源氏物語(げんじものがたり) | 紫式部(1000年前後) | 日本 |
九雲夢(구운몽) | 金万重(1637-1692) | 朝鮮 |
紅楼夢(Hónglóumèng) | 曹雪芹(1715?-1763/1764) | 中国 |
本居宣長『紫文要領』(岩波文庫、2010)p.154−p.155より引用
問ひて云はく、源氏の君をはじめとして、其の外のよき人とても、みな其の心ばへ女童(おんなわらわ)のごとくにて、 何事にも心弱く未練にして、男らしくきつとしたる事はなく、たゞ物はかなくしどけなく愚かなる事多し。いかでかそれをよしとはするや。 答へて云はく、おほかた人の実(まこと)の情(こころ)といふ物は女童のごとく未練に愚かなる物也。男らしくきつとして賢きは、実の情にはあらず。それはうはべをつくろひ飾りたる物也。実の心の底をさぐりて見れば、いかほど賢き人もみな女童に変はる事なし。それを恥ぢてつゝむとつゝまぬとの違ひめばかり也。もろこしの書籍(ふみ)は、そのうはべのつくろひ飾りて努めたる所をもはら書きて、実の情を書ける事はいとおろそか也。故にうち見るには賢く聞こゆれども、それはみなうはべのつくろひにて実の事にあらず。其のうはべのつくろひたる所ばかり書ける書(ふみ)をのみ見なれて、其の眼(まなこ)をもて見る故にさように思はるゝ也。 |
司馬遷『史記』巻130「太史公自序第七十」 【原文】 子曰「我欲載之空言,不如見之於行事之深切著明也。」 【訓読】 子曰く「我、之を空言に載せんと欲するも、之を行事に見(しめ)すの深切著明に如かざるなり」。 【大意】 歴史家でもあった孔子は言われた。「私は、空想的な言葉によって本質を語るよりも、人物の具体的な言行や事跡を書くことで本質を浮き彫りにするほうが、ずっと奥深くハッキリと本質を叙述できる」 |
以下、http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/roman25.htmlより引用。紫式部『源氏物語』第二十五帖「蛍」第三章より
HOTARU
Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, rainy days in May at the age of 36
(略)
3 Tale of Hikaru-Genji On monogatari by Hikaru-Genji
3.1 Tamakazura and the other women in Rokujoin are crazy about reading monogatari---Nagaame rei no tosi yori mo itaku si te
3.2 Genji estimates the value of monogatari to Tamakazura---"Sono hito no uhe tote, ari no mama ni
3.3 Genji advises to Murasaki on reading monogatari---Murasaki-no-Uhe mo, Hime-Gimi no ohom-aturahe ni koto-tuke te
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章.段.節 | 原文 | 意訳 |
---|---|---|
3.1.9 | 「このころ、幼き人の女房などに時々読まするを立ち聞けば、ものよく言ふものの世にあるべきかな。 虚言をよくしなれたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれど、さしもあらじや」 | 光源氏「最近、幼い姫君が、女房などに時々(小説を)音読させています。それを横から立ち聞きすると、
『言葉たくみなストーリーテラーが、世の中にはいるものだなあ。見てきたようなウソを並べるのに熟練した口から、こんな物語が生まれ出るのだろうなあ』
と思われます。(あなたも)そう思いませんか」 ※加藤注:小説=「物語」は「語り」 katari であり、「語り」は「騙り」でもある。 |
3.1.10 | とのたまへば、 | とおっしゃると、 |
3.1.11 | 「げに、偽り馴れたる人や、さまざまにさも汲みはべらむ。ただいと真のこととこそ思うたまへられけれ」 | 玉鬘「そのとおりですわ。(光源氏さま、あなたのように女に対して)ウソをつくのに慣れた人は、(小説について)あれこれと、そのように想像するのでしょうね。ただ、(あなたのウソと違って、小説のウソは)本当に真実であると(私には)思われるのですよ」 |
3.1.12 | とて、硯をおしやりたまへば、 | と(玉鬘は)言って、すずりを押しやりなさるので、(一本取られた光源氏は) |
3.1.13 | 「こちなくも聞こえ落としてけるかな。神代より世にあることを、記しおきけるななり。『日本紀』などは、ただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ」 | 光源氏「(ごめんなさいね、私は)無風流にも(あなたが夢中になっている小説というものの)悪口を言ってしまいましたね。(小説のファンによると、小説とは)神話の時代の昔から世の中にあったこと、特に男女の仲を書き残したものだそうだ。(政府が国家事業として編纂した正式の歴史書で、漢文で書かれた)『日本書紀』などには(史実は書いてあっても、人間の奥底の微妙な心理は描かれていないので)単なる一面的な記述しかありませんよね。(人間の真実については)、これら(小説の作品)の中にこそ、道理にかなった詳細なことが書いてあるのでしょうね」
加藤徹注:「恋は神代の昔から」(歌手:畠山みどり、作詞:星野哲郎、作曲:市川昭介)。古語「よ(世・代)」には「男女の仲」という意味もあった。 |
3.1.14 | とて、笑ひたまふ。(以下、中略) | と、笑いなさる。(以下、中略) |
3.2.3 | 「仏の、いとうるはしき心にて説きおきたまへる御法も、方便といふことありて、悟りなきものは、ここかしこ違ふ疑ひを置きつべくなむ。『方等経』の中に多かれど、言ひもてゆけば、ひとつ旨にありて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人の善き悪しきばかりのことは変はりける。 | 光源氏「ブッダが、まことにすばらしいお心でお説きになった仏法にも『方便』というパワーワードがありますよね。仏教のさとりにまだ目覚めていない者は、あちこちで(ブッダの真意から)はずれた疑いをもつことでしょう。(方便という言葉は)大乗仏典の中にたくさん出てきますが、結局のところは(方便の)主旨は一つです。覚り(を得たブッダ)と煩悩(に悩む俗人)のへだたりは、この(小説の中に登場する)善人と悪人の差異と、そんなに違うでしょうか。 ※加藤徹注:小説の本質は、仏教の「煩悩即菩提、生死即涅槃」に通じる、という考え方が説かれている。俳句「渋柿の渋がそのまま甘味かな」と同じ境地。 |
3.2.4 | よく言へば、すべて何ごとも空しからずなりぬや」 | よく言うと(覚りを得た人も煩悩にまみれた俗人も、史実も小説も、世の中にある)全ての物事には、みな存在意義があるのだ、ということになる」 |
3.2.5 | と、物語をいとわざとのことにのたまひなしつ。 | と(光源氏は、小説、すなわち)物語のことを、とても有意義なものとして、おっしゃったのである。 |