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HAIKU 俳句

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○俳句 はいく
 英“haiku” 韓国語“하이쿠” 中国語“俳句”(páijù)
 日本の伝統的な定型詩で、世界最短の定型詩形とも呼ばれる。 詩形はいわゆる「五七五」の3句17音で、季節感を示す「季語」をいれる。
 現在では、日本語以外の世界の各国語で、それぞれ「ハイク」が作られている。

 語源は「俳諧(はいかい)の句」。16世紀の日本で流行した、卑俗な 集団即興作詩エンターテインメント「俳諧の連歌(はいかいのれんが)」 の第1句「発句(ほっく)」を、独立した短詩型として洗練させたもの。
 なお、俳句と同じ「五七五」の短詩型である川柳(せんりゅう)も、俳諧の連歌から生まれた短詩型であり、 初期は雑俳(ざっぱい)に分類されていたこともある。
 江戸時代は「俳句」より「俳諧」と呼ばれることが多かったが、 明治時代の俳人・正岡子規(まさおか・しき)から「俳句」と呼ばれることが増えた。
 俳句の作家を俳人(はいじん)と呼び、俳句の文芸理論を俳論(はいろん)と呼ぶ。俳論は日本の 芸術界に多大の影響を与えた。

 歴代の俳人のうち、特に、
松尾芭蕉 まつお・ばしょう 1644−1694
与謝蕪村 よさ・ぶそん 1716−1784
小林一茶 こばやし・いっさ 1763−1828
正岡子規 まさおか・しき  1867-1902
夏目漱石 なつめ・そうせき 1867−1916
種田山頭火 たねだ・さんとうか 1882−1940
尾崎放哉 おざき・ほうさい 1885−1926
高浜虚子 たかはま・きょし 1874−1959
は有名。

 歴代の俳論のうち、松尾芭蕉の「高悟帰俗(こうごきぞく)」「不易流行(ふえきりゅうこう)」 「夏炉冬扇(かろとうせん)」、 与謝蕪村の「離俗(りぞく)」などは、 21世紀の日本のサブカルチャーのコンセプトを理解するための 補助線として理解しておく必要がある。
cf.[away from popularity 離俗]

○俳句の作品の例
俳句「うつくしや障子の穴の天の川」
utukusi ya shouji no ana no ama no gawa
芸術の本質とは、mortality(モータリティ)の中にimmortality(インモータリティ)を垣間見る、一瞬の美意識である。
この俳句出典 小林一茶(KOBAYASHI Issa, 1763年 - 1827年)『七番日記』文化十年(1813)七月の条。
【いつ】1813年の七夕のころの夜 【どこで】病床で 【誰が】癰(よう)を病んだ作者が 【何を】夜空の天の川を 【どのように】障子の破れ穴から見て感動した。
 cf.癰(よう)は、昔は死亡率が高い難病だった。
 『七番日記』文化十年七月
  二 晴 仙六来 ソバ一袋
  七 晴 癰大膿出
  八 晴 夜桂国ヨリ金二両宏海持参

「うつくし」や単純に「美しい」ではない。古語「愛(うつく)し」「厳(いつく)し」「現(うつ)し・顕(うつ)し」等のイメージも重なっている。
「障子の穴」の障子に穴があいているような、わびしい住居。定命(じょうみょう)の人間や生き物など「mortal」たちが住む「此岸」の象徴。 死ぬかもしれない病気にかかるのは、平凡な日常生活に突如「穴」があくようなものである。
「天の川」「穴」の向こうには、星や神仏などの「immortal」たちが住む永劫の「彼岸」が広がっている。
 病気で死を覚悟した作者(この時は生還できた)は、障子(此岸)と天の川(彼岸)が接していることに気づき、「うつくしや」と感じた。
 天の川は、美しい。障子の穴も、愛(うつく)しい。もうすぐ死んで見られなくなる、と思えば、何もかも「うつくしい」。

めいじろう,meijiro,眠る 和語「ウツシ」 移し・遷し、写し・映し → ウツシヨ(現世)
cf.『岩波 古語辞典 補訂版』(1992年補訂版第3刷)より
うつ−し【写し・移し】(一)[四段]<ウツリの他動詞形。物の形や内容そのままを、他のところにあらわれさせる意。ウツはアクセントも考慮すると、ウツシ(顕)・ウツツ(現) のウツと同根。この世にはっきり形を見せ、存在する意。(以下略)>
和語「うつくし」 ← ウツ(内、空・虚、現・映)+クシ(奇し)
和語「トキ」 溶き・解き → 時  和語「ツキ」 → 月・尽き
 日常と非日常、褻(け)と晴(はれ)
cf.この世←→あの世、此岸←→彼岸、顕界←→幽界(幽冥界)、モータル(「定命」mortal)←→インモータル(不死 immortal)、諸行無常←→常住不滅、・・・


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