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ーはじめての うたのふみ

駿臺雜詩序  すんだいぞうし じょ

書き下し  简体中文
  古之人、自初學至碩學、皆有詩。何也? 曰:自幼至於老、皆存其志之故也。今之學者、有 學説、無詩賦。其學、專爲人而不爲己。爲己曰志、敍志曰詩。既其學虧志、安有詩成口占哉 ! 此今人之所以無詩也。
  文學部中文科學生加藤徹、始志於經濟01、下第。一歳蹉跎、在 駿臺02修偏僻之學。後得列名虎榜、改學文章。有詩一百首。今選其二十、名之曰『駿臺雜詩』。謹 呈戸川老師、凾丈、以瀆電矚。
  小詩固不免稚、真可云「書生習作」耳矣。然古人有言:匹夫不可奪志也。我亦欲揮匹夫之志、 陳杜撰之詞。願吾師、笑其稚、愍其拙、復啓我蒙蔽。是爲序。

選自「駿臺雜詩」又名「甲子集」

[自注]

01…即是東京大學文科二類。
02…地名。又補習班名。

[訓読]「駿臺雜詩(すんだいぞうし)」序

[www化に際し(よみがな)のみ現代仮名遣いにしました。]
 古(いにしえ)の人、初學より碩學(せきがく)に至るまで、皆詩有り。何ぞや。曰(いわ)く、幼より老に至るまで、皆其の志を存するの故なり。今の學ぶ者は、學説有れども、詩賦無し。其の學、專(もっぱ)ら人の爲(ため)にして己(おの)れの爲にせず。己れの爲にするを志と曰ひ、志を敍(の)ぶるを詩と曰ふ。既にして其の學、志を虧(か)けば、安(いず)くんぞ詩の口占(こうせん)と成る有らんや。此れ今人の詩無き所以(ゆえん)なり。
 文學部中文科學生加藤徹、始め經濟に志すも下第す。一歳蹉跎(さた)として駿臺(すんだい)に在りて偏僻(へんぺき)の學を修む。後、虎榜(こぼう)に名を列(つら)ぬるを得、改めて文章を學ぶ。詩一百首有り。今其の二十を選み、之に名づけて『駿臺雜詩(すんだいぞうし)』と曰ふ。謹みて戸川(とがわ)老師に呈し、丈(じょう)を凾(かん)し、以(もっ)て電矚(でんしょく)を瀆(けが)す。
 小詩固より稚(ち)を免(まぬか)れず。真に「書生の習作」と云ふべきのみ。然(しか)れども古人言ふ有り、匹夫(ひっぷ)も志を奪ふべからずと。我も亦(ま)た匹夫の志を揮(ふる)ひ、杜撰(ずさん)の詞を陳(の)べんと欲す。願はくば吾が師よ、其の稚を笑ひ、其の拙(せつ)を愍(あわ)れみ、復(ま)た我が蒙蔽(もうへい)を啓(ひら)け。是れ序と爲す。


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