、切腹直前に、武士を相手に猛烈なパンチを見舞う利休

北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ) Grand Kitano Tea Ceremony
 天正15年10月1日(1587年11月1日)に京都北野天満宮境内で豊臣秀吉が大規模な茶会を催す。なぜか一日で中止に。中止の理由は諸説ある。

 以下の場面については「Power vs Art 権力対芸術」も参照のこと。
NHK大河ドラマ「黄金の日々」第37話「反逆」より
1978年9月17日初回放送。原作:城山三郎 脚本:市川森一 演出:宮沢俊樹
https://meiji-univ.ap.panopto.com/Panopto/Pages/Viewer.aspx?id=46721986-e442-44b0-abb6-b07a0073f4eddummy
場面その一 徳川家康と今井宗薫 at 駿府城
天正十七年(1589年)旧暦二月 駿府城(現在の静岡県静岡市)
 徳川家康(とくがわ・いえやす 1543−1616 演・児玉清)
 今井宗薫(いまい・そうくん 1552−1627 演・林隆三)

【家康】(三方の袱紗に載せた大判を今井宗薫に見せる)関白殿下が新たにお作りになった大判金だ。
【宗薫】これが・・・
【家康】関白殿下は、銭集めがたいそうお上手だ。
 陸においては、諸国に検地奉行を派遣し、曲尺六尺三寸の竿を使って村々の田畑を測らせ、米の取り立てにも容赦はない。
 海では、堺、長崎、博多の港を掌中に入れて、南蛮交易を独り占めにするおつもりだ。
 おまけに、諸国の山々からは金銀が噴き出している。まず当座のあいだは、殿下の城の黄金の山は日に日にそびえ立っていく一方であろう。
【宗薫】殿下の黄金の山がいかに高かろうと、これを大海に流し込んでゆけば、いずれは無に帰してしまいますな。
【家康】大海に黄金を投じるとは何のことだ?
【宗薫】は。関白殿下の妄想のこと。
【家康】殿下の妄想とは?
【宗薫】唐入り。すなわち明国征伐。
【家康】宗薫。
【宗薫】はい。
【家康】さきごろ聚楽第(じゅらくてい)の番所の壁に落書(らくしょ)があり、落書をした番衆七名が捕らえられ、処刑されたそうじゃの。
【宗薫】はい。それはもう、無残な処刑でございましたそうで。一日目には鼻を削ぎ、二日目には耳を切り、三日目には逆さ磔で刺し殺した、と申します。
【家康】どんな落書だったか存じているか?
【宗薫】はい。聞き及んでおります。
【家康】教えよ。
【宗薫】村々に乞食の種も尽きずまじ搾り取らるる公状の米
    末世とは別(べち)にはあらじ木の下のさる関白を見るにつけても
    おしつけて結えば結わるる十らく(聚楽)の都の内は一らくもなし
【家康】都の内は一らくもなし・・・(笑)

場面その2 豊臣秀吉と千利休 at 大坂城の中にある黄金の茶室
 豊臣秀吉(1537-1598 演・緒形拳)
 千利休(1522−1591 演・鶴田浩二)
 近侍(演・浅野和信)
 鍋島信生(鍋島直茂。1538−1618 演・小瀬格)
  
【秀吉】これを銭に換えてみてくれ。
【利休】四十石(しじゅっこく)の葉茶壷(はちゃつぼ)では?
【秀吉】そうじゃ。
【利休】松島、三日月の両葉茶壷が、本能寺の変において滅(めっ)してのちは、この四十石こそ天下一(てんがいち)の壺。天下一という以上の値(ね)はございません。
【秀吉】その天下一の壺を、金か銀か、あるいは銭に換えればいかほどかと、きいておるのだ。無理にでも銭に換えてみてくれ。
【利休】どうあっても値をつけよとの仰せであれば、一万貫(いちまんがん)とでも。
【秀吉】なぜだ? なぜこれに一万貫の値をつける。
【利休】されば、松島の壺と同じ値をつけましてございます。
【秀吉】誰が松島の葉茶壷に一万貫の値をつけた?
【利休】信長公(のぶながこう)にございます。かって信長公が堺(さかい)を包囲され、矢銭(やせん)二万貫を課されたとき、その代わりに納められましたものが、天下に隠れもなき名物ふたつ、松島の葉茶壷に、紹鴎茄子(じょうおうのなすび)でございました。
【秀吉】理屈はあいわかった。しかし、果たして実際にこれを一万貫で買い取る者がおると思うか?
【利休】それがしが値踏(ねぶ)みいたしましたことを申し添えていただけますならば、売れると存じます。
【秀吉】ほう(笑)。たいそうな自信じゃのう。ついでのことだ。それを試してみよう。たれかある。加賀守(かがのかみ)をこれへ呼べ。
【近侍】かしこまりました。
【秀吉】鍋島加賀守信生(なべしまかがのかみのぶお)と言うてのう。去年の春より長崎の代官を勤めさせておる。真面目一本の武骨もんだが、茶の湯にはあまり関心がないようじゃ。
【信生】鍋島加賀守、参上いたしました。
【秀吉】くつろいで入るがよい。長崎へのみやげに、このどちらかを持ち帰れ。壺か、金子(きんす)か。金子は十枚ある。
【信生】金子を頂戴いたしとうございます。
【秀吉】うん、言い忘れておったが、この葉茶壷は四十石と言うて、本朝無双の名器だ。余が一万貫の値をつけた。どうじゃ。考え直さんか。
【信生】それがし、茶の道具には不案内でございまするゆえ。
【秀吉】余の目利きでは信用できぬか?
【信生】いえいえ、決してそのようなことでは。
【秀吉】余の値踏みは、すなわち利休の目利きということだ。どうじゃ。それでもやはり金子のほうがよいかな?
【信生】利休様のお目利きとあらば、ぜひとも壺のほうを頂戴いたしとうございます。
【秀吉】……信生。
【信生】はっ。
【秀吉】そちはやはり金子のほうが良かろう。壺を預けたら道中で割ってしまいそうじゃ。さがれ。
【信生】はっ。
【秀吉】さがれ!
【信生】はっ。
【秀吉】南蛮には「錬金術師」と言うて、石くれを黄金(おうごん)に変えてしまう者たちがおるそうじゃが、土の壺を眼力(がんりき)ひとつでたちまち一万貫に換えてしまうこなたは、さしづめ、本朝の錬金術師じゃのう。それにひきかえ、われらが黄金を得(う)るためには、血を流し人を殺し、騙し、汗をかかねばならん。利休。余はこなたが羨ましい。(笑)
留学生のための注釈 by KATO Toru
  1. 豊臣秀吉 TOYOTOMI Hideyoshi, 1537-1598, The KAMPAKU 関白 or regent of Japan
  2. 千利休 Sen no Rikyū, 1522-1591, the great master of Way of Tea
  3. 茶壺 CHATSUBO or tea leaf urn 
  4. 本能寺の変 Honnō-ji Incident:the forced suicide on June 21, 1582, of Japanese daimyō ODA Nobunaga at the hands of his samurai general AKECHI Mitsuhide.
  5. 一万貫=10,000 KAN:1 KAN=1,000 coins. 10,000 KAN=10,000,000 coins
  6. 信長公=織田信長 ODA Nobunaga, 1534-1582: one of three unifiers of Japan along with his retainers TOYOTOMI Hideyoshi and TOKUGAWA Ieyasu.
  7. 鍋島加賀守信生=鍋島直茂 NABESHIMA Naoshige, 1537-1619:Japanese daimyō
  8. 長崎 Nagasaki
  9. 南蛮 NAMBAN: the old name for Europe by Japanese
  10. 錬金術師 alchemist
  ★利休的な高尚・簡素 vs 秀吉的な豪華・俗悪
 ドイツの建築家、ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880年 - 1938年)は、日本の桂離宮(かつらりきゅう)の簡素な美と深い精神性を「皇室芸術」として絶賛した。一方でタウトは、日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の豪奢な装飾美を「威圧的」「珍奇な骨董品」と酷評し「将軍芸術」と呼んで嫌悪した。
 一般的には、
  高尚=簡素 千利休的なもの、茶室、桂離宮、・・・
  俗悪=豪華 豊臣秀吉的なもの、日光東照宮、・・・
とされ、利休を秀吉の上に置く。
 ただし、昭和の作家・坂口安吾(さかぐち・あんご 1906年-1955年)のように、「簡素なるものも豪華なるものも共に俗悪」と達観したうえで、利休的・茶室的な簡素の美より、秀吉的の確信犯的な「駄々っ子」ぶりのほうがましだ、と評価する向きもある。
 以下、坂口安吾「日本文化私観」(初出:「現代文学 第五巻第三号」1942(昭和17)年2月28日発行)より引用
青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42625_21289.html
 茶室は簡素を以て本領とする。然しながら、無きに如かざる精神の所産ではないのである。無きに如かざるの精神にとっては、特に払われた一切の注意が、不潔であり饒舌(じょうぜつ)である。床の間が如何に自然の素朴さを装うにしても、そのために支払われた注意が、すでに、無きに如かざるの物である。
 無きに如かざるの精神にとっては、簡素なる茶室も日光の東照宮も、共に同一の「有」の所産であり、詮ずれば同じ穴の狢(むじな)なのである。この精神から眺むれば、桂離宮が単純、高尚であり、東照宮が俗悪だという区別はない。どちらも共に饒舌であり、「精神の貴族」の永遠の観賞には堪えられぬ普請(ふしん)なのである。
 然しながら、無きに如かざるの冷酷なる批評精神は存在しても、無きに如かざるの芸術というものは存在することが出来ない。存在しない芸術などが有る筈(はず)はないのである。そうして、無きに如かざるの精神から、それはそれとして、とにかく一応有形の美に復帰しようとするならば、茶室的な不自然なる簡素を排して、人力の限りを尽した豪奢、俗悪なるものの極点に於て開花を見ようとすることも亦自然であろう。簡素なるものも豪華なるものも共に俗悪であるとすれば、俗悪を否定せんとして尚俗悪たらざるを得ぬ惨めさよりも、俗悪ならんとして俗悪である闊達(かったつ)自在さがむしろ取柄だ。
 この精神を、僕は、秀吉に於て見る。いったい、秀吉という人は、芸術に就て、どの程度の理解や、観賞力があったのだろう? そうして、彼の命じた多方面の芸術に対して、どの程度の差出口をしたのであろうか。秀吉自身は工人ではなく、各々の個性を生かした筈なのに、彼の命じた芸術には、実に一貫した性格があるのである。それは人工の極致、最大の豪奢ということであり、その軌道にある限りは清濁合せ呑むの概がある。城を築けば、途方もない大きな石を持ってくる。三十三間堂の塀ときては塀の中の巨人であるし、智積院(ちじゃくいん)の屏風(びょうぶ)ときては、あの前に坐った秀吉が花の中の小猿のように見えたであろう。芸術も糞もないようである。一つの最も俗悪なる意志による企業なのだ。けれども、否定することの出来ない落着きがある。安定感があるのである。
 いわば、事実に於て、彼の精神は「天下者」であったと言うことが出来る。家康も天下を握ったが、彼の精神は天下者ではない。そうして、天下を握った将軍達は多いけれども、天下者の精神を持った人は、秀吉のみであった。金閣寺も銀閣寺も、凡そ天下者の精神からは縁の遠い所産である。いわば、金持の風流人の道楽であった。
 秀吉に於ては、風流も、道楽もない。彼の為す一切合財(いっさいがっさい)のものが全て天下一でなければ納らない狂的な意欲の表れがあるのみ。ためらいの跡がなく、一歩でも、控えてみたという形跡がない。天下の美女をみんな欲しがり、呉(くれ)ない時には千利休も殺してしまう始末である。あらゆる駄々をこねることが出来た。そうして、実際、あらゆる駄々をこねた。そうして、駄々っ子のもつ不逞(ふてい)な安定感というものが、天下者のスケールに於て、彼の残した多くのものに一貫して開花している。ただ、天下者のスケールが、日本的に小さいという憾(うら)みはある。そうして、あらゆる駄々をこねることが出来たけれども、しかも全てを意のままにすることは出来なかったという天下者のニヒリズムをうかがうことも出来るのである。大体に於て、極点の華麗さには妙な悲しみがつきまとうものだが、秀吉の足跡にもそのようなものがあり、しかも端倪(たんげい)すべからざる所がある。三十三間堂の太閤塀というものは、今、極めて小部分しか残存していないが、三十三間堂とのシムメトリイなどというものは殆んど念頭にない作品だ。シムメトリイがあるとすれば、徒(いたず)らに巨大さと落着きを争っているようなもので、元来塀というものはその内側に建築あって始めて成立つ筈であろうが、この塀ばかりは独立自存、三十三間堂が眼中にないのだ。そうして、その独立自存の逞しさと、落着きとは、三十三間堂の上にあるものである。そうして、その巨大さを不自然に見せないところの独自の曲線には、三十三間堂以上の美しさがある。

 韓国では、豊臣秀吉(도요토미 히데요시)は「悪役」である。
2002年の韓国のSF映画「ロスト・メモリーズ」《2009 로스트 메모리즈》 2009 Lost Memories
 作品世界の「現代」のソウル市に、李舜臣ではなく豊臣秀吉の像が・・・(現実のソウル市にはありません)。
 https://youtu.be/0babCGff8Xg?t=383

 韓国KBSのテレビドラマ「不滅の李舜臣」《불멸의 이순신》 (不滅의 李舜臣)2004年−2005年
 https://youtu.be/_FhBuQNXWck?t=53

   

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