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detune デチューン

Last updated 2023年7月14日 Since 2019-3-20

よき細工は少し鈍き刀を使ふといふ。妙観が刀は、いたく立たず。
吉田兼好(1283年頃-1352年)『徒然草』229段
Yoki saiku wa sukoshi nibuki katana o tsukau to iu. Myoukan ga katana wa, itaku tatazu.
They say that a good carver uses a slightly dull knife. Myokan's knife cut very poorly.(Essays in idleness, translated by Donald Keene)

https://www.youtube.com/watch?v=f6ijcIQTylI&list=PL6QLFvIY3e-mQkPx-Q-Sz0h3Q0vRnvgrI

(calligraphy 書道 参照)

良寛和尚の三嫌
 詩人の詩、書家の書、膳夫(かしわで)の調食(プロの料理人が作った料理)
cf.宮崎駿が自作のアニメであえて「声優」を使わない理由。
良寛の漢詩「偶成」
孰謂我詩詩
我詩是非詩
知我詩非詩
始可与言詩
孰か我が詩を詩と謂ふ
我が詩は是れ詩に非ず
我が詩の詩に非ざるを知りて
始めて与に詩を言ふべし
タレかワがシをシとイう
ワがシはコれシにアラず
ワがシのシにアラざるをシりて
ハジめてトモにシをイうべし
俺の詩を詩だと言うやつは誰だ?
俺の詩は実は詩じゃないのさ
俺の詩が詩じゃないとわかるやつだけが
俺と詩について語りあう資格がある

デチューン detune
【機械工学】機械・機器の用途にあわせて、意図的に一部の性能を低下させることで過剰性能(オーバースペック)を適正化し、耐久性や安全性、使い勝手など総合的な性能の向上を図ること。
(例)慶應義塾大学矢上台講義教室棟ロビーに展示されている「ハ9-II乙」(川崎九八式八〇〇馬力発動機、液冷V型12気筒)は、本来は航空機用のエンジンだが、550hpにデチューンして五式中戦車のエンジンとしても流用された。
【音楽】楽音のチューニングを意図的にずらすことで、音に豊かな厚みを持たせること。
(例)
DTMにおける和音の周波数の設定
アイルランドの伝統音楽(アイリッシュ・ミュージック)におけるチューニング
アコーディオンのリードのウェット・チューニング
坂本九の「上を向いて歩こう」

【関連用語】へたうま、天然、古拙・・・
古拙な|〔洗練されていないが趣のある〕quaintly rustic; 〔荒けずりの美しさがある〕having a rough(-hewn) beauty
プログレッシブ和英中辞典(第3版)
(対義語)チューン、チューン・アップ、チューニング、ブラッシュ・アップ、・・・
【参考挿話】千利休は若いころ、茶の湯を堺の武野紹鴎(たけのじょうおう)から学んだ。紹鴎は、入門した利休に庭の掃除を命じた。庭はきれいだった。利休は木を揺らし、わざと葉を何枚か落とした。紹鴎は利休の才能を認め、奥義を伝授した(大槻磐渓『近古史談』)
坂口安吾(さかぐち あんご 1906-1955)「日本文化私観」
初出:「現代文学 第五巻第三号」1942(昭和17)年2月28日発行
以下[青空文庫のこちらの頁]より引用
 見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々(ごうごう)と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似を羞(はじ)ることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。


中尾隆聖『声優という生き方』(イースト新書Q、2019年)「うまくやろうとするな」pp.110-113より引用
 (前略)馴れ合いのようなことはなかったし、実力の世界ですから、みんな凄まじい熱量で演技に取り組んでいました。だから私も「うまくなりたい」という一心だったんです。いまじゃ考えられないかもですが、
「やめろ、帰れ、死んじまえ」
 なんて言葉がふつうに飛び交っていた。おかしな話に聞こえるかもしれませんが、先輩に言われてうれしかった言葉は、
へたくそ
 演技に対する言葉ですから、評価に値しているということです。
やった。へたくそって言われた!
 ガッツポーズですよ。そこから、いつか「うまい」と言わせてやる。(中略)
 なにかに「なりたい」と憧れる人は多いですが、役者なんかは資格もなにもありませんから「なる」ものというよりは、やっているかいないかだけです。やめるもやめないも実際にはあるようでないんです。(中略)
 いまになってようやくわかったのは、やっぱりへたくそなんだということです。完成することなんかありえない。うまくなりたいという気持ち、うまいと言ってもらいたい気持ちで芝居することは年を重ねるごとに変化していき、「へたくそでいいんだ」と思えるようになりました。それからはすーっと演技がラクに、より楽しくなってきたんです。そうすると、今までとは違う世界が見えてきます。皮肉なもので表現には一段磨きがかかる。だからいまがいちばん楽しい
 いま、養成所の若い人たちに口癖のように言っている、
「うまくやろうとすんじゃねーよ」
 というのは、昔の自分に言ってあげたい言葉なんです。
同書 pp.177-178 より引用
 お客さんにしても、芝居に限らず好き嫌いというのはあるでしょう。難解で哲学的な芝居が好きという人もいれば、アクション入り乱れる派手な演出が好きという人もいるでしょう。
 オーディションの項でもふれましたが、芝居というのは万人が見て明確な正解というものはありません。
11人目を探すんだ
 ということを声優養成所では話していますが、オーディションの審査員が10人いたとしたら、10人にウケようと思わないで、自分の演技がよいと思ってくれるであろうたったひとり――11人目――のためにやれということです。そしてその11人目がいることを信じること、見つけることです。
読売新聞 2019/07/14 掲載 書評
声優という生き方…中尾隆聖著 人生はアンサンブル 評・加藤 徹(中国文化学者、明治大教授)
 日本のアニメは海外でも大人気だ。日本の声優にあこがれる外国人も多い。国際声優コンテスト「声優魂」は、歌もセリフも日本語で行われるが、中国だけで数万人単位のエントリーがある。「人は好きで夢中になれるとすごいパワーを発揮するものだと改めて感じます」と語るのは、本書の著者、中尾隆聖氏だ。
 氏はキャリア60年以上の声優界のレジェンドで、「声優」という分野を確立した立役者の一人だが、謙虚で、今も若々しい。声優になるノウハウや売れっ子になる秘訣(ひけつ)については「たいへん恐縮ですが、私が教えてほしいくらいです」。5歳でラジオドラマ『フクちゃん』に出演して以来、『大魔王シャザーン』のチャック、『それいけ!アンパンマン』の「ばいきんまん」、『ドラゴンボールZ』のフリーザ、その他、声や顔見せでの出演作は数知れず。歌手やバンドもやった。新宿二丁目に店を開き人間観察の勉強を積んだこともある。演じることが大好きで、夢中で役者を続けてきた。そんな氏が語る人生の経験談や声優仲間の横顔は面白い。
 氏は言う。「私たち役者は事務所に所属していても、一人ひとりの『看板』をもっていなければいけない」「うまくやろうとするな」「オーディションは落ちて当たり前(キャスティングはアンサンブルで、似た声質の人は選ばれない)」「役者はみんなピースをもって現場や稽古場にやってくる」。ジグソーパズルのさまざまな形のピースが、芝居を通じてパチンとあう瞬間がある。最後のピースは「お客さんがもってくるピースだよ」。
 なるほど。新聞の書評欄もアンサンブルなのだから、自分が推薦した本が取り上げられなくても自信を失う必要はないのだ。読者の最後のピースがはまる瞬間こそが大事なのだ。
 私の個人的感想はさておき、本書は、声優や芝居は自分と無縁だと思っている人にも、人生を生きる勇気とヒントを与えてくれる良書だ。
 ◇なかお・りゅうせい=声優。出演作に「タッチ」(西村勇役)、「にこにこ、ぷん」(ぽろり役)などがある。

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