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X エックス

Last updated 2022年6月12日 Since 2019-3-20

遠藤周作『人間のなかのX』(中公文庫、1981)pp.14-19より引用
 我々が死んだあと、この地上に残す自分の存在とはすべて他人の見た自分である。ある人は我我(ママ)をいい奴だと思い、他の人はイヤな男だと思っている。別の者には嘘つきと考えられ、更に正直だったと懐しがってくれる人もいる。そうした他人の眼にうつったすべてのイメージの集積が死後の我々の存在になってしまう。だがそれら他人の眼を通したイメージの集積がつくりあげた自分の姿――、その姿をもし我々が墓のなかで知ったとしたならば、どうだろう。我々はきっとこう叫ぶにちがいない、「自分はそれだけではない。自分にはもっと別のXがあった筈(はず)だ」
(略)
 だがそのXとは何だろう。Xとはひょっとすると当の人物も死の直前まで意識しなかった自分の姿であり、まさに息を引きとろうとした時、はじめて自覚するものなのかもしれない。私はそのことを考える時、たとえば正宗白鳥氏のことを思うのである。人々の眼からは厭世家として無神論者として見られた正宗白鳥氏は自分自身もその臨終に際し、神に祈るとは夢にも考えなかったのかもしれぬ。しかし氏の意識ではとっくに捨てた筈のXが、まさにこの世から彼が別れようとする瞬間、姿を見せたのである。
 もし正宗氏があの祈りを臨終に際して口にしなければ、それ以後の白鳥伝は相変らず氏を厭世家として無神論者としてだけ書かれていただろう。だがその行為を見せなくてもXは白鳥氏の意識の奥に生涯ひそんでいたのである。神だけが見抜くことのできるこの魂のX。それを神ではない伝記作家が見通すのは困難である。しかしこのXを対象の人物とその人生とから見抜けぬような伝記はたんなる史伝にすぎないのだ。
(略)
 限定された資料の大部分は他人の主観で染めあげられたイメージにすぎない。当人が書いた日記や手紙でさえ、必ずしも彼の心の正直な告白とは限らない。 資料のすべては鏡にうつった左右あべこべの当人の顔のようなものである。 それは一見、当人らしく見えるが、本当の顔ではないのだ。そのなかから彼の生涯の底にひそんでいたXを見つけること、それが神にしかできぬとは知っていながら、神に代わろうとすること、それが伝記を書く者の悦びなのかもしれぬ。
加藤注:正宗白鳥(1879−1962)、無神論者、ニヒリスト(nihilist )。83歳で死去。
 彼は1904年に発表した「論語とバイブル」の中で、キリストはたいした人物ではなく、『聖書』もウソだらけのつまらぬ書物で、キリスト教は十字軍の戦争とか宗教戦争とか人類に不幸をもたらした、とこきおろした。その後もずっと、キリスト教はくだらない、と否定的だった。しかし臨終の際、彼が最後の力をふりしぼって言った言葉は「アーメン」だった。梶山健『臨終のことば』(明治書院、1973)参照。彼の最期の言葉は世間を驚かせた。いちばん驚いたのは、それを口にした正宗白鳥じしんだったかもしれない。
参考 以下「青空文庫」の「https://www.aozora.gr.jp/cards/001581/card55192.html」、正宗白鳥「論語とバイブル」(「読売新聞」1904(明治37)年10月15日)より引用。引用開始。
「若し名誉とか不朽の事業とかで尊き者と仮定すれば、基督(キリスト)をしてかかる大名誉を得させ、かかる百代の事業をなさしめた大恩人は、ピラトであろう。彼れ若し磔刑に処せられなかったならば、基督は神として伝わらなかったであろう。従って十字軍も起らず、新教徒の迫害もなく、不道理極まる罪の観念に悩さるることもなく、後代の人間は、一層面白く世を楽んだであろう。基督一人の名誉の為に、西洋幾億万の人間は幸福を減じたこと夥(おびただ)しい、しかし基督自身は名誉心の為にかかる事業を企てたのでもないから、咎める訳にも行かぬが、其の代り大人物でもない。彼が後代に残した勢力は善悪共に偶然である。」「畢竟(ひっきょう)論語もバイブルも吾人が恐れ入るにも当らない凡書である。」引用終了。

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