HOME > 文章一覧 > このページ
紅雷紋紅雷紋

中国民衆の知恵 兵法(へいほう)三十六計

"九九(くく)"のように覚える処世術(しょせいじゅつ)

最大の効用は「へこたれない強さ」
原載紙:2005年3月13日(日)付『聖教新聞』
第8面「文化のページ サンデーワイド」

紅雷紋紅雷紋

 この文章は『中国古典からの発想 漢文・京劇・中国人』(中央公論新社、2010年9月10日刊、ISBN:978-4-12-004148-8)に収録しました。
 出版社との申し合わせにより、HP上での公開を停止しております。
 どうぞご了承くださいますよう。──2010年9月記
中国古典からの発想
中華ボタン 補足トリビア
 「兵法三十六計」は、(1)5世紀の故事をもとに、(2)誰かが17世紀くらいにまとめた民衆の知恵が、(3)20世紀に再発見されたものである。

(1)淵源は5世紀
 「三十六計、逃げる(逃ぐる)にしかず」ということわざの語源は、『南斉書』王敬則伝の「檀公三十六策、走為上計(檀公の三十六策、走るを上計と為す)」という記述。
 南朝宋の将軍・檀道済(?−436)は、三十六種の作戦を得意としたが、逃げるのを上策としたという。檀道済の「三十六策」の具体的内容は不明。たぶん現行の「兵法三十六計」と直接の関係はない。

(2)明清時代(17世紀ごろ?)に現在の形に
 檀道済の時代から千年以上もたってから、故事やことわざでよく知られている作戦名を三十六個選び「兵法三十六計」にまとめあげた人がいた。
 それが誰か、時代も名前もわからない。明末清初(十七世紀半ば)の動乱の時代にまとめられた、と推定する向きもあるが、真相は不明。
 ただ、作者はあまり頭の良い人ではなかったらしい。(^^;; というのも「兵法三十六計」にはアラが多いからである。
 例えば、本来なら当然三十六計に入れるべき「十面埋伏」や「減灶撤軍」などを漏らしている反面、作戦名として「?」というものを採用している。
 また、権威付けのため(?)『易経』の文句を援用した「解語」(解説文)が書いてあるが、達意の名文であるとは言い難い。(^^;;
 また、6段階ごとに6計を配列しているが、入れ換えたほうが良い箇所も散見される。
 こんなせいもあってか、「兵法三十六計」は歴史に埋もれてしまった。

(3)20世紀の戦争中に再発見
 数百年埋もれていた「兵法三十六計」は、20世紀に再発見され、有名になった。
 1941年、邠州(現・陝西省邠県)で、一冊の古い手抄本(印刷ではなく手で筆写した本)が発見された。この手抄本の前半部は養生についての談義だったが、末尾には「兵法三十六計」が書いてあった。
 当時は、苛烈な抗日戦争の最中である。三十六計の内容は時宜にあっていたため、同年、成都瑞琴楼という書店から中国在来の手漉きの紙を使って翻印・出版された(印刷は成都興華印刷厰)。
 現行「兵法三十六計」の「原本」は、この成都翻印本である。
 1943年、叔和という人が、成都の古本屋でこの翻刻本を入手した。1961年、叔和は『光明日報』紙上で「兵法三十六計」の内容を世に紹介した。その後、彼が所有していた成都翻印本は中国人民解放軍政治学院に寄贈された。ときあたかも東西冷戦の最中であり、兵法三十六計は人民に有用な「大衆兵法」としてもてはやされた。
 これ以後、中国や日本で「兵法三十六計」の解説書が続々と出版され、ふつうの書店でも簡単に手に入るようになった。書店には、漫画版やビジネスマン向けの概説書など、いろいろな「兵法三十六計」関連本が並んでいる。

紅雷紋紅雷紋
HOME > 文章一覧 > このページ